ヒロシマ女子高生任侠史 こくどうっ!
高柳 総一郎
プロローグ 雨の色は血の色なんですか?
その日のヒロシマは雨だった。
しとしとと降り始めた雨は、夕方から夜にかけてざあざあと道を濡らし、視界が塞がれるようだった。
流川通りにあるメイドカフェの前に車が止まったのは、夜六時のことであった。
「
止まった車の前に、女子高生がすばやくかけよるとドアを開け、大きな黒い傘を差した。
ヒロシマの名門、元町女子学院の制服である。吊りスカートに白いブラウス。清潔感がある、洗練されたデザインだ。車の後部座席から降りてきたのも、同じ制服の女だった。
制服と違って、三白眼気味のギラついた目をした女であった。
「おう。ご苦労さんじゃの」
「へい。姉貴には面倒を──」
「バカタレが。ヘマしたメイドのケツ拭くくらいで手こずりおって。こくどうもんはナメられたらしまいど」
頭を下げる女の胸を、白島は小突いた。このメイド喫茶は、白島が幹部を務める女子高生極道団体──通称『こくどう』のシノギで経営しているものである。
こくどう? シノギ? 女子高生が?
読者諸氏におかれては、意味不明だ、ありえないと思われるだろう。しかし、極道都市ヒロシマにおいては、女子高生すら徒党を組んで渡世を送るため、組織を結成するのは当たり前のことで──その過程で命をやりとりするのも当たり前のことなのである。
そう、こくどうとは女子高生が女子高生らしく生きるために行う部活動の一環であり、互助会的な役割を持つ。ヒロシマの女子高生の身持ちが固いのは、そうした事情が根ざしているのだ。
しかし、現実の極道達がそうであるように、そうした互助会活動には少なからず団体同士の衝突があるものである。
「白島ァーッ!」
ざばざばと雨が河のようになったアスファルトを踏み荒らしながら、一人の女が叫んだ。
暗い道の奥から、青いブレザーを羽織った女が現れる。その手には両手で把持したヒロシマ・リボルバー(作者注・ヒロシマこくどう協会から支給された公式カチコミグッズ)。
傘をさしていた女が、白島の前に飛び出したが、ももを撃たれてもんどりうって倒れた。
「ボケェ……どこのこくどうもんじゃ、ワレェ!」
「死ぬやつに自己紹介いるかいや! 大人しゅう死んだれや!」
リボルバーから三発目の弾丸が発射された。白島は自分も抜こうとしたが、無駄だった。
左目に当たったのだ。
焼けるように痛い。倒れたと同時にばしゃばしゃと雨が跳ねる。撃たれた。
彼女は嫌な想像を浮かべる。何もできないまま、二発目を叩き込まれるかもしれない。
しかし、それは杞憂に終わった。
襲撃者──祇園会若衆・
こんなにも足がもつれるものか。雨の中、スカートがめくりあがるのも構わず高子は走った。激しい雨が、まるで身体を溶かしていくようだ。
暗闇の中を走る彼女の心中は、目の前の光景と同じ不安でいっぱいだった。
「えらいことになりましたで!」
黒髪姫カットの女──沼田ゆりが、部室──祇園高校こくどう部こと、祇園会の扉をまるで破るように飛び込んできたのは、夜も遅い時間だった。息を切らす間もなく、彼女は開口一番叫んだ。
「どした、ゆり。うちはそろそろ帰るで。ぴぃぴぃ言うなら明日にせんかいや」
部室で帰り支度をしていた
既に八時。若衆以外の幹部はみな帰宅している時刻である。
こくどう部においては、若衆がシノギの統括のため、自主的に部室に何名か残るのが普通であり──不幸にもこうした不測の事態にも最初に動かなくてはならない。
「日輪の姉貴が、天神会若頭補佐の白島をハジいたんじゃ!」
部室がざわついたのも無理はなかった。一方で御子の中に去来したのは『とうとうやってしまったか』という、諦めにも似た納得の気持ちであった。
日輪高子は生粋のこくどうである。ここ数ヶ月続いてきた天神会の嫌がらせに対し、一番頭に来ていたのは彼女だった。
行く道を行ってしまったのだ。
