第十七話 泥沼に足をつけるのは勇気がいりますか?

 天神会の直系組織は全部で現在六組ある。その内の一つ──高取毘沙門会会長・高取うららは、本家で行われる緊急会合へ向かうため、ベンツを走らせていた。

「オフクロ。やはり抗争デイリですかいの」

 助手席から振り返りながら、若頭の弘億が不安げに問うた。

「ほらほうじゃろ。ま、紙屋の姉妹がどうせ全部仕切るんじゃけ関係ないわ。うちとこは上納金アガリを切らさんように立ち回りゃええ」

 高取は天神会幹部ではあるが、出世の目は既になく、進学を希望している。天神会のこくどうの中では穏健派だが、それ故にそれなりの立ち回りを求められる。

 進学を希望する場合、いかに下のモノに対して利益を残せるかが、こくどうとしての財産となる。人間的に後ろ指をさされるようであれば、この後のヒロシマにおける人生は暗い。大抵がこくどうであることを捨て、一般人として生きることを余儀なくされる。

 しかし大概がそれを選ぶことはない。

 それほど、ヒロシマでこくどうOBとして生きることの旨味は大きい。社会的地位やビジネス、就職活動に結婚。一度『権利』を味わえば、これからもそれを味わいたいと思うのは自然の摂理だ。

 よって高取も、三年となり、直系幹部になった時点で出世競争から身を引き、同じ穏健派路線の後輩である小網を立てる形で今後を見据えた。

 高取毘沙門会──通称高取組。構成人数は十名。天神会傘下の学校の物品販売を取り仕切っている。劇的な金を生むことは難しいが、少なくとも食いっぱぐれはない。後輩たちにそうした地盤を確実に残すことが、OBとなってからの今後の人生に大きくプラスする。

 高取にとって、卒業が見えたこの時期の抗争は痛かった。抗争は金がかかる。下手すると人まで取られる。抗争で子が減るのは、何よりも痛い。ただでさえ白島には誰も逆らえない。死ねと言われれば、死なねばならない。

「道龍会なんぞと正面切って喧嘩できるかいや。弘億、下のモンにもよう言うとき」

「へい。……なんならアレは。車停めえ」

 振り向いた先──道路の側では、トラックがハザードランプを灯して停まっていた。ただ停まっているなら避ければいいが、ちょうどくの字になって荷台が道路全体を塞いでいるのだ。

「事故かのう」

「オフクロ。ワシが様子見にいってきますけん」

 トラックの運転席には誰も乗っていなかった。住宅街から外れた、市内へ降りる坂道。他に道はない。ハザードランプがちかちかと残されているのが不気味だ。弘億は上着の下に呑んだドスの姿を確かめながら、乗ってきた車の奥を見た。

 その先にあったのは──猛スピードで迫ってくる白いワンボックスカーの姿だった。

 ベンツの後ろを塞ぐようにドリフトしてきたその車から、サイドドアを蹴り開けると、三人ほどの女子高生──詰め襟にスカート姿の道龍会構成員を吐き出した。

 その手には、弘億が見たこともないようなアサルトライフル──M16が握られていて、次の瞬間にはその銃口がこちらに向けられていた。

 銃口を向けたことはあっても、向けられたことはなかった。それほど天神会のこくどうはブランドであり、絶対だった。弘億はM16がまるでおもちゃのように感じて、思わず笑ってしまった。

 次の瞬間には、乗ってきた車の内側で血が爆ぜて、窓という窓に血と肉がへばりついた。

 叫ぶ暇もなかった。弘億は自分の中に巻き込まれた鉛玉の熱さを感じながら、地面に転がっていた。

 白いワゴン車が、また遠くへ去っていく。弘億は手を伸ばす。何に? 自分自身にも分からぬ。高取オヤか。それとも天神会ホンケか。はたまたそれ以外の何かか──しかしその手は、虚空を掴むばかりだった。



