第十三話 女子高生とこくどうの日常は表裏一体ですか?

 アストラムライン本通り駅の構内から、シャレオと呼ばれる地下街を歩いていくと、その中央に催事用のスペースが見えてくる。

 普段は何かしらのイベントをやっているらしいが、今日は生憎何もやっていない。赤い野球帽の親子連れや、買い物へと向かう老夫婦、デート中のカップルが行き交う。

 待ち合わせ時間まであと二十分はある。安奈は通販サイトで購入していた、お気に入りのクラシカルなワンピースとパンプスを合わせて、精一杯のオシャレをキメて、催事場に設置してある広告の前に陣取った。

 シャレオはこの催事場から放射線状に伸びていて、待ち人はどこから来るのかわからない。待ち人──リノはそう時間を待たず姿を現した。タイトなジーンズと黒いシャツ。その上に、長いワンピースをカーディガンのように羽織り、目元には大きなティアドロップのサングラス。金糸のような髪を纏めて、野球帽で隠している。


「リノさん」


「安奈さん。ごめんなさいね? 待たせてしまって」


「リノさん、すごくかっこいいです……!」


 安奈は素直な感想を述べ、リノはそれに少し照れてしまったようだった。


「あまり私服を披露することがないものだから……なんだかくすぐったいわ」


「私なんか、リノさんに比べたらセンスないみたいに見えちゃいますよ」


「そんなことないわ」


 二人はとりあえず、本通りを目指して歩き始めた。シャレオ内の可愛い服や雑貨を取り扱う店舗を覗き見していると、いつしか地上に上がっていた。


「アーケードを抜けた裏道にお店があるの。シフォンケーキが美味しいお店なのよ」


 シフォンケーキ!

 ふんわりシンプルな、安奈も好きなスイーツだ。目的の店──ウッド調の落ち着いた雰囲気のたたずまいの喫茶店だ──は、そこそこ混み合っていたが、すぐに座ることができた。

 シフォンケーキセット。運ばれてくるまでに少しだけ時間がある。暖かな日差しだが、まだ肌寒くもある。サングラスを外そうとしないリノのその目は、外を向いていた。


「あのう……」


 安奈は沈黙に耐えきれず、思わず尋ねた。


「ああ、ごめんなさいね。考え事をしていたの。何の話だったかしら」


「楽しい、ですか?」


「え?」


 安奈は自分が切り出した話に混乱しながらも続けた。


「私、何か失礼なことしてないですか? ちゃんとできてますか?」


「安奈さん。どうしたの?」


「す、す……すいません。私、わたし……もしかしたら貴女を不快にさせてしまったかもしれないと思って」


 自分から誘った分、祇園会のメンバーと違って、自分が責任を負って楽しませる必要があると、安奈は考えていた。こんなこと、何もかも初めての経験だった。故に自信がない。


「安奈さん。ケーキが来たわ。まずは食べましょう。とっても美味しそうよ」


 リノは礼儀を果たすように運ばれてきたシフォンケーキセットを撮影してから、ふわふわのケーキにフォークを入れた。


「まあ、すごい……軽やかなのにしっとり密度があるのね。安奈さん、これはすごいわよ」


 なめらかなクリームに切り分けたシフォンケーキをつけて口に運ぶ。緊張で味がしない。リノは、楽しいと思ってくれているだろうか?


「安奈さん。わたし、とても楽しいわ。ケーキはすごく美味しいし──」


「よ、良かったです」


「でもね。私達お友達でしょう? あなたも楽しいと良いのだけど」


 お友達。

 なんと嬉しい言葉だろう。しかし、自分が楽しんでいるかどうかなど、安奈は考えたことがなかった。こうして一緒にでかけ、ケーキを食べて感想を言い合ってくれる──それだけで十二分に貴重で、尊いことで、自分が楽しいか否かなど、考えもしなかった。


