第二十三話 後片付けがいちばん大変なんですか?

「そう。道龍会は壊滅したのね。それは重畳」


 会長秘書からの報告を聞いた白島の感情は極めてフラットだった。確かに道龍会は天神会に大きな犠牲を払わせた。それ自体は腹立たしかったが、死んだ今となっては何も思わない。

 その後の話をせねばならない。白島の目はすでに道龍会を向いてはいない。


「……あなたの狙い通りになりましたね、会長」


 世羅もまた、白島の見ている先を見ようとしていた。白島は正しい。それを疑うような気持ちが、そもそも彼女にはなかった。


「天神会の再編成が必要ね」


「それももちろん必要ですが──例の裏切者はどうします」


 裏切り者。

 あってはならぬ存在。天神会という一枚岩の組織にとって、それは蟻の一穴になりかねない危険な存在だ。

 そして、なにより白島という金看板に陰りが差したということも示している。生かしてはおけない──と世羅は考えていた。組織の──白島のためならば、協会への申請無しに人を消すくらいは容易い。それくらいの覚悟はあるし、手段もある。


「裏切り者ね。まあ、おおっぴらにすればそうなるわ。……ただ、そうしたところで私達にとってデメリットでしかない。看板に自分から泥を塗ることもないでしょう?」


「しかし」


「しかしも杓子もないわ。とにかくいますべきは、紙屋会の跡目を決めてしまうこと──そして、祇園会と紙屋会をコミ合わすことよ」


 紙屋みのりは死んだ。しかし、誰がやったのかは分からない。それを証明する理由もない。現場にいた宇品と大竹によって、彼女が道龍会の残党に襲われ死んだと報告はあった。

 こくどうとは女を張る部活カギョウであり、その言動は自らの看板を賭けて偽りを吐くことは許されない。よってその報告は正しいと『判断される』。

 他ならぬ白島がそう判断した、という背景から、世羅を筆頭に天神会の幹部達は異を唱えない。ポイントはすでにズレている。

 まず重要なのは、日輪高子達祇園会の連中が道龍会への返しに成功し、天神会のメンツを保ったという点だ。


「祇園会はメンツを保ってくれたわ。相応の褒美を与えないといけない。ただ、そのまま考えもなしにエサをやるのは愚かだわ。首に鈴をつけないと」


「あのう……差し出がましいようですけどぅ。よう分からんのですけど、祇園会に褒美をやって、紙屋会とコミ合わすというのは…?」


 たまらず、会長秘書の立町カンナがおずおずと口を開いた。彼女は天神会舎弟頭代行──つまりは最高幹部の一人なのだが、引っ込み思案で口数が少ない。

 口を開くのは余程のことだ。


「立町さん、鈍いわね。どうあがいても祇園会にある程度の立場をやらないといけない。一方で、紙屋会は大きく数を減らしたわ。でも、紙屋会は屋台骨を賭けて道龍会と戦ったのよ。それを無視しては立場がないじゃない」


「それに、紙屋会の勢いを弱めすぎてもバランスが取れない、ということですね」


 なおも立町は納得がいかぬのか、首を傾げ太い眉を八の字に曲げている。


「しかしぃ……誰を紙屋会の跡目に? やはり、若頭補佐カシラホサの天満屋さんですか?」


「それについては、立町さん。あなたを代行に立てることを考えているわ」


 流石の世羅も目を見張った。

舎弟分にあたる立町を、代行とはいえ子分の一家にあたる紙屋会の会長を継がせようというのだ。こくどうの世界では聞いたことがない異例の人事だ。


「会長、それは……」


「流石にぃ……天満屋さんの立つ瀬もなぁかと思いますけどう……」


 二人の意見が重なったのを見て、ふう、と白島は長い息を吐いた。氷の吐息だった。

 確かに、幹部で唯一生き残った天満屋が跡を継ぐのが道理だ。彼女や彼女の子分・舎弟は命をかけて戦った。それ自体を否定するわけではないし、ましてや祇園会と比較をするつもりもない。

 しかし天神会という組織において、その道理を決めるのは自分──つまり白島自身である。何も考えもなしに決めていることでもない。当然、子分や姉妹に口を出される筋合いはない。

