第十五話 殺れば死なずに済むんですか?

 ヒロシマブルーアリーナの申込受付を済ませると、エレベーターに乗り込み、職員から貰ったキーを差し込む。すると、一般客には行くことができない秘密のフロア──地下射撃訓練場へと進むことができる。


「うわあ……すごく広い」


 安奈は嗅いだことのない香りと空間に素直な感想を述べた。


「ここなら撃ち放題じゃけえなんも気にすることはないで。銃弾ギョクも使い放題じゃ」


 高子とゆりはさっそく受付で手に入れたセット──買い物かごに入ったヒロシマ・リボルバーと箱入りの銃弾を作業台に広げて、弾倉をスイング・アウトさせると、簡単な点検を行った。

 地下射撃訓練場は縦長の構造で奥に空間が広がっている。頻繁に鳴る破裂音が、安奈の記憶──安東の死を呼び起こす。


「イヤーマフをしたほうがええで。耳が悪うなるけん」


 ゆりのアドバイスに頷くと、安奈はそれを耳につけた。一気に周囲から音が失せて、頭がクリアになったような気がした。

 コンクリの間仕切りでいくつかのレーンがわかれて構成された射撃場が、四つほど存在している。中央の受付から放射状にそれぞれ扉が設置されているという具合だ。レンタル銃器は持ち出せない。持ち込むのも基本NGとなっている。

 安奈が名前も知らぬマシンガンを構えた協会員がそれをアピールする。


「……あれ、本物ですか?」


「本物じゃ。使うとるところ、見たことないけどの。協会員はの、ヒロシマ県庁とか区役所に入った元こくどうばっかりじゃけえ、揉めるとめんどうなんじゃ」


 高子は余程の想いがあるのか、心底苦々しげに言った。


「はよう撃ちましょうや! おう安奈、ええこと教えちゃる。ここはのう、こくどう割が効くけえタダで六十分撃ち放題じゃ! いくらでも練習できるで!」


 ゆりが何を言っているのかさっぱり分からなかったが、安奈にはとにかく練習できることだけ理解できた。


「ま、経費は天神会持ちじゃけどの」


 高子の言うとおり、この地下射撃訓練場はこくどう協会所属のこくどうのみが入ることができる、いわば聖域である。他のこくどう組織であろうと、ここにいる限りは争い厳禁、不干渉を貫かねばならない。

