正すものと狂い出すもの


 お嬢様には大丈夫と言ったが、やはり宮殿の中に居ると5年前を思い出す。それは、決して良いものではない。人とすれ違うたび罪人と指さされているのではないかと不安に駆られ、早く旦那様のお屋敷に戻りたいと強く思ってしまう。

 この年になっても、人の噂というものは怖い。


 そう考えると、「アリス・グロスター」お嬢様はお強い方だ。

 あれから少し調べたが、ミミリップのグロスター領地では「悪役令嬢」……いや「悪魔令嬢」と呼ばれ今でもなおその名は語り継がれているらしい。家族にも邪険に扱われていたようだし、私にはなぜそうなったのかが全くわからない。

 ベルお嬢様に憑依してた彼女の行動を見ていると、何かの誤解としか言いようがないだろう。


 そうそう。

 どうなっているのか全くわからないと言えば、この状況も年寄りの私にはよくわからない。


「で? 貴殿は、女性と遊ばれていたということでよろしいですかな」


 宮殿へ足を運びクリステル様の診察を終えた私は、ラベル殿の案内でサレン公爵令嬢様のお部屋を訪れた。部屋に入ると、甘ったるいベラドンナの香りがして少しだけむせたが……まあ、この程度なら耐性がある。窓を開けてこれなら、相当強い毒物と言えるだろう。

 そんな彼女が、私を宮殿から追放したロバン公爵の娘と聞いて緊張していたのだが、今はそれよりもこの状況をどう噛み砕いた方が良いのか……。


 ソファベッドで横になるロベール殿の脈を計りながらそう聞くと、すぐさま反論が返ってくる。


「ち、違う! べべべべ、別に遊んでいたわけでは」

「左様ですか。では、お嬢様に報告させていただきますね」

「な゙!? なぜ、そこでベル嬢が出てくるんです……」

「一応、お嬢様専属の医療者ですから。こうやって普通に出向きましたが、お嬢様の許可がないと来れません。なので、終わったら日報のような報告は必須でしょう」

「ぐっ……。いや、でも」

「はいはい、脈が乱れるので落ち着いてくださいな」

「~~~~~っ!」

「ベル嬢とは、どなたなのですか?」


 私たちが話していると、奥にあるベッドへ座ったサレン様がキョトンとした顔で聞いてきた。

 ロバン公爵の顔に似ず、とても可愛らしいお顔をしている。こうやって遠くに座っているのも、敵意がないと伝えてくれているのだろう。気遣いのできる女性だ。これでは、ロベール殿がかまいたくなるのも無理はないが……。


 なんて、彼がサレン様にかまいたくなる理由はなんとなく察せる。

 会って少し話してわかったのだが、彼女はアリスお嬢様にそっくりなのだよ。性格、ふとした時の表情、それに、立場が。自身が毒であるとの話を信じるとするなら、アリスお嬢様よりも立場が……いや、同等だな。サレン様は、あそこまで過剰に周囲の人間に嫌われているわけではない。


 にしても、この状況。

 婚約者の居る、しかも隣国のご令嬢のお部屋に単独で乗り込むとはいかがなものか。緊急事態だったにせよ、これはよろしくない。カイン皇子が聞いたら、卒倒しそうだ。

 確か、今はシン第二皇子が帰国しているらしくそちらの対応に追われているようだが……。


「あ、いえ……。えっと、仕事の関係で」

「やや、仕事の延長線でのお付き合いでしたか。それはそれは、お嬢様に報「ややや、やめろ! 違う! そんな機械的な関係ではない!」」

「では、どう違うのですか?」

「ぐぅ……」

「ははは。それだけの元気があれば、後遺症などの心配はないでしょう。薬で熱も下がっていますし、症状も一過性のものですね」

「……ありがとうございます」

 

 まあ、部外者の私は楽しい。

 サレン様の少し寂しそうな表情を見る限り、どうやらロベール殿に懐いているらしい。しかも、直近でどうというものではなく、これはかなり前からだと思われる。皇子の婚約者を横取りするような方ではないのはわかっているが、外部の人間が見たらどう思うのかまで頭が回っていないのだろう。若い証拠だ。

