可愛いものが好きな「だけ」で



 僕は、イリヤという自分の名前が好きです。


 たとえそれが男性名だとしても、今でも全く気にならないほどに。団服や剣には嫌悪するのに、イリヤはイリヤが好きなのです。

 それはきっと、母様から初めていただいたプレゼントだからかもしれません。


 母様からいただいた2つのプレゼントは、今までもこれからも、イリヤの宝物です。




***



 僕が自分の中にある違和感に気づいたのは、13歳の時。

 アカデミーの高等部に飛級し、男性の制服を強制的に着せられるようになった時のことだった。


 今までは服を自ら選び、好きなものを身に着けていたから気づかなかったんだ。

 毎日好きなパンツスーツを履くのと、指定されたパンツスーツを履くのは、雲泥の差がある。そんなことで……いや、僕にしては大きい違和感によって、学びへの喜びが薄れていった。

 それでも主席だけはキープしていたけど、母様には気づかれてしまう。


「イリヤ、最近元気がないけどどうしたの?」

「なんでもありません、母様。……ただ、具合が悪いだけで」

「一度、お医者様に診ていただきましょうか? 私も心配だわ」

「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫です。明日には元気になりますから」

「そう? お勉強が辛いなら、そう言うのよ。貴方が爵位を継ぐと言っても、そこまで頑張らなくてもお父様は怒らないわ」

「僕が頑張りたいからしていることです。そこに、爵位もお父様も関係ありません」

「そう……」


 母様は、とても身体が弱い。

 僕を産んでから、血色の良い顔色をしなくなったと言う。貧血が続き、たまに嘔吐と共に意識を失ってしまうんだ。月のものが来てしまうと更に悪化し、しばらくお会いすることも困難な状態になる。