 銃を触り、言われるがまま銃弾を込めて、安奈は照星を白黒モノトーンの的へ合わせた。

 水を打ったように静かだった。イヤーマフは安奈がこの瞬間、孤独であることを許してくれた。

 トリガーを絞る。

 重い──重すぎるトリガーだった。撃鉄が銃弾を叩き、射出された弾丸が、的のほぼ中央を射抜いた。


「ナイッシュー。……ええで、安奈。そのまま撃ってみい」


 安奈は高子の唇の動きを読み取って、続けて五連射した。面白いように全弾中央近くに命中している。


「……すごいの」


 追いかけるようにゆりが隣のレーンで六発発射したが、真ん中に当たらないどころか的の中に着弾させるのが精一杯だった。

 こうしてレーンで練習するのと、実戦は違う。それでも、安奈のこの命中率は異常だ。的は四十メートル先。オリンピックの射撃競技なら金メダルものだ。


「……ほんまに初めてか、安奈? こがあに射撃がうまいやつ、初めて見たわ」


 驚く以上に高子は首を傾げ続けていた。なぜこのような才能が──? しかし現実として安奈は的の中央、言い換えると人形の心臓部をきれいに撃ち抜いているのだ。


「あの……変でしょうか?」


「変とは違うがのう……」


 こくどうは、それこそ競技射撃部や弓道部所属のエキスパートでもない限りは射撃に関して素人だ。根性では射撃の精度は上がらない。高子自身それを強く思い知っている。

 天才なのだ。

 そう結論づけるほかなかった。そもそも安奈は初めて銃を握ったのだ。練習も何もなく、ただ才能を発揮した。


「……さすがはわしの妹分じゃ。大したもんじゃのう!」


 ゆりはリボルバーをその場において、腕組みをしながら満足気に頷いた。


「その調子で頼むで! わしゃ、銃よりドスのほうが得意じゃけえ!」


「お前昨日まで射撃のほうが得意じゃ言うとったじゃない」


「細かいことは気にしちゃいけんですで」


 高子達のじゃれ合いをよそに、安奈はリボルバーに銃弾を装填した。かちり、と弾倉を戻すと、奥からこみ上げてくるように彼女は震えた。

 嬉しい。

 誰かに褒めてもらえたのは久々だった。それも、高子から褒めてもらえるなんて。

 この震えるような喜びを得るためなら、私はなんだってできる。


「安奈」


 また銃を構えて、発射しようとしたところだった。高子が肩を叩いてくるのに振り向く。険しい横顔だ。視線は射撃場の外へと向いている。


「なんぞありましたん?」


 同じようにイヤーマフを取ったゆりも小首を傾げた。銃声が響いてくる。しかしそれは、聞こえてくるはずのない外からだ。


「……何が起こっとるんじゃろ?」


 通路と射撃場を隔てる強化ガラス入り格子戸が弾け飛んだのは、その次の瞬間であった。嵐の如く飛び交う銃弾と怒声。

 異常事態だ。


「わりゃ、しごうしたるブチのめすど!」


 アサルトライフルを構えた協会保安員がそう叫びトリガーを引く。すぐに倒れ伏す。

 血煙が舞ったのは見間違いではなかった。高子はとっさに扉の影を使ってカバーし、銃を構えた。


「なんじゃ、あいつら……」


 数人のこくどうが、エレベーターの前に陣取って、サブマシンガンを構えながらあたりを伺っている。

 協会支給の銃火器ではないものだ。殺傷能力が高すぎる。中でも、頭一つ背の高い女が抱えた大きな銃──高子達は知る由もないことであったが、米軍が採用したこともある分隊支援火器、M249は目立った。

 おそらくはあれが指揮官だろう。あたりはつけることができたが、それまでだ。隠れるところもない狭い廊下に出て行けば、一瞬でひき肉にされる。


「オフクロ、外で何が……」


 ゆりが声も潜めずに言ったのに、外のこくどう達はぐるりと首を向けて、銃口を上げた。


「まだおるう? 困るねえ、あんま時間ないけえさあ、出てきてくれんかいねえ〜」


 背の高い女は、協会支給装備の一つでもある防弾カーディガンからマガジンを取り出すと交換した。

 目元も口元も笑ったような顔をした女だった。しかしその手にした重火器は、確実に相手を死にいたらしめんと、殺意を振りまいている。その埋まらない溝が不気味に感じられて、高子はヒロシマリボルバーを強く握りしめた。

