第42話『二条会見』

1611年となった。

俺は右大臣就任以降積極的に朝議にも参加していたのだが、それと同じくして、1607年俺の右大臣就任後、僅か半年後に内大臣から関白と左大臣に就任した鷹司信房に対して関白と左大臣の官位を譲るように要求していた。


が激震が走った。後陽成天皇が大御所徳川家康や将軍徳川秀忠の介入もあり、第三皇子政仁親王へ皇位継承が行われたのである。


1611年三月二十七日後陽成天皇は政仁親王に譲位し、その後四月十二日即位の礼が筒がなく執り行われた。


それと時期を同じくして、鷹司信房が九条忠栄に左大臣と関白位を譲ってしまい、目論んでいた関白就任は失敗に終わってしまった。


こうして兼ねてより願っていた関白就任は大坂の陣に勝利した後までお預けとなってしまったのである。


後水尾天皇の即位に際し、上洛した家康は二條城にて俺との会見を要請してきた。


当然の俺は態々一家臣が為に二條城に赴くつもりは決してなく、当初は拒絶し続けた。


しかしながら、加藤清正や浅野長政など豊臣家恩顧の大名らが会見の必要性を度々説いてきた為に、仕方なしに会見を行うことを了承した。


正史から三ヶ月遅れで二條会見が行われた。

会見の当日未明に、福島正則、大野治長などを豊楽第留守居役に任命。


呼び寄せた大坂留守居役の片桐且元や弟の貞隆、その他小姓などを引き連れ二條城へ向かった。


三河狸は、九男の義直と十男の頼宣を豊楽第に向かわせ出迎役とし、長政、清正、などが随伴していた。


俺ら一行は昇り始めた太陽が輝く朝八時頃、二條城に到着した。


門外で輿から降りた俺は、玄関先にまで出迎えた家康に「豊臣秀頼である。此度は二條城への招き誠有難いしだいである」と丁寧に挨拶を返した。形式というものは非常に大切である。


対等な立場として「三献の祝い」が行われ、徳川家家臣の秋元泰朝あきもとやすともが媒酌を務めた。


三河狸は俺に盃に注ぎ、大左文字の刀と脇差等を贈った。それに対して俺も返杯し、一文字の刀、左文字の脇差等を贈った。


豊国神社への参拝の為、会見は二時間ほどで終了したが、酒や吸い物等々賑やかな昼食があった。随行の将も饗応を受けていたが、清正は饗応の席につかずに俺の隣に常に控えていた。


昼も過ぎた頃、豊国神社へ参拝し、その後豊国神社北側の、再建中の方広寺の状況を監督した。満足した俺は豊楽第へ帰城した。


俺個人としては意外と満足であったのだが……不覚にも、三河狸は後日在京の大名22名を二条城に招集、幕府の命令に背かないという誓詞を提出させており、成長した俺の姿に危機感を覚え、豊臣宗家を滅亡させる決心をつけているとはつゆも知らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る