チート魔術は課税対象です
納戸丁字
その1:白エルフも銭で光る
1-1 少年の呼名は十徳枝
リプスは少年の肩越しに見える、自らのデスクに呆然と視線をやった。たっぷりと光を取り込む南向きの大出窓を背にして置かれた、ひときわ立派な設えのデスクを。
正真正銘のスター・リーフ・マホガニー製。化粧板だけで誤魔化すなんてけちな真似は一切なしの、裏板から木釘に至るまで深紅に光る銘木だけを使ってある。錠は当然、真銀製。古ドワーフによる細工であるが様式は古エルフ。
大断絶時代以後、大統一時代以前という限られた一時期にしか実現不能だった仕事だ。どれもが一級品のアンティーク揃いの事務所のインテリアにあって、特に飛び抜けた価値を持つ物の一つだ。
リプスが父の跡を継ぎ、結界術を専門とするフリード魔術士事務所の長となって十数年。その間、民間の
その甲斐もあってビス州はエザサ地方の片隅で細々と繋いでいた家業を発展させ、首都中心部の
──その結果、ひとかたならぬ厄介事に巻き込まれてしまい、その上、招かざる客までもがやって来たのも事実だったが。
いま彼が相対しているのは歳若い男女の二人組である。
若造のアポ無し訪問など本来は無視して許される無作法なのであるが、徴税局の紋章付きの
その内の男の方──いや、姿かたちの形容に適うのはむしろ『少年』という呼称の方かもしれない。
対面に腰掛け、徴税局のエージェントと名乗った彼は、リプスの眼には今年ハイスクールに上がったばかりの我が子と似たような年頃に見える。
全体的に子供っぽいつくりをした顔貌にあって、その眼光だけが年の頃にそぐわなぬ薄暗さと知性の閃きで妙なギラ付きを見せていた。
そんな彼は、夜色の髪の毛を神経質なまでにきちんと撫でつけ、鮮やかな色合いのエクステンションを両サイドにひと房ずつ垂らしており──あまり見ない様態ではあるが、魔術士が凝った髪型をするのはさほど珍しいことでも無い──、服装は白いシャツを敢えて弛めのサイジングにして光沢感の有る黒のテクニカルローブを羽織っている。
概して役人の格好としてはやや砕けすぎだが、学生街や繁華街で見かける若者たちを基準にすればまあまあ上等であり、かつ、嫌味が無い。
彼は己のIDを記したメダイと共に『
魔術士が本名を秘す慣例は現代にも残されている。元々が呪殺と切っても切れぬ間柄であるからだ(それは、かける側かけられる側両面ともである)。
例えばリプスのように代々が魔術士としての名代を受け継いで来た者は、開祖の名乗りを家長の座と共に継承するのが常である。無論、戸籍上の本名は別にあるが、それらで呼ぶのはよほど親しい間柄や血縁者に限られた。
その点で言えば『十徳枝』少年の名乗りは中々に挑発的だ。
極東派閥の術士が掲げている徳目は五つ。その倍掛けでもって『俺は奴らの上を行っているぞ』と示している。
装いのある種の隙のなさといい、名乗りの件といい、彼の早熟さと強烈なまでのプライドの高さを十全に表現していると言えた。
いっぽう、女の方。前述の少年よりはやや大人びて見えるが、それでも十代後半かそこらが精々だろう。
よく手入れされた髪は上等な玉髄を思わせる翠がかった乳白色をしていて、真珠色のボウタイ付きブラウスは型こそ控えめだが良い生地と仕立てなのが窺える。大柄なリプスの目線からは、頭一つ背の低い、しかも伏し目がちの少女の顔貌は隠れがちで、伏した眼は長い睫毛に遮られて瞳の色すら曖昧な印象だ。
少なくとも少年から発せられているような剣呑さは無い。
『非破壊検査』という、これまた耳慣れぬ響きのコードネームを名乗って以降、発言らしい発言は無かった。
どこか心ここに有らずという雰囲気は不審だが、一方でリプスにとって有り難くもあった。
何しろ現在の彼は、十徳枝少年の鋭い舌鋒の対処で手一杯だったのだから。
「俺達だって、居直り強盗みたいな真似はしたくないんですよ。払うモンさえお支払いただけたら即座にお暇しますよ。ね、ここは一つ穏便に行きませんか?」
大股に腰掛けた十徳枝が身を乗り出し、リプスの顔を正面から見つめる。
それが舌戦の始まりだった。
「……君ねえ〜、こっちはもう然るべき額の税は納めているんだよ?何を言われておつかいに寄越されたかは知らないが、君らみたいな子供の出る幕じゃ無いぞ。茶菓子を食べたらさっさと帰りたまえ」
リプスのあしらうような言葉は十徳枝に鼻で笑われる。
「『然るべき』。そう来ましたか。
確かに『魔術士なりに、くれてやっても惜しくない程度のはした金』なら頂戴しているようですがねえ。しかし御宅らで請け負った業務の見込み収入とはとてもじゃないが釣り合わない」
「書面はちゃんと読んだのかね!?とんだ言い掛かりも有ったものだ!!」
眼前の少年の、およそ大人に対する敬意に欠ける物言いはリプスを激昂させた。
しかし当の十徳枝は怒声に怯むそぶりすら見せず淡々と応じる。
「はあ。確かにはした金相応の記録なら残ってますね。ですがね、こっちが言いたいのはそれ以外が有るでしょうって事ですよ。
結界術のメインの営業先といえば土地持ちの多いド田舎だが、中央の目が届きづらいのを良い事に書面を取り交わさない闇請け負いが横行しまくりなのはいかがなものか。
顧客も御宅も百年単位の顔見知りで気心知れまくったモンなのでしょうが、今回はちと派手にやり過ぎましたね」
十徳枝はここで一旦言葉を切ると、懐から取り出した携帯型の
手のひら大のクオーツ投影面に映し出されるのはリプスの見知らぬ女性。が、しかし彼女が背にしている物体と、そして撮影場所は、彼にとって見覚えの有る、むしろ有り過ぎるものであった。
リプスの背筋に悪寒が走る。この少年は、一体どこまで知って仕掛けて来ているのだ?
