第8話 昂る悪意

 セツナとアラタが遭遇して少し経った頃、ようやくユーディット・トノウはセツナ捜索に乗り出すことができた。



 まだ日は落ちてはいなかったが、自分の手が空いた今の時間まで、あのアラタと名乗る印章士アーキテクトは帰ってきていない。



 恐らくまだ見つけられてないか、或いは説得できていないのだろうと彼女は判断していた。



 説得には人が多いほうがいい。

 今日までコツコツ印章士として経験を積み上げてきたセツナの話と、急に現れて彼女を貶めた奴の話。

 ユディがどちらを信じるかなど明白であった。



 印章士ギルドは依頼をこなし正当に活動する印章士を管理することで、その地位を守ってあげるのが目的である。



 ならばこういう時にこそ可能な限り庇ってやるのが筋だと、ユディは考えていたのだ。



 彼女はセツナに、自分をあの男に引き渡そうとか、ましてギルドから追い出そうとかそんなことは思っていないと一刻も早く伝えたかった。



「衛士は見てないって言ってたし……きっとこっちの方よね」



 ユディは港の方にやってきた。マギビークルの音はせず、あらかたセツナは潜んでいるだろうと推測できた。



「早く見つけないと…あの野郎が先にセツナに詰め寄ったら、どうなるかわからないわ」



 少しだけ焦りながら、ユディは船着場を歩き辺りを見渡した。



 雑踏の隙間から、セツナの小柄な体躯を捉えようと目を凝らす。



 すると、ユディの前にふっと人影が現れる。

 ぶつかる直前で彼女が立ち止まりその正体を見れば、先程ギルドにて好き勝手してくれたあの男が立っていた。



 ユディは驚いた拍子に奴の姿を見咎めてしまい、向こうもそれに気付いて目を合わせる。



 どうやらヘンリックは丁度自分の船から降りてきたところのようだったのだが、彼の様子はギルドで飄々としていた時のそれと大きく異なっていた。



 怒気を孕んでいる。否、怒っているかどうかは正確には定かではないが、静かに佇むその姿の内に抑えきれぬ興奮が秘められているのが確かにわかるのだ。



「ああ、さっきの女か」



 そう言ったヘンリックの声には攻撃的な意思が多分に含まれていた。



 しかしユディはここで怯むわけには行かない。

 ギルドに来るなり好き勝手した彼に恐れを抱けば、次はもっとギルドを舐めてかかるに違いないからである。



「だったら何? あなたには関係のないことだわ。さよなら」



 ユディは変に言い合う気は無かった。トラブルを恐れて逃げ出したセツナを追っている以上、ヘンリックとは今すぐにでも離れたかった。



 が、彼は横を通り抜けるユディの肩を掴む。



「何よ、離しなさい。あなたとこれ以上話し合う気はない。

 それとも、ギルドや私になにか文句でもあるの?」



「いや……お前に何か言ってやる気はないし、ギルドもどうでもいい。

 ただあのガラクタを誘き寄せるのに良い餌だと思っただけだよ」



「なんですって────」



 ユディが訝しむと同時、熱を伴う衝撃が響く。



 その震源は先ほどまでヘンリックがユディの肩に触れていた右手。



 周囲の軽い悲鳴とともに彼女は家屋の方へ吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。



「ぐッ……魔法!? 全員離れて!」



 ユディが大声で周囲に警告しながら胸元のペンダントに両手を翳し、拳を身体の前に構えて戦闘態勢を取る。



 間も無く彼女の両腕に塵がこびり付くようにして、大きな岩の手甲が創られた。



 ユディの印章術……土・沼・鋼属性を組み合わせた岩石の鎧である。



 その様子を見てヘンリックは薄ら笑いを浮かべる。



「お前も印章士か。ただの看板娘では無いんだね」



「当たり前でしょ、ギルド員よ。

 それより、アンタ気が狂ったのかしらね。

 カンメラじゃあ魔法による粗暴行為は取り締まり対象。ただじゃ済まないわよ」



 そう捲し立てたユディに対し、ヘンリックはなおも表情を崩さなかった。



「ああ、だろうね。知っている。

 だから精々私を制圧してみたまえ。

 そこのモノが焼かれたら、キミも大変だろうから」



「なっ……」



 彼女が後ろに意識をやれば、斜め後ろに腰が抜けた一般人の気配と悲鳴がした。



 さらに後ろは当然彼女自身が吹き飛ばされた壁、すなわち建屋がある。



 位置を変えなければ、そう考えるうちにヘンリックは次の魔法を繰り出した。



 彼が人差し指でユディを指すと、指先から魔法陣が展開し光の奔流が放たれる。



「(不味い、巻き込んじゃう!)」



 ユディは手甲で地面を殴り、石畳をカーペットのように捲って壁にする。



 さらに、手甲もそこに溶かして硬度を上げた。



 光は壁にぶつかり、煙を伴った。

 晴れると、服ユディのあちこちが焼け焦げ、岩石の壁は無惨に破壊されている。



 ユディは信じられなかった。恐らく彼の魔法の主属性である光は沼と色が逆位置にあるし、土属性の魔法は耐熱性に優れるからだ。



 しかし今の一撃は、明らかにそんなものではない。

 すなわち、出力が高すぎるのだ。



 ユディは壁越しに高熱で焼かれた身体を抑える。とっさとはいえ、自分の岩壁を超えてくる魔法は久々だった。