 いや、彼女が言葉通り「毒人間」であるならば婚約破棄になるか。その辺は、私が考えることではない。


 とはいえ、ロベール卿が好意を抱いている相手は彼女ではなくベルお嬢様らしい。……いや、「アリスお嬢様」か。きっと、直感でベルお嬢様をアリスお嬢様だとわかっているのか? 年寄りにはわからん。

 それに、私がベルお嬢様=アリスお嬢様と教える立場ではないから、その辺りはノータッチで行かねばな。あまり首を突っ込んでも、お嬢様が困ってしまう。


 とりあえず、今はロベール卿の体調も診れたことだし、あとは……。


「さてと。……サレン様の診察をしてもよろしいでしょうか?」

「あ、えっとこれ以上近づくと……」

「私は、以前毒を専門とした医療者でした。なので、多少は大丈夫ですよ。申し訳ございませんが、場所は移動できないのでこのお部屋でも良いでしょうか」

「……はい、お願いします」

「お顔の色が優れないので、お辛いでしょう。先ほど、ロベール卿に使った薬は貴女様には効かないのですか?」


 本命の彼女を診ましょうか。

 毒人間であるかどうか、これでわかるはず。


 好奇心と少しだけの恐怖を抱きつつゴム手袋を二重に装着し、私は彼女の居るソファへ近づく。


 


***



 アインスが出かけて1日が経った。今日の夜帰るって言っていたけど、予定通り用事は進んでいるのかしら。


 今日は、風が強いわ。

 お庭の花たちが、いつもよりも激しく左右に揺れている。茎が折れないかなって見ているのだけど、そんなことはなさそう。

 植物って、結構強いわよね。細い身体なのに、倒れないんだもの。


「~♪」


 フォンテーヌ家に課されたお仕事を終えた私は、門扉近くにある花壇のお花たちにお水をあげていた。

 たまに、こうやって時間を見つけてお花のお世話をするの。もちろん、バーバリーの許可は取ってあるわ。……イリヤがね。


 バーバリーは、相変わらず私の前に姿を現さない。正確には、私の近くに……か。

 一応ほら、あそこの木の上から私のことを見ててくれているのよ。最初はソワソワしたけど、今は彼女が居るってわかると安心する。慣れって怖いわ。


「~♪」


 ああ、良い天気。

 風が強くなければ、お洗濯物がよく乾くでしょうに。もったいないわ。実に、もったいな……。


「!?!?!?!?」


 別の花壇に向かおうと方向転換すると、視界にイリヤが入ってきた。

 しかも、普通の彼女じゃない。めちゃくちゃニヤついてこっちを見ているじゃないの!


 え、いつから居たの?

 私、ずっと歌ってた気がするのだけど……え、聞かれて……たみたいね。だから満面の笑みなのでしょう。ああ、失態だわ。


 きっと、今日の夜……いえ、午後からこの話が広まるのね。最近知ったのだけど、私の行動を記した「ベルお嬢様報」というものがあるらしいの。

 使用人の間で、新聞のように配られているとか。イリヤに聞いたら「なんですか、それ。……どこから漏れ……いえ、なんですか、それ」って。隠すの下手すぎるわ! もっと、隠すなら上手に……いえ、今はそうじゃない。


「お嬢様、可愛い。ああ、癒し」

「……忘れて」

「はい。お嬢様報に記したら忘れま……おっと、口が滑りました」

「今すぐ忘れてちょうだい!」


 聞いちゃいない!