 白島にとって、自らの意見とはすでに決定事項なのだ。


「……いつから天神会は会長が二人──三人になったのかしら。ねえ、立町さん、伊織ちゃん」


 立町も世羅も、そこでもう何も言えない。親の言うことは絶対、それがこくどうの鉄則だ。


「会長がそうされたい、というのであれば、ボクは特段──」


「右に同じですぅ……」


 舎弟頭代行といえど、立町は五分の姉妹分どころか八分二分のジドリだ。立ち位置としては子分と同じである。

(作者注:余談だが、こくどうの盃の飲み分けは自撮りにおける映り方の面積配分で決まる。転じて、五分以下の姉妹分は姉貴分のことを姉妹でなく親と仰いで扱い、姉貴分も妹分のことを子分として扱うため、この場合立町の地位は世羅より低く、他の幹部より上である)

 天神会の首領ドンに並び立つ者がいてはならない。これは歴代会長が引き継いできた不文律だ。

 もちろんふんぞりかえっていれば良いというわけではない。組織を力でもって支配できる絶対者であることが求められる。だからこそ、どんな手段であろうと、反対意見があろうと使うのだ。


「祇園会は──日輪高子についてはどうします」


 話題を変えようと、世羅はこの場にいない──そして最大の爆弾へと思いを馳せた。


「立場を作るということでしたが」


「盃を下ろしてあげたいところだけど、受けないでしょうね」


 日輪の親、安佐めるを殺したのは自分だ。受け入れられるわけがない。


「……もしかしてぇ。盃を下ろす事自体が立場を作る、ということですかぁ? それを断る事は、日輪の器量ということで……」


 立町がようやく芯を食った事を言ったので、白島は大きく頷いた。こくどうの社会は、SNSと結びついたことで、なおのこと世間の評価──自分たちがどう見られるかを重視する。

 つまりは、そうした世間の評判を納得させられれば、乱暴な話どのような無理難題横暴だろうがまかり通る。世間を納得させるためならば、どんな方法だろうと使う。逆もしかりだ。


「私が盃を下ろすことに断りを入れる以上、それはもう反逆としか言えない。少なくとも、あなたたち子分はそう思うわよね」


「……紙屋会の代替わりさえうまく行けば、祇園会は所詮、三名だけの小さな組織です。大義名分もあることですし、そのまま潰してしまえる」


 世羅は口元を抑え、少しだけ笑ってしまった。道龍会を潰した今、そうなれば天神会は──白島は無敵の存在になる。紙屋会を始めとするタカ派も潰した。逆らうものは誰もいない。

 そうなれば白島は、君臨する。君臨し続ける。世羅にとってそれは、何よりも喜ばしいことだ。どんな犠牲を払ってでも達成すべき目標だ。

 同時に彼女は考える。

 そうできなければ、どれ程の叱責を受けるのだろうか。自分を殺すのではないか?

 若頭としての自分と、ただの自分がせめぎ合う。


「そのためには、立町さんが紙屋会二代目として認められないといけないわ。伊織ちゃん、必要ないとは思うけど、天満屋さんと不動院さん──あと、長楽寺さんにも根回しをしておいてね」


