第十六話 葬式(わかれ)は悲しいものですか?
協会管理下の不可侵領域である地下射撃場の襲撃から二日。未だまんじりともせぬ疲労感と悲しみの中、安奈は祇園高校の講堂入口──葬式受付で頭を下げ、弔問客に記名をしてもらっていた。
今日は、祇園会幹部・沼田ゆりの葬式である。こくどうにとっては、その死すらも組織に捧げねばならない。
祇園会の立場は、天神会直系長楽寺組内の三次団体だ。しかも直系に昇格したばかりで、以前は本家である天神会の敵に回っていた外様。天神会にしてみれば、大きな葬式をする意味はない。しかし、白島以下幹部一同は、道龍会への牽制も兼ねて沼田ゆりの死を利用した。
天神会本家の名前を押し出して、三次団体とはいえ幹部の葬式を行う。ヒロシマ県内のこくどう団体は義理事と言われれば仁義を切らねばならない。葬式に参加すれば、香典が集まる。
それは天神会の抗争資金となる。体の良い集金活動というわけだ。
御子は誰よりも深く落ち込んでいたが、次の日にはなんとか体裁を整えていた。泣いてばかりもいられない。ゆりは殺されたのだ。誰の差金なのか──射撃場にいた数名のこくどう──天神会の系列であった──と協会保安員の命は安くない。実行者が死んだ以上、その黒幕を暴くのが先決だ。
葬式も落ち着き、その行程の半分も終わりかけた頃──その集団は現れた。
揃いの黒い詰め襟にスカートという組み合わせで現れた十五名ほどの女達。葬祭場にはぴり、とした緊張が走った。
周道荒涼学園のこくどう──即ち、道龍会のメンバーである。
「なんじゃワレら!」
葬式に参列していた天神会──その実、小網会の下っ端であるが、彼女らの恫喝にも全く動じない。
「あ~? 自分ら、制服見てもわからんのやばいじゃろ。名乗るのもアホらしいで」
杖をつき、道龍会構成員の壁を分けて現れたのは──道龍会会長・金本ニキであった!
「焼香しにきただけでえ?」
一触即発の雰囲気を察したのか、中から高子と御子が顔を出し、ニキの前に立った。
「こら、道龍会の金本会長さん。申し訳ないですが、亡くなったんはうちの若い者含めて天神会系の組員です。こがあに大勢で来られたら、びっくりしてしまいますで」
高子はどこかなだめるような口調で切り出した。道龍会との抗争は、いつ火蓋が切られていてもおかしくない状況だ。協会への申請は済んでいるし──天神会側は死人が出ている。
より有利なケンカをするためには、いつ火蓋を切るかの見切りを正確に行うことしかない。
つまりこの場で、道龍会──金本ニキがいかに動くかが、いちばん重要なカギとなる。
「……会長。こんなあが祇園会の日輪です」
直ぐ側に立っていた、アンダーリムの銀色のメガネをかけていた女が、金本に言葉を添えて耳打ちした。何が面白いのか、ニキは少しだけ口角を上げた。
「おう。……ちいと昔に見た顔じゃのう。どこぞの義理事で顔でも合わせたかいの。まあええわ。達川、出さんかい」
ニキは笑って言うと、達川が肩掛けのバッグに手を入れた。
その場にいた道龍会の構成員以外が僅かに緊張し、おのおのが呑んでいる『道具』に手を伸ばした。拳銃でも出てくるか──ならば殺ってやる。
その期待はすぐに裏切られた。達川が出したのは、分厚い香典袋だった。三百万はあるだろう。
「まあのう、人死にが出たらどがあに言うてもやれんけん」
「なんなら、これは」
高子は冷ややかにそれを見下ろして言った。
「香典じゃ。足らんか? 若いのが一人二人死んだいうて聞いたけえ。やばいのう、そら悲しいじゃろうのう、思うてよ。わしゃ居ても立っても居られんかったけえ、寄せてもろうたんよ。焼香でもひとつさせてもらおう思うてからよ」
