第33話『関ヶ原の戦い〜序盤松尾山〜』

江戸征伐副隊(東山道)は続々と兵を関ヶ原へと入れた。


宇喜多秀家は自身の手勢約1万8000を二つに分けた。七千を本隊とし自ら指揮し、残りの一万一千を家臣、明石全登に委ねた。


秀家は自身は天満山に着陣した。天満山麓に丹羽長重隊二千を筆頭に大凡四千が布陣。


一方で全登は南宮山に着陣し、背後から秀忠本陣を狙う格好となった。南宮山には秀雄隊などが四千の兵を率いて着陣した。


また史実通り、小早川秀秋は松尾山に一万五千の兵で着陣した。更にその麓には諸将が凡そ三千。


笹尾山やその周辺には安国寺恵瓊、秀吉の黄母衣衆など合わせて六千からなる、合わせて四万五千以上にも上る大軍勢での布陣である


対して秀忠は本多正信、榊原康政らと共に一万で桃配山に着陣し、秀忠本陣の背後となる東山道に山内一豊二千、池田輝政五千、伊勢から岩村城に参陣した富田信高二千を配置した。


田中吉政三千五百、仙石秀康(秀久)二千らをらを天満山方面に、福島正則四千、本多忠政三千を松尾山方面に、酒井家次二千五百などを笹尾山方面に配置した。


この様に豊臣恩顧の大名のみならず、徳川家臣らも松尾山から天満山を通り笹尾山に掛けて布陣する西軍に睨みを効かせる形で配置した。


その他にも京極高知、金森長近等々といった諸将ら四千を中央部に配置するなど、計三万六千の軍勢での布陣である。


〜東軍の様子〜


「本多美濃守殿!この戦の一番槍はこの正則めの役目でありますぞ!」


「案ずるな。秀忠様に前方の様子を確認し、報告するだけのこと。一番槍を奪うことは致さぬ」


「其れならば!我ら羽柴(福島)隊が引き受けましょうぞ!」


「此れは秀忠様の下知によるもの……その様なことは出来ぬのでな……」


数秒間睨み合いが続き、そして正則が言葉を発した。


「では御通ししましょうぞ。しかし、必ずやお戻りなられる様」


「勿論である」


〜少し前の事〜


『秀忠様、美濃守忠政でございます』


『忠政よ。この戦必ずや勝たねばならぬ。そしてこの大戦の一番槍を、豊臣恩顧の福島侍従めに取られる訳にはならぬ。忠政よ、敵方の様子を見る振りを見せ、福島侍従を欺き、一番槍の功績を取れ』


『ッーーはッ!かしこまりました』


こうしてまんまと福島正則を欺いた本多忠政は濃霧の中、松尾山麓に布陣していた前田利政、小早川秀直(毛利秀包)らに銃撃し一番槍の功績を取った。


「銃声……まさか!?本多美濃守め……出遅れるな!我等の力見せてやれ!」


正則が怒号を挙げ福島隊も前線に加わった。


士気が減退している西軍とは逆に、『野戦で一万近くある兵力差を覆そう』と意気込む東軍の勢いは凄まじく、利政隊、秀直隊をはじめ少数部隊を続々と潰走させた。


忠政が攻撃を仕掛けてから少し経った頃、小早川秀秋は、石垣などが残る松尾山の山頂より見下ろし「開戦したか……先鋒、中堅両隊は速やかに、本多美濃守、福島両隊へ急襲せよ」と下知した。


控えていた小早川の騎馬隊、足軽隊が徳川勢に襲い掛かった。これにより兵力差は歴然のものとなり、士気が回復した諸将らも追随して、本多隊、福島隊に襲い掛かる。


簡単に勝てないのが戦である。時間が経過すればするほどに、地形の有利さが働き西軍有利に事が運び、小早川隊の大軍を前に忠政、正則両隊は交代せざるを得なかった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


ウマ育てるのに必死になって書くの忘れてました(๑>◡<๑)ゴメンネ!

後ウマがAに二体のったので発狂してました。マネーが足りない。何故通常メジロが出る。サポートも足りない

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る