第二十話 犠牲なくして終われないんですか?

 オウガグランドホテルヒロシマ。十六時。ロビーにずらりと並んだ紙屋みのり率いる紙屋会全戦力が、ほとんどその場を占拠してしまっていた。


「オフクロ、これで全員ですわ」


「不動院の姉妹が、後詰めでホテルの出入り口を張っとりますで」


「ふくろのねずみ……」


 福屋がそう呟いて笑った。


「よし。カタギの衆のご迷惑にならんように、ちゃっちゃと殺らんかい」


 静かに頷く幹部たちが散っていったのを見送ったあと、紙屋は宇品と共にロビーのカフェスペースに腰を下ろした。


「宇品。よお金本のガキを見つけてくれたのう。ワシャ、お前はやってくれると思うとったで」


 複雑な気分だった。初めて舎弟頭に任命されたときは嬉しかった。まるで自分が紙屋のように偉くなったような気がした。

 しかしそれは間違いだった。紙屋は会における絶対存在であり、超えることは許されなかった。

 別に超えたいとは思わない。ただ、舎弟ならば、大切にして欲しかった。紙屋のことは好きだったし、恩義に感じたことはいくらでもある。だがそれ以上に、自分をいつもなじったことは許せなかった。

 今日、彼女は死に、自分はそれを良しとする。


「……オフクロ。ワシは──」


「ええ、ええ! うっとおしいことは言わんでええ。この件が終わったら、盃直しちゃるけえの」


「盃を?」


「おう。高取の姉妹が死んでもうたけえのう。天神会はガタついとる。二年になったとき、ワレも直参になって執行部入りするんじゃ。若頭カシラがおらんようになったら、もうちいと具合がええんじゃがのう!」


 ご機嫌なあまり、とうとう紙屋は高笑いを始めた。それがまた宇品には辛い。

 こくどうは当然のように留年するし、当然のように親不孝者で家族と疎遠になる。だからこそ、こくどう部という組織において盃で繋がった縁を何よりも大切にする。

 それほど大事な縁、大事な絆の末にもたらされたのが、このように薄く聞こえるのはショックだった。

 宇品は姉貴分の言葉がもはや薄っぺらなものに聞こえて仕方なかった。


「……ほらあ、楽しみですわ」




 一方、オウガグランドホテル裏側、通用口付近。


「オウガグランドホテル……すごく大きいですね」


 安奈はかつて東京でみた摩天楼を思い起こすように、それを見上げていた。地上三十階、ヒロシマのランドマークのひとつとも言われる高級ホテル。


「野球選手やら政治家やら、ヒロシマに泊まる言うたらみんなここじゃ。中心街も近いしのう」


 御子は彼女の疑問に答えるように、さらりと説明した。なんでもない言葉だったが、安奈には彼女の緊張がわずかに伝わったように思えた。


「ここは本家とも繋がりがあるところじゃが、言うておしぼりやら観葉植物を入れるくらいの付き合いじゃ。大企業ほど関係は薄いけん。……あまり長居はできんのう」


 高子はいつもの調子でキャンディを咥えていたが、がりがりと噛み砕いているところだった。皆、気持ちは同じだ。目指すところも、やることも。


「大竹によりゃあ、一時間前に道龍会の連中、ホテルに入ったそうです。紙屋会も追うように詰めとるようです。……SNSにひととおり情報を撒いたんが効いたみたいですわ」


「ほうか。ほたら、やるか」


 高子は肩に載せていたジャケットを脱いだ。いつも身につけているもの──安奈は単なる制服だと思っていたが、その実異なる。

 祇園高校こくどう部には、伝統的に制服を模したリバーシブルジャケットを受け継ぐ慣習がある。

 それは彼女達の歴史であり、心意気であり──魂を受け継ぐことと等しい。

 高子はそれを裏返し、袖を通した。後ろに描かれているのは、憤怒の表情を浮かべて、亡者を裁く地獄の主──閻魔大王の刺繍。

 高子はこくどうだ。そして、かつての親を──そしてゆりの死をもたらしたものを自ら裁くと決めた。

 閻魔大王の前では、全てが平等に罪人として裁かれる。刺繍の絵柄は代とともに変わる。長楽寺の盃を受けたあと、祇園会のとりあえずの復活を成した高子は、この絵柄を選んでジャケットに施した。