「仕方ないのう……まずは幹部会を招集じゃ。ゆり、メッセでええけえ全員叩き起こし。相談役は確かまだ部屋におったはずじゃ。呼んできい」
「姉貴はどがあに?」
「わしゃあ協会に問い合わせて、警察に探りを入れる。日輪の姉貴はただの若衆と違う。明日から姉貴は若頭じゃけんの」
二年の日輪高子が、若頭に就任する。それは実質的な祇園会の跡目に選ばれた証左でもあった。
同時に、それは試練が課せられたとも言える。こくどう活動は基本的に高校三年間の間にのみ行われることが多く、中学から鳴り物入りで、などといったことは少ない。
皆同じ条件。ほとんど横並びだ。
それはつまり、こくどうとしてデカい手柄を立てる必要があることをさしていた。日輪高子の器量は良い。カリスマ性もあり、シノギもよく回している。二年生の中であれば納得の人選だ。
だがそれは内部に限る話であり、外部から見れば、彼女は単なる消去法で選ばれたに過ぎない。そんなことでは当然ナメられる。
高子は焦っていた。そして、天神会のちょっかいは、その焦りに火を点けてしまったのだ。
とはいえ、姉貴がやってしまったのは事実だ。こくどうは頭でなど考えない。いつでも身体で動く。ナメられないためには、自分から動き出す他ないのだ。
「夜分遅うにすんません。メッセでお話したとおりです」
「御子。日輪が走ったんは聞いたが──白島はどがあになったんじゃ?」
祇園高校こくどう部主将にして現祇園会会長、安佐めるは、小さな体を会議室奥の椅子に押し込めて足を組み、切り出した。
「はい。病院に担ぎ込まれたようですが、命に別状はないみたいですけ」
「下手あ踏みおったか」
三年生のめるは、跡目を高子に譲ることを決め、受験に専念する予定であった。しかし、こくどう協会が認めた
本格的な抗争に発展すれば、二年生で抑え込めるかは怪しい。
「教科書の利権かいや?」
「困るねえ……あんたら、教科書利権については、ようけ話し合わんといけん言うたじゃないの」
のんびりとそう述べて、メガネを拭いたのは
言わば、こくどうとして過剰すぎる活動を抑え込むストッパーとして期待される役職であるが、ことこの安東という女はいつもどこか他人事である。
「話し合い言うても話し合いにならんにゃ意味無かろうで。天神会のアホ共、お抱えの業者以外全部に嫌がらせしとる。頭に来とったんは、日輪だけと違うで」
めるの会長としての最後の懸念。そして、御子たち後輩たちの現実的な問題──それが教科書の利権であった。
ご存知のとおり、教科書は各学校が文科省指定の本を、業者から仕入れる形で生徒に供給される。が、ここ数年、出版不況からくる過剰な営業行為が頻発し──結果こくどうが間に入るようになったのだ。
そこまではよくある企業への『守り(作者注:用心棒代を要求するのではなく、汚れ仕事を請け負うことを指す)』を各校のこくどう達がシノギにしている程度の話だったが──天神会は学校出入りの業者のみならず、対象をヒロシマ全域に広げた。
逆らう業者には嫌がらせを行い、自分たちに協力するよう要求していたのである。
こくどうのシマ──そのルールはシンプルだ。学校のある街周辺が、おおまかな活動区域となる。ところが天神会はヒロシマ市内でも有数の中心街──歓楽街である本通りや流川を含む『市内』をほとんど手中に収めている。大体の業者は、会社をそのエリアに構えているのだ。つまり、天神会に見境なくシノギにされては手出しができない。
祇園会の出入り業者は、偶々学校の近くに会社を構えていたため、天神会の影響を避けることが出来ていた。しかしここ数週間ほど、天神会による遠回しな嫌がらせが業者に続いており──その会社の社長が日輪に泣きついたというのがことの経緯である。
無理もないことだ。こくどうを裁くことができるのはこくどうだけである。
これは何も精神論を言っているわけではなく、純然たる事実である。ヒロシマの司法はこくどう部の活動には──もちろん条件付きであるが──関与しない。よって、こくどう同士のトラブルはこくどう同士でケジメをつける。