 イリヤは、私の隣に来てジョウロを受け取ると、さっき歌っていた唄を口ずさみ始めた。恥ずかしい。恥ずかしすぎるわ……。


「……イリヤも、この唄を母様から教えていただきました」

「いつ、教えていただいたの?」

「弟が生まれる前だった気がします」

「え。イリヤって、弟が居るの!?」

「はい。14年ほど歳が離れている弟が居ます」

「イリヤが家族の話をするの、とても嬉しい。ありがとう」

「……お嬢様」


 懐かしい顔して歌っていたと思ったら、そういうことだったのね。


 イリヤは、お家を勘当されているの。お父様と仲違いしたのだって。

 でも、お母様とは仲が良かったらしいの。あの、医療室にあるぬいぐるみの話を聞いた時は、思わず泣いてしまったわ。……亡くなったって聞いてね。

 でも、可愛いものが好きなだけで勘当って、怒りしかない。こんな優しいイリヤを勘当するなんて、目の前に彼女のお父様が居たら抗議しちゃいそう。会わないようにしないと。


「イリヤは、幸せです。イリヤのお家は、ここですから」

「じゃあ、私がイリヤの妹になる!」

「……それは嫌だ」

「え?」

「あ、いえ。お気遣いありがとうございます。お嬢様は、イリヤの主人ですから」

「そうね、イリヤは私の専属だもの」

「はい! ずっとずっと、お嬢様の専属です!」


 なんだ、そういうことね。イリヤみたいに優秀じゃないからダメなのかと思ったわ。

 でも、妹って良い響き。私も、妹が欲しい。弟でも良いわ。コウノトリさんが運んできてくれると嬉しいのだけど。


 さて、お水やりを続けましょうか。

 あと2箇所の花壇に、お水をあげないと。大きく育て、大きく育てって。


 でも、私もイリヤもできなかった。


「誰か! 誰か、お願い! サルバトーレ様が!」

「!?」

「!?」


 馬の足音と共に聞き覚えのある女性の鋭い声が聞こえたと思えば、門扉前にサヴィ様の付き人のクラリスが全身血まみれになって馬に跨っていたの。

 私は固まってしまったけど、イリヤはすぐに動いた。


「状況は!」

「すぐそこで、馬車が襲われて……サルバトーレ様が助けを呼んでこいと! お願いします! サルバトーレ様を!」

「バーバリー、行け。……殺すなよ」


 その声は、私が誘拐された時と同じもの。

 男性のような鋭い声で、イリヤはバーバリーに指示を出した。……どういう関係なの? よくわからないけど、いつの間にか側まで来ていた彼女は、


「いく」


 と、言葉を発し私の隣を駆け抜けていく。

 しかも、高い門扉を登って向こう側へと行ってしまったわ。


 初めて聞く声とその行動に驚くも、今はそんな場合じゃない。

 イリヤと一緒に急いで門扉を開き、クラリスを招き入れる。すると、騒ぎを聞きつけたアランがこちらに向かって走ってきた。


「わ、私も、サルバトーレ様のお側に向かい……」

「クラリスさんはダメ! アラン、布を持ってきてください! 止血します」

「はい! 屋敷の者も呼んできます」

「クラリス危ない……!」


 バーバリーが走っていくのを見たクラリスは、そのまま倒れるように馬から落ちた。それを素早くイリヤが抱きかかえ、ゆっくりと地面に下ろす。


 彼女も、怪我をしているみたい。

 イリヤは「ごめんなさい」と言って、クラリスの着ていた服を引きちぎり肌を出した。そこには、何かで切られたような大きな傷があり、血が流れている。

 付けていたエプロンを急いで剥ぎ取ったイリヤは、それをクラリスの腹部に当てた。けど、ダメなの。すぐに、白いエプロンが血に染まっていく。


 それを見ながら、私はクラリスの馬の手綱を取り「ちょっと待っててね」と言って門扉へとくくりつけた。次は……。


「布が足りない……」

「イリヤ、これ使って。裾は汚れちゃったけど、上の方はさっき着替えたばかりだから」

「え!? お、お嬢「いいから、早く。私もやるわ、どうすれば良い?」」


 私は、シュミーズとコルセットだけの姿でイリヤに近づき、直前に脱いだ服を差し出した。

 緊急事態の時は、なりふりかまっていられないでしょう。

 それよりも、クラリスには悪いけどサヴィ様の安否の方が、ずっとずっと気になって仕方ないの。


 風が強い。

 神風でありますようにと、祈るしかないわ。


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