1話,天気の良い朝

 「くぅ……重たいですね」


 「いやはや、嬢ちゃん、助かるわい。なんせ坂が多いもんじゃからのう」


 「いえっ、これくらい、なんてこと、無いですよっ!」


 荷物を抱え背負う少女は、呻きながらも坂を駆け上がっていた。汗を流し、懸命に足を動かす。それでも、坂の上はまだ見えてこなかった。

 ここでげるのが普通の人間だが、しかしながら少女は違うらしい。根性が並大抵ではなく、人間の域を逸しているのだから。


 老爺は感涙に咽び泣く勢いで先程から、十二分過ぎるくらい謝りっぱなしだった。

 いくら年老いても、やはり男性ということなのだろう。若い少女に人丈以上の荷物を背負わせて、坂を上がっていく姿に、少々罪悪感が芽生えていた。

 

 大丈夫ですよと連呼しても、謝罪が止む気配はない。


 「むぅ、私、助けた人の笑顔を見るの、好きなので、そう簡単に諦めませんよっ」


 口に本音を出したことで気力が湧いたのか、歩くスピードが一層増す。

 負荷はより重くなったはずだが、その顔には笑顔が浮かんでいた。


 これは、少女の心得である“大変な時でも笑顔で頑張る”を古今東西ここんとうざい実施しているからだ。


 「ふぃ〜到着!筋肉が悲鳴をあげてる気がする」


 腰を伸ばし、腕も天に最大限筋肉と神経をほぐすように伸ばす。


 「本当に、すまんのぅ……」


 「大丈夫です。私、意外とタフですので」


 「た、たふぅ?」


 珍奇な物を見るような目のお爺さんに対し、良い仕事をしたと言わんばかりの少女。

 二の腕を強調して力瘤ちからこぶを見せたいが、生憎あいにくと上腕二頭筋には平らで細い肉付きの良い腕しか無い。

 呆気に取られた老爺も、流石に笑うしか手段が無かった。


 「ふっふっふ、名乗る程の者じゃぁありません!」


 「名乗ってくれと言っておらんのじゃが」


 「そう、私は桜ヶ丘中三年、仁科紬にしなつむぎ。どうぞこれを機に、私のことをお見知り置きくださいっ!」


 「勝手に自己紹介したのぅ」


 「では!」


 颯爽とその場から嵐の如く、つむぎは走って離れていく。


 それを俯瞰ふけんして見ていた老爺は、珍獣を見識した気持ちなのだろう。複雑な表情で、紬を見送る姿があった。



*****



 「すみませーん……遅刻しちゃいました」


 そろりと、抜き足差し足忍び足で教室へと向かったはずだが、あっさりと担任教師である巻入桃香まきいれももかに見つかってしまった。

 えへへと、笑みで免除してもらおうとするが、巻入まきいれには通じないらしい。腰に手を添えて、無言の圧力をかけ続けている。


 「今、ホームルームじゃなかったっけ……?ここにいていいの?桃ちゃん」


 「桃ちゃんじゃなくて巻入先生と呼びなさいっていつも言ってるでしょ?って、そうじゃなくて、仁科さん。これ、何度目の遅刻?」


 「一、二ぃ、三、四ぃ……指、たんないね」


 指折りで数えても、両の手では足りなかったらしい。いざとなれば、足の指も使うしかないか。


 「全く……。ホームルームはもう終わったわよ。それより、早く教室に行って一限目の準備してきなさい」


 「はーい」


 間の抜けた返事をし、後ろで結んだ薄い赤髪を揺らしながら、キーンとでも叫んで走りそうな走り方で廊下を行く。


 巻入は心配そうな瞳で、頰に手をやり


 「あの子、“血呪けつじゅ”様に選ばれるかもしれないわね……」


 そう呟いた。


 キーンカーンカーンコーン……。


 「あ、次の授業に行かなくちゃ……!」

 

