第二十四話 所詮は一夜の夢なんですか?

 頭の奥から痺れが降りてくるようなショックを、白島は受けていた。

 安奈はこくどうだった。

 薄々感じてはいた。自分の権力を持ってすれば──たとえばせらふじ会の情報網を使えば、一両日中に彼女の兄弟親戚が使ったティッシュのメーカーまで分かるだろう。

 しかしそれをしなかった。

 彼女と自分が相容れぬ存在であることは、なんとなく察しがついていた。こくどうの王。そしてふつうの女子高生。似て非なる存在だったはずの彼女が、いつの間にかこちらの世界へ足を突っ込んだというのだ。

 信じたくなかった。

 わざと目を瞑っていた努力も水泡に帰した。もはや疑いの余地はなく、安奈はこくどうだった。

 彼女がこくどうだったことを悲しんでいるわけではない。なるなら相談してほしかったわけではない。同じこくどうである自分に、寄り添ってほしかったわけでもない。

 そんなのどうだっていいのだ。ただ、こくどうであることを伝えて、離れようとする彼女が悲しかった。 

 いずれこのヒロシマに生きるこくどうは、自らの子か敵か、二つに一つになるだろう。

 それが白島が目指していたことだ。でも、安奈に求めていた事は──望んでいたことは違う。

 ヒロシマの絶対者でこくどうの覇者・白島としてでなく、ただのリノとして扱ってくれた彼女との時間こそ、彼女にとっての宝。

 そうだ。

 私は──。

 私は、ただのともだちがほしかったのだ。


「安奈さん。悲しいことを言わないで」


 白島にはできる。

 安奈を暴力でねじ伏せることも、権力を振りかざすことも、陰険な策謀を巡らせることも、彼女に手を差し伸べ『救う』ことも。

 しかしそれをやれば、全てが水泡に帰す。ただのリノと安奈ではなくなってしまう。


「以前、あなたには言ったはずよ。あなたのその優しさにつけ込んで、理不尽を強いる人間がいるかもしれないって。……あなたは確かにこくどうになったのかもしれないわ。でもまだ戻れる。だって、好き好んで誰かを殺したわけじゃないんでしょう? あなたの意思じゃなかったのでしょう?」


「私の意思です」


 それはあの日、ケーキを一緒に食べ、笑いあった少女の顔ではなかった。

 理不尽を強い、死を与えるもの──そうなることを自覚した者の表情だった。


「誰かがむりやりなんてことはなかったんです。リノさん、私はなりたいと思ったものになれたはずなんです」


ため息をつきたくてもつけなかった。そして白島にはわかった。わかってしまった。こくどうであるがゆえに、彼女はその優しさと律儀さを発揮して、親のために殺しをしたのだと。

 そしてなにより、そんな自分を受け入れ、割り切ることがまだできていないのだ。だから苦しんでいる。


「……私は、いつでもあなたの力になるわ、安奈さん。私は──あなたがこくどうになったなんて認めない。そんなこと、否定してみせる。だから──」


 矛盾を孕んだ言葉を垂れ流していることを認めて、白島は失笑してしまう。こくどう達を死地に送り出して、眉も動かさないこの私が。

 たったひとり、こくどうになったただのチンピラを救おうとするだなんて。

 わたし、どうかしてしまったのかしら。

 そう考えるとさらに居心地が悪くなって、白島は返事も待たず、彼女の顔を見ることも叶わずに、病室を飛び出していた。



 同日、午後六時、祇園高校内、こくどう部部室にて。ようやく腫れの引いた顔をさすりながら、御子は事務所に備え付けてあるジュースを飲もうとしていた。安奈は入院、高子はシャイニーハンズに詰めている。

