第十九話 生き死に賭けるしかないんですか?

「……ワシが? 紙屋の姉貴の跡目に? わしゃあ、舎弟頭で? 子分でもないのに跡目じゃなんじゃ言うて……そがあな不細工な真似できんわい。大体、姉貴はまだ生きとろうが」


 流川通りの外れ、シャイニーハンズのある店舗ビルの三階、長楽寺組の事務所。宇品はソファに腰掛けて、困惑していた。


「宇品さん。へまを……ヘタを打ちましたよね?」


 安奈はまっすぐに宇品を見据えて言った。その目にはかつて彼女が見た怯えは消えていた。


「ワレ……駆け出しの素人がペラペラ口を挟むなや」


「宇品の伯母貴──安奈はもううちとこのこくどうもんですけえ。……口には気をつけてつかあさいや」


 御子は静かにそう言って、事務所の扉を閉めた。もはやここには祇園会のメンバーと宇品しかいない。


「宇品の姉貴。はっきり言うてのう、アンタ詰んどるんで。ヘマをしよった、それをワシらが見とる。残念じゃがそれを庇うほどワシら仲良うないわの?」


 高子は冷静に、そして的確に弱点をついた。


「……ほたら何をせえ言うんなら。爪でも落とすか? そがあなことしてもよう、なんもならんでよ」


 宇品はソファに体を沈めて、どこか投げやりな調子で言った。もちろんそんなことをしろと言うつもりはなかった。高子はにや、と笑うと、話を切り出した。


「のう、姉さん。ここはひとつ、ワシらと合力しようや」


「お前と?」


「ほうですよ。会長は、紙屋の親分を見限って、あんたを二代目に推そうっちゅんじゃけえ。このままじゃと、十河やらも言うこと聞かんでしょう。ほいじゃけワシらと組もうや。……紙屋会を、あんたが仕切りゃ会長も安心する、天神会も大安心じゃ。組まん理由がないじゃろう?」


 宇品は腕を組んだまま、唸っていた。普段ならば、高子のこのような怪しい話に乗るわけがない。しかし白島のお墨付きがあるというのならば別だ。なぜ白島と繋がりがあるのかはわからないが──ともかく、宇品は生きた心地がしなかったあの襲撃時からなんとか生きる気力を取り戻していた。


「日輪……しかしのう、そがあな事いわれてものう。白島会長が言いよるいうても、ワシが直接聞いたわけじゃなあが。それでうちのオフクロを裏切れ、跡目を奪れ言うんは無理があるじゃろう。会長からお墨付きでも貰わんと、動けんわい」


 宇品は冷静にそう言った。保身。宇品にとっての最優先事項だ。高子はそれを見透かしたように、小馬鹿にして小さく笑った。


「交渉のつもりかいや、宇品の姉貴。……ちいとおつむが足りんのと違うか」


「おい日輪よお、ワレ言葉の具が大きいんと違うか」


「具が大きい? この姉さんはぶちおもろいことを言われるのう。……おう、姉貴言われて勘違いかや」


 何か反撃の言葉を浴びせる前に、宇品の口は高子の掌で捕まれ、覆われていた。もぐもぐと何か言おうとしても、彼女の握力がそれを許さぬ。


「ワシらはのう、あんたっちゅう神輿を担ごうっちゅんじゃ。神輿に足が生えるか? 歩くか? 黙って担がれとるんがマナーと違うんか。おう?」


「白島会長は、い、い、言われましたから……間違いのうおっしゃいましたで」


 大竹はどもりながらも、力強く肯定した。宇品は彼女が紙屋会に所属した切欠を知っている。故に、この女が白島のことについては嘘をつかないことは理解していた。それでも、こうも日輪に肩入れするのは予想外だ。

 とはいえ、だ。

 これまで三次団体の幹部と直系の幹部、力関係は逆だったはずなのに、こうまで強く出られては宇品としても立つ瀬がない。いくら合力と言えど、その場限りで終わる関係でもない。宇品はそれを見据えて、なんとかその立場を維持しようとして、高子の手を苦労して振り解いた。


「……ほたらよう、わしもこくどうじゃ。担がれるのは悪う思わんが、ナメられるのはかなわんわい。外でそがあな真似すんなや。……ほいで、ワシをまた舐めた真似してみい。紙屋の姉貴に密告チンコロしてよ、お前ら全員奥出雲の肥やしにしたるど」