 同時刻。

 ヒロシマ市中区郊外、吉島釣り公園。瀬戸内海を望むヒロシマきっての釣りスポットのひとつである。桟橋の一つを塞ぐように立つ、元町女子学院指定のブレザーを着込んだこくどう達の先、桟橋のへりに腰掛けて釣り糸を垂らしているのは、明王不動会会長・不動院杏子である。

 耳にかかるくらいのショートヘアで目は隠れており、その表情はうかがい知れない。

 明王不動会もまた、抱えているシノギ──昨年から統合され担当することになった教科書の納入と、もともと担当していた制服の売買ルートの管理によって安定した土台を持っている。

 不動院自身は紙屋会から独立した出世頭のこくどうだが、こくどうにしては穏やかであるため、争いを好まない。

「オフクロ。会長からの呼び出しです。あと三十分で戻りませんと、会議に間に合いませんで」

 若頭の比治山は二年生。よくやっている。順当にいけば、あとを継いでこの組織が比治山会になることだろう。

 枝のこくどう組織は代替わりすると、会長の名前を入れた組織に変わる。それでよい。

寺の娘でありながらこくどうとして出世した特異な背景を持つ不動院は、こくどうの出世というもの自体に懐疑的であった。

 人はいつか死ぬ。こくどうもいつか死ぬ。そしてこくどうとは、通常人より早く死ぬ者だ。それも、親と仰ぐ者の命ずるままに死なねばならぬ。

 命ずるがまま死ぬのはなるほど美しかろうが、こくどうとして築いた財にはなんの意味もない。自分の命ならまだしも、それは更に下の者に死を命ずることで得たものだからだ。そしてただ死ぬだけなら、獣でもできる。こくどうならば死の中に活を得るべし。こうした思考なので、誰も面と向かっては言わぬが、不動院は扱いにくいこくどうであった。

「……うん。ええでしょう。比治山さん、ほしたら車を」

「今日はボウズですか」

「寺の娘だからね。針はつけんようにしとるのよ。言わなかった?」

 比治山は苦笑し、手で桟橋の先を指し示した。運転手が回したベンツが口を開けて待っていた。比治山が肩に制服のジャケットを乗せる。

「道龍会の外道共と、一戦交える言うことになりそうです」

「ギャテイギャテイ、ハラギャテイ──いやですねえ、人死には。比治山さん、姉妹を死なさんようにしてくださいよ」

「会長は総力戦を命じると思いますが」

「それでも、ですよ。こくどうは死に急ぐ者。ならばどのような手を使っても敵より長く生きているほうが勝ちは道理」

「そら、姉妹を生かして食わすのが姉の務めですけん。ほいじゃが、抗争には噛まんのですか。道龍会を殺れば、オフクロの地位はさらに──」

「出世のために動くことだけが正解とは限りませんよ。それに、紙屋の姉妹が望んでいるとも思えませんしね。会長の最終命令が下るまでは、手出し無用です。下の者にも徹底させなさい」

 不動院が海に背を向ける。瀬戸内海が小さく波打つ。クルーザーが波をかき分けてこちらに向かってくるのが見えた。確かにこのあたりは桟橋もあり、クルーザーポートでもある。不思議なことでもない。

 しかし、比治山はふと見たそれに、龍が円状に巻いたレリーフの中に『道』の一文字のマーク──即ち、道龍会所属を示すこくどう紋を見たのだった。

 とっさに比治山は、自身の体を盾にして、その場に不動院を伏せさせた。正しい判断だった。桟橋が雨に打たれたように、M16の5.56ミリ弾が叩き込まれた。殆ど当たらぬ弾ではあったが、道龍会にとっては効果的な一撃となった。

「比治山さん!」

 不動院は叫んたが、彼女は小さく笑うだけだった。比治山の体には、まるで横断したように銃弾で抉れた跡が残り、そこからじわじわと制服に血が滲んでいた。もはや助からぬ。いかなこくどうの根性と言えど、死を覆すほどの力は無い。