 事務所にも常に人は詰めていないといけないのが、こくどうのつらいところだ。


「御子、ちいとええか」


 扉からノックもなしに現れたのは、ゆみだった。


「叔母貴、どうも……」


 色々あって親戚になったとはいえ、こくどうとしての上下関係は外せない。御子はピッと立ち上がって頭を下げた。


「ええ、ええ。御子よう、悪いがちいと話に付き合ってくんないや。本家できな臭い話になっとってのう。日輪にいきなり言う前に、お前に具合だけ確認しとうての」


 ゆみはどっかとソファに腰掛ける。彼女の顔色は、その話があまり良くないものだと察するにあまりあった。


「紙屋会二代目じゃがの……わしらは宇品の心臓ネタ握って、ヤツを二代目にしてちょっかい出す予定じゃったわけよの」


「そう聞いとります」


「会長がさっそくチャチャ入れてきよったで」


 白島の仕掛は、こくどうの人事の常識から外れたものだった。天神会舎弟頭代行・立町を紙屋会会長の代行とする。親の姉妹を子に降格する人事は、単純こそすれ簡単ではない。確かに子分は跡目レースに加わることができるが、こくどうにとって降格とはナメられる要素であり、安易な考えではその相手の反逆を招きかねないからだ。とはいえ、天神会という白島が絶対権力を握っている組織では、単純である故効果的だ。姉妹子分達が表立って反対の声を挙げるとは考えられない。先に代行とはいえ跡目を決められれば、外様である祇園会が口を差し挟む余地はもちろんない。


「代行で場を繋いで、別の人間を立てる言うんならまだマシじゃが、そうはならんじゃろ」


「……つまり、通常じゃありえん『舎弟頭代行の立町』を二代目だろうと代行だろうと一時でも据えることで、天神会全体の承認を得たことにするっちゅうことですかい」


「なんせ白島会長の鶴の一声じゃ。多少強引でも通る。……通ったら誰も逆らえん。そうなりゃ、宇品の二代目は無うなる。つまり、今止めんと、日輪の仕掛はパーじゃ」


 止める。

 言葉で言えば簡単だが、どう止めればよいかなど想像もつかない。


「叔母貴、わしにゃあちいともうまい考えがつかんです」


 ふとよぎったのは、妹分──安奈の顔だった。彼女はこくどうになった。ふつうの女子高生であることを辞めて、修羅の道へと入った。

 自分はどうだ?

 道龍会との戦いにおいても、役に立ったと胸は張れまい。

 一年前の夜──置いていかれた雷雨のあの日が蘇る。あの日、めるを守れなかった事を悔いた御子は、祇園会のためならどのようなことでもしようと決意したのではなかったか。

 ゆりのような死を防ぎ、安奈のような存在を生まぬと決意したはずだ。


「……ワシが思いつくんは、立町を殺ることくらいです」


「殺る!? アホ言うたらいけんで、御子よ。立町はランクはどうあれ、天神会の最高幹部の一人じゃ。殺る言うて殺れるほど甘いわけなかろうが」


 ゆみの声には怒りが籠もっていた。筋の通らぬことはできない、彼女らしい発言だ。


「それにのう……日輪が盃を貰うとらん言うても、立町は白島会長の姉妹分じゃ。クラスがどうあれ、ワシが白島会長の子分っちゅう以上、それをお前が殺るいうんは、渡世が納得せんわい」


「親殺しになりますか」


「場合によっちゃ、ワシがお前の腰を叩いた(※作者注・そそのかすこと)風にとられん」


「ほたら、どがあにしたらええんです。殺したらいかん言うて、ワシらが殺されるまで待てェ言うんですか。こくどうの喧嘩は、先制攻撃で殺ったモン勝ちですで」


「バカタレ! ワリャあ口が過ぎるどコラ!」


 破裂音と共に、御子の頬が鋭く痛んだ。拳に力が入るが、こくどうの本能がそれを阻んだ。


「ワレが軽率に動いてみい、高子がまずい立場になることくらい、わからんわけでもなかろうが」


「叔母貴、ワシャあんたから盃はもろうとらんよ。……こくどうがこくどうの頬を張ってよ、ただで済むと思わんことよ」


 ふつふつと怒りの炎が燻るのを御子は感じていた。


「ボケ! まだ分からんのか! 会長がワシらが動かんとでも思っとるんか? 折り込み済みよ! 動いたら即潰す気なんじゃ!」


 必死の訴えも、今の御子には届かない。元来こくどうというのは弾丸のような生き物だ。炸薬が破裂すれば、もう止まらない。曲がらない。

 ましてや今の御子の頭には血が登っていた。彼女のことを止めることなど、たとえ高子がこの場に居たとて出来ようはずがなかった。


「ほたら叔母貴。わしゃ用事がありますけん、これで……」


「御子!」


 彼女は背を向けたまま、姿を消した。立ち止まりもしなかった。

 御子はおそらくやり遂げようとするだろう。ゆみは頭を抱えながらソファに腰掛ける。しかし、やれることはやらねばならぬ。御子の暴走は、祇園会だけの問題で済まないかもしれないのだ。