金本は差し出した香典袋を揺らしながら、大げさなほど悲痛そうな声でそう言った。
高子の行動は速かった。香典袋をはたき落としたのだ。道龍会の面々は炎を焚き付けたように各々怒声を浴びせた。
「ワレ! 無礼やろが!」
「殺すど!」
「謝らんかい!」
「じゃかあしいッ! 雑魚が吠えるな!」
高子の大音声に慄いたものも多かったが、達川は違った。メガネを押し上げて、声を荒げることもなく、『確認』した。
「……これは、天神会の総意言うことですかいの? ワシら、葬式に出させてもらおう思うて寄せてもろうただけですで。あんまりじゃなあですか?」
その手は怒りに震えていた。あるいは芝居だったのかもしれない。そうだとすれば、達川は相手を見誤っていた。
「だったらどうじゃっちゅうんじゃ。おうコラ。こないだの襲撃はよ、道龍会の差金と違うんかい」
道龍会しか持っていないはずの大火力兵装は、彼女らの関与を裏付けるのに十分な証拠だった。交渉に切るには有利なカードだ。
しかし高子はそれをすべてかなぐり捨ててしまった。ゆりの死は彼女に火をつけてしまったのだ。出遅れてしまった御子の脳裏に、昨年のあの日──高子が白島を弾いたあの日がオーバーラップした。
行く道を行く気だ。
日輪高子には、目的を達するための強い意志と実現のための力があるが、それ以上に強い責任感が眠っている。下の者のためなら、有利不利をかなぐり捨ててしまう。
高子の背中が遠く感じた。それ以上に、御子の手足には力が漲っていた。姉貴が──オフクロがすべてを投げ出して死地に飛び込もうとするならば、それより先んじるのが子分の勤めだ。
「道龍会の皆さん。お引取りください。うちの日輪の言うとおり、喧嘩相手の施しは受けませんけん」
御子は割って入った。道龍会側はなおも怒声を浴びせていたが、ニキがそれを手で制した。スイッチを切り替えたように、構成員達は声を出すのをやめた。彼女は杖をつき、御子の肩に手を置いて言った。
「ワレも運が無いのお……アホの親ァ持つとよ、苦労するでえ?」
「ワシャ、神輿に担いだ親のことを信じとりますけん」
おかしかったのか、ニキは含めて笑った。何度か肩を叩き、満足そうに離れて背を向けた。
「分かった。ほたらま、せいぜいアホの親と本家を信じいや。邪魔したのう」
彼女はそう言って、駐車場へと向かっていった。その場の誰もが、胸を撫で下ろして──同時に、とうとう始まった抗争に備えるため、情報共有を──サンメンに投稿を始めた。ある者は動画で、ある者は文字のポストで、写真で──。
「……やってくれたのう、日輪」
ゆみが遅れて外に顔を出した。どこか諦めにも似た笑みを見せて、肩を叩く。
「満足かいや。ワシら、道龍会の的になったで? たかだか四人で、道龍会三十人とケンカせんといかん。勝ち目あるんか」
高子は握りしめていた拳を解いて、ゆみに振り向いた。
「勝てるケンカしかせんのも面白くなあでしょう」
「……けったくそ悪いわい。また会長と紙屋の姉妹に頭下げんにゃいけんのう」
「根回しなら、姉貴。……協会に申請出しといてくんないや」
その言葉の意味がわからぬほど、ゆみの勘は鈍くなかった。協会への申請──即ち殺しの意思表示だ。
「道龍会を一人でもやる言うんか。冷たいようじゃが、ヤツラがほんまにやったかどうかなんかわからんじゃろう」
「姉貴。灰色は黒ちゅうんが、こくどうの習いでしょうが。あがあな真似しくさるのは、道龍会しかおらん」
それは決めつけというより、そうであれと言う願いだった。
賽は投げられた。