 これに袖を通した今、天神会直系長楽寺組内祇園会会長・日輪高子の復讐がようやく動き出すのだ。


「──これはこれは。長楽寺の姉妹のとこの」


 通用口付近にずらりと並んでいたのは、天神会のこくどう達──そしてその中央に陣取るは──。


「あれ、どなたですか?」


「紙屋会から独立した不動院いうこくどうじゃ。今は直系の大幹部」


 御子が安奈に耳打ちしたのを見て、高子は一歩前に出て口を開いた。


「不動院の伯母貴、お疲れです」


「やあやあ、ご苦労さまです。会長から話はきとります。……お宅らをスッと通しちゃれ、言う話をね」


 不動院は後ろに撫でつけた長髪を改めてかきあげながら、物腰柔らかな態度とは真逆の鋭い目でこちらを睨めつけた。


「話が早うて助かりますわ」


「会長の指示に逆らうつもりは、私にはァです。どうぞお通りを」


「……それにしちゃあ、どうも歓迎されとらん気がしよりますがのう、伯母貴?」


「私はこれでも紙屋会出身でして。紙屋の姉妹にゃそれなりの恩義いうもんがあります。知恩と報恩──これでも寺の娘だもので、こだわりがあるんですわ」


 不動院の周りのこくどう達が音もなく高子達を取り囲む。


「不動院の親分、こらあ、どういう真似です」


 御子がドスを効かせた低い声で切り出した。


「会長から話が来よるんでしょうが」


「もちろん。ですから指示に従って通します。ただ、そのまま全員素通りでは、私が紙屋の姉妹に顔向けできません。……おわかりいただけますか?」


 不動院は吊りスカートのポケットから数珠を取り出し、両手に通しそのまま合わせた。


「ノウマク・サンマンダ──」


 じゃり、と数珠を右手に握り込み、右拳を顔の前、そして左拳を顎の横へ。

 両足はその場でリズムを刻み、体は小刻みに揺れる。ボクシングの構えだ。


「ウンタラタカンマン──」


「な──」


「お三方のうち、誰でも結構です。タイマン張ってもらいましょうか。少なくとも紙屋の姉妹に、何もしなかったと小言を言われることはないでしょう」


 トン、トン。

 場は不気味に静まり返っている。その場の誰もが、高子達に注目している。すかさず、御子がずいと前に出た。


「……安奈。オフクロを頼む」


 呼ばれた安奈は不安げにこちらを見つめた。彼女は振り向きもしない。やるべきことから目を背けるような真似を、太田川御子はしない。


「御子さん、でもこの人数じゃ……」


「安奈さんと言われましたね。その点は安心してください。この不動院杏子、タイマン張ると言ったからは落としたリップを塗りません。残念ながら、病院送りにはなって頂きますが──」


 不動院はなおもリズムを刻みながら、笑顔でそう言った。御子の何かがぶっつり切れる音が、高子には聞こえてしまった。

 御子は高子達の前で──祇園会の親兄弟の前でナメられることを、何よりも嫌うのだ。


「天神会の幹部じゃなんじゃ知らんがよ……おう、ようけ大層なモノ言うてくれたのう」


 携帯からぶら下がっていたクマのマスコットを引きちぎると、ブンとそれを一振りする。ギラギラと鈍く輝く棒──海外製のスチール製圧縮特殊警棒だ!