『御子が走りおった。連絡くれ』


 震える指で、ゆみはメッセージを送る。白島はゆみを取り立てると約束した。しかし高子達祇園会はおそらくその約束の中に入ることはない。

 御子を止めなければ、祇園会は天神会の反目として弾き出され、今やヒロシマを制する組織に躍り出たこの組織にすり潰される。そうなれば、自らの身も危ういだろう。

 それでも妹分を見捨てられぬ。

 普通のこくどうならば、このヒロシマにおいて得にもならぬ祇園会はんぎゃくしゃとの共同戦線など、早々に反故にしてしまってもおかしくはない。むしろそれが普通だ。

 しかし長楽寺ゆみは違う。本当の妹を失ったがゆえに、渡世の妹分達を見捨てられない。

 高子達から信頼を得られたのも、そうした弱みがあるからだ。

 しかしその薄氷を踏むような『信頼』が、よもや揺らぐようなことになろうとは、この時点のゆみには考えもつかなかった。



 こくどうにおける舎弟頭は、大きな一家を持つことが少ない。子と違って跡目となることがない以上、大きな組織を持つことにあまり意味がないためだ。

 天神会の場合それはさらに顕著だ。会長の補佐役であることを強調し、実働していることからも明らかだ。

 しかし現在の天神会の場合、他の組織と異なる点がある。ヒロシマ市内の他高校──そのこくどう部を降伏させている点だ。

 各幹部のさらに下位──祇園会のように三次団体ならまだマシで、四次五次まで行くと単なる集金装置でしかない。こくどうの当たり前に持っていた利権はもちろん、誇りまで奪われる──本来降伏とは、それほどリスクの高い行為なのである。

 最高幹部達の子分として、そうした降伏組は生き残っているが、公式試合こうそうには出場できず、上納金アガリの殆どは親と仰がされるこくどうに吸い上げられる。


「オフクロ、おめでとうございます」


 立町の子分でもある光が丘くるめは、見上げるような長身を折り曲げて頭を下げた。長い髪はよく整えられているが、前髪は目を覆うくらい長く、なんとか眼鏡をかけていることがわかるくらいだ。彼女は曹徳如水館高校こくどう部──通称曹如会四十名を束ねる会長であったが、今や立町を親と仰がねばならぬ立場だ。


「あらあ、くるめさん。ご苦労さまですぅ」


 立町はいつものように間延びした返事をしたが、光が丘はそれを視線を通すことで伝えた。

 うちの他には誰もいませんで、オフクロ。


「……あー、肩凝る。くるめ、ちいと揉まんかい」


 立町のホームは元町女子学院の理科準備室だ。まさに間借り、ホームなどあってないようなものだ。

 白島の舎弟になるというのは、転じて白島の不興を買わずに彼女の手足となって働くことだ。前の舎弟頭はそれを理解しきれておらず、とある事件で責任を追求された白島の身代わりとして年少送りになった。

