暗闇に愛されて
「どうしたの、疲れた顔して」
「え?」
気づくと、ベルが私の顔を覗き込んでいた。
周囲が暗いところを見ると、また彼女に呼ばれたのね。ベッドで眠った記憶があるから、今回は誰にも心配をかけずにここに来たってことかしら。
毎回、そうして欲しいわ。
今日の私は……ベルになってる。これ、どんな法則で姿が決まってるの? ……なんて、彼女が教えてくれるわけないか。
起き上がってキョロキョロしていると、ベルが隣に座ってくる。それにならって、私も座った。
「すごく疲れた顔してるって言ったの。なんか、あんたの周りの空気がドヨッてしてる」
「ああ……。今日の夜ね、フォンテーヌ家でパーティだったの」
「……ああ」
それだけで、ベルには伝わったみたい。ってことは、彼女もあの「パーティ」をよく開催されていたのね。
本当、すごいのよ。まるで誕生パーティのように豪華で、装飾も料理も普段と段違い。……ちなみに、今日も車椅子がクリスマスツリー化してたわ。目がチカチカして痛かった。
私が横顔を覗くと、なんだか遠くの方を見つめているわ。とても気持ちがわかる。
「ベルも良くやられてたの?」
「ええ。私が笑ったとか園庭を1周したとか、そんなことで開催されていたわ……」
「……ハードル低すぎない?」
「私、あまり表情変えなかったし、あまり外にも出かけなかったから」
「ふーん。ってことは、やっぱり今のその性格ってみんな知らないものなの?」
「あー……。あんたって、本当鋭いよね。嫌だ」
「貴女が油断してるから」
ベルが、私に慣れてきたってことなのかしら?
それって、良い傾向だわ。いろんな情報を教えてくれそうだし。
でも、本人はそう思ってないみたい。ジト目になって、私を睨みつけている。
そんな顔されたら、笑ってしまうじゃないの。
「……本当、なんであのお方はあんたなんかが好きなの?」
「え、何? 聞こえなかった」
笑いながらスカートのシワを伸ばしていると、ベルが何かつぶやいた。
失敗したわ。何を言ったのか聞こえなかった。聞き返したけど、ベルの性格からして……。
「なんでもなーい。それよりさあ」
やっぱりね。
楽しそうに、足をぶらぶらさせちゃって! そう言うところよ!
さっきと立場が逆転した私たちは、双方それに気づき顔を合わせて笑う。
何度か会っているとね、憎たらしいって気持ちはあるけど心底嫌いにはなれないの。なんと言っても、彼女は私で、私は彼女だからね。
それに、私は身体を借りている立場だから。
「何よ」
「みんな、元気?」
「あ、そうだ。イリヤにバラしちゃった」
「はあ!?」
あれ? ダメだったかな。
でも、前回イリヤが気づいてるって言ってたから別に良いと思ったんだけど……。こう言うのも、ベルに確認取ったほうが良かった?
私の話を聞いたベルは、難しい顔をして考え込むようなポーズになってしまった。話しかけにくい。
でも、それはすぐに諦めの表示になる。
「……まあ、いいか。イリヤ、どんな反応してた?」
「ごめんね。ベルと話してるこの状況をうまく説明できなくて、「ベルが居ない」ってことを否定できなかったの。そしたら、泣いていたわ」
「そう……。まあ、説明しにくいよね。そもそも、憑依してることだって信じられない現象なんだし」
「貴女、イリヤに懐いてたんでしょ?」
「ええ、一番話しやすかったし。私の気持ちわかってくれたから」
「え、まさか貴女イリヤのこと……」
ベルったら、頬を赤らめて下を向いてしまったわ。この反応、珍しい。
横顔しか見えないけど、赤くしながらも優しい表情になっている。それは、何かを思い出しているような印象を私に与えた。
でも、そのチラチラとこちらを見るのは何?
ニヤつくの抑えてるような顔も、正直気持ちが悪い。
「イリヤのこと、尊敬してるの? わかるわ。あの人、とても機敏に動くわよね」
「ちょっ、そこはさあ! 好きだったの? とか言う場面じゃないの!? そう言う雰囲気出したつもりだったんだけどお!」
「え!? 専属侍女のこと好きだったの!?」
「遅ーい! もっと恋バナしようよ!」
そんなことある!?
ベルって、コロコロ表情変えるわよね。さっきまでしおらしかったのに、ニヤついたかと思えばもう元気に怒鳴りつけてる。まあ、こっちのベルの方が彼女らしい。
でも、今のが嘘なのか本当なのかがわからない。
「まあ、誰かを好きになるのは止められないから。でも、辛くない?」
「何が?」
「イリヤのこと、好きなんでしょ? 専属侍女となんて、駆け落ちでもしない限り結ばれないでしょうに」
「侍女って……。イリヤ、あんたに何も言ってないの?」
「何が?」
「なんでもなーい。それよりアリスは、私がイリヤのこと好きでもなんとも思わないの?」
本当、ベルと会話してても一方通行だわ。たまには、会話のキャッチボールというものをしてみたいのだけれど。
……まあ、無理ね。この空間は、彼女のための空間だろうから。ちょっとでもへそ曲げられたら強制退出って未来が見えている。
そういえば、前にイリヤが「何を言っても離れないで」って言っていたけど。ベルはそれのことを言っているの? ……まあ、彼女には聞けないか。後でイリヤに聞いてみよう。
「なんともって? 辛くないかなって思うけど」
「それだけ?」
「言いたいことがあるなら、はっきり言いなさい」
でも、そろそろその喋り方に限界がきそうだわ。理性があるうちに、ここで強めに出ておきましょう。
それで退出されたら、次から気をつければ良いこと。どうせ、また気まぐれで呼ぶのだから。
「……イリヤのこと、侍女だと思ってるんでしょ?」
「専属侍女ね。家族だとも思っているわ」
「そう。……女が女を好きでも、あんたは何も思わないの?」
「特に。何を思うの?」
「……気持ち悪いとか」
「なぜ? 目の前に存在するものを好きになるのは、人間の真理でしょう。そこに否定的になっても、何も生まれないわ。ましてや、他人が人の好みに口を出すのはお門違い」
「あはは。あんたって、恋愛に疎いと思いきやそうやって鋭い意見も持ってるのね」
「……?」
私、何か変なこと言ったかな。
私って、結構物事をはっきり言っちゃうからダメなのよね。アリス時代にも、それで衝突したり変な噂を流されたりしたのに、少しは学びなさいよ。
女性は、意見を言わずにニコニコ笑っていれば良い。そう、お父様から教えられていたのに。そういえば、ベルのお父様はそんなこと言わないな。
まあ、流された噂って言うのも、隣の領地を管理する伯爵のご令嬢をいじめたとか、他人の婚約者を色仕掛けで奪ったとかそんなしょうもないレベルだけど。無視していれば、実害はなかったし。
確か、その婚約者の名前はドミニク・シャルルだったかしら? ちょっと離れた領地に住む伯爵のご子息で、私にしてみたら「誰?」って感じで……。
「あああああ!!!」
「!? な、何よ、急に!」
「そうよ、シャルル! シャルルって、シャルルだわ!」
「誰!? そして、ちゃんと意味のある言葉を話して!?」
「あ、ごめんなさい。今日新しいお仕事をもらって、そこで関わる人物の名前に聞き覚えがあって引っかかってたの。それを、今思い出したって感じ」
確か、お仕事でご一緒する方は「カリナ・シャルル」だったわよね。ご兄弟? 名前だけじゃ、男性か女性かわからない。多分、女性だとは思うのだけれど。
私が大きな声をあげると、ベルってばびっくりしたように腰を浮かせてるの。その表情も、ちょっとだけ面白い。