「あの──」


「安奈さん。答える必要だって無いわ。そんなの無粋じゃない。一緒にいて心良ければ、それでいいのよ」


 二人はそれ以上喋ることはなく、静かにケーキとコーヒーを楽しんだ。

 それは、何よりも穏やかな時間だった。




「おう、オッちゃんよう。ワリャあナメた真似してくれたのう」


 同日。本通りから少し外れた流川通りの一角──長楽寺組の事務所兼『お手洗い』の店舗ビルの一室にて。

 下腹の出た中年が、パンツ一丁のまま、事務所に正座させられていた。


「ワリャあ、店の女の子によりにもよって本番要求かい、コラ」


 日輪高子は組長用のデスクに腰掛け、協会支給型の強化カーボン刀切っ先──もちろん鞘から抜いてはいない──床を叩きながら、ドスを効かせていた。


「姉貴ィ。こんなあ、ワシにやらしてつかあさいや」


 ゆりがメラメラと目に炎を滾らせながら、両手で拳を握って開きながら言った。


「またんかいやゆりよ。まだちいと話聞いたらんと、可哀想じゃろうが。おうオッちゃん。どがあにするん」


 中年は震えるばかりだ。お手洗い──その実態はその名の通り手洗いだけの『風俗ではない風俗店』である。

 個室ブースに入り、会話を楽しみながら、担当の女の子が手を絡めて客の手を洗ってくれる。オプションでコーヒー・ケーキや、オムライスなどの軽食を食べる──食べさせてくれるオプションもある──そんな店だ。

 それ以外の性的なお触りは厳禁、本番など強要すれば万死に値する代わりに、一対一で女の子──現役女子高生まで含んでいる──と触れ合えるコンセプトのこの店は、長らくヒロシマの夜(作者注∶法律上の問題で八時までを指す)を支えてきた。

 しかしその実態はこくどう達の資金源である。当然、ケツモチが存在する。

 天神会紙屋会が出てくれば終わり──ヒロシマの遊び人の合言葉である。たまたま出張でやってきた東京のサラリーマンである男には、そもそもそんなことは知りようもなかった。


「オッちゃん、どこのおえらいさんなあ? 名刺出さんかいや」


「スマホでもええで。一番偉そげな連絡先に吹き込んじゃるけえ」


「か、勘弁してください!」


 男はとうとう土下座した。下着一枚で額を地べたにこすりつけるのは屈辱的だったが──社会的な評価や今後の面倒を天秤にかければ、軽い頭だ。

 ビジネス的な打算もあって下げた頭。並のこくどうなら、それで出禁にして終わりだっただろう。

 日輪高子は違った。


「オッちゃん、ワリャあこくどうの前で頭下げる言うんはどういう意味かわかっとろうのう」


 薄い頭髪をむんずと掴み、無理やり顔を上げさせる。


「こっちはのう。健全な店で料金は適正にして、可愛い女の子つけて、ワレみたいなボケにニコニコさせてメシまで出しとんじゃ」


「はい、そ、そのとおりです……」


「東京のビジネスマンじゃけえ、ヒロシマの店を舐めとんかい」


「そのようなことは……」


 男の首を、高子が片手で掴んで締める。とても女子高生の力ではない。こくどうの根性は物理を超え、尋常でない力を生むのだ。


「のお、オッちゃん……ほたら誠意を見してくれや。どこの会社なんや。言うてみい」


 名刺を出せ、と仄めかしている。躊躇する度に、指が首にめり込む感覚が男を襲った。

 殺される。そうでなくても相手はすでに刀を見せているのだ。


「い、いいます……言うから許して……」


「さっさ言わんとつまらんで」


東京の有名商社の部長──そうした男でさえも、こくどうのもつ暴力の前では無力だった。

 ゆりはそれを見て、胸のすくような思いがした。さすがはオフクロ、祇園会の跡目──。一年の間、我慢したかいがあった。あの時間は無駄ではなかったのだ。


「高子姐さん! ……あっ、お取り込みですか」


 このお手洗い──『シャイニーハンズ』の店長である亀山あきが飛び込んできたのは、不埒な客を叩き出し終えた直後の話だった。

 ゆりは訝しげにあきに尋ねた。


「あきちゃん、どしたんね」


「ゆりさん、やばいんです! 宇品さんがいらしてて……」


 天神会本家から、ゆみが盃をもらって既にニ月が経つ。白島から内輪揉めについては厳重に禁止するというお触れはあったが、それでも紙屋会からのちょっかいは防げていない。

 もちろん紙屋本人は動いていないというていであるが、彼女の姉妹子分が勝手に動いてこの店に悪さをする。

 それでも、三次団体所属の下っ端が店の周りで騒いだり喧嘩をしたり、客に因縁をつける程度のものであったが──紙屋会舎弟頭でもある宇品が顔を出したのは厄介だった。高子とは同格のこくどうだが、相手はそうは思っていまい。