 立町はそうした状況──つまるところ理不尽な年少よせば送りを恐れ、こくどうとしては人畜無害に気弱で無口なフリを決め込んで来た。

 しかし彼女もこくどうだ。野心はある。そして一歩踏み出せば叶うとなれば頭も回る。


「オフクロ。紙屋会の二代目、受けるんですか」


 女子高生とは思えぬほど硬い肩に、光が丘は苦労して指を入れていく。

 思えば、ヒロシマ市における他校のこくどう達はここ一年で皆、教科書利権と縄張りシマを守るために躍起になって、天神会に勝てぬ戦いを挑み──そして滅びていった。酷い者は本家が直に管理しているという『裏メイド喫茶』なるシノギのキャストとして奴隷のごとく働かされているという。そこでは、こくどうであることを隠すことを許されず(作者注釈・天神会のメイド喫茶やお手洗いでは、上納金が払えないこくどうがキャストになることは珍しくない。ただ、通常であれば、キャストがこくどうであることを隠さないと客は恐れて来ない)、やれオムライスに魔法をかけるだの、ダンスを写真や動画に撮られるだのは序の口、加えて終業後も『自主的に』寝る間も惜しんで生配信を強制させられる。要はこくどうがそうしたメイド仕草をしているのに興奮するような変態の相手をさせられるのだ。死んだほうがマシだった。

 光が丘はラッキーだった。立町はたまたま子分や舎弟がいなかったし、負け犬のこくどうであった光が丘達曹如会を普通の子分として扱ってくれた。

 地獄に仏を見たような気分だった。

 立町にとっては単なる打算だったかもしれないが、彼女にとっては肩もみくらい喜んでやる十分すぎる動機だ。


「受ける。ワシもホレ、言うたら天神会の幹部で? だいたいそがあなワシがよ。一家も持てん言うんがそもそもその間違いなんよ」


 立町は吐き捨てるように言った。


「ほいじゃけえよ、くるめ。ワレ、ワシの舎弟に盃なおしちゃるけん。ほしたらお前、曲がりなりにも天神会の幹部っちゅうて胸ェ張れるが」


「……ありがとうございます。オフクロ……いや姉貴ってお呼びしてええですか。ほたらウチの曹如会の連中も……」


「おう。盃やっちゃる。お前にゃ悪いが、ワシの子分っちゅうことになるがのう。天神会の直系じゃ」


 潰された団体の構成員達が天神会直系紙屋会の看板を名乗る。

 光が丘にとっては複雑だが、かつての子分たちにとっては良い話だろう。こくどうとしての地位は将来に直結する。天神会に降伏した今、少しでも上へ押し上げてやりたい気持ちは強かった。何より、恩義を返す意味でも、立町のためになる。


「ほいで、うちは何をすれば?」


「紙屋の二代目はワシじゃ。ほいじゃが、他の連中がチャチャ入れてきたら面倒じゃろ。紙屋アネキをむざむざ殺されといて、宇品イモウトが出張るのも気に喰わん。あがあな輩は消えてくれたら、ワシも安心なんじゃがのう」


 殺れということだ。

 光が丘は親分アネキの言葉を自らの器量で的確に分析した。

 曹如会は広島北部では武闘派で鳴らした組織だ。全員の力を持ってすれば、宇品ごときすぐ殺れるだろう。

 しかし問題はその下にいる大竹だ。白島と敵対していた当時の大幹部の殺害以外にも、天神会内部における怪しい殺しは全部彼女ではないか、という噂すらある。

 宇品だけでは寝首を掻かれるかもしれない。大竹も殺らなければ。


「……うち、一週間ほど学校休みますんで。連絡も多分、取れませんわ」


「ほうかあ。ま、あんばいようやってえや。……会長はよお、なんや根回しじゃなんじゃ言うとったがよ。いるかいやそがあなもん。あー、肩凝るわい……」


 光が丘が肩から手を離したあとも、自ら肩を叩きながら、立町はブツブツ呟いていた。

 立町アネキは決して無能なこくどうではない。ただ運がなかった。同世代には白島がいて、絶対の権力を握っていた。出世という意味ではほとんど停滞と同じ舎弟にしか席が無かった。

 だがこれからは違う。光が丘くるめの器量ひとつで、ナンバー2にのし上がることだってできる。愉快だった。

 拳一つ、銃弾マメ一つですべてがひっくり返るのがこくどうの世界だ。ならば、立町カンナが天神会の勢力図を書き換えることがあっても構わないだろう。

 こくどうもん、一文アガリの三文下り、七文八文滝下り。きのうの姉貴も今日の三下──こくどうに伝わる故事成語を思い出しながら、熱い血が全身を巡ったような気持ちになって、光が丘くるめはスマホを耳につけた。


続く

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