第三話 運命的に出会うのは偶然ですか?
上島安奈はその日のうちに友人を作れなかった。友人がいないことが当り前過ぎて、始めての教室でどう立ち回るべきなのか──それが全くわからない。
転校生というのは注目を浴びる。安奈はそれがどうも居心地悪く感じて仕方がない。
東京のことを聞かれもしたが、彼女は西東京出身で、二十三区にはまともに行ったことがなかった。
結果、何か困ったことがあったら教えてね、と言われるに留まった。クラスメイトの名前もろくに覚えられない。何だか自分が惨めに感じて、泣ければ泣いてしまいたいが──泣けなかったし泣くわけにもいかなかった。
父は母と離婚した。もう半年になる。別に問題のある夫婦ではなかったように思う。父が暴力を振るったこともなければ、母が浮気に走ったこともない、と聞いている。ただなんとなく二人は一緒にいることを拒むようになり、それぞれの人生を歩むようになった。
とくに母がいなくて困ったこともない。安奈は大体の家事はできたし──父はそれなりの稼ぎがあるからだ。
ただ、安奈はいつも一人だった。困ったことがないというのは、自分に解決すべき課題がないことでもあり──進むべき道や正解の選択肢が全く見えないことを意味した。彼女はやがて口をつぐみ、日々をやり過ごすように生きてきた。
東京からこのヒロシマに来ることになったときも、それは変わらなかった。
どうせ自分は一人ぼっちだ。
黙ってれば嫌なことは過ぎてゆく。それでもだめなら謝れば良い。それでダメなことは──先程まで遭遇したことはなかった。
お昼も一人で校舎の裏庭。学内販売のパン屋が有るらしいが、場所がよくわからなかった。結局、家で作ってきたおにぎりと野菜ジュースで済ませることになった。
裏庭の奥で、なにやら諍いの声がしたのは、安奈の気のせいではなかった。
「いい加減にせえ、ボケが! 天神会の三下が歩いとってええ場所と違うんで!?」
また天神会。ふと、自分を助けてくれた──高子の顔が脳裏に浮かんだ。彼女は祇園会だと言っていた。
もう一度会えるかもしれない。校舎の脇から見える現場──言い争っているのは、茶髪ロングの白いカーディガンを羽織った少女と、黒髪姫カットの少女。そして、同じような顔をしたメガネの少女二人であった。
「おーこわ。何回いうても理解できんのかいや」
「ほうですのう、姉様」
「ほしたら何回でも言うたるけえ、よう聞きいや。元町天神会直系小網組は、祇園会の代わりにこくどう部の活動を代行しとる。ワシらはその代理人じゃ」
メガネの少女は誇らしげに薄い胸を張ってそう述べた。
「小網組舎弟頭、長楽寺ゆみがそれを立派に務める限りは、お前らの出番なんぞないで。おうワレ、弓ィ引くなら覚悟せえよ。ひき肉にしちゃるでコラ」
「ナニコラ! タココラ! わりゃ祇園会がイモ引く思っとんかワレ! 上等じゃ、挽き肉でも粗挽きでもしてみんかいワレコラ! つけ麺のトッピングにしちゃるでコラ!」
姫カットの少女が額をぶつけそうになるくらい顔を近づけ凄むが、長楽寺は涼しげに笑うのみだ。なおも噛みつかんばかりの少女を、茶髪のカーディガン姿の少女が制止する。
「ええけえ、そのあたりにしたらんかい……長楽寺さんよ、ええ加減筋が通らんのじゃないんかいや。日輪の姉貴もそろそろ戻ってくるんじゃ。出迎えもできん、事務所も抑えられよるじゃカッコがつかんで」
「つかんでええじゃないの。どのみち小網の姉貴が首縦にふらんとお前らは活動もできん。お情けで許してもろうとるいうこと、よ〜け噛み締めェよ」
長楽寺姉妹は小馬鹿にするように笑った。
「そのへんにしとけや。大体、他の学校のこくどうが、代理でシマの管理する言うて聞いたときからきな臭いと思うとったがよ。大体──」
長楽寺の後ろにいた少女──彼女と同じく吊りスカートで、背の高い方が、ヒロシマ・リボルバーを抜いた。
「太田川さんねえ……勘違いしとるで」
銃口を向けられて、黒髪の少女はたじろいだが、太田川と呼ばれた少女は一歩踏み出した。全く動じていない。
「何が勘違いじゃ、おう?」
「祇園会は一年前に無くなっとろうが。協会がそれを認めとるんじゃ。それをうちの会長があんまりじゃ言うて、こがあな回りくどい真似して、維持しとるんじゃろ」
「ほしたら……」
「ほしたらも干し柿もあるかいや。わしらは祇園会の代理の前に天神会じゃ。親の代わりに、やれ事務所じゃ復活じゃ言うて勝手できるかいや。おう、悠よ。カタギの皆さんにチャカお見せすんのは目に毒じゃ。下ろしたり」
