第31話『関ヶ原の戦い〜前夜〜』
岩村城の秀忠は、徳川方の三河や遠江の諸大名らが駆けつけた御蔭で、最終的に三万六千という大軍勢を組織していた。
秀忠は軍を進め、終日掛けて美濃金山城へと移った。美濃金山城に入城した秀忠は、直ぐに諸侯を集めて軍議を開いた。
これは正信主導で行われた。秀忠は純粋に己の過ちで兵を失うのを防ぎたいという気持ちからである。無論話が停滞すれば自ら策を決定するという心構えも既にしていた。
軍議に参加するのは、本多正信、本多忠政、榊原康政、酒井家次ら徳川家臣と池田輝政、田中吉政、仙石秀康(秀久)、そして福島正則である。
早速場を取りまとめる正信が口を開いた。
「殿は上田城の大敗に心をお痛めになり、野戦での敵の殲滅をとお考えになられておる。」
「その考えには賛同よ。敵方多く城攻めに兵を消耗しては、上方には至れぬ」
正則が口を開くと、輝政も口を開く。
「我はしかと城を落とし、着実に向かうが良しと。補給を考えば、城攻め最優先すべし事かと」
「いいや。野戦にて敵勢を駆逐し終えた後でも、補給線の確保は間に合うであろう」
「秀康殿、貴殿はその戦闘狂故に、太閤殿下より戸次川の戦いでの事を咎められ、改易させられたのだ。反省はしておらぬのか……」
「しかし小田原征伐に於いて武功を上げ、小諸の地を太閤殿下より賜っておるわ!」
「越前守殿、行きすぎた戦闘欲は身を滅ぼしかねませぬぞ」
「吉政殿迄左様なことを……」
野戦か攻城を主として行うかで軍議は難航した。最終的に正信が野戦をメインとして行うことを選択した為、野戦を行う事が策として決定された。
続いて場所の策定である。美濃、尾張など東海地方の国々の描かれた地図には、敵勢の様子が大まかに書かれている。
犬山城、岐阜城、郡上八幡城、清須城、大垣城、長浜城と佐和山城……大まかな兵数と入城している武将の名が見て取れる。
一見分散している様にも見受けられたものの、大垣城に宇喜多秀家、長浜城には小早川秀秋、佐和山城に丹羽長重と主力各級は関ヶ原での野戦を意識した形であり、ますます軍議は難航した。
というのも野戦とは当然片方の意思で決定するものではない。両方の思惑が重なったり、偶然居合わせた為に偶発する場合の二択である。
西軍は思惑に引き寄せようと、主力を後ろに控えさせつつも十分に籠城し続けるだけの戦力を、岐阜城、犬山城、清須城に集結させており、関ヶ原での野戦以外を取らざる負えなくなっても、籠城する城攻めに疲弊した敵勢を主力で殲滅することが可能な布陣であった。
東軍は二日に渡り行った軍議で、鵜沼での野戦を決定した。
翌明朝に美濃金山城より、鵜沼から近い犬山城を包囲することなく、鵜沼に向けて進軍し布陣した。
しかし、西軍はこれに反応することなく、犬山城に攻撃を仕掛けるも、思いの外大きな反撃に撤退、続いて羽島に布陣するもまた同様の結果となった。
この間に西軍の主力が関ヶ原に布陣しており、清須城にいた織田秀雄もまた城を出立し、関ヶ原に合流している。
遂に関ヶ原での野戦が避けられないとした東軍は、西軍の誘いに乗り関ヶ原へと進軍する。
関ヶ原の戦いは宇喜多秀家を大将とする西軍四万五千と秀忠を大将とする東軍三万六千が激突することとなった。
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