 そして、そうした死の間際に、何かを残すことも難しかった。ただ比治山は笑顔だけを遺して、この世を去った。

 不動院は手の──正確には、すでにこの世を去った子分の血の暖かさを感じていた。それは点火剤だった。彼女は今までに感じたことのない怒りを感じていた。

 こくどうは死すものだ。しかし死の中に活を──意味を見出す。ならば、比治山は一体なんのために死んだというのか。

彼女の死を無意味にはさせない。しかしそのためには、不動院は多数の子や姉妹達を死に追いやることだろう。一人の死を贖うために、多数の命を奪う。矛盾していた。しかしこの身から湧き上がってくる怒りの前には、些細なことだった。

 こくどうは獣なのだ。賢人ぶっていたとしても、逃れ得ぬ性癖だ。

 不動院は血で濡れた手で髪をかきあげて、そのまま後ろに撫でつけた。覚悟を決めた人間のみが宿す、酷薄な瞳が覗く。

 そして、比治山の亡骸を持ち上げると、そのまま車の後部座席へと向かった。運転手は動揺からか、こちらへ体を乗り出した。

「オフクロ……!」

「……狼狽えなさんな。学院に車を」

 彼女はサイドウインドウを下げると、未だ動揺が隠せない他の子分達に顔を見せた。

「君等はすぐに事務所に戻りんさい。──戦争の準備です。電話一本で出れるように。SNSの監視も忘れずにね」

 車は返事を待たず、ゆっくりと出発した。不動院は比治山の冷たくなりつつある体と頭を抱き寄せた。

「……仏様の元に行きんさい。念仏は私が唱えます。君の分も、相手の分も──」

 返事はなかった。しかし、それが今の不動院にできる精一杯だった。

 そして、彼女はSNSに投稿を始めた。『明王不動会襲撃カチコミあり』。

 ポップする通知が、天神会の混乱を記号化したように感じた。



 同日。明王不動会襲撃から一時間後。

「高取毘沙門会は会長と若頭、運転手が襲撃されてほぼ沈黙。明王不動会は若頭の比治山が殺られたいう話じゃ。こがあな速攻、聞いたことがありませんで」

 小網は一見冷静であったが、確実に動揺していた。それ故に淡々とSNSから拾い上げた情報を呟いていく。まずはやれることをやらねばならない。こくどう専用SNSサンメンは、こうした抗争の時にこそ利用価値がある。

「小網くんが学院に残ってくれていてよかったよ」

 世羅の言葉に嘘偽りは無かった。せらふじ会では道龍会の動向を掴んではいたが、こうも早く攻勢に打って出るとは想定外だった。長楽寺組の葬式、その現場でのいさかいからわずか三時間で、直系組織二団体が襲われ、あまつさえ内一団体は壊滅状態などと、完全に想定外だ。

「カシラ、小網の姉妹。来たで。……高取の姉妹、死体ロクをサンメンで晒されよったで。大事じゃのう」

 まるで他人事のように、紙屋は生徒会室の自分の席にどっかと腰掛けた。死体をSNSに晒す行為は、天神会でも多数を占める準構成員への牽制にほかならない。自分がこうなるかもしれないという恐怖に打ち勝てるほど、ただの女子高生は強くない。

「……厄介だな。なりふり構わないというわけか。紙屋会で号令はかけたのかい?」

「十河に言うて、市内に部隊を展開させましたわ」

 天神会で最大勢力を誇る紙屋会と言えど、その構成員は六十人程度だ。道龍会が今仕掛けているようなゲリラ戦にどれだけ対応できるかはわからない。

 小網会はその半数、せらふじ会に至ってはその人数は十人に満たない。

 分断されて各個撃破されれば、大組織といえどこれほど脆いのだ。世羅はそれを痛感していた。

「カシラ、ワシらがどうこう言う前に、下のモンがハネんとも限りませんで。会長に言うてから、早めに攻撃命令を出してもろうたほうがええんと違いますか」

 小網は努めて冷静にそう述べた。世羅の皮膚が粟立つ。白島の意向を無視して、戦いの火蓋を完全に切る。彼女はどのくらい失望するだろう?

