第二十一話 同じ穴のムジナなんですか?

「オフクロ! えろうすんません、ヤツら来ます!」


 転がり込むようにホールに飛び込んできたのは、階段でなんとか紙屋会の組員を押し留めていた道龍会の戦闘部隊数名であった。

 その時彼女らが見たのは、親分たる金本が普段ならば見せぬ表情で、携帯を耳に押し付けながら渋い顔を作っているところだった。


「話が違ぁうんじゃなあか? わしゃ、紙屋んとこの組員を半分は殺ったんで?」


『紙屋は生きとるじゃろうが。仕事をやらんで褒美をくれ言うんはお門違いじゃろう?』


「何を──」


『自分は運がええ、言うとったのう。まだ組員もおろうが。もう半分くらい、殺ってみい』


 ブツ、と通話は無情にも切れた。元々危ういセンだったが──蜘蛛の糸は切れるものだ。


「オフクロ。……どがあにします」


 達川は焦ることなく、静かに言った。金本ニキは並のこくどうではない。彼女の天運は座したままでも十分だが、立ち上がった時にこそ輝く。彼女自身が動き出せば、必ず道は開けるようになっている。だからこそ、道龍会は彼女を信じて無茶ができるのだ。


「しゃあないのう。……全員殺るか」


 紙屋会の組員がパーティーホールになだれ込んでいく。直後、銃声。叫び声。断末魔。死が充満していることは想像に難くない。安奈と高子はホールの外、その脇で様子を窺っていた。


「オフクロ、行かないんですか?」


 安奈は緊張から皮膚が冷えるのを感じながら、高子に尋ねた。


「安奈。カチコミはのう、殺れりゃあええんじゃ。最悪なのは、殺れずに殺られる事じゃ」


 確かにそうかもしれない──当たり前だが、安奈はどこかにカチコむのなんて初めてだった。何がどう正しいか──その基準は、経験者である高子に学ぶ他なかった。

 やがて、静かになった。銃声は少なくなって、人の気配も減った。


「……よし、そろそろかのう。ええか、安奈。ビビんな。死ぬで」


 短く、鋭く研いだ刃のような言葉に、安奈は頷くほか無かった。


「おう? なんじゃあ、こないだの葬式で会ったのう、姉ちゃん」


 ホールへ入っていくと、異様な光景が広がっていた。そこには命を失った人々がゴロゴロと転がっていて、むっとした血煙の匂いが立ち込めていた。

 数名の道龍会組員達が満身創痍で生き残っている。とても動けそうにない状況で、安奈でさえ敵ではないように見えた。

 死屍累々の紙屋会メンバー。十河もそれに埋もれるように血まみれで倒れ伏していた。屍山血河──いつだったか本で読んだ物騒な言葉が、脳裏をよぎる。

 その中で、異様な風体の女がひとり立っていた。湾曲した強化プラスチック製のスポーツ義足。身長は180cm近い。金本ニキその人である。手には血染めの刀。その隣には、若頭の達川がサブマシンガン・MAC11をこちらに向けていた。


「なんじゃ、嬉しいのう。こがあなとこまで遊びに来てくれたんか?」


「金本。会いたかったで、コラ。いつぞやはわざわざ香典を渡しくさってくれたのう。ワレ、ワシは香典なんぞまだるっこしいこたあせんど。ここで葬式挙げて焼香まで済ませたるけんのう」


 高子は啖呵を切ると、刀を抜いた。闘志が目に見えて燃え盛っているようだった。直後、安奈は自分の肌が粟立つのを感じていた。

 その時の安奈には言語化し難いものだったが、彼女は死を──正確には別れの予兆を感じ取っていた。なぜそのようなことがわかったのかは彼女にもわからなかったが──事実、達川はトリガーを問答無用で引いて、文字通りあたりに弾をばら撒いた。