「姉さまが言うのなら」
悠と呼ばれた少女は銃を下げた。太田川はそれ以上何も言えなかった。ただ拳を握り締めるのみだ。長楽寺はそれを見て小馬鹿にするよう笑い、悠を伴って校舎へ戻っていく。
「姉貴! わしゃ悔しゅうて仕方ないで。大体、安東のクソアマが協会に人事申請をやってなかったんがケチのつきはじめじゃ。祇園会の跡目は姉貴じゃったのに」
「ゆり、その辺にしとき。どがあに言うても、長楽寺の言うことにウソは無いんじゃ。……それに、日輪の姉貴が戻ってくりゃ、もっとええがに……」
怒りが収まらぬのか、ゆりと呼ばれた姫カットの少女は歯噛みしながらあたりを見回す。校舎の隅にいた安奈に気づいたのは、その直後のことだった。
「ワレ、なあに見とるんじゃコラッ! 見せもんじゃないで!」
「えっ、あの、ご、ごめんなさい……」
「謝って済んだらこくどうはいらんのんじゃ、ボケ!」
ずんずんこちらに向かってくる! ひいっ、と情けない声をあげる安奈の胸倉を掴もうと手を伸ばしたその時、その手首を掴む者があった。
「おう、いかんのう。カタギの姉ちゃんに迷惑かけたら……」
手首を掴んだのは、会ったばかりの女──日輪高子であった。
「日輪の──姉貴ィ!」
ゆりも安奈も巻き込んで、太田川は彼女の胸に飛び込んでいた。無理もなかった。一年という月日は、彼女らにとって永遠とも思える長さだった。
「御子。ゆり。なんじゃ、二人だけかいや」
高子はどこか皮肉めいた笑みを見せ、飛び込んできた太田川と、その間でサンドイッチになっているゆり達もまとめて抱きしめた。
「一年の年少──お疲れです、姉貴!」
「おう。遅うなったわ。ま、年少言うとこは何もできんけえ、気が狂いそうになったわ!」
高子はまるで、昨日見たテレビの内容でも話すように──一年前と同じ笑顔で言った。
太田川は目元を拭うと、仕切り直すように頭を振った。
「姉貴、今のウチの話はご存知ですか」
「天神会のボケ共が、なんやシマウチでイキっとるみたいじゃの。ほんで? 学校の中にまでおるんはどがあになっとんじゃ」
太田川は忌々しげに表情を強張らせた。敬愛する姉貴にこんな苦労をかけるために、一年も耐え忍んだわけではない。
「それについては、ここじゃちょっと。場所を変えんと厳しいですわ」
「ほうか。ほんなら、ちいと考えにゃならんの」
高子は眉をなぞって少し考えてから、口を開いた。
「部室……も、あんなあらが使っとんか。ほしたら、学校終わったら、飯でも行くかの」
「放免祝いに、お好み焼きでも奢りますで、姉貴」
高子はそれに頷きながら、困惑した表情で二人の後ろへ回った安奈を見た。
安奈はと言えば、少しだけ緊張していた。こんなにも早く高子と再会するとは思っていなかったのだ。
「日輪の姉貴、こんなあはどがあにします? わしらを勝手に出歯亀しよったんじゃ」
ゆりは安奈を指差しながら不満げに言った。
「姉貴、行けえ言われたらわしが型あハメちゃりますけえ」
「言わんわ、バカタレ。……また会うたの。姉ちゃん」
安奈はなんと言ったものか逡巡した。女子高生が乱暴極まる言葉遣いで罵り合い、あまつさえ喧嘩寸前まで行く。まともではない。
しかし、日に二度もまともではないことに巻き込まれたこと自体に、安奈はなにか運命的なものを感じていた。その入り口となった、日輪高子という存在そのものにも。
「姉ちゃん、この後メシでもいかんか?」
「姉貴、この人は?」
太田川は訝しげに安奈を見る。鋭い目つきであった。
「駅でちょっとの。東京からの転校生らしいで。……姉ちゃん、メシくらいええじゃろ。この太田川が全部奢るけえ」
高子の言葉に、太田川が驚く。つまりはよそ者のカタギだ。それを奢るということは──。
「姉貴。ほいじゃ後で──。自分、名前はなんちゅうん?」
「えっ。はい、上島安奈ですけど……」
「安奈。わかった。わしは
太田川はそう一方的に述べると、去っていった。
「相変わらずぶっきらぼうじゃのう……ほいじゃ、安奈。あとでの」
高子の後ろにくっつくようにして、ゆりがこちらを睨みつけながら一緒に去っていく。
中庭に残った安奈の心臓はなぜか高鳴っていた。新しい環境。新しい出会い。今まで、やり過ごすように生きてきた人生が変わるかもしれない。
安奈は心臓の音を感じるように、胸に手を当てた。その鼓動の高鳴りは、間違いなく本物だった。
続く
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