1-4 秘匿魔術『黒猫将軍』
NDIの虚脱は基底世界においてはほんの30秒ほどの出来事であった。
「ええと、おはよう」
「おはッ……ポンコツ晒した第一声がそれかよこのトンチキ!」
十徳枝の激昂をまばたきの2,3度でいなし、NDIはポケットから
「はい。これ、フリード家の秘匿魔術の写し」
NDIの発言を耳にしたリプスは一瞬、呆けた顔で固まる。
そしてニューロンがその意味することをようやく咀嚼したと同時に、応接椅子を蹴倒して立ち上がった。
秘匿魔術、すなわちあまりにも強力であるが故に継承している事実を一族ぐるみで隠蔽していた秘術の存在を、唐突に暴かれたのだから。
そして、この国においてその手の強力な魔術の所持は、課税の対象だ。
「──んな、ななな、なんだとォー!!?」
「落ーちー着ーけって! こっちで抜き取りを許されてるのは、あくまで『所持の証明』になる情報と術構造の概略だけっすよ。
……しっかし、こっちが庭園の薔薇の件を突っついてるうちに素直にゲロっておけば、傷も浅かったのに。
コトが秘匿魔術がらみの脱税に及んだ以上、こっちから請求する金額も桁が変わって来ますぜ!」
十徳枝がひらひらと手を振ってさも愉快げに告げて見せると、リプスの顔色はみるみるうちに土気を帯びはじめた。
魔術士とはただでさえ無駄な出費を酷く人種であるというのに、その理由が秘術をまんまと盗み出された──一般的な民間魔術士の感覚としてはそうなる──からなのだから、その衝撃たるや計り知れないものがあった。
十徳枝が手元の携帯端末に護符をかざし、記録内容の確認に取り掛かる。
一方のリプスは当事者でありながら一顧だにされぬまま、さきほど自分が蹴り倒した椅子を起こしてのろのろと座り直す。
その額に、顔面に、見る間に脂汗が滲む。彼の頭の中には「何故?」「どうやって?」の疑念が渦巻いていた。
状況からして、NDIが何かを仕掛けたことまでは察しているだろうが、その方法に即座に思い至るのは困難だろう。
彼女の行使する魔術は、その程度には魔術士の常識を外れた代物であるのだ。
リプスの懊悩をちらりと盗み見ながら、十徳枝はひっそりとため息をついた。
頭の中へ忍び込み、文字通り家探しをされたとは夢にも思うまい。
そんな
NDIが、本日初めて自発的な行動をとった。
「あのね、おじさん」
NDIが意志の宿った瞳でリプスを真っ直ぐに見据える。
「な、なんだいお嬢さん」
あまりに気安い声かけに虚を突かれた様子のリプスへ、NDIは淡々とした口調で、ただ言うべきことだけを伝えた。
「家族に話せないなら、それは貴方に向いてない。
まだ間に合う内にやめたほうが良いよ」
十徳枝は自身の隣に腰掛けたNDIがとつとつと喋りだしたのにもさほど驚いた様子も見せない。落ち着き払った態度のまま、ただ視線をリプスに移す。
リプス・フリードからは、それまでの虚勢ごと表情の一切がごっそりと洗い流されていた。
……十徳枝は、『これ』が必死に押し隠していた恐怖の源泉を的確に掘り出されてしまった人間の反応なのを知っていた。
その上で、ただ己に課せられた仕事を遂行する。『こう』なった人間は尋問に対しても口が軽くなる傾向にあるのを知っているからだ。
そろそろ頃合いか。と、十徳枝は考える。
所詮、庭園の薔薇だの闇請け負いだのは今回の目的の枝葉に過ぎない。NDIが情報を抜き取るための時間稼ぎ、そして令状を取るための建前だ。
今回の捜査の本命に取り掛かる。
すなわち、秘匿魔術の看破ないし差し押さえだ。
「とりあえず構造式をザックリ見せてもらったが、特定条件を満たした小動物との会話を行う魔術ってことのようだな。んで、その条件が……」
「『体が黒い』こと」
NDIが引き継いだ説明を受けて十徳枝が肩をすくめる。
「なるほど、こりゃ
「そういえば魔術士の人って黒猫とかカラスをよく連れまわしてるものねえ」
「アレにも一応の理由は有ってな……動物との会話術自体は、効果にピンキリは有れどさほど珍しい代物じゃ無い。対動物の魅了術なんかもな。
ただ、体色が黒い生物は何故かかかりが弱いか、効くにしろ若干のタイムラグが有るんだ。原理は未解明ながら、経験則として広く共有されている事実って奴だな。
だから特段の拘りが無い奴からガチガチの効率主義者までがこぞって黒猫を有り難がるんだが……リプスさんだけは、カラスや黒猫が精神操作耐性を持つ真の理由をご存じだったらしい」
