第三十六話 今がその時なんですか?

 ヒロシマ市内のど真ん中に、堀で囲まれた天守閣を備えた城──ヒロシマ城がある。南側には神社があり、実際に通行できるのは東側にある橋だけだ。


「いいかい。蟻一匹ここを通しちゃならない。紙屋連合が狙ってくるとすれば今日だからね」


 世羅は天神会下部組織から集めた人員に、発破をかける。小網会と長楽寺組は動かなかった。辛うじて、不動院は手打ちを望んでいるという真偽不明の情報を提供してきただけだ。

 不動院は生きているし、紙屋連合による白島襲撃は必ずある、と世羅は踏んでいる。猫の手も借りたい今の状況下で長楽寺も動かなかったのは少々手痛かったが、仕方ない。配られたカードで勝負する以外に方法はないのだ。


「オフクロ、とりあえず本丸周辺にゃあ、せらふじ会ウチとこの系列で固めました。蟻一匹這い出る隙間、ありませんわ」


 そう報告するのは、せらふじ会若頭兼生徒会副会長の三次だ。天神会におけるSNSを利用した情報操作部隊──弩級インフルエンサーの一人である。


「ご苦労さま」


 せらふじ会の下部組織にも、併合してきたいくつかの学校のこくどう部が存在する。しかし問題は、せらふじ会自体の戦闘能力はそこまで高くなく、規模も小さいことだ。三次もこくどうとしてそれなりの実力者ではあるが、本気で殺す気でやってくる刺客にどこまで耐えられるかは正直疑問だ。


「三次クン。わかっているね。白島会長が襲撃されることなど、あってはならない。手の爪全部飛ばしてもまだ足りない失態になる」


「はい。みんなによお言い含めとります」


 六時を過ぎて、ヒロシマにとっぷりと夜が満ち始める。十五分後には、リハーサルを開始する。一週間後の本番は失敗できない。

白島はそれを良く理解しており、不動院が手打ちを望んでいるという情報を決め手に、リハーサルの実施を最終決定した。

 世羅にはわかる。子分に手を噛まれるような親分に、人は誰も付いては来ない。多少危なかろうが、そんなことは諸共もせず押し通す力を見せたかったのだ。

 白島は正しい。

 いつも、いつでも彼女は正しい。ヒロシマのすべてを手に入れる日。事始めの日に、彼女が名だたる親分衆の前で天神会会長としてのお披露目を行うことで、彼女の権力は盤石なものとなる。

 確かに離反したものは多いが、些末なことだ。組織としての体力はこちらのほうがある。

 事始めの日に襲撃を仕掛けるような輩は、親分衆に対して同時に引き金を引くようなものだ。白島もさすがに、今日以後は一時的に体を躱すつもりでいる。よって、このリハーサルを乗り越えれば、彼女を襲撃することすら敵わない。そうなればこちらの勝ちだ。

 世羅は彼女の了承を受け、すでに工作を済ませている。即ち、親分衆の後見をもってオノミチ女学生連合の会長と四分六の姉妹分とし、ヒロシマのこくどう社会を完全統一するという計画だ。

 昨年、跡目に指名されてから進めてきた工作がとうとう成就した。そのきっかけは道龍会が滅びたことだ。

 戦後、様々なこくどう組織が雨後の筍のように生まれ、そして死んでいった。長い歴史の中で、ヒロシマを統一することのできたこくどうはこれまで存在しない。

 それを達成した白島の立場は、今後のヒロシマこくどう社会においては、神に等しいものとなる。

 同時に、紙屋連合に対して絶縁状を出し、彼女らに対して最後通牒を出す。それ以後は大手を振って攻撃もできるし、容赦をする必要はない。

 世羅にはわかる。白島は、本来なら今日、紙屋連合──いや、日輪高子とケリをつけたいのだ。

 しかし、それは叶わないことも理解している。日輪は怪我をして、事始めまではとても動けるような状況ではない。世羅の仕事は、とにかく今日を凌ぐことだ。そうすれば、日輪の野望は潰え、白島の天下として一応の決着を見るはずだ。


「三次クン。散開して本丸周辺の守りを固めてくれ。ツーマンセル体制で、何かあったら連絡を欠かさないように」


「わかっとります」


 三次はヒロシマ・リボルバーを抜いて、待機していた数人のこくどうに手で指示し、別れて配置につこうとした。

 その時であった。

 ちょうど三次が背中を向けたその後ろに、風を切って何かが投げ込まれた。

 誰も、何も気付かなかった。三次は振り向くこともできず、爆破と共に細かな肉片に変わった。

 爆弾──それも手榴弾パイナップル。襲撃だ。世羅はとっさに伏せたが、爆風で耳に痛みが走る。

 視界がぐらぐら揺れる。それだけで済んだのは幸運だったのかもしれなかった。夜空に流星の如く奔るそれに、彼女は寒気を感じた。

 これらがすべて、手榴弾だとでも言うのか。一体どうやって──。


「コラァァァ! なんしよるんじゃ、ボケカス共がぁ!」


 爆音。爆風。怒声。悲鳴。

 会長は無事か。

 そう思うといても立ってもいられず、膝を抱えてバネのように体を起こすと、無惨そのものの光景が広がっている。抉れた地面、燃え上がる雑木林──なにより、怪我を負い、死体に変えられた姉妹、子分達──。


