第十四話 開戦前夜なんですか?
「会長。紙屋の姉妹んとこから、大竹言うんを預かりましたが──会長にも話通っとる話なんですか」
長楽寺は少しばかりの逡巡は交えていたが、聞くべきことを恐れず聞いてきた。白島の予想通りだった。
「大竹言うんは、ありゃ大ワルいうて聞いとります。下のもんでやり取りして決めてええんですか」
「長楽寺さん。紙屋は執行部で若頭補佐よ。子供じゃないんだから、そう判断をしたのなら私から言うことはないわ」
白島はソファに身を預けたまま、少し面倒くさそうな態度でそう答えた。
「大竹さんは確かに年少帰りだけど、悪い子じゃないのよ。長い目で見てあげて頂戴。話は以上よ」
天神会では、執行部と呼ばれる最高幹部三名と、その候補生数名──いずれも直参のこくどう達によって定期的に会議が行われる。普段は若頭の世羅に会の運営を殆ど任せている白島だが、この会議にだけは必ず顔を出す。長楽寺のように話をしに来るものもいるが、それは点数稼ぎであることのほうが多い。
彼女のように真正面から意見や疑問をぶつけてくるのは滅多にないことだ。
当たり前のことではあった。
白島莉乃は天神会の絶対者。白いものでも彼女が黒だといえばまかり通る。そんな存在に意見を言っても、言った側が潰されるのは当然の道理だ。
それを臆せずに行う長楽寺は、白島には好ましくもあったが──組織を揺るがすものではなかった。白島の目は確実にゆみを射抜き──彼女を尻込みさせるのに十分な光を放っていた。
「……普段、私はあなた達に仲良くしなさいと言っているはずよ。どちらが火種を作っているのか知らないけれど、そんな暇があるの?」
喉元に
「長楽寺の姉妹ェ。どうしたんじゃ」
小網はそれだけ述べて、自分の席に座った。現状の確認をしただけだ。介入する気はないとみえた。
「会長と打ち合わせかな?」
世羅は作成した資料を配りながら微笑む。一方でそれを受け取りながら不機嫌なのは紙屋である。
「おう、長楽寺の姉妹ェよ。ワリゃあ直参に直ったけえ言うて、さっそく会長にご注進かいや。おうおう、跳ねっ返りの姉妹しかおらんけえ大変なのう。すぐに政治を打たにゃならんのじゃけえ!」
どの口がそんなことを言うのだ。長楽寺はそう言い放ちたかったが、会釈だけして自分の席へと座った。紙屋の狙いは分かっている。それに乗ってやる気はなかった。
「紙屋の姉妹ェ。今のはあんたがようないで」
小網が諭すようにそう言ったが、紙屋は勝ち誇ったような笑みを見せると、自分の席にどっかと腰掛けた。
「さて、そろそろ幹部会を始めよう」
世羅はそう微笑み、配ったレジメに目を落として議題を簡単に述べ始めた。
「
周道荒涼学園は、天神会のシマであるヒロシマ市より西の観光都市、ミヤジマ市を主だったシマとしている私立女子高校である。ヒロシマ市より東側──オノミチ市を中心としたこくどう組織の連合体である『オノミチ女学生連合』は天神会と休戦協定を結んでいるので、現状、ヒロシマ県における唯一の敵性勢力だ。
「あのボケカス共、まだ市内進出を狙うとるんかい」
紙屋は忌々しげにレジメを指で弾いた。
「ミヤジマ市は世界遺産で観光マネーが唸っとるが、市内はそれ以上じゃけん。他人の米びつに手も突っ込みたくなろうがのう」
市内の飲食店を統括する立場である小網にとっては頭が痛い案件だ。周道荒涼学園──道龍会が厄介な点は二つある。ひとつは、体育会系の強豪校であること。所属するこくどう達は命知らずの強者揃いで層も厚い。特に現役のこくどうは勢いもあり、道龍会総長・金本ニキは『
白島と同じ『不死身』の伝説を持つ女──目の上のたんこぶだった祇園会を取り込んだ今、金本率いる道龍会を潰すことが目下天神会の目標であるとも言える。
しかしそれには、道龍会の持つ厄介な点──その二つ目が問題として重くのしかかる。それは道龍会の持つ火力だ。
ミヤジマ市の隣、ヤマグチ県イワクニ市には米軍基地があり、三年前に武器の横流しが秘密裏に行われた噂が流れている。
そして、二年前──当時ミヤジマ市内で勢力を二分していた廿日市高校のこくどうを、協会支給ではありえないはずの重火器で殲滅し、残党を取り込んだのが金本なのだ。
噂は噂である。