「へえ、ちゃんと耐えるんだな。出力も上がっているはずなのに。

 なら、これはどうだろう」



 ヘンリックは独り言を呟くと、指先の魔法陣を上空に向けた。



 魔法陣が眩い光を放つ。しかし、ユディが見た異変はそこではなかった。



 印章士が魔法を記す印章。



 それと同じ紋様であるはずの彼の魔法陣が波打ち、紋様が変化していったのだ。



 通常では考えられない現象を目の当たりにしてユディが身構える。



 やがてヘンリックの指先から魔法陣が弾けて消え去り、間も無く地鳴りとともに彼の背の水が、否、船が隆起した。



 「これは、一体────!!?」



 ヘンリックの後ろに先ほどまで彼の船であったはずのモノが、濁流の腕を生やし船着場に乗り上げていたのだった。




〇〇〇




「何、あれは!?」



 船着場の様子を見たセツナが隣で軽く悲鳴をあげる。



 船からよくわからん腕が生えて陸に登っていた。どう考えても普通ではない。



 さらにいえば、その船は生やした腕を船着場の人がいるあたりに勢いよく叩きつけたあたり敵意のある何かなのは間違いなさそうだ。



「さあ、俺にもよくわからん……ありゃ魔法か、魔獣の擬態かどっちだ?」



 見定めようとする隣で、彼女がぼそりと呟く。



「……あれ、ヘンリックの船だ。エンブレムが見える、間違いない!」



「何!? あの野郎とち狂ったのか?」



「いや、あいつにはこんな芸当はできないはずだよ。

 あんな生き物みたいに船を動かせるなら、僕の技術なんて要らないはずで────」



 奴が2年前の話を掘り返してセツナを求めたこと。



 セツナが俺と同じ”極化回路“で、奴がそれを知っていたこと。



 そして、奴が恐らく得意としてないはずの魔法現象を引き起こしているかもしれないこと。



 俺の中で、全てが線になって繋がる。



 きっと奴は────



「事情が変わった」



「え?」



「俺はきっと、ヘンリックを倒さなきゃいけなくなった。

 ついでに、奴に聞き出さなきゃいけないこともできた」



「ちょ、ちょっと急にどうしたの?」



「セツナよく聞け。

 苦手を克服するどころか、苦手な魔法をなんの儀式も無しに万理印に組み込めることが出来るとしたら、どうする?」



「へ? えっとそりゃあ、もちろん嬉しいけど……」



「そんな魔法はあるんだ。名前を”熾天化“セラフィマイズ

 俺はその魔法による実験が失敗して、その事故が原因で故郷を追われた」



 セツナが目を丸くして息を飲む。



「もしかしたら、ヘンリックはそれを使った可能性が出てきた。根拠は幾つかあるけど……それはどうでもいい」



 俺はセツナの肩を掴む。

 改めて、彼女の瞳をまっすぐ見つめて告げた。



「アレを止めるのを手伝って欲しい。

 お前の力が必要だ」



「ええっ!? そんな無理だよ、僕にそんな……」



「水上を走れるマギビークルこいつなら、海側にあいつの気を引けるし、機動力だって申し分ない!

 被害を抑えつつアレに仕掛けるには、お前に頼るしかないんだ!」



「な、何か算段があるっていうの?

 得体の知れないモノなんでしょ?」



「もしあれが、俺の予測通りなら────」



 真剣に、それゆえ畳み掛けるようになってしまったけれど、セツナに全てを話した。



 彼女は俺の言葉を信じてはくれたようだった。

 だが同時にその目線が沈む。



「セツナ、お前まだ……」



「だ、だって、怖いんだもん……怖いよ。

 アイツの姿を見ただけであんなに怖かった。

 なのに、それを止めるだなんて……また失敗したらどうしようって、今度は自分が死んじゃったらどうしようって思ったら、身体が、震えるんだよ……!!」



「大丈夫だ」



 静かに、震える肩を強く握って言う。



 セツナは、まだ過去が怖いんだ。

 酷い目に遭うかもしれないという可能性が、彼女の心を蝕んでいる。



 どのみち、アレを放置すればセツナにどんないちゃもんやトラブルの矛先が向くかはわからない。



 それこそ本当に、セツナがカンメラから逃げ出さなきゃいけなくなるかも知れない。



 それだけはダメだ。いや、俺が嫌だ。



 俺だって逃げ出してきた身だ、その辛さだって知ってるつもりだ。



 まして、俺が逃げ出す原因になったものが今回も絡んでいる可能性が高い。



 なのに目の前で自分と同じ目に遭うかも知れないやつを放っておいたら、それこそ逃げだ。



 巡り巡って他人事じゃないかも知れないこんな状態で、また見ないふりをするなんて……そんなかっこ悪いことがあってたまるものか。



 おためごかしは得意じゃない。

 だから、精一杯心を込めて言うしかなかった。



「なら依頼する。セツナ、お前にだ。

 俺に協力してくれ。報酬なら、俺の持ってるモノなら全部やる。


 俺は逃げたくない。お前はどうだ?


 もし、逃げたくないと思うなら、俺に賭けてくれないか。


 ……帰ろうぜ、もう一回。今度は、最高にカッコよく決めてさ」



 俯いていた両眼が、視線と重なる。



 音すら遠のくような一瞬、その後に、目の前の少女が肩の上の手を握り返した。

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