第一話 こくどうって、なんなんですか?
「ボケコラ! わりゃあどこに目ェ付けとんなら!」
女子高生が、だ。
彼女は同じく女子高生だったが、ボケコラと言われたこともなければ言ったこともなかった。父親の会社の都合で、というよくある話での転校。十七歳の安奈にとっては悲しさ半分期待半分といったところだった。
その矢先に、ボケである。ヒロシマの女子高生はヤクザ口調で話すのか? そんなわけはない。何か聞き間違いだろう──。相手にせず、綺麗に整備されたヒロシマ駅を通り抜け、そのまま駅から直結している新交通システムと呼ばれるアストラムラインという黄色いモノレールに乗った。
車両がモーター音をあげながら動き出す。
「おう、姉ちゃん。どこのもんな? 見かけん面ぁしとるのう」
先程ぶつかった女子高生と同じ制服の女が話しかけてきたのは、席に座った直後のことであった。
灰色を基調にした吊りスカート。白い清潔感のあるブラウス。垂れ目のショートボブに揃えた、どこか人懐こそうにも見える──見た目だけは清楚な雰囲気の女子高生である。
「聞こえとんじゃろうが。返事ははよせんといかんで、姉ちゃん」
なんと言っていいものか、わからなくなって口籠る。そのうちに、他の車両から同じ制服の女子高生が何人も集まってきて──やがて、車両に乗っている人間は、安奈以外はその高校の人間、という状況になってようやく異常に気がついた。
同じ女子高生を見る目ではない。まるで獲物を見つけたような──。
「宇品の姉貴、このよそもんはうちらと口も聞きたあない、言う顔ですで」
半分笑ったような顔で、女子高生の一人が言った。宇品と呼ばれた女はにい、と歯を見せて笑い、棒付きキャンディの包を取って口の中に入れた。
「ほうかあ、姉ちゃん。寂しいのう。名前くらい教えてもらわんと困るで」
安奈はそれでも黙っていた。どう考えたってまとう空気が違いすぎる。東京で受けた仲間はずれのような生半可なものでないことはすぐに感じ取れた。
「わしの子分に肩あぶつけて挨拶もせんじゃ、うちらも引くにひけんわいな。おう、姉ちゃん。ちょっと次の駅で降りてもらおか」
次の駅は祇園駅。運悪く目的地だ。これでは逃げようがない。導かれるままにたどり着いたのは地下一階の駐輪場──人がいるかもしれないと考えたが、今いるのは女子高生軍団と安奈だけだ。ツイてない。
いやしかし──わかってもらえるはずだ。
たしかに、怖くて何も言わなかったとはいえ、謝るほうが正しい判断だったはずだ。そうだ、謝ってしまえ。安奈がそう考え口を開こうとしたその時だった。
「姉ちゃん。言っとくが謝って終わらせよう思うんはもう遅すぎるで」
がり、がり、と宇品がキャンディを噛み砕く。耳障りなだけのそれが、安奈の恐怖心を妙に煽った。
「どがあにカタぁハメちゃろうかのう」
「姉貴、こんなあはメイド喫茶にでもネジこんじゃりゃええですで」
子分らしき女が笑みを浮かべながら言う。とても文字通りのメイド喫茶の話をしているようには聞こえなかった。もっともバイトならどこかでやってみたい気持ちはあるが──とまれ何かとんでもないことに巻き込まれたのではないのか、と安奈が気づいた頃には、もう遅過ぎた。
「あのう……どうしたら許してもらえますか?」
とはいえ安奈は正直だった。正直故に素直であった。その言葉に他意はなかったし、彼女らのことを侮るような気持ちもなかった。
だから彼女らが顔を見合わせて不気味に笑った意味もわからなかった。
「姉ちゃん、そがあな言い方は良うないで」
自転車の影から女が一人現れて、大きな声でそう述べた。ざんばらとした黒髪短髪、スカートの下にはスパッツ。活動的なスニーカー。青いブレザーの上着を肩に羽織った爽やかな風貌である。
「こくどうもん相手に何でもするはいかんわ。くいもんにされるで、姉ちゃん」
「勝手なこと抜かすなや!」
「どこの三下じゃ、ワレ。見たところ祇園高校の制服か? 驚きじゃの。あの学校、まだこくどうやっとる連中おったんか?」
宇品は値踏みするように突然現れた女をじろじろ睨めつけた。
「何味じゃ?」
「あ?」
「ワレが舐めとるポッピンキャンディ。何味じゃ、言うとる」
「わけのわからんイチャモンつけんなや。ぶち回すで、ワレェ」
ずい、と女は鼻先まで近づく。宇品と額がぶつかる。
「おお、ええ目をしとる。ワレ、制服から見たら天神会のもんじゃろ? ここは祇園会のシマで? がんぼは良うないの」
祇園会。天神会。安奈にとって意味不明な単語が飛び交う。
次の瞬間。宇品はもんどりうって地面に転がっていた。女が宇品に頭突きを繰り出したのだ。砕けたキャンディが糸を引きながら口から飛び出した。
周りの女子高生が、一斉にスカートのポケットに手を突っ込む。女はまじまじと地面に散らばったキャンディのかけらを観察する。
「チョコバナナ? センスないのう」
がちり。数人の女子高生が銃を握り、こちらにその銃口を向けてくる。安奈にはそれが、まるで昔見たダムの排水口のように見えた。
その中からは死が漂ってくる。危険だということはわかる。なんで、銃が。視界がぎゅっと絞られたような気がした。
「おう!祇園会の日輪高子の前でチャカ抜くんならもうイモは引けんで。行く道行くつもりじゃろうの!?」
まわりにびりびりと振動が伝わるかのような大音声であった。
たじろぐ女子高生ども。額を抑えながら歯噛みする宇品は、やがてそれを手で制した。
「やめえ。……祇園会の日輪言うたのう。ワレ、
「ほうよ。学校行く前にラーメンでも食おうか思うたら、姉ちゃん困らしよるけえ」
高子はこともなげに言ってのけた。
「カタギの姉ちゃんに迷惑かけるようになったら、そらしまいで。のう。天神会の姉ちゃんら」
チャカをしまうのに、皆長い時間をかけた。本来であれば、高子を穴だらけにするまで止まらなかったはずだ。
高子自身も妙だとは思っているが、顔には出さなかった。
「聞き分けがええじゃないの」
「……日輪ァ。ワレ、夜は月が明るい日だけと違うで。覚えとけや」
宇品は口惜しげに歯噛みしながら、背中を向けた。
「おお、覚えといたるわ。お前らの不甲斐なさをのう。居ねや、三下」
高子の挑発にも乗らなかった。一年前ならば考えられぬ。天神会も衰えたか。
「あのう、助けていただいてありがとうございました」
安奈は深々と頭を下げていた。何はともあれ助かった。悪夢を見たような気持ちだったが、目の前のこの高子に礼を言わねば気が済まなかった。
「あれは、一体……」
「自分、ヒロシマ県民じゃなかろお? こくどうに侘び入れるんは考えてせんと」
「わ、私東京から出てきたばっかりで全然知らなくて……こくどうって、なんなんですか?」
安奈の素朴な問いが、高子は妙におかしく感じてしまって、笑いをこらえきれずにふきだしてしまった。
「私、おかしなこと言っちゃいました?」
「言うとる言うとる。言われてみりゃ、わしにもわからんの」
一年が経った。
あの雨の日から一年。女子高生には長すぎる一年だった。あの日から、高子はずっと考えている。
こくどうとは何なのか?
答えは出なかった。だから、見つけ出す他ない。少なくとも、殺し損なった天神会の白島を、今度こそ殺すためにも。
「姉ちゃん、わしゃ行くが──東京もんには生きづらい街で、ヒロシマは。なんか困ったことがあったら、わしを訪ねてくれや。祇園会の日輪いうもんじゃけえ」
「私、上島安奈です。日輪さん、ありがとうございます」
「おう。邪魔して悪かったの。ほいじゃの」
高子はそうして、安奈と別れた。祇園高校──山の上にある、言ってしまえば古臭い雰囲気の学校である。
しかし高子はまだ知らぬ。古巣においてまた、上島安奈と邂逅し──彼女こそが、高子の最後の姉妹分になるという事実を。
続く
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