毎回、私はそんな気持ちで貴女の話を聞いているのよ。ちょっとは、私の気持ちを体験しなさい。
「びっくりした……。とち狂ったのかと思った」
「私は、貴女に対して毎回そう思ってるわ」
「何よ!」
「あ、今の心の声だと思って。言うつもりなかったことだから」
「思うわけないでしょう! 全く……。ちょっとでも尊敬した私が、馬鹿だったわ」
「え、尊敬してくれたの? どこを?」
「してない!」
「やっぱり、ベルは可愛い~」
「死んでちょうだい! ……あ、ごめん。今のなし」
勢いで言ったであろうその言葉は、ベルにも私にもあまり聞いていて気持ちの良い言葉ではなかったわね。同じことを思ったのか、ベルは座り直しながらすぐに謝ってきた。
とても気まずそうに、下を向いてしまって。雰囲気だけでも、後悔していることが良くわかる。
「大丈夫よ。私、グロスター家で今起きていることを見届けたら貴女に身体を返すつもりで居るから。そこは安心して」
「え?」
「え?」
何よ、その反応。
私、間違ったこと言った? ちゃんと、借りてるって意識で居るから大丈夫よって伝えたかったのだけれど。言葉を間違えた?
それを聞いたベルは、なんだか複雑そうな顔をしてこっちを見ている。
「だって、私って貴女の身体を借りてるだけでしょ? 今もこうやってお話してるんだし、貴女は死んでいないってことで……」
「……」
と思えば、今度は暗闇を見ながら微笑んでいる。
微笑んでいるのに、とても悲しそうな顔をしているような気もするの。
これは、1人で完結させちゃっている表情ね。こう言う時のベルは、何を聞いても教えてくれない。わかっているわ。
「それよりさあ、最近会ってないお方がいるんじゃないの?」
「あ! そうだ。サルバトーレに会ったわよ」
「え? じゃあ……」
「とても無礼なやつだったから、一発頬にお見舞いしてやったわ」
「うっそ、本当に!? あんた、やるじゃないの! 見たかった」
「ちなみに、その日は例のパーティだったわ……」
「ああ……」
と、一緒に遠い目をする私たち。なんなら、疲れたような顔もベルと一緒な気がするわ。
別に、嫌ではないのよ。あの、なんというか、疲れるってだけで。料理も美味しいし、みんな笑顔だし、装飾は……やめてほしいわね。でも、それ以外は純粋に嬉しい。
ただ、疲れるの。この微妙な気持ち、ベルと共有できて良かった。
「でも、貴女が以前言った「詰め寄るようなお話」は何一つ聞けなかったわ」
「次会った時にでもわかるんじゃないの?」
「2回会ったけど。ビンタした後、大量のにも……プレゼント引っ提げてきたし」
「あんた、今荷物って言おうとしなかった? 可哀想に」
「ちょっと、どっちの味方なのよ!」
「あはは。あんたの話聞いてると、サルバトーレが可哀想になってくるってだけ」
「……失礼なのは、あっちだもの。毎回毎回、大きな態度で」
「それは、同感。じゃあ、ヒント」
ひとしきり笑ったベルは、急に立ち上がって私の前に来た。手を後ろで組んで、ピンと背筋を伸ばして。
いつも座ってるから気づかなかったけど、こう見ると「ご令嬢」って感じがするわ。いつもこうやっていれば、少しは憎たらしいって気持ちが減るのに。
「私が最後に飲んだペリエを贈ってきた相手は、サルバトーレ」
「え、最後って……。それ」
「とても甘みのある味だった。でも、炭酸は抜け切ってたわ。私は、それをわかっていてグラスを傾けた」
「貴女、中身が違うってわかっていたのに飲んだの?」
「……でも、あの人が入れたものではないってわかってるわ。きっと、イリヤとかアインスはサルバトーレが殺したとでも思ってるでしょうけど」
「……初めからせつ、め……あ」
……あれ?