その場にいた葬式の手伝いをしていた天神会系の組員達も、SNSを通じてそれを観測する他のこくどう達も、もはやこの騒乱からは逃れ得ない。
これは殺し合いだ。そしてもはやそれを納めるには、殺し合って絶滅するまでやる他ない。
ゆりの葬式は、もはやその意味を失っていた。
外の騒ぎを尻目に、静かに眠るゆりの亡骸を前に、安奈は考えていた。
ゆりはこくどうとして死んでいった。皆それを正しいことだと言った。立派だ、名誉だと。
死ぬ以上に間違ったことなどない。私は、みんなと一緒にいたかっただけなのに。
正座した膝の上で、彼女は強く拳を握った。
「こくどうって、何?」
ゆりは何も応えてはくれなかった。あの日、妹分にしてやると笑った彼女はもういない。悲しかったが、涙は流し尽くしてしまった。
天神会のこくどう達はそれなりの人数が焼香に訪れたが、その誰もが事務的な態度で、悲しむ者は居なかった。それがまた虚しかった。
「や、安奈さん」
不意に声をかけられたので、安奈は枯れた目元をゴシゴシ拭って、振り向いた。そこには、大竹が立っていた。
「すみません。ほ、本家に連絡をしていて席を……」
卑屈そうに身を屈めて、大竹は頭を下げた。本家──天神会。あんな組織に入らなければ、ゆりは死なずに済んだのか。
「大竹さん……ですよね。紙屋会の」
「は、はい。今は……、祇園会の客分ですけど」
高子は言った。大竹は紙屋会側──即ち、天神会本家のスパイと言っても良いと。ゆりが死んだことは、当然本家の耳にも入っているだろう。そして、安奈がこうして落ち込んでいることも。
「何かあったんですか」
「長楽寺組は、す、すす、すぐに天神会本部に顔を出すようにとのことでした」
「本部に……」
安奈には、それが何を意図するのか理解できていなかった。せいぜい、意地悪を言われる程度ではないか──甘い見積もりを出していた。
当然、天神会はそう甘くはない。
大竹は今回のことを若干複雑に感じている。この抗争がどれほど長引くかは分からぬが、大竹は白島の命令を優先しなくてはならなかった。当然出番は彼女次第ということになる。
なんとも歯がゆかった。大竹にとって抗争は何よりも愉快なレクリエーションだ。そうした本性を隠しながらの活動は、大きなストレスであった。
しかし、それも時間の問題だ。闘争の時が来る。殺し合いの時が。
「大竹さん。顔が笑ってますよ」
「えっ……ああ、申し訳ないです。うちはそんなつもりじゃ」
大竹は口元を触って笑みを消すよう取り繕おうとしたが、その必要はなかった。
安奈の目は鋭かった。彼女は思わず一瞬たじろいだ。年上とはいえ盃をもらってわずか二月か三月と聞いている。
「大竹さん。高子さん達──姉貴やオフクロを呼んできていただけますか」
安奈は悲しみの底で、道を見つけていた。安東を殺した銃を、私は握ることができる。
それは即ち、ゆりを死に追いやった人間をも殺すことができる。復讐を成すことができる。
わたしにはできる。
大竹はそこまでの決意を見透かしたわけではなかったが、安奈の目に宿る凄みを垣間見た。彼女は年少の経験があったが、あそこでさえこのような目をしたこくどうは少なかった。彼女らに共通していたのは、やると言ったからにはやる──そうした決意の固さだった。
白島の脅威になるかもしれないが──彼女は自らの手で祇園会を叩き潰すことにしている。今ならば大竹の手で縊り殺せるが、良しとはしまい。ならば、他者の介入をもって祇園会を殲滅させねばならぬ。
大竹は人間の機微をよく見てきた。それは自分が潰されぬ為の処世術であったが、今では厄介なアレルギーのように変じた。自分をナメたら殺す。笑ったら殺す。白島をナメたら殺す。天神会をナメたら殺す──大竹にとって全て当然の思考回路だ。