サンメンでこくどうたちによって誇張されたのかもしれないし、意図的なデマかもしれない。しかし事実として金本はミヤジマ市の統一を達成し、資金力と暴力を元に道龍会を無視できぬ組織に成長させた。もはや放置できるほど余裕はない。
「伊織ちゃん。目ざわりね」
白島はそれだけ述べて、会長秘書が淹れた梅昆布茶を愛用の茶碗から啜った。
「無視できないほどの大きさになってしまいました。潰しますか」
世羅の言葉に、白島は頷いた。命運は決まった。道龍会は滅ぶ。白島がそう決めた以上、他の道はすべて閉ざされた。
「話は終わったわね。道龍会の対策はそうね──紙屋会と長楽寺組に任せようかしら」
その場の全員が、レジメから顔を上げて白島を見た。よりにもよっていま現行で仲違いを始めているような二組を敵に当たらせるなど、ありえないことだ。
「会長、それは…」
唯一小網がそれに異を唱えようとした。しかしそれを遮るように、世羅がよく通る声で上書きした。
「そうですか。では紙屋クン、長楽寺クン。一週間以内に
「カシラ!」
「小網クン。君が言いたいことは分かる」
世羅は会議室をゆっくり周り、立ち上がろうとした小網の肩を掴んだ。世羅は白島の代弁者である。それ以上でも以下でもないと自らを定義づけている。白島の物言わぬ後ろ盾がある限り、世羅は枝の人間にいくらでも冷たくなれるのだ。
「しかしね……紙屋クンも長楽寺クンも、お互い同じ会の人間として、連携をとらなくちゃいけない。
肩を抑えつける力は強く、小網が立ち上がることは叶わなかった。物理的な意味はもちろん、その場の雰囲気がそれを許さなかった。白島と幹部たちの前で、元妹分の肩を持つのは美しかろう。しかし、それは現実的ではない。文字通りの絵に描いた餅だ。
「さて……紙屋クン、長楽寺クン。話は以上だ」
「カシラ。ほたら、試合はワシに任せてもらえるいうことですか」
紙屋は意地悪い笑みを浮かべながらそう言った。
「ああ。ぜひ長楽寺クンをリードしてくれたまえ。そちらも構わないね?」
「ワシとこは文句はありません」
長楽寺はメガネを押し上げて、不満を押し隠した。足を引っ張らぬよう──『そう取られぬよう』、行動をせねばなるまい。それが腹ただしい。
紙屋は明確に長楽寺組を潰すつもりでいる。そして白島も特段それに異を唱えるつもりはない。それがはっきりした。
いずれは紙屋による攻撃が始まり、耐えきれなくなる。高子との密約──ゆみを天神会の会長に押し上げる──を果たす以前の問題が重くのしかかっていた。
「試合は来月から。抗争終結をもって終了よ」
白島はそう述べ、幹部たちを見回して口を開いた。
「当然、道龍会なんて団体はこの一戦をもってすり潰すわ。それができてこその天神会だもの。当たり前よね?」
紙屋は緊張からか、崩しかけていた足を静かに揃えた。失敗は許されぬ。いつだってそうだ。白島は失敗した部下と裏切り者を許さない。
「じゃ、伊織ちゃん。後はよしなにね。レギュラー以外の組も、道龍会の
「会長、ありがとうございました。では、続いては十月に開催の文化祭についてだけど──」
世羅の始めた当たり障りのない議題など、ゆみの耳にはもはや届いていなかった。紙屋はこちらに目を向けてはいなかったが──この抗争は道龍会ではなく、紙屋会との抗争になることは疑いようもない事実だった。
翌日放課後、祇園高校祇園会事務所にて。
「ほらあ、姉貴……白島の外道がよ、ワシらを本格的に
冷蔵庫から取り出した麦茶をゆみに出しながら、高子はあっけらかんと言った。いつかはそうなる、と覚悟してきた人間だ。驚きは薄かった。
「会長、ワシもそう思います。幸いこれは試合ですけん、正面切って戦うことはないでしょうが……ウチは人がおらんですけえ、まずは身を守る手段を固めたほうがええでしょう」
御子の言葉に同意するように、ゆりも含めた四人が見たのは──こくどうになったばかりの素人、安奈であった。
「……エッ、なんですか?」
安奈は麦茶に口をつけていたのを止めて、視線を感じたのか顔を上げた。
「安奈、お前
ゆりはそう言うと、事務所の金庫を手際よく開けて、ヒロシマ・リボルバーを取り出し、机の上に置いた。
「コレで練習したほうがええで」
安奈の脳裏には、銃の立てた重い音が、死を連想させていた。とうとう来たか、とも思った。こくどうである以上、戦いと──その結果の死からは逃れ得ぬ。