 世羅は一瞬動きを止め、考える。白島の不興をあえて買い、自らが絶対強者に組み敷かれる弱者であると思い知ること。それが彼女の変えざる性癖だった。

 しかしそれは安全圏でしかなし得ぬことだ。生き死にがかかっている中ではできない。

「みんな揃っていて?」

 白島の言葉がその考えを遮った。

「会長」

 全員が立とうとしたが、白島は手でそれを制した。

「長楽寺さんは──まだ葬式で学校よね」

「不動院の姉妹は少々遅れるとのことですが無事です。高取の姉妹は──」

「結構よ。分かっているから。で──」

「会長! ワシとこの部隊が本通りを中心に準備しとります。小網の姉妹もですわ」

紙屋は鼻息荒く立ち上がって言った。

「道龍会のアホども、こがあな状況なら全員根こそぎにしてやりますわ。後は、会長の──」

「なるほどね。みのりちゃん……で、何人?」

 白島は穏やかな──それでいてびり、と重圧をかけるような声で、そう言った。意図が読めず、紙屋は戸惑った。

「はあ、何人と言いますと、どういう……」

「決まってるでしょう? あなた達雁首揃えて、まさかスマホとにらめっこじゃないでしょう。『何人返した』の? あなた達の姉妹や子分が殺されて、指咥えてぼーっとしている……なんてことはないわよねェ!」

 叩きつけられた拳が机を震わせ、幹部たちは沈黙した。

 その中で一人、世羅だけが地面に向けて笑みを抑えつけていた。ああ、これが白島莉乃なのだ。誰もが逆らえぬ理不尽を司る女王で──血を流せば同じように他人の血でそそぐことしか知らぬ獣。それが彼女の本質だ。

「──道龍会の連中を、一人残らず根絶やしにしなさい。手打ちはナシよ」

 その場の全員が覚悟をキメた。白島の言葉はそうして命を賭けるに値する。

「協会もうるさいでしょうね」

 世羅は笑みをこぼしながらそう述べた。白島は笑わずに、椅子に腰掛けて足を組んだ。

「関係ないわ。誰かの死は、また違う誰かの死でしか拭えない。それだけのことでしょう」

 白島はそれだけ述べて、今度は別の人物──紙屋に対して片側だけの鋭い視線を送った。

「みのりちゃん。……分かるわね? そういえば、あなたのところの──宇品さんだったかしら? いざという時は一番槍を取るなんて言ってたわね」

「え? はあ、たしかにほうでしたのう」

「なら、金本のタマくらいっておいでなさいな。良かったわね、みのりちゃん。姉妹分に出世のチャンスよ。ああ、それと伊織ちゃん。不動院さんと長楽寺さんが来たらこっちに通して頂戴。この場の幹部で、市内の守りは十分のはずだから」

「承知しました。……みんな、聞いてのとおりだ」

 世羅の言葉を受けて、小網は電話をしに席を立った。白島も席を立ち、生徒会室隣の部屋──会長執務室にしているスペースへと入っていく。一方で取り残されたのは紙屋だ。

 どうもおかしい。白島の不興とまではいかないが、少なくともよく思われていないような気がした。それに、鉄砲玉を出せとは。

 鉄砲玉を出す──簡単に言えばそれは、組織内の格付けにおいてかなり格下になったことを意味する。

 一方で、その目的──今回のことで言えば、金本を殺ることができればその限りではない。むしろ白島の言うとおり出世のチャンスかもしれない。

「……ほいじゃが、なんでワシとこが……」

 スッキリと納得はできなかった。しかしもう命令は下ったのだ。他の組織から先んじて、金本を殺らねば、こちらの未来がない。

「ほしたら、もう本気でやるしかなかろうで……」

 紙屋はツインテールに指を絡めながら立ち上がり、電話をかけた。

「おう。ワシじゃ」

『姉貴、どがあな状況ですか』

「まずいことになったで……宇品、大竹を呼び戻さんかい。……金本をどの会よりも先に殺るんじゃ」

 彼女は声を潜めて話を続けた。

「……それこそ、他の組の足引っ張ってもじゃ。会長の期待をもう裏切れんけえのう」


続く

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