第十八話 組織のバランスってなんですか?

「天神会はやばいのお〜。アホとカスしかおらん」


 金本ニキはベンツの後部座席に寝転がりながら、サンメンのトピックを次々と確認していた。

 高取毘沙門会は壊滅。不動明王会は若頭を殺った。これ以上ない大金星だろう。ご満悦といった様子で、拳をぎゅっと握りしめて突き上げた。


「……良かったんですか? 長楽寺組の出方でウチの出方を決めてしまって」


 若頭の達川は一応の疑問を呈した。あくまで疑問だ。ニキに否定を行えば、それは『出来の悪い子分を持った不幸』として切り捨てられる。口は災いの元だ。それがわからぬ達川の同期たちは、今頃牡蠣イカダの下で海藻と一緒に揺れている。


「そら良かったに決まっとるじゃろ〜がよ。長楽寺ンとこの日輪は、ワシにケンカを売ったんじゃ。高う買っちゃらんと、可哀想じゃろうが」


 ニキはもし相手が香典を受け取ったら、そのまま戦争には移行せず、手打ちの道を探すつもりだった。この世は所詮運次第だ。道を選んだのは相手だ。ならば仕方ないことだ。

 結果、道龍会は先制攻撃に成功した。運はこちらにあった。そして、世の中は運が味方する方が正しいと相場が決まっている。


「おう、達川よ。次はのう……紙屋ンとこじゃ。あんなあのとこはのう、喧嘩屋じゃ言うて有名らしいで。楽しみよのお!」


 ニキは体を起こしてへらへらと笑った。道龍会のベンツと、その戦闘員を詰め込んだ黒いバンは、デパートを通り過ぎ、本通りの街頭ビジョン前に堂々と停車した。

 彼女らを塞いでいるのは、紙屋会若頭にして戦闘隊長、十河だ。彼女の揃えた精鋭十名が、ヒロシマ・リボルバーを手に3車線はある道路を完全に封鎖している。


「お〜。根性キマっとるのう」


 さすがに達川は身構えたが、ニキはそんな素振りさえも見せなかった。サイドウインドウにかぶりついて、天神会を挑発するように笑っていた。

 十河はそれにカチンと来たのか、左手をあげ、前を指した。


「あんなあ、ササラモサラにしちゃれや」


 銃口が一斉に向いた。

ベンツに向かって、リボルバーの銃弾が叩き込まれた。硝煙と悲鳴があたりに充満した。

 十河は競技射撃部の部長も兼任しており、編成した部員も皆インターハイレベルの構成員だ。ニキ達をミンチ肉にしてやった──と喜んだのは束の間だった。

 ベンツには傷一つついていなかった。完全防弾車だ。

 ヤバい。

 扉が開いて、ボディアーマーとM16──ほとんど映画でしか見たことがないようなアサルトライフルを装備した道龍会構成員が数人、ゆっくりと姿を現した。

 このまま銃撃戦になれば、不利なのはこちらだ。そう判断した十河は、手を上げて部隊を後退させた。

 しかしこれは逃げではない。見え透いた撒き餌──ニキは遠ざかっていく女子高生達の背中を見ながら残念そうに窓から顔を離した。


「どうします、会長。紙屋んトコのチャカ持ちが下がりよりましたで」


 達川はバックミラー越しに見たままを告げた。十河達は本通りのアーケード内へと入っていく。通行人に紛れるつもりだろう。分かりやすい罠だ。普通の人間ならば追わないだろう。

 しかし、ニキは違う。確信があった。自分の運ならば、追ってしまっても問題ないという傲慢な考えがあった。


「追撃せえ。面白うなってきたのう」


 一般人が異変を察し、本通りアーケードから逃げていく。アーケードの店舗は緊急用のシャッターを下ろし、抗争に備え、逃げ遅れた人々を押し込んで沈黙した。万万が一抗争に巻き込まれても協会から手厚い保証が受けられるが、いくらなんでも死んだらそれまでだ。


「天神会の三下、出てこいや! ぶち殺しごうしたるど!」


 M16を抱え、軽装ボディーアーマーをがちゃがちゃ鳴らしながら、道龍会の構成員たち五名が吠える。


「今じゃあ、殺っちゃれや!!」


 十河の号令と共に、脇道に潜んでいた天満屋率いる格闘系運動部精鋭五名と、福屋率いる武道系運動部がそれぞれ挟むように飛びかかった!