十徳枝がモニタをこつこつと指で叩いて見せるも、意味を掴み兼ねたNDIは首をかしげる。
悄然とした様子は変わらないが、口をきける程度には持ち直して来たらしいリプスが説明を引き継ぐ。
「……体色が黒く、言語を解する動物の思考は全てあの子をハブにして中継されているんだ……それ故に、他者の割り込みに強いとも言える。
術の名前は『黒猫将軍』。正確には称号だ、各世代でただ一匹の黒猫が名と力を受け継いで来た。元をたどれば勇敢な野良猫が猫の王から賜ったものだと聞かされている」
「猫の、王?」
NDIのもの問いた気な視線を受けて、十徳枝が肩をすくめる。彼自身も初耳のフレーズだ。
「するっつうと、なんだ。この世のどっかには猫共の猫共による猫王国でも有るっての?」
「その件は謎だ。個人的に興味を抱いて調べたこともあったが、それらしき伝承の類すら見つからなかった。あるいはそんなものはどこにも無くて、古代のどこぞの魔術士が戯れに植え付けた偽装記憶なのかも。
しかしそんな事はどうでも良い。
少なくとも体色が9割以上黒色の生き物は、例外なくあの子の影響下にあることに違いは無いのだからな」
「ほーん。……確かに術式の記述との矛盾は無いようだな。
──しかし、随分と聞き分けが良いじゃないですか。さっきまでとは大違いだ」
十徳枝がリプスへ水を向ける。自身の現状を再認識させ、敗北を決定づけるためだ。これもまた一種の呪術的な手続きと言えた。
が、その後の流れは彼の予測とはやや異なっていく。
「……取引がある。いいや、これは私の個人的なお願いだな」
「あん?」
「聞かれたら何でも話す。必要だと思えば聞かれる前からだって話す。だから……然るべき筋の保護を頼みたい。私では無く、私の妻と息子を。
私の家は、脅迫を受けている。相手は
リプスがぽつぽつと話した内容をかいつまむと、以下の通り。
もともとフリード家における『黒猫将軍』は家系の成立に関わった功労者のような扱いであったようで、代々の当主が飼い猫として大事に世話をする盟約を取り交わしたというのが事の実態だったらしい。
よって、魔術としての運用実績は、無い。
『黒猫将軍』の仕様が、究極の『待ち』の技術である結界術とさしたるシナジーが無かったのも大きいし、何より百年単位で懇意にしている太い顧客を抱えるフリード魔術事務所には異業種に手を出すモチベーションがそもそも存在しない。
そんな経緯で、
事情が変わったのは当代のフリード家当主がリプスの雅号を継いで以降だ。
経緯をかいつまめば、事業拡大の野心を持って中央進出の賭けに出たが見通しの甘さによって頓挫し、そこで繋がるべきでは無い手合いと縁を持ってしまった、ということだった。
いかな有力者のパーティーで出会ったとしても、そこに潜り込んだ人間の素性が必ずしも保障された訳では無い、という常識に、地縁の濃い環境で育った彼は疎いままであったのだ。
最初の内は小さな貸し借りを繰り返していたはずが、気が付けば巨大な借りを作ってしまっていた。
その負債の取りたてとして、どこから嗅ぎつけたのやら『黒猫将軍』の引き渡しを要求された。しかも妻子の隠し撮りの写真まで添えられていたという。
意味する所は明らかである。『我々はいつでもお前とお前の家族に危害を加えられるぞ』という脅しだ。
脅迫に震え上がったリプスは、どう考えても悪用されるであろう秘術を差し出すか、家族の安全を取るかの二者択一で憔悴しきっていた。
そのような折に、徴税人たる十徳枝とNDIが事務所へ訪れたのであった。
リプスの告解を聴き終えた十徳枝が、両の手を組んだまま口を開く。
「──残念だが、俺も
ただし、この手の調査時では、同時刻に家族の柄も押さえる事になっている。ま、本来は証拠隠滅対策なんですが。
リプスがへなへなとその場に崩れ落ちる。
「──そうか。そうか……」
「まさか役人が家財道具の一切をブリバリ差し押さえてる現場にカチ込むギャングも居なかろうし」
「なぬ!?」
「いやいや、徴税人が手下を引き連れて自宅にまで押しかけるってんなら用事は一つでしょ。
十徳枝は端末を軽快に操作しながら、朗らかに笑った。
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