 それでも、こうやって気にしてわざわざ部屋まで来てくださる母様のことを、僕は大好きだった。

 マザコンでもなんでも良い。どう言われようと母様が大好きで、悲しませるようなことは絶対にするもんかという思いで日々勉強に励んでいる。


 僕の返答を聞いた母様は、そのまま抱きしめてくれた。


「イリヤ。……厳しいお家でごめんなさい」

「そんなことありません。僕は、こうやって贅沢ができて母様も抱きしめてくれる。そんな環境が好きですから」

「……ありがとう」


 僕は、誕生日を祝われたことがない。プレゼントだって、何一つ。

 それは、ルフェーブル家における伝統らしい。そういう「無駄なこと」をしていると、甘ったれた人間になると先代が言ったとか。だから、僕は自分の誕生日を知らない。

 まあ、祝われたところで何と言ったら良いのかわからないし。不平不満はない。


 母様が育ったお家はそんなことなかったらしく、毎年チューリップの咲く季節になると「ごめんね」と謝ってくるようになった。

 けど、その謝罪する日にちは、毎年合わない。一致した日があれば、それが僕の誕生日だと思ったのにな。


「イリヤ、愛しているわ。私の可愛い子」

「はい、僕も母様が大好きです」


 僕は、ただただ母様と居られることに頭を切り替えて、自身の中にある違和感を見ないようにする。



***



 ずっと目を逸らして生きてきたけど、遂にその違和感と対面する時がやってきた。


「入団おめでとう。最年少にも関わらず、試験が満点だったと聞いたよ。さすが、ルフェーブル侯爵の息子だ」

「ありがとうございます」

「俺は、お前を団長にする。だから、辛いと思うが根をあげずについてこい」

「はっ!」


 15歳。

 現団長のボマス・ササラ侯爵から、騎士団の制服をいただいた。分厚い青生地に、金の刺繍が施されている制服を。

 エポレットには、同じく金の刺繍で国の紋章が描かれている。とても規律的で、まるで軍隊のような……軍服の。


 僕は、いただいた制服を掴む手に力を入れる。


「どうした?」

「……いえ。制服がとても重くて」

「ははは! お前さんは、他の男と比べて小せぇからなあ。今に慣れるさ」

「はっ! 精進してまいります」


 ササラ侯爵は、片手で敬礼する僕の背中をバシッと叩き、そのまま笑いながらどこかへ行ってしまわれた。


 きっと、ササラ侯爵が話しかけてくれなかったら、僕はその制服を投げ出していたに違いない。それか、破り捨てるところだった。

 重さの話じゃない。違うんだ、ササラ侯爵。


「……こんなデザイン、女性は着ない」


 それに気づいて、吐き気をもよおしただけなんだ。

 同時に、自身の中にあった違和感に気づいてしまって……。


 僕は、男の服を着たくない。キラキラしたドレスを着て、ニコニコと笑っていたい。そして、馬鹿高い宝石は要らないから、安価なアクセサリーや動物のぬいぐるみに囲まれて生きていたい。


 そんな、侯爵家に相応しくない気持ちに気付いてしまったんだ。僕は。




***



「イリヤ」

「……母様」


 団服をいただいて2週間が経った頃。

 日に日に元気が無くなっていく様子に気づいた母様が、部屋で勉強していた僕に声をかけてくださった。その腕の中には、1年前に生まれたばかりの弟、シモンが抱かれている。先日歩き始めたばかりだけど、母様にべったり張り付いて離れないんだ。


 何を言われるのか薄々わかる僕は、筆を走らせて目を合わせない。すると、


「イリヤ。これ、お父様には内緒ね」


 そう言って、弟の影に隠れていたのか急に大きめの箱を取り出した。

 その言葉で顔をあげた僕は、母様の手も大きいのに、どうして自分だけ小さいままなのかに疑問を抱く。


 それに、母様は「内緒」と言った。その箱の中身が気になってしまったのも事実。

 僕は、筆を置き立ち上がり、母様とシモンのいる方へと向かった。


「……ありがとうございます」

「ここで開けるとシモンが欲しがるから、後で1人で開けてね」

「……はい」

「お父様には内緒だからね」

「……はい」


 箱を受け取ると、母様はソファにシモンを置いて力強く抱きしめてくれた。でもそれは一瞬で、泣き出しそうにしているシモンと共に部屋を出て行かれる。

 シモンは、母様に誰かが近づくだけで「取られる」と思うらしい。母様の要望で乳母をつけていないからかもしれない。四六時中、ピッタリと張り付いて離れない。ちょっとだけ羨ましい。