「ドスはのう……ありゃ良うない。見栄えはええかもしらんがの。あんなんで行くんは自殺覚悟のときだけじゃ」
高子は自らの持論──その意味するところは、実践を済ませている先輩として語った。
「
「ほうで、安奈。わしゃ結構射撃の腕前にゃあ自信があるんじゃ。奥出雲でよおけ練習したけんの!」
ゆりはそれこそ自慢するように胸を張って応えた。島根県奥出雲は広島との県境に位置し、北のこくどう達が射撃訓練や格闘訓練の実施、殺したはいいが処分に困る遺体を埋めにいく真の無法地帯だ。
「このあたりで撃てるところはないんですか?」
「ある。ヒロシマブルーアリーナの地下に射撃訓練場がの」
ヒロシマブルーアリーナは、その名の通りコンサートホールなどに使われる全天候対応のスタジアムであり、ヒロシマ市内中央部に位置しながら、協会の管理する緩衝地帯でもある。銃器を使用するがゆえに、それをもって
「よっしゃ。ほしたら明日はブルーアリーナに遠征じゃ」
高子が楽しげにそう宣言する一方で──ゆみは複雑だった。部室からは遠ざけているが──紙屋会から預かった大竹。降ってわいたような道龍会との試合。本来ならばもう少し時間が稼げるはずだったのに、それはもう叶わぬ。あまりにもタイミングが重なりすぎている。
ゆみは白島の胎動を感じている。祇園会──つまるところ長楽寺組の粛清、その時が近いと感じている。
高子達祇園会も口には出さないが、何かを感じ取っているはずだ。ブルーアリーナでの
「日輪。お前、年少おったときに、道龍会の連中とは絡まんかったんか」
ゆみの不意な質問に、高子は困ったように鼻先に手を触れた。
「いやあ、全然ないですわ。総長の金本なら、電話番号くらいなら……」
全員が顔を上げた。電話番号? それはもうほとんど知り合いと言えるのではないか?
「ちいと前に、義理事で席が隣になりましての。ちっこくてキンキンうるさいやつじゃったけど、まあ出世しよる。道龍会があがあにデカい組織になるなんて思いませんでしたわ」
「オフクロ、そら──かなり有利な話ですで」
御子は思わず身を乗り出した。こくどうの義理事とは、身内の冠婚葬祭や部活の発表会への参加、SNS経由での交流などを指す。
こうした場での繋がりが、意外と深い付き合いになる。バカにしたものではない。
「知ってのとおり、試合で相手に繋ぎを取れれば話をつけるきっかけにもなりますけえ」
後者の第一歩には、抗争中の両組織を仲立ちする人間が必要になる。見つからなければ協会が仲立ちするが、それは最終的な評価で言えばマイナスである。こくどう専用SNS『サンメン』において、手打ちの評価が匿名で行われる。抗争の勝者は手打ちの条件の良さと評価数──『ええじゃないの』ことEJN数で計測された結果決定する。
つまり、祇園会の日輪高子が仲立ちをすることは、高いEJN数につながるのだ。
「ほたら悩むことないじゃろうがよ。紙屋の姉妹ンとこが暴れようがなんしようが、ワシらが手打ちでナシつけられりゃ、この抗争の手柄はワシらが総取りじゃ」
後を押すようなゆみの言葉にも、高子はどこか浮かない顔だった。それが妙に感じて、安奈はおずおずと尋ねた。
「……何かあったんですか?」
「金本はのう……手打ちなんぞやらんで。あんなあはイカれとるけえ。全員
全員沈黙するしかなかった。話を聞かない。それ自体はこくどうの性のようなものだ。しかし──。
「姉貴。横っ面はたくんはいつでもできまあが。要はタイミングよ。……わしらはそれを図ればええ。命賭けてヤる相手でもないわ」
高子の言葉にゆみは頷いた。こくどうにも命の使い所はある。しかし問題はある──そうした敵前逃亡や戦闘義務を怠る行為を、あの白島がやすやすと見逃すとは思えない。それを契機としてさらに攻撃を仕掛けてくるやもしれぬ──。
「日輪。ブルーアリーナの件はお前に任せる。ワシは御子と組んで、道龍会に探りを入れる」
「抗争前に? 危ないですで」
「形だけでも動かんと、他の姉妹が納得せんじゃろ。それに、金本っちゅうやつ──どがあなやつか確認したいしのう」
長楽寺組は文字通り吹けば飛ぶような弱小団体。それゆえに小回りは効く。抗争前にできる限りの情報を集めておきたかった。
「そがあなことなら、お供させていただきますわ」
御子は当然のように言った。高子にしかできないことは多いが、彼女でなくても大丈夫なことであれば、すべて拾っていくつもりだった。
