第30話『大井川の戦い〜その後〜』


忠吉を追撃していた秀元隊は、秀元迎撃の為に残された東軍方、最後の部隊を殲滅し駿府へと続く道を進軍していた。しかし三時間近くに渡る必死の追走も、未だに忠吉捕縛には到らなかった。


秀元は大井川の戦いの戦地島田から二里半の田中城近くにまで到達し、焦りを隠せずにいた。


「忠吉め……一体何処へ行った……」


「殿申し上げます!近く山の麓に真新しい、多くの足跡を見つけましてございます!」


「なる程……山へと逃げ込みおったか」


「どう致しましょう?」


「五百ほどを以って追わせよ。我らは田中城に向かい、輝元殿ら後続を待つ」


「「「はッ!!」」」


田中城の防衛に当たる兵数は僅か二百ほどしか居なかった。これは東軍が野戦に勝つ為に総力を上げ臨んだ為であり、駿府城以外の防衛に当たる兵は極端に少ないか、または通常よりも少なかった。


その為約二千の兵に囲われた田中城は、抵抗の余地なく即日開城し、城は毛利秀元に引き渡された。


正午頃大井川の戦いの地島田では、東軍の壊滅と敗走そして秀元が追撃したことに依り、輝元隊を始めとした部隊が追撃の準備をしており、また既に細川隊、大谷隊、石田隊そして島津隊など多くの主力部隊が追撃していた。


また殿を務めた本多忠勝はというと、見事に敵を引き留め殿の役目を果たし無傷で戦線離脱に成功した。その後漁民を頼り伊豆へ渡り小田原迄撤退した。


一方で井伊直政はというと、見事に敵を引き留めたものの、忠勝とは違って戦線離脱には失敗し山の麓、木の影で深傷を負い休んでいたところを発見され捕縛された。


討ち取られることなく捕縛されたのは、徳川四天王であり、捕まっている中村氏、浅野氏との人質交換の駒として十分であると判断されたからであった。


その直政は西軍の軍医が治療に当たり、生死を彷徨ったものの辛うじて生き残った。


続々と大井川東部二里半の田中城にいる秀元の下に追撃していた部隊が合流をし、捜索に更に人手が増やされた。


そうして十七時過ぎ、毛利輝元が田中城に入城した。その後すぐ様首実験が行われた。


その中には島左近の旧主の筒井定次の首もあった。定次は利家ら四大老と家康との対立が深まると家康に属し、開戦前に伊賀上野から兵を動かし家康の元へと駆けつけたのである。


定次は奮戦したものの周囲を囲われ為す術なく討ち取られた。


東軍に参加したものの首は、田中城より程近い法華寺にて手厚く埋葬された。


西軍は更に一日を休息に費やした。これは忠吉捜索を続け、また捜索にあたった兵をしっかりと休ませる時間を取る為であった。


その甲斐あってか、輝元到着翌日の夕方頃に朝比奈川付近の山の中腹で休んでいた忠吉ら一向を発見、戦闘となり忠吉手勢二十名程が討ち死にした頃遂に忠吉が兵の命を助けることを引き換えに降伏、田中城へと押送された。


そして翌未明、田中城に負傷兵などを残して、総勢三万二千の西軍は駿府城へ向けて進軍した。


この大井川の戦いに於いて、西軍大凡三万七千と東軍大凡三万が激突。両軍合わせた戦死者は算無しであり、一説に拠れば一万ないしは一万五千にも上るのではないかともされる。


ただ確実なのは西軍は凡そ三千ほどしか戦死者を出しておらず、東軍の被害の大きさが見て取れる。

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