 いつになく慎重だった。生き残った天満屋へ、引け目があるのかもしれないと、立町は口には出さずに思った。





 一方。

 市内雑居ビル三階、『お手洗い』シャイニーハンズ店内にて。


「折り入って、話があるんですわ」


 同世代より大きな体を縮こめて、紙屋会若頭補佐・天満屋は応接用のソファにかけたまま、いつになく真剣な表情で高子に言った。


「……あれから二週間くらいかいや? 身体は平気かいや」


 お互い、包帯だらけの身の上だ。安奈に至っては未だ入院中の重症。天満屋も同じように、重い身体を引きずって来たらしい。


「身体は丈夫なほうですけん。それより、日輪さん。今日はお願いがあって寄せてもろうたんです」


「お願い?」


「自分を、あんたの妹分にしちゃくれんですか」


 いつになく殊勝な態度から放たれたのは、真っ直ぐな言葉だった。高子にとって嫌いな言葉でもなかった。

 だが気が咎めないといえば嘘になる。紙屋は死んだ。その原因の一端は高子にもある。紙屋を引きずり下ろせと唆したのは自分だ。

 そして何より──手段を選ぶなと言ったゆみ、そして白島の意思を、天満屋は知らぬ。

 紙屋は誰でもなく、天神会そのもの──そこに巣食う意思に殺されたのだ。


「……天満屋さんよ。あんた、直参の若頭補佐じゃろうが。姉妹分じゃなんじゃ言うてよ、ぽんぽん口に出してええんかい」


「親ァ殺られて、返しは先越されとります。貫目の話をしよるんなら……せんない話ですわ」


 天満屋の言葉には力がなかった。親姉妹を失い、なにかをぶつける相手はもういない。

 こくどうは生き馬の目を抜く世界だ。弱みを見せれば即食われる。生き残ろうとするために、かつての敵とも手を組むのは、無理もない判断だと言えた。

 天満屋の下には数名の子分や舎弟、紙屋会直参の子分十四名がいる。若衆やシノギの切り取りがいつ始まってもおかしくないのだ。

 そしてそれは、高子にとっても同じことだ。御子はもちろん、安奈はこくどうとして覚醒めざめた。ならば、組織の拡大を図るのはごく自然なことだ。

 紙屋会には、お手洗いや運動部の守りなど、堅いシノギがいくらもある。直接の管理にせずとも、姉妹分ならばいくらでも潰しはきく。言葉を選ばず言えば、甘い汁を無限に吸い上げられる。


「しかしのう、天満屋さんよ。ワシゃ長楽寺の妹分じゃけん。あんたとはちいと貫目(作者注・こくどうの格のこと)が違うで。五分でもあんたが安目を売ることになる。……紙屋の二代目はあんたになるんじゃけえ、代も変わらん内に会長に睨まれよるワシをらわん方がええと思うけどの」


 布石の一手だった。天満屋は直情的なこくどうだ。かと言って、実力のない者を認めない、典型的なタイプだ。

 一度喧嘩ゴロでいなしたことがある高子にとって、それを誇示するのはこの場合マイナスだ。姉妹盃に飛びつかず、一歩引いて見せることが、奥ゆかしさと彼女との実力の差──即ち貫目の差を見せることとなる。


「そんなことは関係なあです。こくどうがこくどうに惚れた、その一点で姉妹分にしてほしい言うんは、間違いですか」


「ほら結構なことじゃけどのう。紙屋会二代目が直参組織の舎弟頭であるワシと姉妹分になるんは、あんたに迷惑がかかるけん。……あんたが二代目を辞退する、いうんなら別じゃが」


 紙屋会二代目は、完全に手綱を握っている宇品でなければならない。確かに姉妹分になりたいという天満屋の申し出はありがたい。間違いなく勢力は拡大するだろう。しかし高子の目的はそこにはない。