「……オフクロ。宇品の伯母貴も納得してもろうたわけですが、これからワシらどがあにしましょう」


 御子が落ち着いた様子でそう切り出した。こちらの人数が少ないのは変わりない。なにより道龍会をなんとかしなければ、そもそも天神会が潰されかねない。


「会長さんが手打ちはやらん言うなら、潰すしかなかろうが」


「おいおい……日輪よお。わりゃあ道龍会の装備を見んかったんか? あんなあら、マシンガン持っとるんで。十河らの競技射撃部が束になってもびくともせんなんか知らんが鎧まで付けとる。前からいきゃあお前、死ぬど」


 宇品は俯きがちにそう言った。他ならぬ自分の油断が、舎弟達を殺したのだ。


「宇品の姉貴。こくどうのケンカはのう、相手の土俵に立ったら負けじゃ。……わしゃそれをよおけ勉強させてもろうたよ」


 高子は低い声で言った。彼女が消費した一年は、確かに血となり肉となっていた。


「オフクロ。つまりはどがあにするんです?」


 御子が痺れを切らしたように言った。


「道龍会を追おうとするけえややこしくなるんじゃ。よお訓練されとる少数精鋭──紙屋会の戦闘部隊ですら被害が出よるちゅうことはのう、そもそも正面からケンカしてもせんないしょうがない話よ。頭を使わんとのう」


「頭を……」


 安奈の脳内には、頭突きやリフティングしか浮かばなかった。一方で御子や大竹は、何を言わんとするか、分かったようだった。


「突っ込むんじゃのうて、おびき出す──いうことですか?」


 高子はジャケットのポケットからポッピンキャンディを取り出して、封を取って咥え笑った。


「そういうことじゃ。来てもろうたところをズドンよ。効率が良かろうが」


 効率。安奈は口の中で反芻する。手段は何でも良いからゆりの仇をとる。それはそうだろう。ゆりはもう生き返らない。

 だが、本当にそれでいいのだろうか。追い詰めて狭いところに押し込んで撃ち殺す。それでは、ゆりを殺した連中と同じなのではないか。

 安奈は思う。しかし口には出さなかった。


「オフクロ、誘い出すんは分かりましたが、餌がいりますで」


「……ど、道龍会の、金本は、う、運がええから……よほどのことでもないと勘づかれます」


 道龍会会長、金本ニキはその運の良さでミヤジマ市の統一を果たした。そもそもがこうした企みすらも見抜かれる可能性だってあるだろう。


「餌はええのがおるじゃろ。のう、宇品さんよ」


 びく、と宇品が身を震わせた。まさか自分を撒き餌にする気かと思ったに違いない。


「あー、違ゃうで。あんたはおってもらわんと困る。……餌は紙屋じゃ」


「紙屋の姉貴を!?」


「天神会最高幹部の一人を餌にすりゃあ、食いつきも良かろうで」


「姉貴を金本にみすみす殺らせるようなもんじゃろうが、そら!」


 思わず立ち上がろうとした宇品の肩を前から掴んで、高子は強引に椅子に戻した。スカートのポケットから、彼女愛用のタブレットケースが転がりだす。

 それを拾って、高子は一粒白い錠剤──清涼剤だが──宇品の口に放り込んだ。


「のう宇品さんよ。あんたも腹ァ括らないかんじゃろうが」


 高子が彼女の顎を持ち、強引に咀嚼させるたびに、タブレットがぞっとするような冷たさを喉に運んできた。


「上が詰まっとるならよ、取り除いてやりゃあ席が空くじゃろうが。お? それともあんたを退かしてよ、ワシが座っちゃろうか?」


 宇品の目に憎悪と恐れがぐるぐると回った。これでいい。高子は自らの脅しが効いたことを悟った。こくどうは迷ったら墜ちる。装填された弾丸のように、まっすぐ飛ぶしか道は残されていないのだ。