白島の脅威はすべて潰す。果たして祇園会がそうなるかは別の問題であろう。いずれにしろ、白島が判断すべきことだ。彼女らは、自分が触れてはいけない事項になったのだ。
「ほ、本家への返事はどがあに? うちがやっときますで」
「長楽寺会長からお話すると思います」
「そうですか……ほたら、みなさんを呼びますわ」
高子にゆみ、御子が集まったところで、安奈は棺桶を背にして、正座のまま切り出した。
「オフクロ──私に、ゆりさんの仇をとらせてください」
「……バカタレ。ゆりの喪も明けんうちに返しの段取りかい。百年早いわい」
御子は複雑な気分だった。可愛がっていた妹分は死に、もうひとりの妹分はその復讐に走ろうとしている。自分がしっかりしていればそうならなかったかもしれない。やるせなくなって、棺桶の側の折りたたみイスに腰掛けた。
高子の道を支えるのが、御子の仕事だ。だから、彼女が戦うといえばそうする。覚悟の上だ。
しかし妹分を死地に送り込むのは違う。そんなことは望んでいない。ゆりの次に、安奈までこの狭い棺桶に送り込むつもりはない。
「オフクロ。ゆりの返しならワシがいきますけん。安奈はまだ素人じゃけえ」
「まあ、またんかいや。御子の言うとおり、まだゆりの喪も明けとらん。日輪、お前もよう聞け。さっき大竹から聞いたがの、本家がまた顔を出せ言うとる」
ゆみは苦々しげに切り出した。ろくな用件ではないことは分かりきっていた。
「ま、紙屋会がチャチャを入れてくるのは分かっとる。そこでのう」
取りたくはない方法だったが、致し方なかった。高子が火蓋を切ったのなら、会としてそれなりの立ち回りをするために、舵取りをしなくてはならなかった。
「紙屋会をこの抗争に巻き込む。当然じゃ。四次団体の下っ端じゃが、あの襲撃にゃ紙屋会の親族もおった。あの乱暴モンの紙屋が黙っとるほうがおかしいくらいじゃ」
紙屋は今日に至るまで、返しについてなにも命じていない。下っ端が殺されたことに義憤を感じるタイプではないが、メンツを立てるためにはらわたが煮えくり返っているはずだ。
世羅──もしくは白島が留め置いているのかもしれない。そのタイミングで本家へ招集ならば、こちらとしても考えがある。
「こうなったらもう、なりふり構わんでええ。天神会の看板使うて、戦争ぶち上げればええんじゃ」
「なるほどのう。ゆみの姉貴、ええ考えじゃ。なにもワシらだけで喧嘩をやり終えようと思わんでええわけじゃ」
高子は右拳を左手のひらで受け止めた。話はまとまった。
「それじゃあ、ゆりさんの仇は──」
「おう。まあ遠巻きじゃがの、みんなで殺りゃええが。ほしたらゆりも浮かばれるで」
果たしてそうだろうか。
こくどうが姉妹同然というのならば、姉の仇は妹が自ら取らねばならぬのではないか。安奈にとって少なくとも、ゆりはそれに値する人間だった。ゆみや高子が今後のことを話す中、安奈はどこか疎外感を覚えていた。
御子は口少なく、ゆりの方を向いたまま口を開こうともしない。
ゆりの死が名誉だったというのならば、その死に意味があったと証明しなくてはならない。少なくともそれは確かだ。
安奈は誰にも話せぬ決意を胸に、拳を握る。あの温かい食卓を奪った人間が目の前に現れたら──安奈はこの拳を振り下ろすだろう。彼女の死に意味がないと言うなら、他ならぬ自分が作り出す。安奈にはこの気持ちをそれ以外に整理する方法を思いつかなかった。
続く
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