「おう、かかってこいやザコ虫共!」


 フル装備状態の道龍会が、一斉に引き金を引く。しかしその銃口はバラけている。天神会側の数は二倍、加えて様々に飛び出してきたことで対応できなくなったのだ。それを機と見たか、天満屋達を前衛として怯むことなく突撃させた。三人ほど撃たれその場に転がって動かなくなったが──なんと七名は銃弾に当たることなく道龍会の組員にたどり着いた。


「死ね!!」


 福屋が持っていた長ドスを、組み敷いた道龍会組員の首筋に突き入れたのを契機に、有利とみた天神会はそれぞれの刃物で突き刺した!

 鮮血が吹き上がる。苦し紛れに、道龍会の組員たちがごぼごぼと血を吐きながらトリガーを絞ろうとする。すでに銃を抱える力もなく、踏んづけられて無駄に終わった。


「よっしゃ。福屋、天満屋、こいや!ニキは裸じゃ。あん外道、宮島までふん縛って流しちゃるで」


 十河が手をぶん回し、動ける組員たちを煽る。アーケードの先、ベンツの中のニキの顔を拝んでやる。苦痛に歪ませてやる。組員達は残忍な妄想と怒りを燃やして、本通りを駆ける。




 一方その頃、本通りアーケード逆側の陰。

 宇品は舎弟である鶴見とその取り巻き二名で、ヒロシマリボルバーを握ったまま、座り込んでいた。正確には震えていた。


「姉貴。チャンスじゃ。そろそろいかんと」


「チャンスじゃ思うか?」


 鶴見の言葉にも、宇品はガタガタ震えていた。恐ろしい。ただその言葉だけが心の中に満ち満ちていた。


「そがあなわけあるかい! なんでワシが直接カチこまにゃいけんのじゃ。大竹! 大竹はまだこんのか!」


 紙屋からニキ殺害の命令が下って三十分も経っていない。頼みの綱の大竹も、今こちらに向かっているようだが、長楽寺組──つまるところ祇園会の連中も一緒だ。

 万が一出し抜かれたら、今度こそ後はない。紙屋だけではなく、会長の怒りをも買うだろう。そうなれば命はない。


「金本の外道を殺っちゃりましょうで!」


 鶴見はなおもまだそう吠えていたが、取り巻きの二人組──宇品の子分でもある──は、親の不安を感じ取ったのか、ドスを握りしめたまま口を開こうともしない。

 怖い。

 遠目で、幹部やそれに準ずる構成員たちがあっけなく死体に変わるのを見た。当たり前のことだったが、ようやく理解できた。本当に殺し合いになっているのだ。

 思えば、宇品は姉貴分である紙屋の太鼓持ちから始めたこくどうだった。若頭の十河をはじめとする実働部隊とは距離を置いて、金勘定の補佐や恐喝など、危険の少ない仕事をメインにしてきた。

 切った張ったをやりたくてこくどうになったわけではないのだ。それがなぜこんなところでこのようになっているのか、全くわからなかった。


「ほいじゃけど姉貴。このまま指くわえとるわけにもいかんけえ、わし行ってきますわ!」


 鶴見はなんなら少し呆れたような──失望の色を含んだ目で見下ろして、アーケードの先のベンツを見据えた。

 彼女はまっすぐで──悪く言えばバカだった。そんなドスやらチャカでなんとかなるわけがないのに。

 鶴見の取り巻きも、姉貴分に引っ張られるように、死地へと飛び込んでいった。

 無駄だ。そんなのは無駄なのに。死ににいくだけなのに。宇品はいつも他人を死に追いやってきた。本当の当事者になったことなどなかった。それが本当に恐ろしいことだなんて、しらなかったのだ。

 辛くて、情けなくて、宇品はその場にしゃがみこんで、目も瞑って耳も塞いでしまった。

 姉貴、わしはダメなこくどうじゃ。何の役にも立てん。

 それでも銃声は耳に飛び込んできた。ニキを仕留めた? ありえない。返り討ちにあったに決まっている。


「……う、宇品の姉貴」


 頭の上から声がした。


「大竹……!」


「ニキには、達川がついとります」


 大竹は右手にドスを、左手にチャカ──ヒロシマリボルバーではない、ベレッタを握りながら、敵を見据えた。


「こ、これ以上は攻めんでしょう。逃げていきますで」


 十河たちが戻って来るのを待たずに、ベンツは発進した。

 情けなかったが、助かった、と思った。心底その状況に感謝した。生き残ったのだ。


「宇品の姉さん。妙なところでお会いしますのう」


 しかし、それは間違いだった。大竹の後ろからやってきた祇園会の面々──その先頭に立つ日輪高子の姿を見て、宇品は歯を軋ませた。


「わ、わりゃあ遅いじゃろうが! 道龍会のアホども、取り逃してしもうたわ! ばかたれが!」


 怒声にもキレがなかった。

 取り逃がしてしまったのは他ならぬ自分だ。子分たちもたった今アスファルトの染みになってしまった。大通りの先を一瞥し、鶴見たちの死体が転がっているのを見てすぐに目線を切った。

