第3話 新天地はカンメラ
平野の向こうで、太陽がその頭のてっぺんだけを気怠そうに浮かべている。
僅かな眩しさを残しながら、肌身には夜の冷たさが感じられる頃になって、俺はやっとキャンプの設営を終えた。
いつもなら雷槍を一本立てて、罠を張って寝るだけでいいが、今回は別にやることがあったからである。
まず初めに、火口箱を取り出し急いで焚き火を作った。最優先となるマナポーションの生成だ。
損傷を受けたフェンリルのコアを取り出して肉を取り除き、スキレットで熱する。
コアがとろみのある液状になったところで、少し温めた蒸留酒と混ぜ、手のひらサイズの小瓶でしばらく振って混ぜる。
飲んでも火傷しない程度になれば、それで即席マナポーションの完成だ。
本来ならきちんとした薬草とかを混ぜたりしたほうが効率が良く、加えて熱してる途中で自身の血を混ぜた方が効くが……まぁ、寝てる奴を斬りつけて血を取るわけにもいかない。
マナポーションができてすぐセツナに飲ませ、安静にすべく毛布で包んで寝かせた。あとは経過観察をして回復を待つのみである。
呼吸が苦しそうだったのでネクタイを緩め、シャツのボタンを一番上だけ開けたが、これは応急処置である。決して、決して疚しい気持ちなどない。
少なくとも、ボタンを開けた時は決して悪意はない。はだけた胸元を見て、ちょっと先程の事故を思い出したくらいであって。
寧ろ変に意識してしまって、汗を拭いてやれなかったぶん、風邪を引くのが心配なくらいだ。俺はそう言い聞かせた。
あとは、フェンリルの血抜きをして、肉を切って焼いて、肉の余りに保存魔法をかけて、皮を剥ぎ取って、寝床を作って、軽い罠を張って……と、そうこうしているうちに日は落ちてしまったのだった。
現在は、荷台とマギビークル、テントを風上にして、焚き火の前に座り暖を取っている。
今は冬と春の境目だ。オウカ地方南部のタバル平野は、凍死するほどでは無いものの、しっかり遮蔽を作らなければ、夜風が吹き付けてなかなか応える。
ゆらりと炎が揺れ、陽炎の向こうでセツナが荷物を枕にして寝息を立てていた。
日中よりずいぶん顔色が良くなったように思える。
なんなら、俺が処置をするまでの時間の方が恐らく危険域だったろう。
寝顔をあまり見ても悪いかと思い、その後ろに止まっている鉄の塊へと目を向ける。
彼女の乗り物は一体なんの魔法なのだろうか。
珍しいものだからあまり詳しいわけではないが……こういう金属製のものを動かすのは、赤色──つまり、火属性と熱属性──の魔法が得意分野のはずだ。
確か、鉄の部品を赤色系の爆発現象で動かす形になる、だったか。
更に言えば、そういう魔法は大抵"起動"が一番コストが軽いことが多い。
だが、彼女の乗り物は違う。加速力もトップスピードも申し分ないが、起動するのにこそ多量のマナを払うような口振りだった。
考えられるのは、赤色以外の魔法式で動力を得ているケースだが……まぁ、
なんにせよ、彼女には悪いことをした。護衛対象でありながら無理をさせたし、まぁ、粗相もしてしまったわけで。
……取り敢えず彼女が目覚めたら、なんて言ったらいいだろう。
そんなことを考えていると、熱の向こう側で毛布がもそもそと動き出した。
「ん……」
「お、起きたか……どうだセツナ、調子は────」
少しだけ緊張しつつ、立ち上がってセツナの顔色を伺う。彼女はゆっくりと目を開け、俺と目を合わせた。そして────
「……ひっ!!?」
セツナは目を見開いたかと思うと、急に甲高い声をあげ、地面に座ったまま後ずさった。
その勢いで後ろのマギビークルに頭をぶつけてしまう。
ごつん、と鈍い音がして彼女が頭を抱えた。
「ぁぐ、いって……」
「お、おい大丈夫か? 戦闘ならもう終わったぜ。魔獣もいない」
「え……あ、あぁ、そっか。アラタか……悪いね、急に」
「どうしたんだよ一体……あ! 別に疚しいことはしてないぞ!?