そして彼にとっては不幸なことに、この時抱いた悪い予感は見事に的中する。
「こちらはO・ワイク男爵宅のオープン・ガーデンの際に写させていただいたものです。いえ、当局の職員がプライベートで伺った際のスナップを借りただけですがね。
いやあ見事な施術ですね。オープン・ガーデンは花の盛りに行われますから、お陰で術の配置も良くわかります。……確か、この庭園の整備も貴社が請け負っているとか」
事実を確認するかのように淡々とした口調で解説する十徳枝が、しかし一瞬だけ片方の口角をきゅっと上げたのをリプスは見逃してしまう。
十徳枝の隣に座るもう一人のエージェント──非破壊検査という耳慣れぬ響きのコードネームを名乗っていた少女だ──が、どこか夢うつつな様子のまま、自らの傍らの少年を見やって一呼吸、次いで首を巡らせると、リプスの顔をまじまじと見つめて来たのだ。
──この娘の瞳は
非破壊検査に見つめられ、瞬間、リプスは自身の置かれた危機的状況、歓迎しかねる来客共の難癖、日々の業績、我が子の教育方針……思考の片隅にタールのように染みつく浮世の憂さを、一旦全て忘れる。
そしてただ、思い出す。
見合い結婚だった妻との、入籍前の二度目のデート。持参した花束は大飛燕草のアレンジメントだった。マリンブルーが好きだと聞いたから、若い娘が特別好みそうな色と姿の花を必死に吟味して自ら仕立てた物だった。ただ、彼女に喜んで欲しかった……。
「……確か、ワイク男爵の庭園の手入れを2月に請け負ってますよね?」
尚も続く、探りを入れるような十徳枝の質問でリプスは我に返る。
少年の態度に訝しげなものは見られない。忘我したのはごく短い間に過ぎなかったらしい。
「行ったのは主に植木類の植栽と剪定だった。ここまでは相違ありませんね?」
「そうだ。帳簿にもきちんと付けてある筈だが」
これは書面にもきちんと残してある案件だ。なので、リプスとしても否定する理由は無い。
「──そいつはおかしいなあ!」
十徳枝の表情が、今度こそあからさまなまでに笑みこぼれる。
さも愉快げに言い放って見せた彼のギラ付いた瞳は、飼い猫が野ネズミをいたぶる様をリプスに連想させた。
「この書面じゃあ薔薇を始めとした花樹にゃ触れてないことになってますが、ご覧の通り盛りの時期の庭園はそりゃあ見事な仕上がりだ。
まあ仮にワイク男爵や男爵夫人、あるいは園芸知識と魔術の両方に精通した誰かが無償で手入れをしてくれていたと仮定しましょうか。……しかしですね、魔術ってなあ術者のクセっつうのがど~うしても出る。
セオリーじゃここのアーチに植える薔薇は深紅一択だが、貴社が造園を請け負っているケースじゃ決まって珊瑚色をしている。
これは図書館なりで借りて来たガイドブック片手の素人じゃまず有り得ないチョイスなんですよ。
ご存知の通り迷宮結界は器物の色と形でもって魔力を制御する、類感魔術の一種。
なかでも造園に纏わる結界術は花の色と植栽の枝ぶりと配置で地脈に干渉するんでしたよね?
……つまり、この位置に生きて赤色をした『何か』が根付いて、初めて結界として用をなす訳だ。赤薔薇ってな昔から人気だから手頃な品種も多いし、最悪でも白薔薇を赤く着色すりゃ事足りる。わざわざ別の色で代用するとは考えづらい。
深紅の薔薇でアーチを作れ、というセオリーは過去に一度でも流通した一般向けの教則本の96.6%で共通している記述でしてね。ついでに言えば残り3.4%の例外項では極まれなケースを挙げて『赤紫の薔薇がオススメ』なんて書いてある。ま、どっちみち赤系の色合いなのは変わらない訳だ。
ですからね、閲覧資格を厳しく問われる魔導書ならいざ知らず、素人にもアクセスできる書物にゃ
それなり以上の知識と経験を有した庭園魔術の専門家による仕事じゃないと、ワイク邸のアーチが『こう』である説明が付かないんですよ。
例えばそう、貴方のようなプロが手掛けたり、とか」
何もかもがバレている。卒倒寸前のリプスの脳裏には、なぜか飼い猫のせせら笑うような表情が浮かんでいた。
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