 妄想でも夢でもなかった。宇品たちは死んだのだ。さっきまで生きていたのに。


「ニキが逃げた? アホ言うたらいけんですよ、姉さん。あらのう、勝ち逃げ言うんよ。紙屋会の連中、何人死んだんなら?」


 高子は心底軽蔑するような調子で、宇品を見下ろしていた。

 下手を打った。

 ニキを逃すのはいい。チャンスはまだあるかもしれない。しかし、臆病風に吹かれて舎弟を殺されたというオマケはいただけない。

 紙屋の姉貴はこんな下手うちは許さぬだろう。もちろん、白島会長も──。


「……安心してくださいや、宇品の姉貴。心配せんでも──ワシがええがにしちゃりますけえ」


 高子が、妙にゆっくりと──それでいて落ち着いた口調で言った。宇品はもう目と耳を塞いで、ドスを抱えながら蹲っていた。


「やめえや! わしゃあもうあとが無うなったんじゃ!」


「あ、あとはある……ありますで」


 意外にもそう言ったのは大竹だった。ことこの状況において、彼女が祇園会に利するようなことを言い出すとは。宇品は思わず顔を上げた。


「どがあになっとんじゃ……」


「白島会長の、お、お、お考えがあるんです……」


 意外なことの上に、意外な名前が続いた。会長の考え? この局面で?


「ま、話は場所を変えてさしてもらうで。道龍会の連中がウロウロしとるけえ、うちの手洗いの店まで足を運んでもらうがのう」


 何が起こっているのか、宇品には全く理解できていなかった。わかっているのは一つ──自分には拒否することなどできないという事実のみだ。



 時間は三十分ほど戻って、天神会生徒会室隣──会長執務室にて。

 世羅以下配下の人間は全て出払った中、長楽寺は一人だけ白島に呼びつけられていた。高子達祇園会の連中も連れては来ているが、帯同は許されなかった。

 よほどの話か──もしくは、高子が道龍会に喧嘩を売ったことを咎められるか。


「……葬式に顔を出せなくて、ごめんなさいね」


 白島は開口一番に、静かにそう言った。天神会に反目していた組である祇園会の組員の葬式だ。直接白島が行くのは角が立つ。いわば、特段謝る必要もない場面だった。しかし組織の長たる白島がそのような謝意を表す事を否定的に貶めることはゆみはしなかった。


「会長にたいぎい思いをさせるんはいけませんけえ」


「……少し気が楽になったわ。話は他でもないの。道龍会のことよ」


「紙屋の姉妹が部隊を展開させたと聞いとります」


「ええ。みのりちゃんはやり遂げるでしょうね。あの子はそういう子だから。……長楽寺さん。ここからの話はあなたの胸に仕舞って頂戴」


 白島はふう、と一息ついてから、改めて口を開いた。


「天神会のパワーバランスは今日一日で崩壊したわ」


 長楽寺は眼鏡を神妙な顔で押し上げて、頷いた。


「確かに──高取の姉妹は穏健派でしたけん」


「そのとおり──高取毘沙門会のうららさんが死んだのはまずかったわ。彼女は小網派──さんごちゃんの派閥だったもの。みのりちゃんが道龍会を倒せば、彼女の力は間違いなく増す。そうなれば、伊織ちゃんと衝突を始めるかもしれない」


 考えすぎではないか、とは言えなかった。世羅と紙屋の折り合いが悪いのは今に始まったことではない。それに、ゆみ達にとっても紙屋の台頭は喜ばしいことではない。


「ほいじゃが会長──紙屋の姉妹は身内ですで。組織にとってもプラスの働きをしよるなら、ケチつけるのはお門違いじゃ思いますが」


 ゆみはきっぱりそう述べた。白島の意向に沿うように発言を変えることもできただろう。しかしそれはゆみの考えるこくどうのあり方ではなかった。


「そうね。だけど、伊織ちゃんがみのりちゃんと本格的なケンカを始めるのは、伊織ちゃんの求心力の低下を認めるようなものよ。組織の分断を招くわ」


「……会長、わからんのですが。奥歯にものの挟まった言い方はやめましょう。何が仰りたいんです?」


「崩れたバランスを調整したいの。ついては、高取毘沙門会のシマと組員を、長楽寺組あなたに受け入れてほしい。異論はないでしょうけど、内示として前出ししておきたくて」


 動揺を隠すのに、ゆみは苦労した。高取組は直参の中でも小さい組だ。しかして、そのシノギの規模はヒロシマ市内全域に及び、準構成員によって運営される購買からは確実な収入が見込める。その資金力は、確かにバランスを取り戻すだけの力を持っているだろう。


