1-2 彼女はコードネームNDI
──世界を覆う神秘のヴェールはナノメートル級にまで薄くなり、ほとんどが素通しだ。かつて古き種族がヒト族にもたらした魔法は今や社会の隅々にまで行き渡る基幹技術となった。そうして魔法が科学のごとき振る舞いを始めて高度な文明が形成され、幾百年。
魔の
近代化を達成し、貨幣経済の発展によって現代社会は金貨が血液のように社会のすみずみを循環している。種々の生存活動はそのまま消費行動に結びついており、つまりは、誰しもが生きていくには金がかかるようになった。
それは魔術士とて例外では無い。
そも、近代以前から『術使い』や『まじない師』や『錬金術師』とは金食い虫の代名詞だったのだ。
触媒なり、薬草なりの消費材もさることながら、杖や魔導書は言うに及ばず、昨今では各種の
これらは仕事道具であると同時に文字通りの生命線でもあるため、そうそう品質に妥協のできる代物でなない。
『杖の代金を出し渋る奴から死んで行く』とは魔術士の界隈では定番の警句だが、トネリコの杖から霊子端末に持ち替えた当代の魔術士たちにも同じことがいえる。
上手く立ち回ればそれなりの稼ぎは叩き出せるが、出ていく金額もまた派手になりがち。それが魔術士という職業の実態だった。
そして、彼等魔術士の
この二条件によって培われた魔術士はどうなるか。蓄財に励むのである。
ただケチなだけならば良い。しかし彼等にとっての節約術とは、必ずしも法の範囲内に収まるものでは無い。
というか、隙あらば脱税する。
租税というのは彼等にとっては最大級の無駄な出費の一つである。
『不肖の弟子に研究費を融通するため有る時払いで金を貸した。そのための金銭は納税義務の有るなにがしを誤魔化して申告することで得た』……などというのは、事例としてはまだしも穏当な部類だ。
『お上』に富を掠め取られることなく、どれだけ『上手くやっている』かで同業者の有能さを推し量る、そのような空気は魔術士の間では根強い。
行政からすれば頭の痛い事態である。高度な技能職であるほど真っ当な税収が見込めないのを意味するからだ。そんな訳で政府がそれなり以上に機能した国家には魔術士を専門に相手取る徴税手段が存在している。
リプス・フリードは真実実直な職業人であるが、彼が魔術士として生まれ、そして仕事をこなすうえでの実直さとは即ち『勤勉に働き、勤勉に脱税する』ことを意味する。
その結果、トゥーロ連合国に暮らす彼の下にも中央政府から委任された徴税人が『仕事』をしに訪れるのであった。
それらを踏まえ、話は再びフリード魔術事務所の応接コーナーへ戻る。
「──おッかしいなあ~~もう一度目を通させていただきましたが、やはり男爵宅で仕事を請けたのは二月の一度だけ。
花芽が出る時期にはノータッチという事になってますねえ記録上は。
この矛盾点について改めてご説明願いたいものですね。是非!」
活き活きとした表情で調査対象をなぶる、もとい問い詰める十徳枝。
彼ほどのあからさまな態度も珍しいが、他の徴税人の仕事も本質は変わらない。民間の魔術士達から忌避されるのもやむなしといった所である。
「バ、バババ薔薇の色がどうしたってんだね! お茶の席に呼ばれたときに善意でいくつかアドバイスした覚えならあるが、なんだね君の所ではたかだか茶飲み話にいちいち謝礼が付いて回るのかね? そんな訳が有るか!
それがなんだい、ワイク男爵夫人が丹精した薔薇の出来栄えにケチをつけるばかりか、言うに事欠いてウチの闇営業の証拠扱いとは! 人の真心ってものが無いのかい?!」
リプスの必死の抵抗に、少年は小さく舌打ちする。
「しゃあねえな……ハイ2件目入ります!
では、こちらの書面と登記簿謄本をご覧くださ……
──オイ!」
唐突に挟まった怒声にリプスが反射的に身を竦ませるも、それは彼に向けられたものでは無かった。
リプスが顔を上げると、十徳枝は傍らの少女──自らの相棒の襟首を引っ掴んでガクガクと揺さぶっている真っ最中だったのだ。
「ヒッDV!」
「
悲鳴を上げるリプスへ毒づく十徳枝。よくよく確認すれば、少女の上半身が脱力しきってがっくりと前のめりに倒れかかっている。これを視界の端で捉えた十徳枝が咄嗟に支えた、というのが実際に起こった出来事のようだ。
「……仕事先で居眠りとは。
年度の切り替わり時期だし疲れが溜まって居たのかね。どれブランケットでも」
「結構です! 要りません! っつうかその場から立たないでくださいねェ! ドサクサに何か捨てたり丸めて飲みこんだりされたら困りますから」
「なんだと! そんな若い身空で他人からの好意を疑うのは感心できんぞ君」
「魔術士の抜かす『好意』を鵜呑みにする方がアホでしょうよ。
──で、お前はいつまで呆けてるつもりだコラ。オイ聞いてんのかNDI。
エージェント
エ~~~ヌ、ディ~~~~~、アーイ!」
「なるほど。頭文字3つを取ってNDIか」
「長ッげえんだよ
リプスが少女の呼び名について得心するのを余所に、当の
──尚、言葉こそ威勢が良いこの少年の一連の行動は以下の通り。
1.前のめりに倒れたNDIのブラウスの襟首を掴む(首が絞まらないようにもう片方の手で腰ベルトも保持)
2.とりあえず背もたれに寄りかからせてから耳元で呼びかけ(ただし罵声混じり)
3.ソファの座面の、NDIの腰掛けているすぐ脇の位置をボンボンと叩いて振動を伝える
「……若いうちから慎みが有るのは良い事だと思うようん。いや本当に。私も人の親だし」
「なンだぁその訳知りっツラは! それ以上イジるようなら難癖の限りを尽くしてテメエに青天井の追徴金を吹っ掛けっからな!」
吠え猛る十徳枝に、今度こそ真っ直ぐ凄まれたリプスはおおいに怯えた表情を晒した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます