遣らずの雨に囚われて



「えー……。アレン、さっきの顔キープしててって言ったじゃん」

「できるか!」


 イリヤに連れられ医療室へ向かうと、そこには先ほどは居なかったのにアレ……えっと、ロベール卿が居たの。きっと、午前中イリヤが居なかったから連れてきたのね。

 仕事をしていたら、「面白いものが見れる」って言われたから一段落させて来たのだけど……面白いものってロベール卿のこと? 本当、このお2人は仲が良いわ。


 シエラ卿がお話できるようになったのは、昨日の夕方。開口一番に日付を聞き、悲しそうに笑っていたのがとても印象的だったわ。

 理由を聞いたら、あと1日で騎士団を除名されるのだとか。「でも、この身体じゃどっちにしろ」って言って、笑っていたの。


「ごきげんよう、ロベール卿」

「こんにちは、ベル嬢。シエラを助けてくださったとお聞きしました。ありがとうございます」

「私は何もしてないわ。アインスとイリヤの寝ずの看病とシエラ卿が頑張ったから、回復したのですよ」

「それでも、部下の命を見捨てず拾ってくださったのが貴女様とお聞きしましたから」

「お恥ずかしい……。結果論です」

「それでも、俺は嬉しいです。ありがとうございます。ところで……」


 あまり褒められるようなことじゃないから、お礼を言われると罪悪感がすごいわ。

 私は、シエラ卿の意思も聞かずに痛みを伴う道を選択させてしまっただけ。ここまで治したのだって、アインスの治療とイリヤの看病があったからなのに。


 私が両手を振って否定していると、後ろでイリヤが頭を撫でてくる。振り返ると、とても優しい顔をした彼女と目が合った。よくわからないけど、嫌な気はしない。

 その手に身を任せていると、なぜかロベール卿がムッとした表情になりながらこちらに近づいてくる。


「ところで、なぜベル嬢は車椅子に戻っているのでしょうか」

「えっと、それはですね……」

「お嬢様の摂取カロリーと消費カロリーが合ってなくて、先日また倒れたのですよ」

「はあ……」


 そうなの。

 私ったら、また車椅子に戻ってしまったのよ。パトリシア様が帰った途端、気が抜けたのかそのままね。

 アインスに「次無茶したら、一生車椅子生活にします」って脅されて、今は疲れたなーって思ったらちゃんと休憩をするようにしているわ。


 アインスの言葉に、ロベール卿は大きすぎるため息をつかれた。

 やっぱり、車椅子姿で人前にあまり行かない方が良いわね。確かに、貴族としてこの格好はあまり見せられるものじゃないもの。


「見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ございません……。私、下がりますね」

「え?」

「では、失礼します。今、イリヤにお飲み物を運ばせますので、ごゆっくりなさってください」

「ま、待ってください! 違う、そう言う意味じゃないです!」

「……?」


 私が一礼すると、なぜか慌てた様子のロベール卿が近づいてくる。そう言う意味ってどういう意味かしら。

 よくわからずイリヤの方を向くと、彼女は瞳孔をこれでもかと見開き怖い顔してロベール卿を見ていた。その表情は、人に向けて良いものじゃないと思うの。しかも、アインスとシエラ卿は笑っているし。この差は何?


「ベル嬢は、いつも無理ばかりしててその……心配なだけです。見苦しいだなんて、全く思っておりませんので退室しないでいただけると」

「お気遣いありがとうございます。ロベール卿は、お優しいのですね」

「……いえ、そんな」


 あ、その表情。

 斜め下に視線を向けながら頬を赤らめるその表情、とても懐かしいわ。

 昔のアレンも、良くこんな顔してバラを持ってきてくれたの。花瓶に挿しながら、他愛もない会話をするあの時間が楽しかった。でもきっと、アレンは覚えてないでしょうね。


 イリヤに車椅子を押してもらい、私はシエラ卿のベッドへと近づいていく。それに、ロベール卿もついてきた。


「全く、アレンは。笑わせないでよね、傷が痛むんだから」

「笑わせてない! 勝手に笑ってるだけだろう」

「怪我人に向かってひどーい。イリヤ、やっちゃって」

「よし、シエラの頼みなら仕方ないね。久しぶりで腕がなるなあ」

「仕方ないって表情じゃねえぞ、それ!?」

「ふふ、3人は仲良しですわね」

「仲良しですよ〜」


 イリヤったら、ポキポキと手の関節を鳴らして楽しそう。……ん? これって、よくよく考えたら結構物騒じゃない? でも、すごく楽しそうな顔してるわ。

 イリヤも元騎士団ですものね。私にはわからない友情があるのかもしれない。そういうの、すごく憧れる。


 私が笑うと、またもやロベール卿が先ほどの表情をしてきた。そして、笑うシエラ卿。これじゃあ、悪循環ね。アインスに怒られる前に、笑うのやめるわ。

 彼、普段は温厚なのに怒ると怖いのよ。昨晩だって、仕事終わってないし眠くないって言ってるのに、無理矢理ベッドに押し込まれて「5秒以内に目を瞑らないのでしたら、失礼承知でこちらのクッキーをお口の中に入れさせていただきます。はい、5、4」って感じで。イリヤ作って聞いて、急いで瞑ったわ。怖すぎる。