「危ない!」


 安奈は高子をかばい、テーブルの影へと飛び込んだ。弾頭がミシン目の如く直線になって、安奈と高子を襲う。パーティーホールのテーブルは十分それらを防いでくれた。


「安奈、助かったで」


 他ならぬ高子の礼の言葉に、彼女自身が一番安心していた。別れは辛い。嫌だ。もう誰とも別れたくなどない。安奈はその気持ちに誰よりも正直だった。


「コラーッ! ワリャあ道龍会の金本ニキに弓引こうっちゅんはのう、ワシが許さんで、コラ! その前にワシが殺っちゃるわ!」


 今まで冷静にニキを支え続けていた達川が、ことここに来て怒りを爆発させた。


「達川よう。ま、ちいと待たんかい。……のう、日輪よ。思い出したで。ワレ因島の姉妹の葬式で隣になったのう」


「今更思い出したけえなんじゃっちゅうんじゃい!」


「まあ、待てや日輪の。ワレ、手柄を立てとうないか」


 妙に冷静な物言いに、高子は面食らって反論も返事もしなかった。沈黙を同意と捉えたのか、ニキは話を続けた。


「ワシゃあのう、今回の戦争は勝てる喧嘩じゃ思うて始めたんじゃ。……ほいじゃが、だいぶ分が悪うなってきた。じゃけどのう、天神会もそら同じじゃろ」


「何が言いたいんじゃ」


「ワレ、天神会の白島会長とは犬猿じゃろ。あんなあの伝説も、ワレの下手うちもよおけ知っとるわ。ほんならよ、ワシが白島を殺っちゃるけん。どうじゃ、手ェ打たんか? 義理事で顔合わせた仲じゃし、こがあな申し出はなかなかないで。ワレもワシもウィンウィンじゃ」


 高子は抜いた刀を杖のごとく地面に立てて立ち上がり、障壁にしていたテーブルをそのまま十字に切り裂いた。バラバラと崩れるテーブルに、安奈は目を丸くした。こくどうの根性は技術を凌駕するのだ。


「おう、金本よう。ワレ、もういっぺん言うてみい」


「……耳が悪いとは聞いとらんで。やばいのう」


「おお、耳は悪いわい。ワレみたいな外道の言葉は耳に入らんようできとるんじゃい。おう、よう聞いとれよ、バカタレが。わしゃあ沼田ゆりの落とし前をつけに来たんじゃ。ワレが金でナシをつけようとしたこくどうの落とし前じゃ。こくどうの死に様はのう、数字で解決できんように出来とるんじゃ!」


 金本は何がおかしいのか、手を叩きながらケラケラと笑った。笑って、笑って──やがて手元の刀ががちりと殺意を漲らせた。


「古臭いこくどうもんじゃのう。ええ? ほたらそのなんたら言うこくどうの落とし前、抱えたまま去ねや。帰り道は後ろ──行き先は地獄じゃけん」


 義足が地面を蹴る。

 せいぜい多く見積もっても165cmのニキの体が、まるで前方に伸びてきたように感じた。それもそのはず、換装した強化プラスチック製のニキの義足は、その優れた弾性が体重を反発させて凄まじい勢いでニキの体を射出するのだ。

 そしてその勢いから薙ぎ払われる刀は、重い!

 高子の刀、その刃が火花で一直線に煌めく。ニキは空中を駆けて体を回転させ、高子に背中を向けるように着地した。

 黒詰め襟の背中には、亡者を押しつぶす餓者髑髏の刺繍が施されていた!


「ほたら、寸刻みにしたるど、日輪。それもこれも、こがあなところにノコノコ来るんがいけん。……運が悪かったんじゃ、ワレ」


「オフクロ!」


 安奈は叫ぶ。その直後、達川が再びトリガーを絞ろうと指にかけた。

 しかし、引けなかった。安奈の側、その後ろ──倒れ伏していた十河が影から身を起こし、一矢報いようと9mm拳銃を放って、MACに命中させたのだ。からからと軽い音を立てながら転がっていく銃に、達川は目線を切った。満足したように力尽き、再び倒れ込む十河──。


「安奈! 達川はお前が殺るんじゃ! 気合い入れえ!」


 殺れ。たった二文字の言葉。安奈にとって重い言葉だった。しかし、ゆりの復讐を果たすためには、避けることのできない言葉だ。


「……はい!」


 安奈はリボルバーを向ける。トリガーに指をかける。照星の先には、一瞬だけ身を震わせる達川。

 彼女の熱はすぐに引いて、ゾッとするような冷静さで、安奈を見据えた。まるで撃たれるのが当然だと思っているような。


「……トーシロかいや。まあええ。ワシを殺る言うんやの? ほたらのう、よお狙おて仕留めてみいや!」


 安奈はトリガーを引いた。初めて撃った実弾は重く、凄まじく大きな音がした。まるで弾が避けたように、達川には当たらない。目の前にいるはずなのに。

 次の瞬間、目の前で火花が散った。視界が白黒して、遅れて顔中に激痛が走り、自分の体が地面に転がったのがわかった。殴られたのだ。


「ねんねにゃあ早いで!」


 今度は腹に達川のつま先がめり込んで、安奈はぐるりと一回転した。あまりの痛さに息ができない。


「なんなら……大したことないのう」


達川は転がっていたイスの足を踏み折って、簡素な棒に仕立て、手のひらでぽんぽん跳ねさせる。何をするつもりなのか──簡単に想像がつく。


「トーシロ、お前……生きとる価値ないで。ほいじゃけ……ワシが脳みそぶちまけたらァ!」


 達川が鉄棒を振りかぶった瞬間、安奈は手元のリボルバーを引き寄せる。手元がもたつく。

スイカのように頭が爆裂する──非現実的ながら適確な妄想に、安奈は目を閉じた。

 それはまるで偶然だったのかもしれない。しかし確かに、安奈は銃を握り、その銃口を達川の目の前に突きつけていた。

 鉄棒と銃口は彼女らの目の前にあった。ぶわ、とお互い冷や汗を流す。


「引いてください」


「あ?」


「わたしのオフクロは必ず勝ちます。こんなこと、しなくてもいいじゃないですか」


 達川は鉄棒を投げ捨てて、顔を押さえた。別れは必ず来る。安奈も高子と別れる日がくるだろう。そんな中で、他ならぬ自分が別れを生む存在にはなりたくないと思ったのだ。

 矛盾していた。

 もう分かっている。そんなことが欺瞞だということくらい。安奈にはわかってしまっている。あの葬式わかれから──もっと言えば、高子が安東を撃ち殺したあの日から。

 こくどうは、言葉より先に手が出る。それは、話し合いで解決する以前に、殺し合いになったら止まらない。この段階で戦いを止めるすべなどあるわけがない。

 あるのは、わかれだけだ。

 安奈は銃口わかれを向ける。引金わかれに指をかける。もう止まらない、止まれないであろう連鎖、その最初のひとつになるであることを予感しながら。


「私は……誰も悲しませたくないだけなんです」


 達川もまた、手で押さえた顔の下で後悔していた。あのまま鉄パイで殴っていたら勝てた。

別に怖くはない。素人の銃などあなご竹輪と一緒だ。向けられてもこっちで威圧してやれば撃てやしないし、よしんば撃ったとて当たるはずもない。

 しかしこの安奈という女は違う。殺れたのに殺らなかった。あの冷や汗は自分が本当に死に触れられたから出たのだ。

 こいつはただの素人ではない。

 ならば、生かしてはおけない。こくどうが殺せるのに殺さない──それは、自分をナメていると宣言するようなものだ。達川は手を顔から離し、急に屈んだかと思うと、膝蹴りで安奈の持っていたリボルバーを弾き飛ばした。彼女が目を見開く間もなく、達川の膝下が肩口に向かって切り返され、地面に叩きつけられる。


「……殺れるときに殺っとかんとよ、苦労するように出来とんで」


 弾き飛ばしたリボルバーを拾うと、達川はそれを安奈の頭に押し付ける。


「やらんですむならやらんでええ? ほらほうじゃろ。ほいじゃがのう。そがあな綺麗事だけじゃすまんのんで、こくどうはよ!」


「安奈ーッ!」


 刀が交錯する度に鳴る金属音の合間から、高子の叫ぶ声がする。

 口の中でじくじくと金臭さが広がる。顔から叩きつけられて、鼻血が出たのかもしれない。怖かった。惨めだった。無力感が安奈を苛んだ。みんなと一緒にいたい。ただそれだけなのに、御子は自分を信じてくれたのに。高子も──。


『のう、安奈。お前ケンカしたことなんかないじゃろ』


 ブルーアリーナに行く途中、みんなでバスに乗った。祇園会にはこくどう車がなく、運転手もいないので、みんなで移動する時はバスやアストラムラインを使うのだ。

 そのバスの中で、隣に座ったゆりは、唐突にそんなことを言い出した。


『ケンカ……ないです』


『じゃろ〜ッ? そがあなことじゃ思うたで。ええか、安奈。こくどうのケンカのコツを教えたる。ワシは中学からがんぼやりよったけえ、ケンカはしょっちゅうやりよったけんの!』


 自慢げにそう語りながら、ゆりは何か自分に教えたそうにしているので、安奈はその先を促した。


『ケンカっていっても、その……銃とかで撃たれたらおしまいなんじゃないですか?』


『アホ。こくどうはのう、根性がありゃ銃で打たれても痛うないんじゃ。根性よ根性』


『根性って……それでも後ろから撃たれたら意味ないですよ』


 ゆりは大きく長いため息をつくと、もったいぶって首を振った。


『バカタレ。ドタマぶち抜かれんかったら、まだ時間は残っとるわい。ええか安奈。どんな時でも諦めたら負けじゃ。なんでもええけえ掴んで殴れ。撃たれそうなら頭以外で受けろ。こくどうの根性があるんなら、道はまだあるわい』


 ゆりが妙に真剣な様子で言うので、安奈は少しおかしく感じて笑った。


『それでも撃たれるのはちょっと……』


『バカタレ! そがあなことでどうするんじゃ。笑われるで』


『だって、死んじゃったら……』


『死ぬ? そら死ぬかもしれんわのう。……ほいじゃが、安心せえや』


 ゆりはそう言って笑い、安奈の肩を叩いて言った。


『……そん時はわしが仇を取っちゃる』


『それ、私が死んじゃう前提なんじゃ……』


『まだまだ甘いのう。切った張ったで死ぬかもしれんのがこくどうじゃ。そらお前もワシも、御子の姉貴もオフクロも死ぬかもしれんじゃろうが』


『……でも……』


『でもじゃないわい。安奈、親姉妹が死んだらのう、生き残った奴が仇を取るんじゃ』


 ゆりはそう言って窓の外を見た。ヒロシマ城が見える。バスのアナウンスが、ターミナルが近いことを知らせている。


『……のう、安奈。万が一お前が生き残ったら、ちゃんと仇をとってくれえや。そうでも思わんと、やれんわい』


 仇をとる。仇を。ゆりの仇を。本当は死にたくなかった彼女の。

 うずくまって銃を押し付けられ、死を待つばかりだった安奈の全身に、力が漲った。誰に教えられたわけでもないが、彼女はそれがこくどうの『根性』なのだ、と直感した。

 手が伸びる。達川が握るリボルバーに。弾倉に安奈の指がかかり、回転しなくなった。これでは撃てない。


「うわああっ!」


 情けない、かっこ悪い叫びだった。しかしそれは、安奈が生きようとする力──すなわち彼女の根性がもたらしたものだった。安奈は立ち上がった勢いで、達川の顔に頭突きを繰り出していた!

 達川は鼻血が垂れるのも構わずに、再び銃を構えて安奈を狙った。


「糞が! 殺したる!」


 それより早く、安奈は地面に転がっていた棒──先程達川が放り出したものだ──を拾い上げていて、彼女の眉間目掛けて叩きつけた! 声にならぬ叫びをあげながら、覆った掌の間から、砕けたメガネの欠片と共にぼたぼたと血の雫を溢れさせた。


「返してください!」


 血染めの棒を放りだす。

安奈は達川の手を取り、リボルバーを奪おうとした。血染めの手には、まだ力が残っていた。


「コラ……わしゃあ死んどらんど……!」


 銃口が安奈に向く。一瞬だけ血が冷えるような感覚──直後、彼女が感じたのは怒りだった。

 まだ戦おうとする。まだ殺そうとする。そんなことは許せない。

 直後、足と腹に、焼けた棒がねじ込まれたように感じた。銃声。達川が離さなかったリボルバーから、白い硝煙が立ち上って消えた。発射したのだ。それも二発。

 唐突なこと過ぎて、痛くなかった。痛みを感じていないのかもしれない。


「返してください!」


 再び同じことを叫んで、安奈は今度こそ銃をもぎ取った。振りほどかれたのに面食らったのか、達川はふらふらとたたらを踏む。しかし、こくどうはただでは転ばない。転がっていたイスを掴み、殴りかかる!

 安奈はそれを腕をクロスさせて受け、蹴りを繰り出していた。必死故に鋭いその蹴りは、左足を直撃するが、達川はびくともしない。

 お互い、ステップで後ろへ下がって敵を見た。

 達川は、目の前の素人カタギ同然だったはずの安奈が一瞬でこくどうに変わったことを思い知らされていた。息が熱い。呼吸が苦しい。これが素人が発する侠気キョウキか。銃弾ギョクをめり込ませたこちらが不利になるだなんて、考えもしなかった。


「なんや、ワレ。どこの若いもんじゃい。大した根性じゃ、褒めちゃるで」


 安奈の向けた銃口が、達川に重くのしかかっていた。迂闊に動けば殺られる。少なくとも、この道龍会若頭・達川にそう思わせるだけの力がある──。


「私は祇園会のこくどう──上島安奈です!」


 彼女は堂々とそう名乗り、銃を向けた。その宣言はパーティーホール全体に響き渡った。自らの魂そのものが、自分をこくどうであると認識したとき、安奈は撃たれた事すら忘れて、今までの自分が血とともに流れ出して、新たな自分が生まれ出でたような気さえしていた。


「達川さん──私、あなたを殺ります。覚悟してください」


 安奈はトリガーに指をかけて、自らが別れを与える立場になる覚悟を決めた。

 彼女が銃を握る手は、指は──もう重くはない。


続く

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