第4話 最悪の遭遇

 両開きの大きな扉の向こう側には、カンメラの印章士ギルド、その賑やかな様子があった。



 テーブルがいくつも並べられ、多くの人が飲み食いをしている。正面中央に大きな依頼の掲示板があり、その下はギルドのカウンターになっていた。



 さらに入り口のすぐ右から続く階段はそのまま掲示板の上に位置する2階へと繋がっていて、そこからもグラスを掲げる手や話し声が、見えたり聞こえたりしてくる。



 辺りからは酒の匂いと……これは、海産物だろうか。ほのかな磯の匂いが人々と料理の熱気に混じって鼻をくすぐる。お腹空いてきたな……。



「よう"運び屋"! 今度は連れの兄ちゃんは酔わなかったのかい?」



 席に座っていた中年の男性が、酒を飲みながらセツナに声をかける。彼女は軽くいなすように答えた。



「余計なお世話! 酔わないどころか、フェンリルを瞬殺しちゃったよ。おっちゃんよりも強いかもしれないぜ?」



「ほお中々やるんだな! ぜひ今度一緒に狩りに行きてぇもんだ! ハッハッハ」



 なかなか陽気な人だ、職場環境も良好といったところだろうか。



 しかし、その安心感は一瞬にして崩れ去ることになる。



「"運び屋"と聞こえたから見てみれば、やっと見つかったよ、セツナ君?」



 声のする方を向くとカツカツと靴音を鳴らして、男が1人カウンターの方からこちらに歩み寄って来ていた。



 さらに、カウンターから女性も一名出てきて、男を追いかけるようにしてこちらに小走りでやってくる。



 男は濃い青のスーツで、身長は俺と変わらない……とすると170センチくらいか。年齢も大して差はなさそうだ。



 靴は今時商人もつけなさそうなフィールドワークに適さない革のフォーマル。



 まぁ何を思ったかと言えば、ここが印章士ギルドであることを考えると"似つかわしくない"ということだった。



 依頼者か何かなのだろうか、と思っていると、ふと自分の横の異変に気付く。



 セツナは、その男が寄ってくるなり、身を小刻みに振るわせて顔を真っ青にしていたのだ。なんなら、少し俺の体を壁にして半身になっている。



「どうも、アラタ・ミアズマってんだ。アンタはこの子の知り合いかい?」



「うん? 知り合いと言われればその通りだな。ある意味後見人だよ。

 私はウリューノの印章士、ヘンリック・ラウチだ。君の名前は要らないが、私の名は覚えておかないと恥をかくだろうから伝えておくよ」



 なかなか棘のある挨拶を返された。なるほど、金持ちにありがちな人を見下してる感じが如実に出ている。



 そこそこ有名な人物なのかもしれない。残念ながら俺に心当たりはなかったけれど。



 ウリューノと言えば、ニュータバルからカンメラへとは逆に北に行ったところにある街だ。



 なんなら俺もここに来るまでに通ってきた場所でもある。



「後見人? 独立した印章士にそんなもん必要なのか」



「彼女には貴重な財産があるんだよ、技術という財産がね。

 そして先日、それを私が貰うことに決まった」



「財産? セツナがか?」



「それだけ言われて、じゃあはいどうぞとはならないわよ!」



 食い気味に否定の声をあげたのは、カウンターから追いかけてきたギルド員らしき女性である。



 赤茶色の髪を揺らして、男に詰め寄る。中々気が強そうな女性だ。

 背は中々高い方でスーツの男よりちょっと低いくらい。

 また、靡いた髪から覗かせる尖った耳と、深緑の瞳は、どちらも旧人エルフを思わせる特徴だった。



「おっと君が口出して良いのかい、ギルド員?