「瞼の裏から血ィ見てもらうけえ、泣き言言うなや、コラ!!」


「御子さん、そんな……」


「安奈、行くで」


「オフクロ、でも……」


 不動院の部下達が、通用口への道を導くように立っているのが見える。二人は通すと言ったのは嘘ではない。

 そして、御子を叩きのめすつもりなのも、真実だ。


「お前は知らんかもしれんけどのう。御子は祇園会の喧嘩番長じゃ。尼さん未満なんかにゃ負けんわい。……お言葉に甘えて行くで」


 二人の後ろ姿を見送って、御子は少しだけ平静を取り戻していた。

 天神会の大幹部、それも紙屋会の出身ともなれば、このボクシングスタイルは並ではないはずだ。あまり時間をかけるとこちらが不利になるはず。

 思考を裂くように、風が通り抜けて拳──右ジャブが頬の横を貫いた。


「考え事ですか? 随分と余裕だ……次は当てる」


「……そら気ィ使ってもろうて、えろうすいませんのう。ほしたら最初から当ててこいや!」


 御子は警棒を突く。払う。しかし当たらない。その場で屈むダッキングとスウェーの合せ技で、全て見切られてしまっている。

 ならばと御子は警棒を横から振り抜く。これもスウェーで避けられる。

 パンチは出てこない。彼女はそれを、ナメられていると再び判断し、体ごと回転し警棒ではなく蹴りを繰り出した。

 不動院は肘を立てて腕でそれを払い、左フックを放つ。御子の頬に拳がめり込み、警棒と一緒に地面を転がった。


「元町女子学院ボクシング部主将兼、直系明王不動会会長、不動院杏子──それが君が戦う女の名前です。よお覚えとくとええですよ」


 ガードを固めつつ、ステップは崩さない。そして、右手を出して誘うように手招きをした。

 御子は転がって行った警棒を揺れる視界の先に見たが、手は伸ばさなかった。

 ナメられている。

 そして、そんな態度の相手に武器を使って戦おうとしている。間違いだった。

 こくどうは負けない。戦い続ける限り諦めない。どんな手段を使ってでも勝つまでやる。太田川御子は今まさに、ふらふらと立ち上がって拳を握り込んだ。

 タイマンのケンカなら、素手でやるのが道理だ。


「私に素手で挑みますか。……大変結構。ギャアテイ、ギャアテイ──」


「……おう、やっちゃるで。寺の娘かなんか知らんけどのう、葬式で要らんように、先に念仏唱えたれや!」


 御子は右拳を振りかぶって、不動院に向かって繰り出した──!



 そして、オウガグランドホテルヒロシマの内部では、下層階から紙屋会による執拗な捜索が始まっていた。

 紙屋会若頭、十河は前に立ってその指揮を買って出ているが、芳しくはない。正直なところ焦っている。それに、先日見た大火力も不安だった。運良く死人こそ出なかったが、数人病院送りだ。


若頭カシラ。……ちいと思うんじゃが……こらワシら不利なんと違いますか」


 あらかた指示を出し終わった天満屋が、そっと耳打ちした。


「なんでじゃ。気弱じゃなあの」


「あん外道ら、こがあに隠れる所が多かったら、不意打ちされたらひとたまりもないですで」


 道龍会の戦力は少ない。故に、一撃離脱方式のゲリラ戦に長ける。つまりこのような屋内戦は危険ではないか──と彼女は言っているのだ。天満屋が得意とするのは格闘、不意を突かれることの恐ろしさは骨身に染みている。


「バカたれが。こがあな場面まで来て、金本が堂々出てくるかい。どっちにしろもうイモはひけんわい!」


 十河はじりじりとした焦りをどうにも振り払えない。それは火に近づいたことで炎の熱さを感じるようなものだ。そして近づいたからにはもうあとになど引けるはずもない。


若頭カシラ! 福屋の姉貴からメッセです。道龍会の連中が、エレベーターに乗るんを見たらしいですわ!」


 駆け寄ってきた部下の言葉に、十河は闘志を燃やす。オフクロは気まぐれだ。妹分に先を越されたりなどすれば、降格人事だってありうるかもしれない。とにかく、この戦争で主導権を握らねば。


「どこなら! おう、みんな! 行くで! 油断すなよ、あんなあらよおけ武装しよるけんの!」




「きひゃひゃ! あんたさあ、銃はなんかアレ……アレより強いって知らんのォ?」


 黒詰め襟にスカートを合わせた周道荒涼学園の制服の上に、ボディアーマー、袈裟懸けにスラグ弾を搭載したベルトをかけた女が八重歯を見せながら笑う。

 その前に這いつくばるは、たった今足を吹き飛ばされた福屋だ。

 エレベーターの行き先を見るや否や、功名心も相まって一人階段を駆け上がった福屋の先に待っていたのは、レミントンM870──米軍横流し品の黒い銃口であった。

 協会支給の強化カーボン制刀で人を斬り殺すことはできる。しかしショットガンにはかなわない。骨と肉、赤黒い血の中でもがくしかない。

 痛い。

 片脚を吹き飛ばされ、もはや立ち上がる以前の問題だ。福屋もまた誰かの死を与えてきた側だった。全ては紙屋オフクロと姉妹のため──与えてきたものが返ってきた。しかしそれを理不尽と感じる他ないほど、彼女はまだ少女でしかなかった。


「ほれ……姉妹がさァ、アレじゃん。くるじゃろ」


 女はニヤニヤしながら熱冷めやらぬバレルで福屋を小突く。


「ええよお、ウチな──あんたの前で皆殺しにしちゃるけん。悔しかろ〜? こういうとき、なんちゅうんじゃっけ? 四面楚歌? ウチ、国語の成績悪いけわからんわァ」


 ふざけた口調で言いながら、手元ではよどみなく弾頭を込めていく。


「みんな、くる……な! 死ぬ、ぞ!」


 力の限り叫ぶが、その瞬間──女がゴルフスイングのごとくショットガンを振り回し、再び福屋を苛んだ。


「ボケ! ペラペラ喋らんと死んだりんさいや。かわゆうないわァ」


「福屋の姉貴!」


 福屋の子分や妹分が数人ホールにつながる階段に現れ、叫んだ!

