ベルの好きな人
「お待たせしました、……えっと、サルバトーレ様」
危ない、危ない。一瞬、名前を忘れてしまうところだったわ。最近、いろんなお方との交流があるから、ついうっかり。ええ、うっかりね。
別に、お着替えと称して、20分程度お茶をしてたから気が緩んでいたわけじゃないわ。
客間に入ると、ソファに座っていたサルバトーレ様がものすごい勢いで立ち上がった。でも、その後ろで待機している彼の侍女……クラリスだったかしら? は、いつも通りのポーカーフェイスだわ。
私が遅かったからといって、特に気を悪くした様子はない。
「え、あ……。く、車椅子は?」
「もう必要ございませんし、前回も使っておりませんでしたよ」
「しかし、倒れたのだから使った方が……」
「必要ございません。それよりも、アポなしのご用件とはなんでしょうか?」
「……そ、それは」
「サルバトーレ様。このような時は、貴方様もお立ちになるのですよ」
「そ、そうか……」
いや、別に立たなくて良いのだけど。それよりも、早く用件を言ってお帰りいただきたい。
サルバトーレは、クラリスに言われてハッとしたように立ち上がった。そして、私の方へと向かって歩いてくる。なになに、なんなの……。
それを見たイリヤは、私の隣に立ち一緒に居ることをアピールしてくれてた。それだけで、とても安心する。
「おい、貴様。じゃなくて、ベル。えっとだな……き、傷は痛むか」
「特に、痛みません」
「アインスから、昨夜うなされていた話を聞いた。しばらく休めるのか?」
「……え?」
アインスが言ったの!?
どうして!?
サルバトーレが座っていたソファの側で待機しているアインスに視線を向けると、こちらに向かってにこやかに手を降っている。そういうことじゃない!
隣を見ると、イリヤも私と全く同じ反応をしているわ。どうなってるの?
「もし、仕事があるなら俺様がやろう。これでも、少しは「お、お気遣いありがとうございます。しかし、これはフォンテーヌ子爵家に課されたお仕事です。婚約者とはいえ、ダービー伯爵のお手をお借りするわけには行きません」」
「……そうか」
だから、どうしてそんな落ち込んだ顔するの? 調子が狂ってしまうじゃないの。
なんだか、こう見ると口は悪いけど本当に心配されているように感じてしまうわ。これも、このお方の戦法なのかしら。
目の前まで来たサルバトーレは、シュンとした表情を隠そうともせずそのままソファへと戻っていく。そして、
「貴様が座るまで、俺様は座らん」
と、よくわからないことを言いながら腕を組んでこっちを見てきた。
そう言われてしまえば、座らないわけにはいかない。あーあ、爵位って面倒。
私は、イリヤに心配されながらゆっくりと歩いていく。ちょっと足首が痛むけど、サルバトーレを前にしたらどうってことない。むしろ、最近の中で一番調子良いまであるわ。
「では、先に座らせていただきます」
「ああ……。ゆっくり座れ」
「お気遣いありがとうございます」
宣言通り、私が座るとサルバトーレもソファに座ってきた。
はあ、本当に顔だけは良いのに。性格が残念すぎるわ。その口調も、か。それにそれに、よくわからない態度と毎回ド派手な趣味悪な服装に……って、良いところ顔しかないじゃないの!
ド派手と言えば、今日の彼は銀色に輝く上着を身につけているの。
どうせ、これからパーティにでも行くのでしょう。早く行けば良いのに。
「えっと、そのだな……。あの、アインス」
「はい、なんでしょうか」
「ベルの顔の傷は治るのか? それに、手首にある大きな痣も。足だって、ちゃんと治るのか?」
「ええ、治ります。私が治して見せましょう」
「……なら良い。引き続き、精進しろ」
「はい、サルバトーレ様」
アインス~~!?
え、さっきからあの、サルバトーレの後ろにいるのってアインスよね? 兄弟とかじゃないわよね!?
どうして、先日までと態度が違うの? 誰か説明して!
あ、いえ。……とりあえず落ち着きましょう、私。ここでペースを乱したら、相手の思うツボよ。
そう思った私は、イリヤが淹れてくれた紅茶に口をつけた。いつも通りの味で安心するわ。
イリヤったら、紅茶のブレンドだけは優秀なのよね。アレンの丁寧な味も好きだったけど、イリヤの香りが引き立つ味も良い。どっちも好き。
「おい、貴様……。あ、いや。ベル」
「なんでしょうか、サルバトーレ様」
「……そのだな。えっと、傷が治ったら、一緒に」
やっと用件を話してくれるみたい。
サルバトーレは、急に背筋をシャンと伸ばし私の名前を呼んできた。なら、私もそれに応えて姿勢をちゃんと……していたわ。相手がしてなかっただけだった。
シャンとしたサルバトーレは、なぜか顔を真っ赤にして焦点の合わない目で周囲を見始めた。
私は暑くないし、ここにいる誰もが普通の顔色してるけど。熱でもある?