「なんということだ……」


 橋の先、夜の街の間から、人影が三つ。背の高い一人はバットを持っており、左手でボール大の影──手榴弾なのは明らかだ──を跳ねさせている。

 一人立つ世羅の姿を認めたのか、その影は手榴弾を跳ねさせるのをやめ、ひときわ高く宙へと放り投げ、バットを構えた。打撃体勢スイングバックだ。

 来る。

 世羅は腰を落とし、手を広げた。西部劇のガンマンの如く。そして、右手を手刀の形に構え、前に出す。

 即ち空手である。

 天神会若頭、直系せらふじ会会長、元町女子学院生徒会長──複数の肩書を持つ彼女には、実はもう一つの肩書を持つ。

 元町女子学院空手部主将、世羅伊織だ。


「……来るがいい」


 弾丸ライナーが文字通り一直線に世羅に迫る。彼女はひゅう、と息を吸い、右手に手榴弾が触れるか触れないかの刹那で、掌で円を描く。

 空手の防御技術のひとつ、回し受けだ。遠心力によって遥か上空に打ち上げられた手榴弾は、遅れて身を炸裂させ、襲撃者の姿をあらわにした!


「なぁ〜。アオちゃんさあ。さっきのライナー、メジャーでも通用する!言うとらんかった?」


 金髪の女がのんきに言う。その手には長い鞭が地面を擦っている。アオと呼ばれた女は一度ぶるん、とバットを振ってから、地面に杖のように突き立てながら首を傾げた。


「なんでじゃろ? うちも納得いかん」


「アオ、ミオ。ええけえあんなあ殺ってしまおうや」


 真ん中に立っていた女の姿は異様だった。黒髪センター分けの女は八重歯を覗かせ、なぜか笑いながら──三角巾で吊っていた包帯巻の右手を解いた。

 しゅる、と包帯が落ち、ずるりと制服の袖が失われた右手を感じさせる。

 世羅は目を疑った。

 その袖口から、トマホークが滑り出したのだ。彼女の脳裏に、この三人組の着ている詰襟──即ち道龍会の情報がぐるりと奔っていく。

 道龍会の装備は、米軍横流し品で構成されている。当然銃火器がほとんどのはずだが、その中には曰く、斧を使った近接格闘までマスターしているものがいると聞く。


「あ〜ぶり痒い。ウチさあ、頭悪いんよ」


 ずい、と黒髪の女が前に出る。世羅の脳内のデータベースには、たしか名前は江藤リョウコとある。


「江藤クン……だったかな。道龍会の残党が来るような場所じゃないぞ。二分もすればこちらに援軍が来る」


「そんなんええけえ、まあ話聞いてや」


 江藤は斧を顔の横に立て、ずるりと右袖を捲くった。


「ウチさあ、あんたらをぶち回しとうてたまらんでさあ。ほいでも、もう銃は使えんけぇさあ」


 右手はない。しかし、斧は固定されている。信じられなかった。失われた右手先に、アタッチメントを手術で無理矢理増設して、そこに斧を接続している!


「痒うて仕方ないんじゃけどさあ! これで天神会の奴ら、全員ぶち回しちゃるけえさあ! 大人しく死んどってくれんかなああ!」


 突如、金髪の女の姿が消える。世羅は構えを崩さず、神経を研ぎ澄ます。

 破裂音が周囲を取り囲んでいる。地面を叩く音ではない。鞭の先が音速を超えているのだ。まるで猿のように素早く、目で追うのに苦労するほどだ。


「音速を超えた戦いを見せちゃるわ!」


 周囲から声。破裂音。しかし、反射神経なら自信がある。世羅は平常心を保とうとするが、それはすぐにかき消された。


「若頭! なんじゃそいつら! ワシが叩き出しちゃる!」


 間の悪い時に、哨戒に出ていた子分が戻ってきたのだ。足音からすれば数名。


「ちょうどいいわ。そっちから地獄見したる!」


 女の声が一時的に遠ざかる。自分ではなく、子分達の元へ向かったのだ。


「いけない! 君たちじゃ無理だ! 下がれ!」


 世羅の声は届かない。それより早く、破裂音が子分達を引き裂いた。


「目じゃ! 耳じゃ! 鼻!!」


 夜を引き裂く悲鳴が、怒りを誘発する。


「よそ見しよる暇ある〜?」


 世羅が視線を戻す一瞬の隙を縫って、重戦車の如き質量が叩き込まれ、彼女の体はふっ飛ばされる。凄まじいタックルだ。

 地面を転がり、すぐに立ち上がる。が目の前にはアオが再び打撃体勢を取っている。

 対人体打撃敢行フルスイングだ。こんなものをまともに腹に叩き込まれれば、内臓破裂は免れない!