「……分かりました。ほいじゃが、なぜうちに?」


「もちろん、いくつか条件はあるわ。まず、紙屋会より先に金本の首をとること。そしてなにより──それを日輪高子にさせること」


 日輪に?

 思わず口に出てしまったのがおかしかったのか、白島は少しだけ微笑んだ。


「日輪さんは外様のこくどうだけど──そこまで行けば立派に独立組織としてやっていけるでしょう? みんなも納得するはずよね」


「納得って……まさか」


「そのまさかよ。長楽寺組から祇園会を切り離すの」


 切り離す。これが目的だったか。そうなれば、いかに姉妹分であるとはいえ、ゆみに高子を守ることは難しくなる。それは、ゆみの目的──死んだ妹の復讐を果たすことから遠ざかることも意味している。

 会長の──白島の地位を盤石にする体制を守る側でいることは、いずれ彼女に取って代わることの難易度を上げてしまうのだ。


「それは……」


「嫌とは言わせないわ」


「……会長、なぜそこまでやる必要があるんです? バランスのことなら、祇園会と合わせて長楽寺組としてで十分でしょう」


 当然の疑問だった。長楽寺組から祇園会を切り離す──それは、白島の盃を代わりにくれてやるとしかとれなかったからだ。曲がりなりにも道龍会撃退の功労者として日輪を扱うのならば、無下に組織から放り出すわけにも行かないはずだ。


「決まっているじゃない。日輪高子が立てる手柄として不十分だからよ。……日輪高子はね。私の目を奪ったこくどうなのよ?」


 白島はくつくつと、どこか自嘲気味の笑いを漏らした。


「日輪高子はね──すごいこくどうでないといけないの。親を殺されて組織を潰されても、天神会に潜り込んで直参まで成り上がる。果ては私の喉元に刃を突き立てることができる──そういうこくどうであるべきなのよ」


 それは妄想と言っても良かった。ゆみは白島によって祇園会に送り込まれた。そしてそのときには『日輪高子を苦しめるために、手綱を握れ』と言われてきた。それは最終的に殺せ、と同じ意味だったはずだ。それが今や、さらに力を与えようとするとは。

 気が変わったのか──いや、ゆみには分かる。高子の持つエネルギー──いわば侠気きょうきにあてられたのだ。だからこそ、彼女を引き立ててから潰す気なのだ。

 ようやくわかった。日輪高子は、人を狂わす。それだけの力を持つこくどうだ。

 ほかならぬ自分も、その一人だ。だからこそ──ゆみは白島になんと答えたものか迷った。今や彼女は、白島を追い落とそうとする立場なのだ。


「ほたら会長──まずは日輪に道龍会をらす。話はそれからですのう?」


「ええ。……でも、紙屋会は間違いなくその先を行こうとするでしょうね。でもね、長楽寺さん。それはあなた、どんな手でも使わないとどうにもならないわよ。姉妹分を出し抜こうというのだもの、手段なんか選んじゃダメよ」


 含みのある言葉だった。その裏にある意味を、ゆみは容易に汲み取ってしまった。紙屋を殺せというのか。組織のバランスのために。なんなら褒美をちらつかせて。

 恐ろしい女だ。ゆみは口には出さなかったが、制服の中でつるりと冷や汗が滑ったような気がしていた。

 白島は返事を待つことなく、そのまま立ち上がり、扉を開けた。話は終わったようだった。


「……会長、内示の件は了解しました。うちのモンは、やる言うたらやりますで。親の指示なら、筋が通らんでもやるのがこくどうですけん」


 彼女は微笑んで、扉に寄りかかって言った。


「望むところよ。……いい報告を待っているわ」


 ゆみは背中で扉が閉まるのを感じながら、ため息を一つついた。拳を握ると、血が巡り──彼女の全身にこくどうとしての血が流れてくるのが分かった。

 紙屋を踏み台にしてでも──なんならッてでも先んじて金本ニキの命をる。

 彼女の眼前には、血河が細く伸びていくように思えた。


続く

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