道龍会の内偵。おそらくは直接的な戦闘にはならないだろうが、危険な仕事になろう。
「御子なら安心じゃ。まあ、金本はたいぎい性格しよるけんの。せいぜい気をつけや」
一方その日の夜。
ミヤジマ市瀬戸内海上、周道荒涼学園所有クルーザー上にて。
曇天であった。
そんな中、船首の柵に手を伸ばすように、金本ニキは海上からヒロシマ市内──即ち黄金の米ビツを睨みつけていた。こんなにも近くにあるのに、決して届かぬ宝の山──夜空に瞬く星空のようであった。
「会長。今夜は暑うなりますで。中はクーラーが効いとりますけん、どうぞ……」
ニキはデッキチェアから身を起こすと、杖をついて立ち上がった。小柄な少女である。しかしその体勢は痛々しいまでにアンバランスだ。スカートの下から伸びる繊維強化プラスチック製の義足には、美しいエングレーブが施されている。彼女なりのオシャレであり、こくどうとしての泊付けも兼ねている。
「達川よ。やばいのう。見いや、あの明かりを。あれらひとつひとつが銭になるんじゃ」
道龍会若頭・達川はなは、潮風になびく髪を抑えながら、ニキの指差す方向を──黄金を見た。
ミヤジマ市以上の黄金の山。こくどうとしてヒロシマ市を抑えれば、何者をも恐れることはない。
「綺麗ですね」
「ほうじゃろうが。天神会との抗争──遠慮したることはなあで。わやほど殺しちゃりゃあええんじゃ。なんせ、ヒロシマ市は中国地方の
ニキは柵に手をかけて笑った。美しい少女だった。しかしその身体と同じく、彼女の精神はアンバランスだ。
こくどうは誰もが女子高生だ。それも突然なるものではない。必ず段階を踏む。白島や日輪のように、天賦の才能の持ち主もいるが、金本ニキはそうではなかった。
同学年の側近である達川は知っている。手榴弾で吹き飛ばされた親友の血と臓物を浴び、ニキが正気を失い──酷薄なこくどうとなったことを。
「
「やったれや。一人二人ぶち回しちゃれや。天神会はでかいんじゃけえ、ちいとおらんようになってもよう、大して変わらんわい」
そう呟くと、ニキはスカートの裏に差し込んでいたヒロシマオート(協会支給品の自動拳銃を指す)を抜いた。
「えっ、あっ──オフクロ、カシラ……」
その組員が夜風に当たろうとデッキに上がったのも、ニキの構えた銃口の先に姿を現したのも、何もかもが偶然だった。
ニキは構わず、トリガーを絞っていた。組員の脳がヒロシマ湾に撒き散らされて、ぐらついた体がそのまま落下して、飛沫をあげた。
「わやほどツイとらんやつじゃのう。出てこんかったら死なずにすんだのにのう……くわばらくわばら……」
銃口から上がる硝煙を吹き消すと、ニキは銃を達川に押し付けて、船室へと戻っていった。
達川の顔は冷えたまま変わらなかった。まとわりつく潮風が避けていくようだった。
ニキがこうすることには意味がある。彼女は病的な運命論者だ。生きるも死ぬも運次第。鬼が出るか蛇が出るか。銃口の前に飛び出してくるなど、ニキに言わせれば「死ぬ以外にないカス」というわけだ。
達川はそれを理解している。銃をヒロシマ湾に投げ込む。『運が良ければ』見つかりなどしない。ニキはそれを幾度となく繰り返してきた。その結果が今ここにある。
「オフクロ。次はどがあにしましょう」
ニキは船室から振り向いた。逆光がニキの瞳を輝かせた。達川にとってそれはヒロシマの光──黄金の輝きにさえ思えた。
「ほうじゃのう……天神会の枝にでもちょっかいかけたれや。最近直参になったっちゅう、長楽寺組か……それとも武闘派の紙屋会か……」
彼女は勢いよくソファに腰を下ろす。中にいた数名の組員は何も言わなかった。たった今死んだ姉妹のように、運が悪いとは思われたくなかった。
「ま、ええわ。目えついたとこからぶち回したれや。どっちにしても、
ニキはそう言い切って歪に笑うと、達川に顎をしゃくった。彼女はエンジンをかけた。クルーザーがヒロシマが港へと向かって、黒い静寂を裂いて進んでゆく。
天神会と道龍会の抗争──その火蓋は、最初にに銃爪を引くであろう者に委ねられたのだ。
そしてそれを今、道龍会会長・金本ニキが引き絞ろうとしていた。
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