毛布を巻いたのと寝かせたのと、あとマナポーションを少し飲ませたくらいで──」
よくもまぁこんなにすらすらと言い訳が出てくるものだと自分に感心してしまう。
「ふっ、そんな、気にしてないよ。看病してくれたんだろ?
それに元はと言えば、僕が悪いしね」
「それは……」
申し訳なさそうにちょこんと座るセツナからそう言われ、ふとニュータバルの門を出た時を思い出す。
彼女のせい、というのは正確には誤りで、
何を隠そう、この乗り物めちゃくちゃ駆動音がデカい。
そのため他の迂回路を行く者たちからとんでもなく嫌な顔をされたのである。
カンメラからの行きはそんなことはなかったし、襲われたわけでもないというのがセツナの主張だった。
しかし、ここ数日セツナがニュータバルで滞在しており、更に言えば盗人を見かけて放って置けずに追いかけてしまう彼女のことだ。
街中でも乗り回していたろうし、"宣伝効果"はバッチリだったということなのだろう。
結果として迂回路から少し離れて走っていたところをフェンリルに見つかり、だからと言って迂回路に魔獣を引き連れるわけにも行かず、逃げ損ねてあんな状況になっていたのだった。
「い、いやぁ失敗したよ。まさかマナの使い過ぎでバテちゃうなんてさ。
滅多にやらないんだけどなぁ……」
「ま、俺だって乗りながら戦えなかったわけでさ。お互い様ってことにしようぜ。
寝起きだけど飯いけるか? フェンリルの肉、少し焼いておいたんだよ」
「あぁ、ありがと。なら貰っちゃおうかな────」
雇われ軍人や魔法警察隊の印章士ならいざ知らず、ギルド所属の印章士なんて命があれば安いものである。
それに、単独で襲われるのは悪いことだけじゃない。
こうやって、来た魔獣の素材は無論独り占めできるわけで、供物として売るなら得られる対価はその分上がる。
結果として、終わってみればお互いメリットがちゃんとあるのだから、生きてさえいれば気にする必要なんてないのだ。
俺は焼いておいたフェンリルの肉をセツナに勧める。彼女もまた、毛布を緩めてそれを受け取ろうとした────のだが。
「────ん?」
ふと、セツナの視界に自身の襟元が映る。
当然、そこには応急処置のため、意図的に外されたボタンと緩められたネクタイがあった。
「やっぱりすけべじゃん!」
「断じて違う!!!」
その夜、昼の不可抗力を含めた必死の弁明の中で、彼女が種族と性別からナメられるということがないように中性的な格好にしているという話を聞いた。
〇〇〇
ヒューガナツ共和国、カンメラ。オウカ半島の最南端に位置する街で、船による他国との貿易や南方に見える島々の探索需要などにより、人々が多く集まる港町、らしい。
人呼んで"情熱の港"。そんな街の北門を通るため、俺とセツナは関所の順番待ちをしていた。
「結構時間かかるんだな。ニュータバルのほうが街としてはデカいんじゃなかったか?」
「それは間違ってないぜ。ただ、カンメラは海からも荷物が来るからね。結構検査が厳しいのさ。
てなわけで、陸路も警戒強化してる」
「なるほど……いろいろと街も大変だな」
「僕みたいな一人経営の運び屋からすれば、手数料の諸々で儲かるから願ったりなんだけどね」
中々にシビアな話を聞いた。印章士を雇うということは、金が絡むことは確かに間違ってないけれども。
そんな他愛もない話をしていると、自分たちの番が回ってきた。
セツナは慣れた手つきでサインをし、持ち物の中から丸いエンブレムのようなものを見せる。
それは、波の意匠が施されたマークだった。恐らく、この街の印章士ギルドのエンブレムだろう。
程なくして俺と積荷に対して検査が行われた。
俺は持ち物と
印章士であるならば、それを示す必要があるのがヒューガナツの習慣らしい。
印章士の万理印は1人につき1つだから、基本的には万理印と対になるように商工会ギルドか印章士ギルドのエンブレムを見せる。