「オフクロ、ワシが相手をします」


 ゆりは拳を握りしめていた。こくどうである彼女にとって、紙屋会の行為は『ナメている』の一言に尽きた。ナメられたままでは女を張るこくどうはおしまいだ。

 何より──ゆりの逆上せた頭には至らなかったが──初めから高子が出張るのは、問題があった。

 同格のこくどう同士の争いは、どちらの貫目が重いか──その優越感マウントの取り合いと言い換える事ができる。

 宇品を相手取るのに、初めから同格の高子が出ていくのは、それ以下の子分には宇品を御することができなかったことになり、相対的に高子の評価が下がる──つまり、貫目が落ちる事となる。

 これが御子ならば二つ返事で行ってこいと背中を叩いただろうが──今日はいない。彼女は安奈と組ませている。

 いずれは、宇品クラスのこくどうが出てくるとは思っていたが、こうも早かったとは。


「わかった。……ちいと粘って時間を稼げ。ワシが後詰めになっちゃるけえ」


 個室に入る直前のウェイティングルーム──高級ソファに腰掛けて、手持ちのタブレット型清涼剤を何個かまとめて放り込むと、宇品はがりがりとそれを噛み砕いた。

 もう一人の女は俯いたままだ。制服からしても元町女子学院の生徒であるのは間違いない。


「こら、宇品さん。どうも」


 ゆりはどこか大物を気取るような気持ちで、向かいのソファに腰掛けた。


「タコ。ワリャあ、三次団体の下っ端のクセして、口の利き方がなっとらんど」


「そらえろうすいませんのう。今日はどがあな用向きですかいの」


 宇品は再びタブレットを口に放り込んだ。


「面倒を見てほしいもんがおるんよ」


 俯いたままの女は、わずかに体を震わせた。長い黒髪はごわごわと毛量だけが多く手入れが甘い。糊の効いた制服の襟を見るに、一年生のように見受けられた。


「宇品の伯母貴……面倒ちゅんはどう見ちゃりゃあええんかいね」


「下働きでもさせたりゃええんよ。挨拶せんかい」


「大竹あきらです……」


 宇品は背中をばんと叩いた。大竹はそれに身を震わせたが、それ以上は何も喋らなかった。卑屈そうな左目が、前髪の間から覗いた。


「しかし宇品の伯母貴。そがあなことなら、うちの親分に言うとかんと返事は……」


「あ? ワリャあガキの使いかいや。ワシャお前を見込んで頭を下げよるんで」


 タブレットを噛み締める音が、遠くで鳴る店内のBGMに混じって、奇妙なリズムを生んだ。

 高子はまだ来ない。しかし呼びに行くことはできない。宇品はいまここで返事をしろ、と言っている。とても席を立つ雰囲気ではない──。

 ゆりは頭がキレるほうではないが、それでも怪しいと感じた。

 何かを狙っている。それがなにかまでは、ゆりには分からない。


「ボケ。だんまりかいや。ワシャ暇じゃねえんよ、祇園会のゆりさんよお。はっきりせえや」


 宇品はもはや苛立ちを隠さない。ビビっているわけではない。ゆりが恐れているのは、こくどうとしてナメられることだけだ。


「ほしたら──」


「いやあ、宇品の姉さん。遅うなりましてえろう申し訳ありませんのう」


 絶妙なタイミングで高子が割り込んで、空いているソファにどっかと座った。こうなればもう今日は店じまいだと、あきに外の看板を変えさせたのだ。


「遅いんじゃ、コラ日輪よう」


 宇品はふんぞり返った。本来であれば同格だが、組織としての大きさから宇品は高子に大きな顔をしたし、高子もまたそれを容認していた。

 もっといえば、宇品はケンカして高子にやり込められているのだが──お互いそれを持ち出すことはない。

 言わぬが花、という言葉もある。


「わしの子分じゃけえ、ものを知らんのよ、姉さん。わりいが勘弁しちゃってくんない」


「モノを知らんのはええわい。大竹を預かってくれるんか、くれんのか、どっちじゃ」


 大竹のことは高子もよく知らなかったが、こくどうの友好的な組同士で、組員の身柄を預かり客分とするのはよくある話である。宇品はいかにも下っ端として扱えとでも言っているようだが、その真意は真逆であろう──紙屋会の下っ端によるスレスレの嫌がらせから見るに、今回のことも無関係ではあるまい。