たとえそれが殺しであったとしても、だ。日輪はそれだけの覚悟を持って、白島の襲撃を実行したのである。
「ま、ワシらが考えとるとおり──天神会の連中も返しを考えとるじゃろうの。一年終わりから若頭補佐の白島じゃ。幹部候補生で買われとろう」
「日輪の姉貴もほうでしょうが」
「明日ならそうじゃ。ほいじゃが、まだあんなぁはただの三下じゃ」
そもそもが、こくどうの喧嘩は面倒くさい。だが始まってしまえばそうは言っていられない。天神会は若頭補佐の目を奪われたのだ。
警戒すべきは返し──つまり報復である。そうなれば、犠牲は二人や三人では済まないかもしれない。加入率九割を超える天神会と比べれば、祇園会のこくどう部加入率は三割程度。実働となると十五人だ。比較にならない。
こくどうの世界はメンツの世界だ。やられたら同じだけ、いやそれ以上やり返すのが普通だ。
めるはそのわかりやすさを理解していた。だからこそ、決断せざるを得なかった。
「日輪から連絡はまだないんじゃの?」
「はい」
「わかった。……今回は手打ちに持ってく──が、ただ頭は下げんで」
「手打ちはわかるけど、頭は下げんてどういうことなん?」
にわかに安東の声のトーンが上がった。
「会長、あんた天神会に勝ち目がない思うたんじゃけ、手打ちにする言うたんと違うの?」
「ほうじゃ。じゃが、逆にいやあ日輪のお陰で条件は悪うない。わしは引退前で時期が悪い。奴らも同じよ。こがあな時期に戦争やれるかいや」
天神会の現会長も、受験による引退を公言していた。白島という後継者がいるからこその行動だろう。こんな時期に波風は立てたくないと思うのが、人情というものだ。
ちなみに、こくどうの中には確固たる地位を築き、二十歳半ばまで現役を続ける者も存在する。
「会長。ほいじゃ、天神会と手打ちして──教科書の問題は解決するんですか?」
「するようにする。日輪はまだ白島を殺るつもりでおる……とぶち上げちゃる。事実そうかもしれんけんの。その上で、手打ちに持っていく。白島のガキも人間じゃ。片目取られたらビビっとるじゃろ。とにかく、業者から手ェ引かせりゃ、うちの利権は守れる」
「会長。いくらなんでも都合がええようにとらえすぎじゃない?」
安東の懸念ももっともであった。ただ、めるの考え自体には、御子に異論はない。
ここで手をこまねいていれば、天神会は祇園会を嬉々として潰しにかかるだろう。こくどうの世界に専守防衛はない。いつだって先制攻撃が是とされる。
「やるしかなかろうで。……先生、もうひとつ頼みがある」
「なんね?」
「立会人になってほしい。……祇園会の会長代行として、太田川御子を指名する」
有無を言わせぬ言葉であった。めるは常に、きっぱりとした態度を示すことのできる女で、その言葉に偽りはなかった。
だから、御子もその言葉に違和感なく頷くことができた。
「日輪の骨は、お前が拾え」
「ええんね? 会長指名は跡目確定、こればっかりは覆せんのよ?」
「わしが代行じゃ言うたら代行じゃ。先生、とにかく後は頼んだで。天神会との手打ちにゃ、協会の立ち会いも必要になるけえ、先生から連絡頼まあ」
めるはそれだけ言うと、さっさと立ち上がって部室の扉に手をかけた。
「会長、どちらへ?」
御子はめるの背中を追った。彼女は振り向きもしなかった。すべきことをしたこくどうの背中であった。
「車を回してもらうで。……天神会に話し通すのでも段取りがあるけんの。よう言うじゃろ。マカロンにもパンケーキにも段々がある言てからよ」
めるは重苦しい空気を残して、扉を閉めた。たった三人の幹部会。めるを差し引き、教員である安東を差し引けば、祇園会の幹部は御子だけだった。
これが現実か。あまりにも頼りない。ふと思う。日輪の姉貴なら、どうするだろう。
「太田川さん。ほいじゃ、うちは協会に報告があるけえ……跡目のこともね」
安東はおずおずメガネを押し上げながら言った。重要な役目だ。