 世羅はとっさに両拳を握り、捻りを加えて構え、肘を胴体につけつつ、呼吸をコントロールした。


「呼ッ!」


 伝統派空手の防御法、三戦は、あらゆる打撃を吸収する。ただしそれは達人の技術によるのであって、現実的ではない。

 しかし、世羅は耐えた。木製のバットはへし折れて、真っ二つだ。

 なぜか?

 答えは決まっている。裂帛と共に捻りを加えた正拳が撃ち出され、アオの顔面に突き刺さる。

 そう、決まっている。

 こくどうには根性がある。世羅にも当然それは宿っている。根性があれば、内臓めがけてフルスイングを喰らっても耐えられる。

 なぜならそれが、こくどうだからだ。しかし、それはアオも同じだった。彼女はどろ、と鼻から血を流し、世羅のことを冷静に見下ろしている。ゆっくりとそれを袖で拭っているのを見て、世羅は再び拳を握ろうとした。その時であった。

 音の壁を破り、突如巻き付いた鞭が彼女の体を拘束したのだ。


「今じゃ、姉貴ィ!」


 ミオが叫ぶのに合わせて、アオもそれをフォローするように後ろへ回り、ヘッドロックをかける。

 前方から走ってくるのは、憎悪を目に渦巻かせ、跳躍と同時に右手斧を振り上げた江藤の姿であった。


「殺った! タマァもらうで、世羅ァ!」


 月の光が鈍く刃を煌めかせ、世羅は死を覚悟する。突如、誰も予期しない形で銃声が鳴り響いた。振り上げた斧の刃に銃弾が当たり、江藤は着地先を変更せざるを得なかった。

 斧といっても、そこまで大きいものではない。それを、一体どこから狙ったというのだ。

 江藤はぐるりとあたりを見回して、銃弾を放った犯人を探す。

 彼女も元はと言えば、少数精鋭の戦闘集団である道龍会の幹部だ。銃の扱いにはそれなりの知識を持ち合わせている。

 その彼女が想定するどの距離にも、襲撃者の姿は無かった。ふと自分たちがやってきた橋から、アスファルトを踏みしめて、女が一人現れた。

 見知らぬ女だ。その手には、銃が一丁。制服は紺色──しかし、そのデザインはヒロシマのどの高校のものとも異なる。

 余所者だ。

 江藤は憎悪を燃やして、斧を構えた。彼女にとって最高の晴れ舞台であり、後のない戦いだ。こんな重要な場面に、横車は絶対に許されない。排除せねばならぬ。


「ボケェ……ウチらのお楽しみを邪魔しくさってよお! ヒロシマ城の堀に浮かぶ覚悟、できとるんかワレコラ! どこのもんなら!」


 女は足を止めて、銃を構えた。M9。米軍横流し品の拳銃は重く、大きかったが──初めて握ったとは思えぬほど、堂に入っていた。


「まさか──君は!」


 世羅は苦しげにうめきながら、おぼろげに浮かぶ視界にその人影を捉える。


「姉貴ィ。よお知らんけど、天神会のこくどうなんじゃないん?」


 アオはようやく世羅の首を外して、地面に放り投げた。


「今更一人増えても変わらんよねぇ。バ〜リウケる」


 地面に転がった世羅を踏んづけて、ミオも不敵に笑う。

 怖いと思う。

 なぜ私が、とも思う。

 こんなことに何の意味がある、と思われても仕方ない。

 それでも。

 上島安奈はそこに立って、銃を構えて──自らが成すべきことを再認識していた。


「おう、チンピラ。看板出してみぃ!」


「……看板?」


「こくどうもんじゃろうが、ワレ! 名前はなんや。ほいでどこの会のもんか言うてみいや。後悔さしたるけえ!」


 ミオがニヤニヤしながら吠える。安奈はふう、と息をついて、キッと三人を睨みつけた。


「名前は上島安奈です。看板は──ありません」


「どがあな意味じゃ、コラ」


 アオが気だるげに──それていてこめかみに青筋を立てながら、言葉を繰り返した。


「銃ハジいといて、看板出さんなんちゅうんは通らんでコラ」


 安奈はトリガーに指をかける。もう迷わない。正しいと思うことを、やれることを、懸命にやるだけだ。


「……看板がないと、喧嘩はできませんか」


 些細な返しが、三人のこくどうの導火線へ簡単に火をつけてしまった。


「上等じゃ、コラ! 生まれてきたこと、後悔させたるわ、上島ァァ!」


 江藤が吠える。三人の獣とたったひとりのこくどうの戦いが今、始まろうとしていた。


続く

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