 となれば、この大竹というこくどう、何かあると見るのが普通だ。


「長楽寺組は小さいですけえ、迷惑がかかりますで」


「ワレもわからんやっちゃのう。四の五の言わんと預かれえ言うとんじゃ」


「紙屋の姉貴もご存知なんですかいのう」


「当たり前じゃ」


 ならば、高子から表立って言うことはない。長楽寺ゆみは今のうちは天神会内部に波風を立てない方針だ。来たるべき日まで、しかるべき力をつける。反抗はしない。


「ほたら、長楽寺の姉貴にも話は通しますけん」


 宇品はタブレットを噛み砕きながらにい、と笑みを浮かべると、さっさと腰を浮かせた。


「おう、頼んだでえ。……大竹よう、よおけ勉強させてもらわんかい」


 大竹はこくんと小さく頷いただけだった。特段危険な雰囲気もない、普通の人間に見える。


「大竹言うたか」


「……はい。よろしゅうお願いします」


 小さな声だった。顔を上げ、前髪が揺れ──右目だけが覗いている中に、左目が垣間見えた。

 その間に、焼けただれたような醜い肌もあったことに、ゆりは気づいた。


「わかった。姉貴にゃ明日会わせるけん。悪いが今日は帰ってもらうで」


「……はい。仲良うしてください」


 妙な言葉を残して、大竹は事務所を去っていった。高子はそれに引っかかりを覚えたが、胸のうちにしまい込んだ。


「ゆり、悪かったのう。遅うなってから」


「いえ……宇品の伯母貴はなんであがあなしょうもない若衆を寄越したんですかいの」


「わしにもわからん」


 爆弾を潜り込ませるのは、こくどうの常套手段だ。つまるところは足の引っ張り合い──鉄の掟があるこくどう社会は、内側からの攻撃に弱い。一年だとしても油断はならない。


「とはいえ、他の連中にも警戒させといたほうがええのう。得体がしれん」


「ほいじゃ、ワシメッセ送っときますわ」



 夕方六時を過ぎ、帰りを急ぐビジネスマンや学生の姿が見え始めた頃。

 安奈とリノはその後も二軒ほど店を回り、スイーツを食べ比べた。待っている間に、他愛もないことを話した。好きなテレビ番組に、よく見る動画。SNSでフォローしている有名人──こくどうのこ、の字も出なかった。

 お互いに、もしかしたらこくどうかもしれないという疑いは持っていた──かもしれない。

 しかしそれを今言って何になるというのだろう。女子高生が二人、美味しいものを食べたいという普通の欲求を満たすために、そんな肩書は必要だろうか。

 友達に、そんな腹の探り合いは必要だろうか。二人は何も言わなかった。

 本通り駅の近く。階段を降りればすぐ改札口のところまで来て、楽しかった一日を反芻するように、二人は改めて顔を見合わせた。


「それじゃあ安奈さん、またご一緒してね。約束よ?」


「ありがとうございました。本当に楽しかったです」


「私もよ。──とても、楽しかったわ」


 安奈は手を振り、階段を降り──リノと別れた。

 リノは姿が見えなくなるまで手を振っていたが、彼女が消えた瞬間、サングラスを外した。左目を隠すように前髪を下ろし、普段の様子をいくらか取り戻す。理由はひとつ。安奈と別れたその刹那──路地を折れていく、見知った生徒の姿を見たからだ。

