第9話『父の死』

醍醐の花見が終わると傅役の爺が、健康に衰えが見れた為、利長に家督を譲り、草津へと湯治に向かってしまった。その間は利長とよく遊んだりする事になり、また武芸、勉学にも励んだ。


それから二週間が経ち、五月に入ると父は病により床に伏した。周囲の祈祷や手当も実る事なく、日を追う毎にその病状は悪化していった。


また隠居した爺は隠居する事を許されず、呼び戻されていた。俺は爺に願い出て、槍術について学んだり、其れを書に残す様に言った。


ある日父は、徳川家康・前田利家・前田利長・宇喜多秀家・上杉景勝・毛利輝元ら五大老と其の嫡男や、五奉行の前田玄以・長束正家に宛てた十一箇条からなる遺言書を出した。彼らは起請文を書きそれに血判を付けて返答したらしい。


また父は他に、自身を八幡神として神格化することや、遺体を焼かずに埋葬することなどを遺言していた。


父は更に二月ほど経ち、伏見城に諸大名を呼び寄せて、三河狸に対して俺の後見人になるようにと依頼した。之を回避しようと必死に考えたのだがどうしても方法がどうしても思い浮かばなかった。


また更に一月が経ち、父は五大老宛てに二度目の遺言書を記した。そして父は八月十八日、その生涯を終えることとなる。『露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢』という有名な辞世の句は有名であろう。


城内は悲しみで溢れた。特に北政所様はよく泣いておられた。この世では珍しい恋愛婚だったのだ。想いはより強いだろう。


また父は最後まで爺らに俺の将来のことを繰り返し頼んだらしい。この事を聞いた俺も数日間泣くこととなった。


父の死は百姓などには秘匿とされたが、城下などでは『太閤殿下がお亡くなりになられた』という話題で持ちきりだったようだ。


父の亡くなった今、最早俺は俺自身でなんとかしていく必要がある。爺は翌年に亡くなる。三成は関ヶ原で敗れ、処断される。最後迄守ってくれるであろう、豊臣恩顧の大名も三河狸よりも先に亡くなってしまう。


俺は自由に出来る時間を常に取る事が出来得る手を考える事に当てた。


そして俺の最後の伏見城で迎える元旦の慶長四年(1599年)伏見城に諸大名が出頭した。

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