その言動が心配になって、「大丈夫ですか?」と聞こうとしたその時だった。
「い、一緒に! オペラ鑑賞に出かけて欲しい!」
「ええ、喜ん……で!?」
と、これまた訳のわからないことを言い出したの。
何気なく返事しちゃったけど、どういうこと!?
女好きの貴方なら、一緒に行ってくれる彼女なんて星の数ほどいるでしょうに。今更、婚約者としての体裁を保つためとか言わないでよね。
それに、どうしてオペラ? サルバトーレの趣味とは言い難い。
急いで断ろうと思い口を開くも、その声は彼の声によってかき消されてしまう。
「え、いいのか!? わっ、やった! クラリス、聞いたか!」
「聞きましたが、坊ちゃんはしゃぎ過ぎです」
「あ……。今の、見たか?」
「……いいえ。紅茶を飲んでいたので、見えませんでした。どうかされましたか?」
見てたわ。そりゃあ、もうばっちり。
サルバトーレは、私の嘘に「そうか、良かった」と信じているようにホッと胸を撫で下ろしている。
その表情を見た私は、以前会った時に転びそうになった私の名前を呼んだのが、サルバトーレだと唐突に理解した。そうよ、この声で驚いたようにベルの名前を呼んだのよ。
でも、どうして?
それに、待って。
彼の服装の趣味が悪いって散々思ってたけど、よくよく考えてみたら全部ベルに関する色だわ。赤は、ベルの好きな色でしょう? 翡翠と銀はベルの容姿の色だし。
何度も、体調を気遣うような言葉を言うし、そうよ! ベルが、サルバトーレが毒を盛ったわけじゃないって笑ってた。でも、彼からもらったペリエに毒が入っていたらしいし……。
これじゃあ、謎々だわ。
パズルのピースが多すぎて、今の段階では彼が本当にベルを愛しているのか、それとも囲っていた女に捨てられてこっちに寄ってきたのかの判断ができない。
「いや、なんでもない! ゆっくり治せ! 俺様は、心が広いから何年でも待つぞ!」
「ありがとうございます、サルバトーレ様……」
「用事は以上だ! 急に来てその……服を見てしまって、えっと、すまんかった」
「……いえ、お気になさらず」
急に意識してしまったからか、顔だけ熱い。
先程の格好を見られた時だって、この人は真っ先に傷の心配をしてくれたじゃないの。薄い服も、コルセットをしていない体のラインすら見ていなかった。
プレイボーイが、そんなことある? これは、ちょっと彼への見方を変えないといけないかもしれないわ。後で、アインスに聞いてみよう。
勢いよく立ち上がったサルバトーレは、そのまま私の方へとやってきた。慌てて立つと、小さな声……周囲に聞こえないほどの声でこう言ってくる。
「それに、その……以前、貴様の話を笑ってしまって申し訳なかった」
「……話? 私、笑われたことなんかありません」
「ああ、そうだな。貴様は、昔のベルとはちょっと違う気がする。……その、今でも女が好きなのか?」
「え?」
「ああ、いや。別に、責めているわけではない。あの時は、……覚えていないだろうが、混乱してしまって酷いことをしながら暴言を吐いてしまった。それが、どうしても心残りで」
「……そう、ですか」
「その、俺様は何年でも貴様が振り向いてくれるまで待つ。それでも振り向けないなら、それは俺様の努力不足だ。あれから勉強もして、貴様の気持ちもわかってるはずだ。だから、俺様は赤を着てやる。貴様は似合わないと笑ったが、貴様の好きな人の色だから俺様も好きだ。だから……。だから、その、あまり……」
「え……? サル、トー……あ」
サルバトーレ様は、以前のベルの話をしてきた。
その言葉で、ベルが「女が女を好きでも、あんたはなんとも思わないの?」と言ったことを思い出す。あれは、ベルの話だったのね。「私がアリスだと言え」と脅していたのが無くなった時期、それに、「最近あっていないお方が居る」みたいな話もあった。
女性、あの目が覚めるような赤いドレス、そして、あの空間だけ高慢な性格のベル。
そっか、わかったわ。
貴女の好きな人。
そう理解したと同時に、視界が真っ暗になっていく。
ベルが呼んでいるのね。
イリヤ、ちょっとだけ行ってくるわ。……って、聞こえてないかな。
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