 宇品と紙屋会を踏み台にして、白島の首筋に喰らいつく。

 そのためには、言うとおりに動くかわからぬ天満屋を推すことはできない。


「紙屋会二代目……自分にそもそも務まると思っとりません」


 天満屋はポツリとそう漏らした。


「十河の姉貴が継ぐもんじゃとばかり。……福屋の姉妹のこともあって、なんだか実感が湧かんのですわ」


「ほしたら、やめときい。自分が継がん言うんなら、宇品の姉貴あたりが適任じゃろう。どうじゃ?」


 露骨な誘導であった。しかし、それゆえに天満屋には彼女の言葉が奥ゆかしく思いやりのあるものに映った。


「……ほたら、どうでしょう日輪さん。宇品の伯母貴に紙屋会を継いでもらう。そのうえで、ワシを姉妹分にしてもらいたいんですわ」


「いいとこ四分六、それより下かもしれんで」


「姉貴と呼ばせていただいてもええです」


 天満屋はそう言って、こわごわと──おそらく痛む体に鞭打っているのだろう──頭を下げた。

 そこには、純粋なこくどうの姿があった。残酷な現実そのものでもあった。こくどうの発言には表と裏が必ず存在する。その裏をどう読むかは、それぞれの器量だ。

 天満屋は人間的には素晴らしい人物だと言えるだろう。尊敬すらできる。

 しかし、こくどうとしての器量はない。今それがわかった。

 おあつらえ向きだ。

 高子は冷徹に──そして天満屋にはわからないように心の内でほくそ笑んだ。

 かたきだ。お前らは仇なのだ。安佐メルオフクロの。子分ゆりの。

 仇を取るためならば、お前ら雑魚の命などどうなっても構わない。

 使い潰してやる。白島を殺って、無念のうちに死んだ者達の溜飲を下げるためならば、どのような外道であろうと働いてやる。

 それが、こくどうとしての高子の覚悟だ。


「のう、天満屋の。善は急げ、言うじゃろう。あんたの叔母貴分──宇品さんやら不動院さんやらに言うてよ。しっかりものを言うたらええじゃない。やりとうないことをやるような時代でも無いじゃろう」


 天満屋は頷き──それが高子の悪意ある誘導であるとも疑いもせず、礼まで言って席を立った。

 歩みを進めているはずなのに、その一歩が暗闇に──泥沼にはまったような気になったのは気のせいだったろうか。

 いや。

 高子は首を振る。

 もう後戻りなどできない。どんな暗闇だろうが、泥沼だろうが──前へ進む以外に彼女に道は残されていないのだ。




 同時刻。

 ヒロシマ中央総合病院にて。

上島安奈は窓の外を見ていた。あれから長い月日が流れたような気がしたが、まだ二週間も経っていない。

 父親が一度だけ見舞いに来たが、その後は一度も来ていない。薄情なものだ。

 しかしそれは安奈にとっても好都合だった。なにせ安奈は人を殺している。

 もうカタギにはもどれない。

こくどうの世界では、試合における死人は全て部活動における事故死として扱われる。

 こくどうになったことで本当の親から絶縁されることがほとんどで、足を洗うまでは大抵会いもしないのだという。その代わり、命をやり取りしたとて、誰にはばかることはない。

 異常な世界だとは思う。

 しかし、安奈にそれを断じることなどもはやできない。別れを否定し、死を与える者──こくどうとなった者に、生き方がそのあり方とイコールになった者に、その価値観を否定することなどできないのだ。


「安奈さん」


 扉の外からかけられた声に、安奈はどこかほっとしていた。リノの声だ。

 リノは私服姿──シンプルな青いワンピースに、ティアドロップのサングラスをかけて現れた。彼女の存在は安奈に、自分にもまだまともな部分があると思わせてくれる。


「……ごめんなさいね。病院もプライバシーの関係とかで病室をなかなか教えてくれなくて。安奈さんに口を利いてもらってようやく入れたわ」


「最近の病院、ネームプレートもつけてないですしね……リノさん、来てくださってありがとうございます」


「他人行儀ね。友達じゃない、安奈さん。入院しただなんて、びっくりしたけれど」


 ゼラニウムの花束をベッドの側へと置く。穏やかな香りがふわりと漂う。

 その優しさが安奈には辛い。

こくどうという別種の人間になったことを、孤独な病室で夜を迎えるたびに、安奈は思い知らされることとなった。

 別に外見が変わったわけではない。しかしあの時の覚悟──そしてその結果を引き起こしたのは間違いなく自分だ。

 安奈は普通の女子高生であることを辞め、こくどうとなったのだ。

 だからこそ、理解をしなくてはならなかった。決断も。


「リノさん。わたし、こくどうなんです。こくどうになったんです」


 それは、自ら手を離す行為だった。安奈はそれになんだか心底安心していて、心地よさすら感じていた。


「人も殺しちゃいました。わたし、ただの普通の女の子じゃないんです」


 困ったような笑顔になってしまって、安奈は気まずくなって俯いた。

 リノは何を思うだろう。

 失望するだろうか。恐ろしく思って逃げていくだろうか。

 リノは黙して語らない。彼女の伏した片目が、何を見ているのか──安奈にはわからなかった。


続く

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