違和感を覚えた時は、すでに遅かった。
笑顔で見送るベルを前に、下へ下へと落ちていく感覚に言葉を失う。
今日は光じゃない。
暗闇が、私を飲み込んでいく。
***
『埋めろ! 1人1回以上、あいつに土を入れろ!』
『口に土を押し込め! もう喋れないように!』
『視線が気に食わない! おい、ハンナ。あいつの目玉を取り出して潰せ!』
『鍬で頭を潰せ!』
……何かしら。とても苦しい。
それに、誰かの怒鳴り声が聞こえる。
これは何? 夢?
さっきまで、ベルと話していた気がするのだけれど……。現実でないことはわかるわ。だって、いくら目を開けても暗闇だったから。
過去にでも戻ってきたような懐かしい感じもする。でも、「懐かしい」なんて感傷に浸っているような気分にはなれない。それよりも、とても苦しいの。
『やめろ! お嬢様、お嬢様!』
『……アレン?』
『やめろ! 俺を殺せ! これ以上、お嬢様を侮辱するな!』
『アレン、どこにいるの?』
声のする方に行こうとしたけど、ダメね。足が動かない。ううん、足が動かないというか身体がとても重い。私、そんな食べてないと思うのだけれど。ダイエットが必要かしら?
最近、部屋にこもってお仕事ばかりしていたから、身体が鈍っているのかも。いつもアレンがお庭に誘ってくれていたのに、最後に出たのはいつだったか思い出せない。
ごめんね、アレン。貴方の言うことを聞いていれば良かった。
『……アレン?』
どうして、そんな悲しい声を出すの?
聞いている私まで、泣きそうになるわ。もっと、楽しいお話をしましょうよ。
ハンナが私の黒いドレスを漂白剤で洗ってしまって真っ白になったお話とか、ジェームズが採ったミントをテーブルに置いといたら強風に飛ばされてしまったお話とか。貴方、お腹を押さえて笑っていたわよね。
『……だから、笑って。一緒に、笑いましょう』
その声は、きっと貴方に届いてない。
だって、悲しい叫び声が途絶えずに聞こえてくるんだもの。
とても苦しいわ。
***
「……」
目が覚めると、朝になっていた。
カーテンの隙間からは、朝日が漏れ出している。その光は細いのに、私の瞼を重くさせるのに十分な眩しさを持っていた。ベルとの会話で頭がボーッとしている私にとって、ちょうど良い刺激だわ。
「おっはようございますぅ、お嬢様っ! イリヤは、今日も絶好調です!」
「おはよう、イリヤ。元気そうね」
「はい! お嬢様のご活躍により、いつもより15分長く眠れました!」
「……ちなみに、どのくらい眠ったの?」
「8時間15分です!」
「健康的ね」
「ふふん」
そんな眩しさを見ていると、部屋に元気すぎるイリヤが入ってきた。朝からこのテンションって、すごいわよね。ある意味尊敬する。
そんな彼女の手には、顔を洗うための桶とタオルがおさまっていた。顔を洗ってさっぱりしないと、1日が始まった気がしないでしょう?
そういえば、イリヤに何か聞きたいことがあったのだけれど。忘れてしまったわ。
まあ、忘れるくらいだから、そんな重要なことではないのかも。
「顔を洗ったら、ダイニングで朝食を摂りましょう。本日は、サンドイッチとスクランブルエッグです」
「ありがとう。……ああ、そうだ。今日、早速ロイヤル社に連絡を取るわ」
「承知です。お電話でよろしいでしょうか?」
「ええ」
「朝食後にお持ちしますね」
「今日も1日よろしくね」
「こちらこそ! イリヤ、全力で失踪します!」
「……疾走の間違いよね?」
今日も、慌ただしい1日が始まりそうだわ。
私は、イリヤの笑顔を見ながら足を床につける。
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