第二話 こくどうのカリスマなんですか?

「なにを眠たいこと言うとんじゃこんボケがァ! 寝言じゃったら寝かしつけたるけえ寝てから言わんかい!」


 姉貴分からの鋭いビンタが、宇品の頬を襲った。文句は口にも顔にも出さない。当然予見していたことだった。

 赤茶の明るい髪をツインテールにまとめた宇品より小柄なこくどう──元町天神会直系紙屋会会長、紙屋かみやみのり。天神会一の武闘派である。


「そのへんにしたれや、紙屋の姉妹しめぇよ。宇品は会長の言いつけどおり手え出さんかったんじゃけ、悪うないじゃろうが」


 腰まで届く長い黒髪にてぐしを入れながら、紙屋の五分の姉妹分──小網こあみさんごが言った。天神会直系小網会会長。天神会現体制下における二大勢力であり、天神会会長に絶対の忠誠を誓う二本柱の片割れである。


「舎弟のしつけはワシの仕事じゃ。姉妹でも口出し無用で」


 みのりはそう言うと、直立不動の宇品をそのままに、自分は生徒会用応接ソファにどっかと座った。

 元町女子学院内元町天神会の本部は、生徒会室である。これは、元町天神会が生徒会の名を借りて、学校を実効支配していることを意味する。

 宇品は一年でありながら舎弟頭であり、紙屋会の一年生筆頭、期待をかけられている。いずれ二年になれば盃を直し、組を持つだろう。本気になれば、紙屋は舎弟だろうが子分だろうが半殺しにする。叱責で済んでいるのはそういう事情だった。


「で、じゃ。日輪のガキィ、まだ祇園会じゃなんじゃ言うとんか」


「はい。年少で話聞いとらんのかもしれんです」


「ほうか」


 祇園会前会長、安佐めるが襲撃カチコミされて命を落とし、それに対し跡目が指名されなかったことから、こくどう協会は祇園会を解散したとみなした。

 今となっては、祇園高校には生え抜きのこくどうがいないと聞いている。日輪は抜け殻の母校に帰ることになる。彼女に恨みをもつ紙屋にとっては愉快な事実だった。


「宇品よ。ほいじゃ、ワレが日輪にただただイモ引いたんは、飲んじゃるけえ。じゃがの、二度は無いで。会長の許可が出たら、日輪のガキは真っ先に弾かないけん。ワレ、天神会の一番槍くらいとってみんかいや」


 宇品はバツ悪そうに頷いた。無理もない。紙屋はとにかく激情型だ。姉妹分でも目に余る。

 しかし、紙屋がこういう性格だからこそ、姉妹分である小網が生きてくるし──なにより、会長はそうした紙屋の苛烈さを気に入っているようだった。


「お邪魔だったかしら」


 涼やかな声であった。紙屋が、小網が、そして宇品がその場に直立不動する。声の主──白島莉乃はくしまりのが、扉のそばに立っていた。

 選択式の制服の一つである吊りスカートを履き、白いブラウスに緑のリボンタイ。流れるような金髪。顔にはレース付きの黒布で左目を覆っている。知らぬ人間が見たら、ぎょっとすることは疑いようもない。

 しかしその顔は穏やかである。落ち着き払った──それでいて優雅さすら感じる佇まいだ。


「まあ、もう座っていいのよ。何のお話をしていたの?」


 白島は全員を尻目に奥の上座席に座った。誰も口を開かない。それは自主的な沈黙であった。動物園のライオンの檻の中に入ってしまった人が、大声で叫ぶだろうか。白島会長の前での私語は、それくらいに危険なことだった。

 口火を切ったのは、紙屋であった。


「わしとこの舎弟頭──この宇品ちゅうんが、偶然日輪に出くわしたんで、クンロク入れちゃろう思うたらしいんですわ」


 あえて嘘は言わなかった。白島の不興を買えばそれまでだからだ。紙屋は姉妹分である小網と共に、彼女の出方をよく理解していた。


「それで?」


 笑顔さえ見せながら、白島は愛用の茶器を取り出し、梅昆布茶の粉末を入れてポットでお湯を入れた。

 お湯の落ちる音がいやに長く感じた。


「日輪のボケ、宇品に頭突きをカマしおって……ほいじゃが会長、こんなあも会長の命令はきっちり守って手は出さんかったんよ。わしがキチッと言って聞かしましたけ」


 ずず、と梅昆布茶をすすり、一息ついてから、白島はそう、とだけ呟き──宇品に向かって言った。


「大変だったわね、宇品さん」


 宇品はといえば、会長に恐縮しきりで体を固くしているばかりだ。

 白島には三つの伝説がある。祇園会との抗争の折、敵対するこくどうに左目を奪われたにも関わらず、その日のうちに返しに赴き、祇園会会長を単身弾いた──。

 それが一つめの伝説だ。そしてもう一つの伝説。目から銃弾が貫通したことによって、彼女の脳は傷ついてしまった。当時の白島は一般的なこくどうと同じく苛烈で口が悪かったが、今では性格が百八十度違ってしまっている。そこまでのダメージを受けながら、死ななかった。

 白島の不死伝説は、こくどうとしての地位を不動のものとした。故に、天神会はその伝説に敬意を払い、畏怖を共有する形で一枚岩に固まっている。白島さえ望むならば、長期政権すら可能だろう。

 彼女はそれほどの神性カリスマを持つに至ったのだ。


「貴女も、姉貴分の顔だけは潰すようなことをしてはダメよ」


「は、はい」


「私や天神会の顔を潰さないでね」


「会長、自分はそがあなこと……」


「私はあなたに言い訳は許可してないわね?」


 喉にドスが突きつけられたように、鋭い言葉だった。宇品は黙って頷いた。殺される。まるで崖っぷちに立ち尽くした人間が背中を押されたように、宇品はそれを覚悟した。


「みのりちゃんが言って聞かせたことを蒸し返すつもりはないのよ?」


 白島は笑顔のまま、ずずとまた梅昆布茶を啜った。


「クンロク、大いに結構よ。ただそれをその場でやり返されたら貴女のメンツが立たない」


「はい」


「日輪さんの事は、いずれ始末をつけるわ。貴女はそのときに存分に働いてもらう。それでいいわね」


 宇品は何度も首を縦に振った。自分が存在することを許されたような気がして、心の奥から泉が湧くように喜びがせり上がってきた。会長の器はデカい。紙屋が顎をしゃくって退室を命じ、彼女は生徒会室から脱出を果たした。

 生徒会室の扉が閉められたと同時に、白島は梅昆布茶を飲み終え──一際大きな音を立てて茶碗を置いた。その底には、鬼の顔が描かれていた。


「みのりよ」


 空気が変わった。


「会長……」


「あんまりの、日輪のバカタレにデカい顔さすなや」


 白島のこめかみに血管が浮いているのを、小網は見た。白島の最後の伝説──それは、彼女の性格は一年前よりさらに苛烈になっているというものだった。

 組織は恐怖のみでは回らない。だがこくどうの世界では、恐怖が組織の原動力だ。白島はこのあまりにも大きい裏表を使い分けることで、容易に掴みきれぬ器を手にしたのだ。


「宇品のバカタレには、年少オツトメ覚悟で日輪弾かせますけえ……」


 白島は応接テーブルを蹴った。茶碗がガタガタと音を立て、二人のこくどうの身を震わせた。


「ワレ、いつの間に天神会のアタマになったんじゃ? それを決めるのはワシじゃろうが。誰が弾け言うたんなら。言うてみい」


「まあまあ会長。紙屋の姉妹も天神会の事を思うて言うとるだけですけえ。姉妹が言いたいんは、行けえ言われたらすぐ出られるいうことですわ」


「小網の。祇園高校の差配はお前とこの子分じゃったの」


 祇園高校は現在、表向きにはこくどうがいないこととなっている。祇園会も解散状態だが──実情は、小網組のジドリを受けた二人の生徒と、祇園会相談役が、最低限の渉外役として機能している。

 つまり祇園高校は天神会の事実上のシマでもあるのだ。


「日輪のことを見張れ言うことですか」


「それもあるがの。うちの相談役通して、いっぺんうちに挨拶させろや」


「そりゃ会長の仰ることなら。ほいじゃが、日輪のガキが応じるんかわからんですで」


「祇園会を復活させちゃる、言うたら違うじゃろ。飛びつくわ」


 祇園会を復活させる?

 紙屋と小網は顔を見合わせた。負け犬になったこくどうに餌をやるなど、この世界では考えられなかった。下手したら天神会の格が落ちる。


「バカタレが。組が無いノラのこくどうに、天神会がカチコミかけられるかいや。年少オツトメ覚悟で日輪に喧嘩ゴロまくのも気に食わん。協会にナシつけて、正式な試合カチコミならサツも文句言わん」


「会長がなさった時みたいに、事後承諾を協会に認めさせるんはどがあです?」


「ありゃ裏技じゃけえ何回も使えんわ。協会オヤの通りも悪いけえの。とにかく、後の段取りはワシが考えとるけえ、まずは日輪のガキに挨拶させえや。わかったの」


 白島はそれだけ言うと立ち上がり、先程まで宇品に見せていたような穏やかな笑顔を見せると言った。


「まかせたわね。二人とも」

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