 これは評議会カウンシルにも通った話のはずだが。

 他所の街の、他所のギルドの人間が口を挟んで良い問題では無いのではないかな」



「それはお互い様でしょ。

 他所様の働き手を今日来て急に自分のものだからなんてどういう事?」



「だから、これは商工会が評議会に通した決定で、街の技術は街の財産だ。

 その意味を理解もせず乗り回してる彼女には責任があるんだよ。

 遺書だって見つかっていないからね、そうだろう、セツナ君?」



 名前を呼ばれ、セツナはビクッと身体を強張らせる。



「なぁアンタ、そんなにちゃんとした目的や理由があるなら、説明してくれよ。

 まさかそんな身なりで、会話ができねぇほど低能なわけじゃねぇだろう?」



 ヘンリックはずっとセツナを見つめていたが、ピクリと眉を上げてこちらを見た。



 なんだか挟まれて無視されるのも癪だと思いふっかけたが、コイツの沸点は低い方らしい。



 とにかく、セツナが分の悪い状況にあるのは一目見て分かる。しかし誰にだって言いづらいこともあるものだ。



 取り敢えず奴の意識をセツナから外して、探りを入れてみることにした。



「ふん、セツナ・サイティアが持っているマギビークルと、彼女本人の回収に来たんだよ。

 動力魔法の博士だった、彼女の父親の技術がそこにあるからね。

 その技術権益を私が預かることに決まって、彼女を探し当てたというわけだ」



「……本当なのか、セツナ?」



「し、知らない。技術とか権益とか何にも……それに、父さんは僕に"それで遠くに逃げろ"とだけ────」



「だからァ、そんなの君以外誰も聞いてないんだよ。

 ましてそんな君が! 唯一残った技術の手がかりを持って勝手に街を出ていったから問題になったんだろう?」



「う……で、でも」



「でもじゃないよ、この"極化回路ポラライズ"が!

 お前に印章士が務まるわけないだろうが!」



「っ!!!!」



 極化回路ポラライズ。そう言われたセツナの手から力が抜けて行くのが服越しに分かる。



 極化回路というのは魔法使いが発症する病の一種で、特定の属性をもつ魔法が行使できなくなることを言う。



 そしてその殆どが、精神的なショックによるものだ。



 例えば、溺れたて死にかけたり、或いは親しい人が水害で死んだことで、水属性の魔法の行使に精神的負荷がかかり出力できなくなってしまうのである。



 つまり、印章士として見れば、


"選択肢が大幅に減り致命的とされる"


症状を、コイツはこんな大人数の前で暴露しやがったことになる。



「全く、イサキ博士の秘密主義には生前から手こずったよ。

 君の家にあった研究室は博士が処分した後だったし。

 今帰ってウリューノの発展に貢献するなら、君に権益は残るままにしてやる。大人しく私について────」



 ヘンリックはそう捲し立て、わざとらしい笑みを浮かべながら俺の背中の方へ手を伸ばす。



 それが到達するより僅かに早く、背中にあった小さな影が俺の背中から後ずさった。



「ひっ、い、嫌だ、絶対に嫌!

 僕は帰らない……く、来るなぁっ!」



 セツナはひどく怯えながら、持っていた荷物もその場に落として、あれだけ楽しそうに開けたドアを逆戻りしギルドを飛び出してしまった。



 直後、マギビークルの轟音が鳴り、徐々にそれは遠くなっていく。



「やれやれ、次はどこに行くのだか。

 これで少しは怖い思いをしただろう、折れてくれるといいがねぇ」



 苛立ち混じりの笑いを吐き出しながら、ヘンリックはやれやれといった風に肩をすくめる。



 その後ろでは、今にも奴の喉笛を食い破ろうかという形相でカウンターにいたギルド員の女性が立ち尽くしていた。



 少し落ち着け、そう自分に言い聞かせる。不愉快なのはそうだが、俺は部外者でしかない。



 衛兵に言われた言葉を思い出し、やっぱりそれでも何もしないことはできず、奴に言葉を投げかける。



「アンタ、中々えげつないことするじゃないか。

 他人の魔法式に関して口が軽いなんて、印章士の信用が無くなっちまうぜ?」



「私の本業は商人。情報は武器だということを心得ているまでだよ。

 それに私は親切心でこうしているんだけどね?

 彼女の疾患をこのギルドの者に正当に報告しただけだ、君を含めて」



「はぁ?」



「君、ヒューガナツの人間じゃないだろう?

 この国では、仕事で組んだ印章士は自分の能力について明かすことがマナーとされている。

 秘密主義を貫いて、連携も取れずに死ぬギルド印章士が増えたからだ」



「……」



「君は彼女が極化回路持ちであることを知っていたかい?