相談役や組長には、こくどう部内の人事を協会へ報告する義務がある。裏を返せば、報告がなければ人事は承認されない。
個人的な盃はその限りではないが──いわば協会は通常の極道でいう母体組織であり、各校の部はその子、いわば直系団体と言い換えることができるだろう。
通常ならば、同じ母体を持つ直系団体が抗争をする理由などないのだが、こくどう部においてはむしろそれが推奨されている。
許可さえ取れば、
「……とはいえのう。姉貴がおらん祇園会なんぞ、いつ崩れてもおかしゅうないで」
むなしかった。これではお山の大将と同じだ。姉妹盃を交わした──こくどうの世界では二人で自撮りすることがそれに値する──日輪と共に会を動かすのが夢だったのに。
「会長、ええがにしてくれるんかいな……」
校舎の外、窓の下──ベンツに乗り込むめるの後ろ姿が見える。雨がベンツのライトの先で跳ね、きらきらと輝いた。めるにとっても、御子にとっても、むなしい輝きでしかなかったろう。
その目の前に、人影が現れるまでは。黒布を乱暴に顔に巻いた金髪の女が現れるまでは。
その手には、鈍く輝くヒロシマ・リボルバー。
カチコミだ。御子は窓に手をかける。叫ぶ前にその女は、リボルバーの引き金を引いた。クラクションが叫び声のように鳴り響く。銃口をずらす。
「やめろーッ!」
雨が御子の叫びをかき消してゆく。雷が落ちる。マズルフラッシュがその中に溶ける。
女は背を向け、去っていく。そこに死だけが残される。
もう返しが行われたのだ。
あまりにもあっけない幕切れだった。頭がくらくらする。会の連中になんと説明すればいい?
不意に部屋に備え付けられた電話が鳴った。受話器が重いと感じたのは、初めてのことだった。
『わしじゃ。日輪高子じゃ』
「姉、貴……」
『しくじったわ。すまん。……これから、中央署に自首するわ』
報告を受けてから二時間も経っていない。姉貴分にどんな声をかければいいのか御子にはわからなかった。
「姉貴」
『ええか、御子。わしがおらん間、天神会の連中は容赦せんで。ほいじゃが、白島のガキは左目を撃ち抜いてやったけえ、しばらくはどうにもならんはずじゃ。よう動かんじゃろ。その間に──』
「姉貴──わしゃ、どがあにしたらええんですか」
『どうしたんじゃ』
御子はそれ以上言葉を続けることができなかった。同時に窓の外に閃光が奔る。雷が部屋を暗闇に引きずり込む。あまりにも一度に多くのことが起こりすぎた。
自首したこくどうは、独自の法律で裁かれる。こくどう──女子高生としては長すぎる一年の刑期を過ごさねばならない。過酷な日々になるだろう。
敬愛する
果たして真実を伝えることが高子のためになるのか。御子は躊躇ったのだ。
『御子よ』
「姉貴──わしゃ、もうどがあにしたらええか」
『御子。……一年後、また話聞くわ』
声はぷつりと切れた。
それきりだった。もっとかけられた言葉があったかもしれない。
できたことがあったかもしれない。全てはこの降りしきる雨のように流された。残ったのは後悔だけ。
こくどうにとってそれは、もっとも必要としないものであったことは分かっていたが──御子の中にはそうした感情がうずまき続けた。
雨が降っていた。降り続いていた。御子はずっとその雨を見ていたが、そうもしていられなかった。
「姉貴。わしは──」
こくどうにはこくどうのやり方があり──使命に直結する。
恐れられる者。影を歩いた上で、理不尽に理不尽を返す者。
理不尽を為すものは、考えない。そんな暇はない。
電話をかけ直すことだってできる。警察にスマホを押収される前に、もう一度話すことだって──。
しかしそれはこくどうのあり方ではなかった。姉貴に泣きついてどうしたらよいか泣きわめくのは違う。
稲光が窓の外、雨雲を割いて輝く。暗がりの窓ガラスに映った御子の顔は、すでにこくどうになっていた。
続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます