大切なものを守り抜くために


 夢を見た。


 目の前に広がる映像を見て瞬時に、これは夢だとわかった。なぜなら、とても幸せな光景だったから。


『アレン、カモミールを一緒に摘みましょう』


 ここは、どこの屋敷の庭だろうか。少なくとも、グロスター伯爵の屋敷ではない。かといって、見慣れたロベール家でもない。

 まあ、グロスター家はありえないな。だって、俺が行く理由はもうないから。彼女の居なくなった場所に行ったところで、何をしろと言うんだ。


 それにしても、ここは綺麗な場所だな。

 真っ赤な薔薇に、均等に置かれた木々。……ああ、あの木の上で昼寝をしたら、風が気持ち良いだろう。

 それに、カモミールの白い花がゆらゆらと左右に揺れている。白より黄色が目立つな。これは、収穫時期だからだろう。早く採って、お茶に……でも、飲んでくれる人なんてもうどこにも……。


『アーレーン? 聞いてるの?』

『……え?』

『全くもう。アレンったら、上の空で! なあに、気になるお方のことでも考えていたの?』

『……あ、貴女は?』


 そんな美しい景色を見ていると、不意に目の前に女性が現れた。

 銀色で艶のある髪を靡かせ、こちらに向かって眉を釣り上げている。このご令嬢は誰なのだろうか。なぜ、俺の前に居るのだろう。こんな、面白みのない俺の隣に……。


『何言ってるの? アリスよ。まだボケるのには早いでしょう?』

『……アリス、お嬢様? え、でも』

『何よう……。今日は、一緒にカモミールを摘もうと思ったのに』


 俺の知るアリスお嬢様は、5年前お亡くなりになった。家族に毒殺され、使用人に土を盛られて2度殺されたはず。嘘じゃない。目の前で見たのだから。

 あれからずっと彼女が殺される夢を見続け、精神を壊ししばらく宮殿にお世話になったのは記憶に新しい。今朝だって、彼女に祈りを捧げたばかりじゃないか。


 それに、アリスお嬢様の髪色は金だ。どんな宝石にも負けない輝きを放ち、どこにいてもすぐにわかる。

 なのに、今はシルバーの輝きを放っている。身長だって、こんな小さくなかった。それに、それに……。


『お嬢様、なのですか』

『そうよ。見慣れない?』

『……』

『え、ちょっ……ア、アレン!?』


 いや、このお方はアリスお嬢様だ。

 容姿なんてどうでも良い。俺の心臓が、彼女がアリスお嬢様であることを示している。


 だから、これは夢なんだ。

 とても幸せて、それでいて一生叶わない夢。


『お嬢様、お嬢様……』

『アレン、近いよぅ』

『お嬢様……。ずっとずっと、愛しております。今も、変わらず』


 俺は、夢を利用して彼女を抱きしめ、あの日言えなかった愛の言葉を口に出す。




***



 何かとても心地の良い夢を見ていた気がする。

 しかし、そのような夢に限って内容は疎か、一片の景色だって覚えていない。ただただ、幸せだったという事実だけが胸の中に残っている。


 今日は、いつもよりも心が軽い。


「……」


 目が覚めると、ベッドの上に居た。

 ロベール家の屋敷ではない。ここは、宮殿にあるエルザ様のお部屋の隣だ。



 グロスター家の屋敷から撤退した俺は、しばらく父様の後について仕事で方々を駆け回った。でも、ある日突然なんの前触れもなく、俺の精神は壊れてしまう。


 全く覚えてないのだが、夜になると庭まで出向き土を1人で掘り返していたらしい。

 急に叫び声を上げたり、自らの首に紐を巻いたり……そうそう。一時期記憶喪失になり、高熱の中生死を彷徨ったりもした。目が覚めた時の絶望は、酷いものだったよ。このまま死んでいればよかったのに、と暴れまくったものだ。そんなことを、他人事のように覚えている。


 気に病んだ陛下が、俺のために宮殿を解放して「少し休んでいきなさい」と言ってくださったらしく、今もこうやって甘えているんだ。情けない。

 陛下よりも、エルザ様が俺を気にかけてくださってな。本来なら医療室で過ごすところをこうやって普通の部屋で生活させてくださっているのだから、恵まれていると思う。毎日のようにアルコール臭い医療室なんかいたら、それこそここまで回復しなかっただろう。それでも、1年半もかかってしまった。


「おはようございます、アリスお嬢様」


 朝起きたら、床に足をつける前に彼女へ祈りを捧げる。

 それが、俺の日課だ。高熱から目が覚めた日から、毎日欠かさず祈っていた。

 たまに、エルザ様もこの祈りに参加する。


 こうすることで、アリスお嬢様が既に生きていないこと、あの光景が現実であったことを脳内に理解させるんだ。いまだに、彼女が生きている気がして、無意識に探してしまう自分が居るから。

 それは、亡くなった彼女に対する冒涜になるだろう? それに、こんなんじゃ彼女が安らかに眠れないかもしれない。


 残された俺にできることは、こうやって彼女が安らかに眠れるよう祈ることだけ。


「あら、アレン。おはよう」

「おはようございます、エルザ様」

「今日は元気そうね」

「ええ、なんだかとても良い夢を見た気がして」

「そうなの! 私もね、内容はよく覚えてないのだけど、どこかのお庭に居る夢を見たわ」

「今日は、散歩をしろってことですかね」

「そうかもね。一緒にしましょうか」

「でも、皇子たちが……」

「貴方は、他人を気にする前に自分を大切にしなさい。そう、先生に言われたでしょう?」


 手を合わせていると、そこにエルザ様がやってきた。淡い水色のドレス姿で、こちらに向かって微笑んでいる。

 彼女も、夢を見たらしい。


 いつまでもベッドの上にいることが恥ずかしくなった俺は、布団から足を出して床につけた。いつもはそれだけで疲れてしまうのに、今日はむしろ走りたいと思う。まだ、精神が安定していないからか。

 俺は、弱いな。


「……はい。では、お付き合いいただけると嬉しいです」

「あら、そんな畏まられるとデートに誘われているみたいだわ」

「そっ!? そんな、つもり、は……えっと」

「ふふ、冗談よ。貴方は、アリスしか眼中にないもの」

「……おかしいですよね。もう居ないってわかっているのに、まだ諦められてなくて」


 弱いだけじゃない。

 現実を受け入れられないんだ。


 父様は、休めと言った。母様は、屋敷に戻ってこいと。

 別の屋敷に嫁いで行った姉さんには、何も伝えてない。あの人は、お茶会で忙しいしこんな弱った姿を見られたくないから。

 でも俺は、宮殿に居続けている。……ここが、1番アリスお嬢様に近いんだ。王族と許可された者しか入れないオアシスに、お嬢様が眠っていらっしゃる。だから少しでも近くに居たくて、俺はここに居る。


「おかしくないわ。私だって、今も毎日オアシスに行ってはアリスに話しかけるもの。棺の中は狭くないか、苦しくないかって。……返事はないけどね」

「俺も会いたいです」

「もう少し体力が回復したらにしなさい。あの子は、アレンを慕っていたから。いくらでも待っていてくれるわ」

「……だと良いですね」


 お嬢様のご遺体は、土の中に入れなかった。

 オアシスの一部の土をコンクリートにし、棺が入る大きさの穴を作りそこに入っている。本来ならば王族が使うところだが、陛下とエルザ様が許可をくださりお嬢様を迎えてくださった。土の中に入れるのも良くないとおっしゃって。