 そうでなければ、彼女は君を騙していたんだよ。

 陳腐な正義感で、喧嘩を売る相手を間違えないことだな」



 国が違えば文化が違う。当然それはこれまでの旅路でわかっていたつもりだったが……まさかそんなしきたりがあったとは。

 だが確かに、良心に従うならばそれも問題ない行為だと言える。問題は、それを口にしている目の前の男が、明らかに悪意を持っているということだろう。



 確かに、セツナは俺に隠し事をしたかもしれない。

 できることなら騙しておきたかったのかもしれない。

 だがそれは────────

 


「それは、アンタが決めることじゃねえよ。俺が自分でセツナに聞く」



「そうか、至極どうでもいいな。

 精々邪魔をしないでくれたまえ、今後もこの国で働きたいならね」



 男はそうとだけ吐き捨て、ゆっくりと歩きギルドを出ていった。



 重苦しい沈黙の中ドアの閉じる鈴音だけが鳴る。



 最初に口を開いたのは、セツナが来るなり軽口を飛ばした陽気な中年だった。



「す、すまねぇユディちゃん。

 俺が声かけなきゃ、"運び屋"だって──」



「別に貴方のせいじゃないでしょ!

 あのクソ野郎が悪いんだから、貴方が謝らないで!!!」



「わ、わかった、わかったよもう謝らねえって」



 中年に食ってかかったのは、先程のギルド員である。ユディちゃん、と愛嬌のある名前で呼ばれていたが、随分とズバズバと物を言う人だ。



 しかし二人の会話を聞くに、彼女らはセツナの味方をしてくれそうだなと直感はできる。



「ヒートアップしてるとこ悪いんだけどよ、ちょっと落ち着いて話さないか? 俺も何が何だか」



「貴方も貴方よ!

 セツナと組んでたなら、もっと彼女の肩持ってやんなさいよ!」



「俺だってそうしたい、でも今怒っていても解決しない。

 頭じゃしっかり解ってるんだろ? どっちの話がどこまで本当かもわからないって。

 だからあんたはアイツに手を出さなかった。

 違うか?」



 ギルド員はむぐぐ、と口を噤み、大きく一呼吸をしてから話し始めた。



「……ふぅ。そうね、その通りだわ。

 ギルド事務員のユーディット・トノウよ。ユディって皆呼ぶからそう呼んで。

 貴方はきっと、ウチに所属しようと思って来てくれたのよね?」



「あぁ、セツナの護衛を請けてここまで来て、そのまま紹介してもらうつもりだった。

 彼女とは偶然ニュータバルで会っただけだけど────」



「なら依頼させて。セツナをアイツより先に見つけて話を聞いてきて」



 食い気味に彼女はそう言った。実際、俺も何とも言えない気持ちなのは間違いない。



 行きずりとはいえ、一緒に仕事をしたのだ。あんな場面を見せられて、他人事です知りません、とは言えなかった。



 それに、極化回路を持つ者であるなら、彼女には個人的に用があるのだ。



「────そうだな、依頼なら受けるさ。何でもやるのが印章士だし。

 差し当たって、カウンシルとやらで決まったとかいう奴の言い分は本当なのか?」



「それもそうね……。

 マスター! 何か知っていますか〜?!」



 ユディはカウンターの方に向き直り、2階に向かって叫ぶ。



 その先に居たのは、2階のいちばん手前の席に座りながら、大きめの酒瓶をいわゆるラッパ飲みする老年の男。



 彼は酒を飲み切ると、一息ついてユディの問いに答える。



「ンン〜、ウリューノか……確か一昨日に言ってたな。


『襲われて、家主も死んじまった技術屋の遺産がある。勿体ねぇからギルドで相続してぇ』


ってよ。

 ただ、残った遺産が人とは聞いてねぇなァ。

 別に儂の知ったこっちゃあねぇ。あの子の好きにさせてやンな」



「分かりましたー! あともう今日はお酒ダメですからね〜!」



 ユディに釘を刺され、老年はくつくつと笑った。このギルドの力関係がほんのり感じられる。



 少なくとも目の前のこの女性は、怒らせるべきではなさそうだ。



「じゃあ、そんなわけだからよろしく頼むわね。

 私は貴方の登録を済ませてから出るから、サインだけ頂戴」



「分かった。

 取り敢えず、日が落ちたら戻る」



 そうとだけ言って店を出る。取り敢えず、マギビークルの音が向かった場所────港方面にあたりをつけて探すことにする。



 太陽はちょうど真上を通っていた。本来なら昼食を摂りたい時間だが、それはセツナを連れ戻してから、オススメのメニューでも聞くとしよう。



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