 女がじろりとこっちを向いた。目元にはラメ入りのアイシャドウ──そして今しがた飛んだ福屋の血糊が飛んでいて、ニヤリと笑ってこちらへ銃口を向けた。


「退け! こんなあショットガン持っとる!」


 咄嗟に屈んだ先頭のこくどうには、後ろに立ち尽くしていたこくどうまでカバーできなかった。

 パニックが起こった。突然穴だらけになって吹き飛ばされた姉妹分に、戦闘経験の低い準構成員達が恐慌状態になったのだ。


「騒ぐな、ボケ!」


 階段下から上がってきた十河が彼女専用にカスタムされた9mm拳銃を子分に向けながら、安全装置を外した。


「若頭! 死、死──」


「おう死ぬど。ワレらここで逃げてみい。ワシがきっちり追いかけて殺しちゃるけん。ワレらこくどうじゃろうが」


「ほ、ほいじゃけど若頭! うち、ウチただの陸上部員で、部活入るんなら紙屋会にも入れ言われて──」


「当たり前じゃろバカたれ。カマトトぶるんじゃなあで、コラ。ワレも運動部じゃ紙屋会じゃ言うてよ、学校でよおけ大きい顔しとろうが」


 全員、時でも止めたようにその場に釘付けになっていた。十河は後ろを振り返って、あとに続く姉妹たちにも叫んだ。


「おう、ワシら紙屋会じゃろうが。準構成員も関係あるかい。オフクロが死ね言うたら死なにゃいけんじゃろうが。ショットガンがなんじゃい。根性キメたらんかい!」


「オラ! ちいとどかんかい。ワシが前に出る」


 階段下から現れたのは、上着を脱ぎ捨て、戦闘着に身を包んだ天満屋であった。その腕には、どうやったのか、防火扉の一部を抱えていた。


「福屋の姉妹は」


「わからん。人質になっとるかもな」


 十河は素気なく言った。闘志を燃やすには十分だった。福屋は同い年の姉妹だ。争うこともあったが──それでもこくどうとしてある程度の情は持ち合わせているつもりだ。

 命運が尽きかけているから見捨ててしまえというものでもなかった。


「若頭、ワシが行ったら、脇から全員行かせてください。一瞬だけ隙ができるはずですけえ」


「骨は拾うちゃる」


 十河の言葉に意味はない。死にゆくものにかける言葉に中身などあろうはずがない。

 それでも、望んで天満屋は行く。自らが死んでも、姉妹達が後に続く。虚ろな言葉に意味がなくとも、それだけはこくどうにとっての真実だ。

 だから行く。

 天満屋はホールに飛び出した。その目の前には蝶番から引きちぎった防火扉。道龍会特攻隊長・江藤奈美は反射的にレミントンのトリガーを引いた。単なる鉄の扉が、恐るべき壁のように感じて──セミオートのショットガンを何発もブチ込む!


「行けェ!」


 鉄の扉を貫通したことで威力が減衰した散弾が、それでも天満屋を苛む。


「行け! 行かんかいーッ!」


 血が落ちる。流れる。その音が、その色がまるで呼び水になったかのように、紙屋会のこくどう達の恐怖心を溶かし、闘争心エンジンに火を点けた。


「おおおおおーッ!」


 叫ぶ。恐怖からでなく、なにかに突き動かされるように。正構成員も、準構成員もなく、人の波となって飛び出す!


「蟻どもがワラワラとキモいんじゃ、コラーッ! みんな来い!」


 上からM16を抱えた道龍会構成員数名が現れ、銃を構える。しかし通路は狭く、流れ弾が当たりかねない。江藤は徐々に下がる。そのうち、チャカ持ちの紙屋会組員がぞろぞろ揃い始める。豆鉄砲が飛ぶ。一発二発程度なら、米軍仕様のアーマーならばもろともしない。しかし、この紙屋会の連中はワラワラと出てきてその豆鉄砲をとにかく放ってくるのだ。それが増える。一人が二人、二人が四人──。