 脇に抱えた出席簿を強く握り、仁科紬の欄に丸を付ける。よしっ、と一声入れてから巻入は廊下を早歩きで、一限目の担当科目の教室へと向かう。

 光が差し込む目下、春風が吹き込む廊下を残して。



*****



 「ギリギリセーフだよね?」


 「ギリギリアウトよ。いっつも遅いんだから、むぎちゃん」


 紬が教室に入ると、案外騒々しい話し声が聞こえていた。静かに雑談している人、静かに読書している人、様々だ。

 予鈴がなってしまったから、流石に動き回っている人はいない。

 その中で仁科はいともあっさりと、後から来たにも関わらず、教室色に即染まっていく。


 「まだ予鈴なったとこでしょ?普通に私としてはセーフ圏内なんだけどっ!」


 「ホームルームに間に合ってない時点でアウトよ。それとも、むぎちゃんはまた言い訳するのかしら?」


 「ぐぬぬ……」


 今回も言い負かされたと机に突っ伏して、可愛らしい睨みを、隣の席にいる少女に向ける。

 この少女は、仁科紬の大親友である三日月城八宵みかづきしろやよいだ。八宵は、清楚系お嬢様な雰囲気が漂っているが、実際は大雑把な性格が目立つ。紬は近くで見ていたから大雑把だと分かるのだが、他の俯瞰者達なら絶対に見た目で清楚系と判断されるだろう。日本の秋田小町に相応しい黒髪を、ストレートに腰まで伸ばしている。


 「ふふ、また人助けで寄り道したのかしら?」


 「困ってる人がいたら助けちゃうじゃーん。……それ、変なことじゃないよね?」


 突っ伏した姿勢のまま、隣の席の八宵に尋ねる。


 「逆に、変なことだと思う?」


 「おっもわない!」


 「そういうことでしょ。むぎちゃんは優し過ぎるから、他の人に言ったら遅刻の言い訳だって馬鹿にされるかもしれないけど、私はわかってるからねー」


 間延びした声音で、緊迫感をほぐすように安心感を与える。


 「お姉ちゃん……!」


 「お、お姉ちゃん⁉︎」


 「貫禄がお姉ちゃんだよ!もう、私の安寧の拠り所だよぉーやよちゃーん!」


 「ひ、引っ付かないでぇ。つ、次の授業始まるからっ!」


 嫌そうな態度ではなく、じゃれあい程度のスキンシップだと理解した上での態度だ。それ故に、八宵の表情は楽悦に満ち満ちていた。


 キーンカーンカーンコーン……。


 「はい、席についてー。授業始めるからなー」


 背丈の高いスリムな男口調の女性が、スーツに身を包めて教室に入ってきた。

 ロングスカートではなく、平々凡々なスラックスなのが微妙と感じる所存であります。


 「今日で、血呪けつじゅ様が亡くなってから五百周忌目に入ろうとしている」


 つまり、県境の結界を張っている古の怪物である吸血鬼の王様。その吸血鬼の王様、もとい、血呪様が亡失ぼうしつしてから五百年が経とうとしていたのだ。

 教室中は騒然となる。それもそのはず。


 「だから、この中の誰か。それとも、この県の誰かが、血呪様によって、吸血鬼になることになる」


 「ほぇー、すごいねやよちゃん。あの血呪様の次代候補だってさ!」


 「そうねぇ。あまりなりたくはないけど」


 小さく八宵は囁く。その意味を理解できず、小首を傾げるばかりの紬。

 そして、八宵は紬の薄赤みがかった髪を一瞥し、再び教卓へと視線を移す。


 「それじゃ、今回は吸血鬼の誕生の歴史から、今に至るまでの経緯を教えていくぞー」


 チョークを持ち、本格的に授業始動だ。


 「あ〜もう雑談終わりかー。苦手なんだよね歴史って」


 「私語は厳禁よ。あの先生、チョークをピンポイントでおでこに当てるからね」


 「こ、怖っ!」 ーーーバチィッ!


 見事に命中クリーンヒット。チョークで汚れた額を手で拭い、半眼ですみませんと謝る。

 その横で、教科書に隠れて肩が震えている少女一名。後で恨みたい気持ちが膨れ上がったのだった。

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