「さて、本題に入りましょう。シエラ卿もお休みしないといけませんし」

「そうですね。俺も長居はできないので」

「アリスお嬢様が待ってるもんね。鉱山調査行った日の朝、最近アレンが来ないっていじけてた話を聞いたよ」

「え? アリス、お嬢様……?」


 昨晩のアインスを思い出していると、自分の名前が聞こえてきた。聞き間違いなんかじゃない。だって、隣のイリヤも驚いてるし。

 一瞬返事をしそうになるも、すぐに同名のお方だと思いとどまる。危ない、危ない。


 でも、表情は隠せない。それに気づいたイリヤが、膝を床につけて隣から私の手を握ってくれた。そして、


「ごめん、アインス。話広げて良い?」

「時間がかかるなら、よろしくはないね」

「短時間で済ます」

「なら、良いでしょう」


 と、アインスの了承を得て、真剣な表情でロベール卿の方を向く。


「アレン、そのアリスお嬢様って誰のこと?」


 聞きながらも、イリヤは私の手を離さない。

 全く、私ったらびっくりしすぎよ。同名のお方なんて、他にも居るわよ。アリスなんて、珍しくないお名前だし。なんなら、ミミリップ地方の領民の中に1人居たわ。私より6つ小さい子で。……今は、どうしているのかしら? 元気だと良いのだけれど。


 イリヤが質問をすると、ロベール卿は神妙な顔つきになって話し始めた。


「なんというか、信じられないことが起きてな。あの、サレン様を覚えているか?」

「うん。前にアレンと一緒に城下町に来てた隣国の侯爵令嬢でしょう?」

「ああ。そのサレン様がな、突然お倒れになり目覚めたら「私はアリス・グロスター」と名乗ったんだ。今も、アリスお嬢様として宮殿にいらっしゃるよ」

「……え?」


 その話を聞いて、私の身体からサーッと血の気が引いていく。頭から足先へと、何かが駆け巡るように。車椅子で良かったわ。じゃなきゃ、倒れていたと思うもの。

 かろうじて意識を保っていられたのも、イリヤの体温があったから。私は、必死にその温かさを求めて両手で掴む。すると、それに応えるよう強く握り返してくれた。


 それでも、言葉が出ない。アインスとイリヤが驚いているのを見ていることしかできない。

 どういうことなの? アリスは私よ。だって、昔の記憶を持っているし、ベルもそう言ったもの。

 でも、それだけだわ。それ以外、私がアリスだという証拠はない。


「待って、え? サレン様にアリスお嬢様が憑依したってこと?」

「らしい。俺も良くわからんが、直接話した限りアリスお嬢様の記憶を持っていらっしゃったよ」

「宮殿の侍医には見せたの?」

「見せたし、今も定期的に経過を見てもらってる。良くわからないが、以前のサレン様ではないと診断がくだされてる」

「私の後任ですな。侍医がそう言うのであれば、そうなのでしょう」

「うーん……。公爵はなんて?」

「それが、不思議なことに全く捕まらないんだ。実の娘が心配でないのかなんなのか」

「……そっか」


 私は、その話の半分も聞いていなかった。それよりも、自分がアリスじゃなかったらどうしようということで頭がいっぱいだったの。

 だって、今まで自分がアリスだと思って生活していたのよ。それが、否定されたら私はなんだっていうの?


 本当は、違うと言いたい。私がアリスよ、と。

 でも、今の話を聞いて自信がなくなった。全部、私の妄想だったら? パトリシア様のように、アリスに憧れていた誰かだとしたら? 


「アレンは、どう思ってんの?」

「どうって……。アリスお嬢様の記憶を持っていらっしゃるんだ。疑っても仕方ないだろう」

「とか言ってさ。こいつ、全くお嬢様へ会いに行かないんだよ」

「いいだろ。俺の勝手だし、別に義務ではない」

「……」


 ロベール卿は、そう言って気まずそうな表情をしてきた。

 その顔を見た私の中には、2つの感情が入り乱れる。


 アリスじゃなかったらどうしよう。

 それに、アリスだったらどうしよう、と。


 ロベール卿……アレンのその表情には、はっきりとした嫌悪があった。

 と言うことは、アリスはアレンにも嫌われていたのね。死ぬ直前に言ってくれた「お似合いです」は、私を褒めたわけじゃなかった。なのに、私ったらはしゃいじゃって。滑稽すぎる。


 アリスは、誰からも好かれていなかった。家族と領民に嫌われていたのはわかっていたけど、まさか味方だと思っていたアレンにすら好かれていなかったなんて……。

 やっぱり、ベルに話した通り家族だけじゃなくて使用人も、アリスを殺す計画に加わっていたって何よりの証拠だわ。


「こいつ、サレン様じゃなくてベル嬢ばかり気にしてるんだよね。あんなアリスお嬢様一筋だった人が」

「う、うるさい! 別に、ベル嬢のお身体が心配なだけで」

「とか言っちゃってさ。ベル嬢の美しさに目をつけたのは、僕の方が先だからね」

「ベル嬢に、お前は釣り合わん!」

「出た、嫉妬」

「なっ!?」

「はいはい、脱線はこの辺で。今後どうするのかを決めましょう」

「はーい。アインス、ありがとう」


 私は、シエラ卿とアレンの話を全く聞いていなかった。少しでも耳を傾けていたらきっとここまで悩まなかったと思うの。

 でも、私は「自分が誰からも愛されていない子だった」という事実を受け入れたくなくて、ベルになってからの日々を思い浮かべるので頭がいっぱいだった。


 私はアリスじゃない。誰からも愛されなかった、死んでもなお悪魔と言われ続けているアリスじゃない。

 私はベルよ。優しいご両親、温かい使用人、やった分だけ褒めてくれる侯爵様。


 泣かなくて良いのよ、私はベルなのだから……。




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