 感謝してもしきれない。


 俺は、そのままエルザ様に「着替えてからダイニングへ向かいます」と言った。「大丈夫?」と何度も心配されたが、少しでも自分で動かないとな。

 でも、彼女が心配するのも無理はない。なんせ、こうやって自分の意思で歩くという行為は、最近やっとできるようになったのだから。


 情けない。

 アリスお嬢様が、こんな格好の俺を見たらどう思うだろうか。軽蔑して……いや、あのお方は、一緒になって病んでくださるだろう。そういうお方だ。

 それを想像した俺は、ふふっと笑いながら身支度をする。



***




 ダイニングへ向かうと言ったのに、俺はいつの間にか中庭に出ていた。

 風に揺られて花が揺れているのが、こんなにも心落ち着くものだとは知らなかった。風が弱まれば、まるでダンスパーティーの会場の如くゆっくりとしたテンポで花が舞う。かと思えば、タンゴのリズムを刻むように強い風にも負けじと揺れ動く。見ていて飽きない。


「花が好きなの?」

「!?」


 そんな光景を渡り廊下の端に座って見ていると、不意に後ろから声をかけられた。見知らぬ声に驚き振り向くと、そこには真っ青な騎士団の制服を着た……一瞬だけ女性に見えたが、男性が立っていた。なんだか嬉しそうな顔をして、俺を見ている。


 無論、話しかけられたことに焦った俺は、言葉を発さない。


「あ、う……」

「ごめんごめん、驚かせちゃったね。僕も花が好きだから、仲間かなって思って話しかけたんだ。君は、誰? 王族ではないよね」

「……はい」

「ああ、先に名乗らないとね。僕は、イリヤ・ルフェーブル。一応、騎士団の団長をしてるんだ。怪しいものではないよ」

「……アレン・ロベール」

「ああ、君がアレンか! マルティネスじいちゃんが言ってた」

「マルティッ……え?」


 なんだ、こいつ。

 陛下のことを「じいちゃん」とは……。もしかして、王族か? いや、でも顔は誰にも似ていない。似ているといえば、この独特な雰囲気、隙のない身のこなし、それに、張り付いた笑顔くらい。


 俺は、立ち上がりそいつの方を向いた。

 すると、すぐにそいつは手を伸ばしてくる。無論、それに答えて俺も手を伸ばす。見かけによらず、力強い男性だ。


「君、明後日騎士団の演習場においで」

「え、でも、そこは……騎士団の人じゃないと」

「大丈夫。なっちゃえば、後先変わらないから」

「え?」

「……誰かを守りたいなら、騎士団が最適だよ」

「……」


 この人は、俺の何を知っているのだろうか。

 今、彼の視線は俺ではなくて、風に揺れ動くスイートピーやかすみ草に向けられている。もしかして、俺に話しかけたわけじゃなかったり……?

 よくわからないな、この人。花が好きなのかな。


「もし、少しでも興味があるならおいで。お友達もいっしょに。来てくれたら、別世界を見せてあげる」

「……別世界」

「いつか、大切な人を守るために、ね。君の判断に期待しているよ」


 イリヤ、と名乗った騎士団員は、そのまま手を振って王宮の方へと歩いて行ってしまった。

 女性のような繊細さを持ち合わせながら、その雰囲気は獅子のように誇り高く聡明だった。多分、並大抵のやつじゃああの人には勝てない。そう、直感的に思ってしまった。


「……大切な人のため、に」


 だからこそ、あの人の言葉には説得力があった。


 そうだ。今回アリスお嬢様を助けられなかったのは、俺に力がなかったから。戦い方を知らない俺は、その辺の赤子と変わらない。

 またアリスお嬢様のようなお方がいらっしゃったら、同じ道を辿るのか? そんな非力な俺ではないはずだ。


「強く、なりたい。強く、なる」


 久しぶりに、胸の中へと温かさが戻ってきた気がする。

 今もなお中庭で立ち尽くす俺は、その温もりを信じようと思い剣を取ることを決意した。

 そうと決まれば、ダイニングに居るエルザ様に言ってみよう。父様や母様にも。反対されたら……その時考えれば良い。



 この2日後、心配してくれた幼馴染で腐れ縁のシエラと共に、俺は騎士団専用の演習場へと足を運ぶことになる。


 大切な人を、この手で守るために。

 

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