 幸い弾はある。しかしたかだか二十ニ口径の豆鉄砲だ。制圧力も足りぬ。


「そっち行くけえさあ〜、ちょっと動かんでねえ」


 ゴツい革製のコンバットブーツが床を叩く。こちらに来る。相手は防弾装備をしている以上、チャンスはそう多くない。


「オフクロ……」


「こっち来るで……まずいのう。安奈、弾込めえ。ゆりもじゃ。こうなったら引き付けて撃つしかなあで」


 高子は舌打ちさえも最小限にするかのごとく、唇の中でそう伝えると、リボルバーを構えた。三人合わせて十八発。足止めならば、できるはずだ。


「なんじゃ、ワレ! おどれここは持ち込み禁止じゃろうが!」


 異変に気づいた隣の射撃場に居たこくどう──見覚えはない顔だ──が出てきて怒鳴った。

 ぴゅっ、と妙に間抜けな音が響いてから、額に赤い穴が開き──そのこくどうはさらに数発首や胸に叩き込まれ、その場に顔から倒れ伏した。


「こくどうならぁ〜怒鳴る前に弾かんといけんよぉ〜」


 マガジンが落ちる音。装填する音。何発撃てるか知らないが、少なくとも今は最大限撃ち込めるわけだ。

 状況の落差からか、安奈は震えていた。銃は死を招く。そんなことは十分にわかっていたはずなのに、それは不十分だった。

 人は死を身近に置くことはできない。それが自らの死ならば、なおさらだ。


「オフクロ。……ワシにやらせてください」


 ゆりの言葉──驚くほどその声は凛としていた。


「アホかお前、死ににいくようなもんじゃろうが!」


「ワシャ子分ですけん、オフクロのために死ににいくんは当たり前ですわ」


 ゆりはそう言うと、震える安奈の手から銃をもぎ取った。


「……安奈。そがあな顔すんなや」


 自分がどんな顔をしていたか分からなかった。ゆりはそんな安奈を見て笑った。

 何か声をかけなければならないような気がした。安奈は口をぱくぱくさせたが、うまい言葉は何も出てこなかった。


「ゆり。飛び出していっても何人かおるんじゃ。死ぬ気になるんと死ににいくんは違ゃうんで」


 高子は必死に頭脳を回転させながら、言葉を紡いだ。


「……頭を殺りゃあ蛇は死ぬけんの」


 銃声が遠くで響く。ブーツが廊下を叩く音はすぐそこに迫っていた。


「安奈。動けるか」


 安奈は首を振るばかりだった。どうして、こんなことに。頬に鋭い痛み。高子が平手を打っていた。


「アホ。お前、こがあなとこで死ぬつもりかい」


 高子はそういうと、安奈をレーンの影に押し込んだ。


「あらあ〜。まだおるじゃないの」


 隊長格と見えた背の高い女は、笑みを浮かべたまま銃口を向けた。その先にはゆりが一人だけで立っている。


「何? おたくだけ?」


「おうほうじゃ。なんぞ文句でもあるんかい」


 安奈はゆりの背中を、射撃場の仕切りから見ていた。高子の手が口を塞いでいる。


「だいたいワレらどこのもんじゃい。こがあな真似さらしてのう、生きて帰れる思うなや」


 ゆりは手を上げていた。女にはそれが滑稽に感じたのか、少し含むように笑った。


「ごめんねえ、ほんまなら話してあげたいんじゃけど……ここにおる人は全員死んでもらいたいんよねえ」


 トリガーに指がかかる。

 当たり前だ。こくどうは容赦などせぬ。手を上げていようがなんだろうが、殺らねばならぬ時は殺る。女はそれをよくわかっているようだった。


「おう、ほうかい……せいぜいのう、よおけ狙って撃たんかい。わしゃのう、殺し損ねたらシツコイで……」


 ゆりは笑っている。死を目前にしてもなお、目を輝かせている。

 分からなかった。なぜそんなふうに笑えるのか、立っていられるのか──安奈には分からなかった。


「……ちょっと待ってぇ。自分だけなん? このレーン」


「おう、ほうじゃ。……なんなら、わりゃビビっとんかや。撃たんかい。ワシを殺ってみいや!」


 女は少し逡巡した後に、銃口を右側レーンに向けた。

 だれもいない。

 左側の壁に向ける。射撃記録やポスターしかない。誰もいないはずだ。しかしそれは女の期待──こうあってほしいという妄想でしかなかった。

 高子はそれを突いた。レーンの影から飛び出した高子は足に組み付き、その足にリボルバーの銃口を押し付け、そのまま撃ったのだ。

 左足から血が撒き散って、女はもんどり打って倒れた。


「ゆり!」


 ゆりは投げ渡されたリボルバーと、腰の裏、スカートに差していたもう一丁を抜く。高子はその隙に女の右手を蹴り込んで、大きな銃を奪い取った。


「コラ、ワレ。何人で来とる。言えや」


 ゆりは苦悶する女の頬を持ち上げて脅した。数人の足音──いずれも駆け足だ──がこちらに近づいてくる。高子はなんとか巨大な銃を持ち上げ、廊下側に飛び出すと、トリガーを引いて銃弾をばら撒いた。それで充分だった。襲撃者の手足が吹き飛ばされ、運悪く頭に穴が開いた者もいた。高子は冷静にそれぞれ持っていた銃の弾倉を抜いた。

 通路はペンキをぶち撒けたような有様だった。肉と血液が壁にへばりつき、死だけが充満していた。高子は安奈達のところに戻ると、だんまりを決め込んでいる女の髪を後ろから掴んで持ち上げた。


