第2話 餓狼の爪と碧い電光
「ん、あれは……! セツナ見えてるか?! 向こうにブルトラックの一団が見える、間に合ったじゃないか、ここで仕留めちまおう!」
俺は高速でタバル平野を駆け抜けるマギビークルに繋がれた荷台から、身を乗り出して運転手に叫んだ。
しかし、あれだけ一緒に騒いでいた筈のセツナから返事がない。俺は少し不安になって繰り返し名前を呼んだ。さっきの言い合いで、怒らせちまったかな……。
「セツナ、おいセツナ! 聞こえねぇのか! さっき騒いだのは悪かったから、もうスピード緩めて大丈夫だぞ?!」
「────────」
異変を感じ、注意深くセツナの背中を見る。
姿勢は変わってない、でも、おかしい。揺れている筈なのに、肩で息をしているのが目で判る。
印章術は、儀式と供物によって行使する魔法を記録した
当然、一時的な魔法もあれば、持続的に引き出さなければならない魔法だってある。
限界を超えて連発しようとしたり、発動させ続けようとすれば、心身を摩耗し、やがて外界で致命的な状況になってそのツケが回ってくるのだ。
セツナは自分を
印章士は、商売の道具である万理印をそう易々と他人に解説しないのは勿論の筈だ。だから、別に気にも留めなかったが。
もしこの場において、セツナの動かす
「っ、クソ!」
ハッとして、荷台の前側の縁に足を掛ける。スピードはかなり乗っていて恐怖心はあるが、このままだと契約相手が危ないのは俺にも簡単に想像できた。
3、2、1……と勢いをつけてセツナの座る座席の後ろのスペースに飛び乗った。ズン、と鉄の塊が沈むが、スピードは落ちないし、揺れもあまり感じない。かなり快適な乗り物のようだ。
「って、んな場合じゃない! おいセツナ、大丈夫か?! しっかりしろ!」
セツナの後ろに座り、その肩を揺らした。が、それでも返答がない。かなりガッチリとレバーを握っていることと、息が荒くなって目も虚ろなのが分かった。
「くっそ、
セツナ止めろ、お前死んじまうぞ!」
必死になって、俺はセツナを脇から腕を差し込んで抱え、レバーから腕を引き剥がそうとした。
(なんか装置みたいなのも見当たらないし、多分コイツを座席からひっぺがしちまえば……!)
せーので抱きかかえた、その時である。
ふにゅん。
「えっ」
思わず声が出た。
それは、セツナの胸元から感じられた、未知なる柔らかさ。お日様の恵みを一心に浴びた布団の様であり、焼きたてのパンの様でもある。
間違いなくそこにある筈なのに、ソレと腕に僅かな隙間さえあれば、瞬く間に溢れてしまいそうな危うさと確かな触感。なんだろう……なんとなく安心するというか、時間がゆっくりに感じられるというか……。
そういえば、俺はいつからこいつを男だと勝手に思っていたのだろう。
記憶を辿る刹那のなかで、"彼女"はぴく、項垂れた頭を上げた。
「んぅっ、……ん? えっ? うわぁ!?」
出会ってから聞いたセツナの声の中で、おそらく一番高い上擦った声。間もなく、彼女がレバーを握る手を離して俺の腕を掴んだ。
ブゥン……重い音がし、マギビークルが急激にその速度を落としていく。進行方向が大きくブレるが、セツナはレバーを素早く持ち直してそれを安定させた。
だが、速度は上がらない。先程彼女が言っていた通り、もう一度起動し直すマナは残ってないようだった。
俺はセツナの様子を伺いたかった──それはもう色んな意味で──が、背後から迫る咆哮がそれを許さない。
低速になったマギビークルから飛び降り、迫り来るフェンリル種の正面に立つ。彼我の距離は推定50メートル。約3秒後には接敵。
背後にはセツナが居る。受け流すことはできない。一撃で仕留められるかの確信が無い今、奴を進行方向を曲げるしかない。
素早く鍵を空に差し、出せるギリギリの雷の槍を両手で引き抜いた。6本だ。
4本を素早く自分の2メートル程先に垂直に突き立て、柵を作る。残りは手元で束ね、二回りほど大きい1本の槍に変化させた。
その動作を終えた頃には、フェンリルはもう目前までに迫っていた。が、俺は焦らない。
魔獣はマナの流れに敏感で、更に所謂"野生のカン"ってやつに優れる。それが自分にとって致命的なのか、或いはそうでないのかということが、人よりも遥かに知覚しやすい筈だ。
だとすれば、目の前の獣はこのちっぽけな柵を突き破るのではなく────
巨体が、その速度とは裏腹にふわり、と浮く。
(────そう、飛び越えて来るよなッ!)