 宇品は二つの選択肢を迷った。後は永遠に機を逃し続け、先回りされ堕ち続けるしかない。


「わ、わかった……とにかく、紙屋の姉貴が金本を殺りゃあええんじゃ。どっちが後か先かだけの話じゃけえ……たちまちそんな変わらんわな……」


 宇品は伏し目がちにそう言うと、うなだれてしまった。


「ひ、日輪の親分……申し訳ないんですが、ちいと宇品さんとは、話をしてもええですか」


 大竹の言葉に、高子は頷いた。


「……ほたら、同じ組のモン同士、話したらええじゃない」


 高子達が出ていってすぐに、宇品は大きくため息をついた。間違っていることはわかっている。ただもう後戻りはできない。


「ばかたれが……なんでこがあなことになるんじゃ。なんでこがあなことに……」


 何度も壊れたようにそう繰り返す。大竹は彼女のそばに近づくと、耳元で囁いた。


「宇品の姉貴。……う、うちは白島会長からよお言われとりますから。悪いようにはせんですけえ」


 大竹はなだめるようにそう言った。一体いつ会長と直接話ができるようになったと言うのだ。とはいえ宇品はこの妹分の言葉にぐらつくような気分だった。


「ほんまか? ほんまに会長は分かっとるんか?」


「ええ。ほ、ホンマですよ。宇品の姉貴……う、うちはね……必要なら会長のために、あんなあらを皆殺しにでもするつもりなんですよ。じゃけえ、安心してつかあさい」


 当然のことのように──いや事実当然なのだろう態度で、大竹は言った。祇園会の連中を殺す? 一人で? いや疑問にもならぬ愚問だ。大竹にはそれができる。

 大竹は白島会長のためになら人を殺せる。天神会に入って三週間で、当時若頭だった白島と敵対していた幹部を刺殺したのだ。

 それも、完全に自分の判断で。協会への申請もなく、身内同士の殺人となれば、年少の期間は軽くなかった。だから、彼女がやると言ったらやる。何人いようと同じことだ。

 そしておそらく、大竹の判断を白島は容認しているという意味なのだろう。祇園会の連中にも文句は言わせない──そう思うと宇品はなんだかやる気がムンムンと湧いてきて、床に投げ捨てられていたタブレットケースを掴んで、白い錠剤を口へ放り込んだ。


「……ほたら、しゃあないのう。やっちゃるか」



 二日が経った。

 金本率いる道龍会の姿は消えたままだ。ゲリラ戦を挑んでくる彼女らならば、地下に潜ったと見るのが正しいだろう。未だ戦いを続けているのだ。

 直参組織が一つ完全に壊滅、最大組織である紙屋会までもがしくじった事実は、紙屋みのりの焦燥感を煽るのに十分だった。


「オフクロ。宇品の伯母貴、おかしいですで。なんで顔もみせんのです」


 十河の疑念は頂点に達していた。天満屋や福屋もそれに同意するように頷く。校内クラブハウス一室、紙屋会事務所。主である紙屋は、ツインテールに指を乱暴に絡ませながら、子分たちの言葉を聞き流していた。

 白島からは何も叱責らしきものは無かった。それがまた不気味だ。彼女の怒りを買えば、天神会幹部としての座も怪しくなってくる。なんとかせねばならない。


「知らん。宇品一人胸を割っても割らんでも大概変わらんじゃろうが。それより、金本の外道はまだ見つからんのんか、お?」


「押忍……組長オフクロ、現在運動部のネットワークに加えて、小網会・不動明王会からの支援も受けとります。……ほいじゃけど、なんも出てこん状態です」


 十河がおずおずとそう述べたのに、紙屋は鋭い視線を送った。天満屋も福屋も気まずそうにしている。親が苛立っていれば子は萎縮する。


「どがあになっとんじゃ、ワレ!」


 紙屋は立ち上がると、抑えきれなくなったのか続けて怒鳴った。


「幽霊じゃないんど! 相手は人間じゃろうが! 草の根分けてもどがあにしても見つけ出さんかい! 根性が足らんのんじゃボケ!」


 机を、椅子を蹴る! 子分に手が出ないだけマシなレベルだった。


「ほいじゃが、オフクロ! ワシラも遊んどるわけじゃないんですで!?」


 天満屋がつられて大きな声を出してしまい、紙屋はギロリと視線を向ける。何か言おうとした彼女を抑えるように、福屋が口を開いた。


「……もしかしたら、ミヤジマに、もうかえってるのかも……」


「ほしたらミヤジマでもハツカイチでも殴り込みにいかんかい! わりゃあ、今やらんでいつやるんじゃ!」


「お、オフクロ。落ち着いてつかあさいや。金本をミヤジマまで殴り込んでいって殺る言うんは、銭もかかりますし若いのも犠牲になります。死ににいくようなもんですで!」


「じゃかあしい!」


 こうなるともう紙屋は止まらない。金と数に物を言わせて、本気でミヤジマ市への侵攻作戦を始めるだろう。成功するのならいいが、相手のホームではこちらは不利だ。犠牲も大きいだろう。

 しかし子分たる十河達には、紙屋を止めるすべがない。親が白いものを黒だと言えば従わねばならないからだ。


「いや、すいません。会議に遅れてしもうて……」


 その時だった。部室の扉が開いて、姿を見せたのは宇品だった。その場の全員が動きを止めて彼女を見ていた。


「ワレ……今までどこを逃げ回っとったんじゃ、おう!? 金本も殺れんで下手ァ打ちおってよ! お前の舎弟も何人か死んどるじゃろうが!」


 鶴見も死んだ。その取り巻きも死んだ。この場にいる十河達も何人か舎弟を殺された。金本ニキを殺すことは、もはや天神会だけでなく──紙屋みのり個人のメンツもかかっている。もう一歩もあとには引けない。