 でも、僕は長男だから。侯爵を継ぎ、近い将来騎士団を背負うようになる人だから。

 母様に甘えるような軟弱にはなってはいけない。今の行動に喜びながらも冷静になって、ソファに腰を下ろしてもらった箱を開ける。


「……っ」


 リボンを取り蓋を開けると、すぐに涙で前がぼやけていった。


 そうか。

 隠していたと思ったけど、母様にはバレていたのかもしれない。「お父様には内緒」と何度も言っていたと言うことは、気づいたのが母様だけだってこと。


 母様。

 やっぱり、僕は母様を泣かせないような人になりたいです。


「母様。……母様」


 箱の中には、クリーム色をしたクマのぬいぐるみが入っていた。僕が両腕で抱きしめるのにちょうど良いサイズで、とてもふわふわとした表面が気持ち良い。

 それだけじゃない。ぬいぐるみの他に、色違いのリボンが複数枚入っていた。どうやら、これは着せ替えも楽しめるものらしい。


 僕は、クマのぬいぐるみにかかっている赤いリボンを取り、代わりに箱へラッピングされていたピンクのリボンを巻いた。

 可愛い。けど、あまりよく見えない。でも、とても可愛い。心の中にあったものが、全て浄化される勢いで癒されていく。


「……ありがとう、母様。そして、ごめんなさい」


 僕は、涙を拭い、クマのぬいぐるみをしばらくの間抱きしめ続ける。

 母様が流行り病で亡くなった16歳の冬まで、毎日欠かさずそれを抱いて眠った。リボンの色を毎日変えて、着せ替えも楽しんで。



***



 その気持ちを隠し通せるなんて、思っていなかった。

 だから、遅かれ早かれこんな場面がやってくることはわかっていたよ。


「出て行け」

「旦那様、それは……」

「執事は黙ってろ。おい、聞こえなかったのか。出てけと言ったんだ、この恥さらし!」

「……はい」


 20歳になった夏のこと。

 父様に、好きなものがバレた。


 僕が騎士団の遠征へ出かけている時に、6歳になったシモンが宝探しと言って僕の部屋に入ったらしい。鍵をかけたのに、どうやら執事が持っていたスペアキーを奪ったとか。

 勝手に部屋を物色し、あろうことかベッド下に隠していたクマのぬいぐるみを見つけたんだって。遠征から帰ってきた今、そのぬいぐるみは父様の手に収まっている。


 隣にいる執事は、顔を真っ青にして僕を見ていた。

 きっと、自身が原因だとわかっているのだろう。何度も何度も目を合わせようとアイコンタクトを取ってくる。でも、今の僕にそんなことはどうでもよかった。


「出て行きます」

「ったく、どれだけ私が笑い物になったか。こんなもののために名誉ある役職を失って、ルフェーブル家の顔に泥を塗りやがって!」


 父様。

 貴方が言いふらさなければ、僕の趣味が外に漏れることはなかったです。

 僕は、自分の趣味が「よくないもの」だとわかっていたので、ずっとずっと隠してきました。だから、母様以外は誰も気づいていなかったはずです。


 その言葉を喉元で飲み込んで、僕は父様に従う。

 だって、今の僕にとって大事なのはお家や名誉なんかじゃなくて、目の前で握りつぶされているぬいぐるみだから。


「申し訳ございません。出て行きますので、そのぬいぐるみだけは返してください」

「っ……こんなもの! お前も一緒に、死んでしまえ!」


 そう言って、父様は目の前でぬいぐるみを床に叩きつけ、足で踏みつけた。ピンク色のリボンが歪み、綺麗な毛並みが一瞬にして乱れる。

 でも、僕は騎士団の団長にまで登りつめた実力者。今この瞬間、これほどまでに自身の身体能力の高さに感謝した日はない。


 ぬいぐるみは、1度しか踏まれなかった。

 なぜなら、2度目に踏まれる時にはすでに、ぬいぐるみを庇って床に伏していたから。


 痛みはない。

 今、自分がどんな格好をしているのか。

 そんなことはどうでもよかった。醜態なんて、どうでも良い。それより、今まで僕に癒しを与えてくれた、そして、母様との優しい思い出を残してくれたぬいぐるみの方がずっとずっと大事だったんだ。


「……興醒めした。早く出て行きなさい」

「坊ちゃん……」


 それを見た父様から、表情がスッと消えた。

 今まで僕に申し訳なさそうにしていた執事までもが。


 これで良い。

 これが、普通の反応だって僕にはわかっているから。


 僕は、ぬいぐるみを持って立ち上がる。


「お世話になりました」


 もっと、他に持っていくものはあった。

 勉強していたノートに筆、読書本、服、それに、ぬいぐるみのリボン。


 でも、もう必要ない。

 このクマがあれば良い。あの、母様のくださったプレゼントのラッピングリボンとクマだけあれば。


 立ち上がった僕は、深々を頭を下げて屋敷を去った。

 これできっと、廃嫡になっただろう。ルフェーブル家にはシモンが居るから。だから、もう僕は必要ない。



***



 それからすぐ、道端でトマ伯爵と再会した。

 騎士団にいた時に何度かお世話になっていたんだ。3年前に王妃殺害未遂の罪で投獄されていたけど、出てきたんだね。良かった。

 僕は、トマ伯爵が人を殺すような人じゃないことを知っているから、3年で出てこれたことを喜んだ。


 どうやら、今は「アインス」と名乗ってとある子爵のお屋敷にお世話になっているらしい。まだ数ヶ月しか世話になっていないが、とても居心地が良いところだと言っていた。


 僕は、薄汚れたクマを隠そうともせずに抱きしめ、


「……こんな僕でも雇ってくださるところですか?」


 と、冗談半分で聞いてみた。


 

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