 大竹あきら──白島莉乃もよく知る、天神会所属の一年生だ。

 彼女一人が歩いているだけなら、どうということはなかった。そのまま見過ごして帰ったことだろう。

 しかし、大竹は男二人に囲まれ、一緒にビルとビルの間の暗い路地に吸い込まれていったのである。

 危険だ。

 白島莉乃は天神会会長として、責任というものが課せられる立場だ。とても見過ごせなかった。


「ヒロシマの女子高生と遊んだら箔がつくべ?」


 ちゃらついた大学生らしき男がへらへら言った。それだけで、考えが足りない人間であるだろうことに予想がついた。

 ヒロシマの女子高生に邪な考えで手を出すことは、それ即ち死に触れる行為だ。大竹は小さくもじもじしながら何か呟いていた。


「ねえ、名前なんてえの? カラオケ行こうよ。何もしないからさあ」


 痺れを切らした片割れが、大竹の右手を掴み上げた。彼女の長い前髪が持ち上がり──醜く爛れた肌が露出した。


「うわッ。なんだよ……キモ」


「ハズレじゃん」


 男二人が身勝手な毒を吐く。間に合わない。奴らは地雷を踏んだ──もはや無傷では助からない。大竹の右袖からナイフが滑り落ち──男の鼻を刃が横断した。

 一瞬の出来事だった。遅れて、傷跡から血がごぼごぼ溢れ、鼻の両穴からも鼻血がどろりと流れ出した。

 情けない悲鳴を上げて逃げ出す友人と、取り残された男はその場にへたり込んだ。

 男が見上げた大竹は──泣いていた。異常な光景に、男は尻もちをついたまま後ろへ下がろうとするが、遅々として進まない。


「可哀想……あなた、可哀想よねえ」


「何を……」


「愛してもらえんかったけえ、そうやって言葉で人を傷つける……可哀想な人」


 振り上げたナイフに夕日が差し込んで、ぎらりと光った。男は、大竹の目も同じようにギラギラ輝いているように見えた。


「そんな可哀想なヤツが──ワシをバカにすんなや」


 振りかぶったナイフを持つ手を、掴む者がいた。大竹はその者を見て、涙を流すのを止めた。


「か、会長ォ!」


「その辺りでおやめなさい。貴方、もう行って」


 男は地面を転がるように、一目散に逃げ出していった。白島が手を離してから、大竹はナイフを仕舞った。


「大竹さん。どうしたの」


「か、か……可哀想な人たち……うち、それを教えてあげよう思うたんよ。それだけなんです」


「あなた、年少オツトメ明けたばかりでしょう。連れもなしに一人でどうしてこんなところに……」


 大竹は何も答えなかった。本人もよくわからないまま、ここまで来たのかもしれなかった。

大竹は天神会で多分に漏れず、白島に心酔するこくどうの一人であるが、大多数の者とは事情が異なる。まだ一年生だが、すでに年少を経験しており、久々に娑婆に出てきたばかりだ。

 現在、行儀見習いを兼ねて紙屋に預けていたが、一体どうして──。


「うち、うちねえ。宇品の姉さんに言われたんよ」


「宇品──みのりちゃんの舎弟だったわね」


「姉さんが、祇園会を探れえ言うてね……おとなしゅうしとったら、会長も褒めてくれるいうけえ」


 祇園会を探る。紙屋が彼女らを目の敵にしているのは──もちろん白島もそうだが──把握していた。

 しかしそれに大竹を使うとは。

 複雑な心境だった。大竹はかなり扱いが難しいこくどうだ。同じ天神会の小競り合いに使うような人間ではない。

 その一方で──白島莉乃というこくどうは、それを面白いと感じていた。憎き怨敵、日輪高子の背中に、刃を突き立てられるかもしれない。

 はっきりした。会長という肩書以前に、白島はこくどうという獣なのだ。


「大竹さん。宇品さんと私──どちらのほうが偉いかしら」


「か、会長の方がえらい……」


 大竹は卑屈ともとれる笑みでなんとかそう述べた。


「そうよね。……なら宇品さんやみのりちゃんの言うことを私にも教えて頂戴。祇園会の情報もね」


「わ、わかりました」


 白島は自分がすでに残忍な笑みを浮かべていることに気づいていた。脳裏で、安奈と食べたシフォンケーキが砂のように崩れ、その味が血のように変わる。

 こくどうは血を求める。他ならぬ己がために。安らぎと友情を求めようとした自分が、敵を貶めようとする策を練る──。安奈を誘ったのは、そうした血を求める自分にも、そうでない自分が残っているのではないか、と期待したからだった。

 たしかに残っていた。ただそれは、こくどうとしての自分を揺るがすものではなかった。

 白島莉乃は生粋のこくどうでしかありえなかった。

 ゆえに彼女は決意する。

 日輪高子を苦しめて殺す。奪われた左目と同じく彼女の大切なものを奪い、惨めな死を与えてくれる。

 夕方の赤い夕陽が、白島莉乃の背中を血のごとく染め上げ──その道行さえも紅く舗装しようとしていた。


続く


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