またエンブレムには追加でもう1人印章士を通してくれる力があるようで、これで護衛として雇われた無所属の印章士も1人までなら通れるわけだ。
ここで、フェンリルの毛皮を見た衛兵が感嘆した。
「おお、綺麗な一枚皮。随分強そうなお兄さん連れてるな、"運び屋"」
「だろ? 契約中だからあげないぜ!」
「おいおい、俺はモノじゃねえって」
セツナたちのやり取りにツッコミを入れるが、まぁ、強そうと言われてあんまり悪い気はしない。
寧ろこれから、一旦ギルドに所属して印章士をやっていくとなれば、いい噂は多いに越したことはなかった。
「カンメラは初めてかい、お兄さん。印章士なら、ギルド登録は是非うちでしてくれよ。大募集中だから」
「あぁ、そのつもりだよ。しかし衛兵に勧誘されたのは初めてだ。
無所属の印章士はもう少し警戒されるかと思ったよ」
「それがココの気風だ。街のデカさは私たちの豊かさになる。
じゃ、くれぐれもトラブルに気をつけて。君の同業者も多いからね」
「あぁ、ありがとよ」
衛兵と挨拶を軽く交わし、関所を出て街の中に入る。
目の前には、広く放射状に伸びた3本の大通りと、活気あふれる商店街が広がっていた。
さらに正面の通りの奥には、船のマストのようなものまでチラホラと見える。
「うーん、いい街だな。仕事にも事欠かないだろ」
「だろうね。加えて海の先には未探索の島もある。印章士として一旗上げるにはぴったりさ。
さて、
そう言ってセツナは降りていたマギビークルに乗り直し、思い切り起動させた。
ヒュンヒュンと空を切るような音が鳴り、やがてそれは太く低い唸りへと変わる。
だがニュータバルに比べて、彼女のマギビークルを気に留めている者が少ないように感じられた。
セツナがレバー握り、少しだけ持ち手の部分を捻る。
やがて荷台にもその動力が伝わっていき、マギビークルは大通りの真ん中を悠々と走りはじめた。
速度は、人とぶつからない程度。ブルの歩みよりちょっぴり速いくらいである。
「セツナは
「ん? いいや、ココは地元じゃないぜ。
カンメラのギルドに籍をおいてはいるけどね。2年くらい経つかな。どうして?」
「いやなに、マギビークルがニュータバルの時より驚かれてなかったからよ。
カンメラじゃ有名なのかなって」
「まぁ、多少は知られてるだろうね。
うるさいしスピードもだいぶ出ちゃうから、嫌な人は嫌だろうけど」
「俺はもう慣れたよ。今の速度に、まして舗装された道だから随分快適だ。
外で急いだってブルの全力より揺れないわけだし、いい魔法だと思う」
「……へへ、一緒に乗ってそんなこと言う奴、初めてだよ! 大体、他のより速すぎて怖がるんだけどね。
でも嬉しいな。ありがとう」
「お、おう……まぁ怖いっつーけど、魔獣にはもっと速いやつもいるしなぁ。いちいち怖がってられねえだろ?」
「頼もしいね。ならきっと、"ここ"でも引く手数多だろうぜ」
セツナがマギビークルを道の端に寄せる。そこは北門から港に向かってしばらく行ったあたりで、二階建てほどの高さに家5、6軒ぶんを超えるような広さの大きい建物があった。
入り口の上には、円を等分するように引かれた6本の線が入ったマークと、先程彼女が関所で見せたエンブレムとおなじ紋様の二つが掲げられている。
6本線のマークはよく使われる印章士を表すものだ。
「ニュータバルと同じくらいあるじゃないか。すごいな」
「流動人口が多いから、働き手も多いんだよね。この街を選んだのは当たりだと思うよ」
「願ったりだな。じゃ、行くか」
「あぁ。ようこそ、カンメラ印章士ギルドへ、なんてね」
マギビークルを停め、荷物を2人で担ぐと、セツナは冗談めかしながら勢いよくそのドアを開けた。
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