「……お仲間は死んだで。どこのもんじゃ、ワレ」


「言わんよ……」


「ほお〜、女優じゃのう。ほたら、生きて帰れる思うなや」


 高子の言葉に呼応するように、ゆりはリボルバーの銃口を女の眉間に向けた。


「協会の連中まで殺っとんじゃ。あんなあら、そがあなこくどうの始末にゃ時間をかけるで。ゲロすんならここで殺ったる。楽に死ねるど」


「ほうね。ほしたら、協会でもなんでも連れてきゃええわ」


 女は笑った。これは骨が折れるかもしれぬ。すでにこの女は右足が千切れかかっているのだ。こくどうの根性は、こういう土壇場で輝く。この女は相当の根性の持ち主なのだろう。


「ゆり、お前代われや」


「はい。……おうワレ。二度は言わんで。協会で死ぬまで拷問受けるか、いまここでゲロして死ぬかどっちじゃ」


 高子はゆりに女を任せると、未だ混乱したままの安奈のそばにしゃがんだ。


「安奈。立て。ふらついとる場合と違うで」


 意外にもその一声で、安奈は立つことができた。しかし頭がまだふらつく。廊下の外なんかみたら卒倒してしまうかもしれない。彼女はまだ、こくどうとしては未熟も未熟なのだ──。


「慣れろとは言わん。ほいじゃが、こういう時動かれんと死ぬで。覚えとき」


「ほうでえ、安奈。お前、やっぱまだまだじゃのう。わしゃ、こういうときでも全然──」


「アホ、目を離すな!!」


 ゆりは女に銃を押し付けたまま、安奈たちに向かって笑顔を向けた。それがいけなかった。女は挙げていた手で素早くバレルをずらし、ゆりから強引にリボルバーを奪い取ったのだ。

ゆりは慌てて、スカートに差し込んでいたリボルバーを抜いた。奇しくもそれは、女が後ろへ倒れ込みながら銃を構えたのと同じタイミングだった。

 マズルフラッシュ。薬莢がコンクリで跳ねて、まるでカメラ撮影みたいに二人が光に飲まれていく。

 安奈はそれで全てが止まったように感じた。全てが。

 女は倒れ込んだまま、銃弾を首に受けて即死していた。ピクリとも動かない。そしてゆりは、自分の脇腹と胸に広がる赤いシミを、ただ呆然と見下ろしていた。


「ゆり! バカたれが……」


「救急車……」


 安奈は混乱の中でも、何故か冷静にそう呟いた。


「アホ! こくどうの襲撃デイリで救急車が動くか!」


 高子はゆりを背中から抱き寄せて、ゆっくりとそのばに座らせた。銃弾は貫通しているが、場所が良くない。


「安奈、タクシーじゃ! ヒロシマ交通じゃろうが赤鯉タクシーじゃろうがなんでもええ! こくどうじゃ言うたら病院に連れてってくれる! なんでもええけえ捕まえてこい!」


 高子が叫ぶように言うのへ、安奈はようやくなにかに取り憑かれたように走り出した。廊下の悲惨さも目に入らなかった。今はただ、ゆりを助けなくては。死んでしまう。ゆりが死んでしまう。そんなことありえないと思っていても、それは事実になりかけていた。


「オフクロ……」


 ゆりは口端から血の泡を吹き始めていた。助からない。高子は直感したが、そんなことを顔には出せなかった。


「わしゃ……結構……やるでしょうが……」


「バカたれ。喋るな。安奈がタクシーを回してくるけえ」


「安奈は……ええこくどうもんに……なりますで……」


 高子は頷いたまま、顔を上げられなかった。こくどうは弱みを見せぬ。死の間際であっても、そうだ。もちろんそれが美徳であるが故だが──ゆりは長年付き合いのある舎弟だ。なぜ自分より先に死なねばならぬのか。それが理解できなかった。


「のう、ゆり……なんでじゃ。死ぬな。安奈も、御子もおらんこがあなとこで……」


「……姉貴……暗い……暗いよ……怖い……」


 ゆりは思い出したように喘いだ。こくどうではない自分──ただの沼田ゆりが怯えるように、むなしく言葉を紡いだ。


「いやじゃ……姉貴……うちは、死にとうないよお……」


 高子は怯えるゆりの体を抱き、血溜まりの中で彼女を感じることしかできなかった。

 それもやがて、すぐに失われた。



続く

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