「クソが……全員蜂の巣にしたる!」


 相手のチャカから一斉に銃弾が発射される。素人の射撃など、米軍製ボディアーマーにとってみれば、豆鉄砲に等しかっただろう。それでも、決死の銃弾の嵐は、江藤達のフォーメーションを崩すのには十分だった。


「……ダメじゃわコレ。下がれ!」


 江藤が他の組員と共に背中を見せた瞬間、それは起こった。目の前にいた組員の腹に、刀が突き刺さっていた。目を丸くする彼女が見ていたのは、自分の腹ではなく──江藤の右腕だった。彼女の手首から先がずるりと折れてピンク色の断面が覗き、レミントンがその場に転がった。


「江藤の姉貴!」


「あ?」


 間抜けな声と一緒に、断面からどばどば血が流れた。ボディアーマーに阻まれた刃は、手で払い除けられその場に転がる。

 マズルフラッシュが向こう側から江藤らを襲った。他の組員達は威嚇射撃をしながら、離脱を試みた。彼女は呆然としながら引きずられ、廊下の向こう側にあったエレベーターに押し込められた。扉は閉まり、江藤の絶叫が遠ざかった。


「姉妹ェ! 福屋の姉妹ェ!」


 天満屋は全身に散弾がめり込み、動けるのが不思議なくらいの怪我であったが、姉妹の無事を確認するのを優先していた。

 紙屋会の被害は甚大だ。三人が死亡、十五人は重症──下手すればまだ増えるかもしれない。


「姉妹──」


 福屋は息絶えていた。足を吹き飛ばされた中でも、なんとしても一矢報いようと、渾身の力で乾坤一擲、持っていた刀を投げたのだ。江藤を仕留めることは叶わなかったが──その意思はたしかに伝わった。


「姉妹ェ……逝くんは早すぎるで」


 天満屋は物言わぬ彼女の冷たい体を抱き、彼女の遺志に思いを馳せた。


「天満屋、ワレ動けるんか」


 後ろから十河が声をかける。彼女はこちらを振り向こうともしなかった。


「……若頭、すんません。ワシ、動けませんわ。なさけない話で──体中痛うて痛うて、なんにもならんのです」


 そう言う彼女の背中が震えていたのを見て、十河は残った組員達に向き直った。


「おう。……あんなあら、何階に行きよった」


「最上階のパーティーホールみたいです」


 エレベーターが止まったランプを指さして、組員の一人が言った。


「天満屋。怪我人は任すで。無事なもんは、ワシについてこいや」


 姉妹を失った──裂かれるような痛みをそっとしてやることも、若頭の務めだ。天満屋は福屋を抱いたまま、彼女が投げつけ、今は床に転がっている刀を見た。エレベーターが到着した音と共に、足音が二つ響いてくる。


「……こらあ、酷いのう」


 日輪高子。そしてその後ろに隠れるようにして、名前も知らぬ舎弟が一人。


「人が……」


「死んどるのが多いが──生きとるのもおる」


 高子は天満屋の前にしゃがみこみ、顔を覗き込んだ。


「バカたれ……ワシャまだ生きとる」


「天満屋言うたかの。……姉妹は駄目じゃったか。ええよ、もう休んどれ。金本は──ワシが殺っちゃるけん」


 高子の目がギラッと鈍く光ったのを、彼女は見た。次の瞬間、そばに落ちていた鞘を拾い上げる。


「……日輪、金本を──福屋の姉妹ェの仇をとってくれるか」


「とらいでか、じゃ。ワシがええがにしちゃる。ええか、お前も死ぬな」


 高子はぶっきらぼうにそう言うと、今度は刀を拾い上げて、鞘に納めた。不思議なくらいしっくりする、と安奈は思った。まるであるべきところに収まったような。


「安奈。拳銃チャカを出せ」


 リボルバーは重かったが、不思議と持つのに苦労はしなかった。死んだゆりの仇を討つ、そのための力を与えてくれる道具だ。それを握るのは自分だ。

 それを理解しなければ、自分が死ぬ。ゆりのように。


「ワシがダンビラ、お前がチャカ。やることは分かっとるの」


 安奈は頷いた。

 ゆりの仇は自分で取る。御子はそういう意味も込めて、高子と共に自分を送り込んでくれたはずだ。


「……行きましょう。上に。ゆりさんの仇を討ちに」


 高子はふっと笑みを溢して、頷き──階段へと向かった。その背中には閻魔大王の恐ろしげな顔。ともすれば畏怖を与えるだけのその顔が、その背中が──安奈にはとても頼もしく思えたのだった。


続く

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