碧色の大槍を両手でグッと握り、思い切り斜め前上方に薙いだ。
狙いは、そのヤケに育った前脚の付け根と付け根の真ん中で、首元の少し下。
頭部、両前脚から最短距離にある、フェンリル種に多く見られるコアの位置……!
俺の頭にフェンリルの隆起した右脚が届くより僅かに早く、薙いだ雷が狙った場所を斬る。
フェンリルは痛みを覚えたように頭を首元へ縮め、その投げ出した身体を空中で右方向に側転させる。そして、そのままの勢いで着地した。
素早く振り返ると、フェンリルの飛び退いた先にセツナは居なかった。よかった……なんとか読みは当たったようだ。
俺の知ってるフェンリル種は山岳地帯に居るタイプのもので、生態が違う以上リスクはあったが、コアの位置は同じだったらしい。
魔獣は外界に蔓延る生き物たちであり、その身体には高密度のマナでその強靭な肉体と強力な特殊能力を支えるマナの核が存在する。
人々はそれを"コア"と呼び、破壊すれば、魔獣の外傷を最も少ないままに絶命させることができることから、荒事専門の印章士には重要な知識なわけだ。
フェンリルは俺の正面で姿勢を低く構え、唸り声を上げている。だいぶ無理な身体の動かし方をした筈だが、その肉体は縮こまるどころか、怒りでさらに隆起し、毛は逆立ち、その双眸は血走っていた。
セツナは、と視線を辺りに配ると、俺の右斜め横で、マギビークルに座ったまま項垂れている。まだ回復しきれてないようだ。
奴はこんな平野で逞しく生きる肉食獣だ。当然"狩り"とはなんたるかを知っている。これ以上長引かせれば、弱っているセツナを狙いかねないのは明白だった。
俺に注意が向いている今、奴を仕留めるしか、無い。
俺は注意深く奴の瞳を睨み付けたまま、後ろに刺さったままの4本の雷槍を手荒く抜き取り、握っていた大槍共々、自身の両膝に突き刺した。
4つの光が吸い込まれてゆき、やがて俺の四肢に碧く、小さく、電光が奔る。
俺の槍が消えたのを見逃さず、フェンリルが動こうと大地を蹴る、その直前。
俺は間合いを詰め、フェンリルの右前の脚の甲を踏みつけた。
ビクリ、とその巨体が震える。恐らく、眼で捉えられなかったのだろう。
「速い、強い、デカい。でも────!!」
素早くゼロ距離まで駆け、奴の脚を踏みしめたその勢いのまま軽く飛び、身体をフェンリルの頭の上に投げ出す。そして、右手を奴の背中、コアの真上にトン、と置いた。
「────ズル賢さが、少し足りねぇな」
刹那、激しい雷鳴と共に碧い電流が俺の手から放たれ、フェンリルを包み込む。直撃した魔獣が、断末魔の叫びをあげた。
俺はそのままフェンリルの背中に乗る。程なくして、その巨躯はゆっくりと地面に沈んでいった。
チラッと、フェンリルの眼を見やる。……うん、トドメはしっかりさせている。足裏から感じられる肉の柔らかさも、目の前の魔獣が間違いなく事切れたのだと伝えていた。
フェンリルから降りて、セツナの方をもう一度見た。こちらの様子を伺ってはいるみたいだが、相変わらず顔色は悪そうだった。
すぐ彼女の元に駆けつけ、肩に手を置いてその顔を覗き込んだ。
「すまねぇ、少し手こずった。意識はあるか────」
「────すけべ────」
セツナはそう小さく呟くと、身体をぐらりと揺らし、様子を見ていた俺にもたれかかった。
その一言でドバッと冷や汗が流れたが、耳を澄ませば、彼女は抱えた腕の中で寝息を立てていた。戦闘が目の前で行われていたのだ、緊張感も疲労もピークに達したのだろう。
いずれにせよ、彼女を急速に回復させなければならないし、これ以上の行軍などもってのほかだった。
「…………いや、ほんっとごめんなさい」
彼女の身体が先程よりもなんだか細く感じられ、申し訳なさと共にそう呟く。
だが、落ち込む必要も暇も俺には無い。先程まで見えていたブルトラックの一行はもう立ち去っていたが、幸いにもタバル平野の迂回路近くまで来ることができたのだ。
差し当たって俺がすべきなのは、彼女のコンディションを回復させつつ、野営の準備をする事だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます