第27話『天下分け目の戦い〜直前の様相〜』

前回の甲斐攻めに関して、一部変更しております。

主に岩殿城への攻城期間やそれに対応する一部変更です。大して物語に影響しないと思いますが、認知の程宜しくお願いします


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江戸を目指す西軍は、清須城に籠城をしていた福島正則が清須城からの脱出したことより清須城を手中に納め、尾張平定をほぼなしていた。


清須城へと入城したのは、江戸征伐本隊(東海道)であった。毛利輝元、石田三成、大谷吉継、島津義弘等といった有力諸侯は、置き盾を机として其れを取り囲み軍議をしていた。


(時期としては、秀忠二度目の大敗、岩殿城落城寸前)


議題は早急な甲斐の救援であった。


「既に駿河は徳川の手中となっており、甲斐への救援は絶望的である。我は三河を素通りし遠江を抜け、主力が居ないうちに駿府城を奪還するのが最善と思う」


「毛利殿背を取られるのは如何かと……三河を平定後、緩りと江戸へ進軍すべしと」


「大谷刑部殿、甲斐が落ちれば一層江戸征伐が難しくなろう」


「しかしながら、退路を断たれた状態は良く無かろう。この義弘、大谷刑部の意見に賛同よ」


「三成お主はどうだ」


「吉継の考えに賛同する」


江戸征伐本隊はこの後体制を立て直した忠吉勢と、掛川城より東にある大井川を挟んで対峙することとなる。


これが歴史が改変された後世で語られる大井川の戦いである。大井川の戦いは関ヶ原の戦いと併せて関ヶ原・大井川の戦いと纏められることもある。





一方で清須城から脱出した福島正則は、東軍方が抑える東美濃を通り、第二次上田合戦後潰走しかけていた軍勢を立て直すべく、岩村城にまで進んでいた秀忠勢に合流をしていた。


上田合戦を結城秀康に託した秀忠の軍勢は、一応秀康に託したものの真田の追撃を恐れて、遠回りをしつつ西へ進んだ。


岩村城では秀忠入城後に福島正則を筆頭に飛驒国金森氏、三河国池田氏、信濃国伊那の京極高知等々の軍勢が続々と参陣ししており、其れにより総勢三万にまで回復していた。


秀忠は上田合戦での失態を取り戻すべく、秀忠は諸侯の集まる広間で軍議を終えると、「秀頼様に毀言し、秀頼様を籠絡する前権大納言らを討ち果たそうぞ!」と言って軍の士気を高めた。


軍議では主に真田との戦いで、攻城にネガティブな印象を強く抱いた秀忠の意向により、野戦での早期決着が決定された。


秀忠は、小牧や犬山といった平野部での戦いを想定していた。しかし、江戸征伐副隊(東山道)は秀忠の誘いに乗ることなく、関ヶ原に陣を構えた。


秀忠は西軍の思惑通りに、要塞化され西軍が先に陣を張る関ヶ原へと軍を進めて、相対することとなる。


尚、江戸征伐本隊と松平忠吉勢が対峙した、大井川の戦いは秀忠の岩村城出立した後五日後に起こった。


この事よりわかる様に秀忠は、第二次上田合戦後に一月近くかけて軍の再編をしていたのである。この事が吉であるか、凶であるかは後に判ることとなる。


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次回『大井川の戦い』

余程文章が長くなったりしなければ、そのまま題目通りに公開する予定です……

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