「姉貴。ほいじゃけえ、ワシも別口で動いとったんですよ。ニキの居場所を割ろうっちゅうてよ」


「……まさか、割ったんか、居場所。どこなら。今すぐカチこんじゃるで」


 紙屋だけでなく、十河達も立ち上がった。憎悪はもはや爆発寸前だった。

 だから、疑いもしない。姉貴はいつも自分をなじる。十河達も自分をナメる。思えば、舎弟頭としてまともな評価を受けたことはなかったのではないか。

 だがここ今に至っては、こんな自分の言葉を信じるしかない。宇品は笑ってしまいそうになるのを堪えて、その後の言葉を紡いだ。死の言葉を一本、精巧に編み上げるように。


「あんなあ、まだヒロシマ市内におるんですよ。……オウガグランドホテルヒロシマに、部屋ァ取っとるんです」


「な──」


 その場の全員が絶句するのも無理はなかった。人海戦術でもSNS情報でも、道龍会組員達の影も形も掴めなかったのに──実際にはヒロシマ市内のど真ん中に潜んでいたなんて。


「……ほたら何かい。金本のガキャア、今この瞬間もあん中でのうのうええメシでも食うとるんか、エエ?」


「ほうですよ。……ワシら、ナメられとんのですわ」


「……ええ度胸じゃ、あんど外道が。おう、若頭カシラよ! 紙屋会全員集合じゃ。あんなあら、全員ぶち回しちゃるで。皆殺しじゃ!」


 呼応するように幹部全員が立ち上がり、素早くスマホで連絡を始めた。

 十河が、天満屋が、福屋が──!


「おう、ワシじゃ。若頭ソゴウじゃ」


若頭カシラ、わざわざ電話もろうて……』


「オフクロの命令でのう。紙屋会全員集合じゃ。金本に『返し』にいくで。ええか、二度は言わんど」


 幹部からの電話による招集は、紙屋会正構成員から準構成員まで、総勢五十名余りに稲妻のように駆け巡った!


「オフクロが!?」


真実マジか!? とうとう金本を殺るんか!?」


「オフクロが……!」


「試験勉強なんかしとる場合じゃなあで!」


「全員──すぐ支度するわ!」


 紙屋会会員にとって、親たる紙屋の命令は神の一声に等しい。その一声が、ヒロシマ最大の暴力機構を完全に目覚めさせた!



 一方その頃。

 ヒロシマ市内をベンツで移動中の金本ニキは、ある筋から電話を受けていた。


「……ほんまかい。やばいのう、その話──」


『紙屋会五十人、全員動いとる。こがあなこと初めてじゃ。あんなあ、猪武者じゃけん、なにやるか分からんで』


 ニキは考える。この戦いはおそらく自分が勝つ。

 しかし既に天神会との戦いで数名の組員が犠牲になった。はっきり言ってこれ以上は許容できぬ。

 ならば、改めて勝利条件を設定し直さねばならない。元々巨大組織である天神会を根絶やしにできるとは思っていない。


「……ほたら、まあ予定通りかのう。紙屋はどこに向かう言うとるんじゃ?」


『オウガグランドホテルじゃ言うとったが……金本の、あんたそがあなええホテルにおったんか?』


「あ? ホテル? 敵のど真ん中に定宿なんか取るかいや。やばすぎるじゃろそんなん。……それより、頼むで。紙屋だけは殺っちゃるけん、自分もやることやってくれや」


『……あんたが死なんかったらの』


 ブツ、と通話は切れた。金本ニキは運が良い。運が良いとは何か? 彼女は答えを既に見つけている。それは、必要な時に必要な選択肢が出てくることだ。ニキはそれを正しく選べる。運が悪いやつは、選ぶどころか迷う。そして死んでいく。


「オフクロ、向かいますか」


 達川がすかさず言葉を挟んだ。


「向かわんと、可哀想じゃろうが。のう? やばいことはなあで。なんせ、勝ち筋は見えとるんじゃけえ」


 かくして、二大巨頭による決戦の火蓋が切って落とされようとしていた。戦場の舞台はオウガグランドホテルヒロシマ。

 果たして、どちらが生存いきて、死滅くたばるのか──その答えはまだ誰も知らない。


続く

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