地獄はここにあった


 

 こんな静かなお屋敷があって良いのだろうか。


 真昼間で人も大勢居るのに、そこには誰1人として居ない夜のように静かなんだ。

 無論、この部屋だけではない。この屋敷に入ってきた時から、なんだか背筋が凍るように寒気を感じる。

 この部屋だって、太陽の明かりが差し込んでいるのに、その明るさが足りないと思ってしまうほど暗い。


 そんな中で、全員が全員、私の発言を待っている。それは、背中からでも良く伝わってきた。


「……トマ伯爵、どのような状態でしょうか」

「死後1日は確実に経っていますね。発見した時からご遺体は動かしていませんか?」

「特に動かしていません」

「そうですか。暖炉に火は?」

「今の状態のままでした」

「ふむ」


 今の私は、トマ「伯爵」らしい。

 王宮が爵位を奪っておきながら都合が良すぎる気はするものの、ここで文句を言うような状況でもない。


 なぜなら、私の目の前には、あの悪名高いことで有名なグロスター伯爵が居るから。……もうその悪事は働けないが。


 伝令をもらってその日の昼前にミミリップ地方へ派遣されたかと思えば、ここ、グロスター伯爵の屋敷に飛ばされてしまった。なんでも、死んだ人間を見れる医療者がまだ到着していない状態で彼を発見してしまったらしい。

 見つけたら急いで検死をしないと、遺体はどんどん傷んでしまう。仕方なく私が手をあげると、即馬車に乗せられ気づいたらここでグロスター伯爵と対面させられた、というわけだ。


 騎士団やお役所の連中が見守る中、私は久しぶりの遺体に鼓動を早める。

 最後の検死は、5年も前に偶然居合わせた餓死した女性だった。それから一度も触れていないし、見てすらいない。故に、私が緊張してしまうのは多少許して欲しいものだ。

 それに、騎士団には良い思い出がないのもあって。


「……アインス」

「おや、ロベール卿。ご機嫌麗しゅう……は場違いですな」

「……死んでますか」

「ええ、完全に。生き返ることは、天地がひっくり返ってもないでしょう」

「事件性は?」


 遺体を前に室温や風の通りを確認していると、そこにロベール卿がやってきた。

 すると、その場に居た騎士団のメンバーが全員彼に向かって敬礼をする。ロベール卿が部屋の中に入ると同時に空気が変わったところを見ると、恐れられているらしい。確かに、気迫がすごい。


 それに、相当思いつめた顔をしている。試しに冗談を言うも、あまり響いていない様子だ。

 その視線は、私と話しながらも遺体に向いている。


「いえ、まだそこまで確実なことは言えません」

「と言うことは、多少あるということですか?」

「ロベール卿。恐れ入りますが、結論を急ぐのは良くないですぞ」

「……失礼しました、つい」


 おっと、いけない。

 どうしても、彼が孫の年齢だからかこうやって言わなくても良いことを言ってしまう。

 階級は、彼の方がずっとずっと上。下手なことを言えば、今度こそ首が吹っ飛ぶ。


 そう思うも、彼のしゅんとした表情を見るとやはり気にしてしまうんだ。


「お知り合いですかな」

「……ええ。先日、お世話になった怪我の原因を作った奴の父親です」

「なんと。一族でこんな……」

「伯爵夫人は?」

「騎士団が屋敷中を捜索しましたが、見当たらないらしいです。私はグロスター家に疎いのですが、ここの屋敷の住人は、伯爵とご夫人とその罪人だけですか?」

「いえ、使用人がいます。……5年前までは、ご令嬢も」


 5年前。


 それは、私が王宮を追放された年。

 何かがあったらしいが、刑期中だった私が知る由もない。


 しかし、それを彼に聞くほど場を弁えない私ではない。

 どうやら、彼とそのご令嬢との間には何かがあったらしい。ロベール卿の眉間のシワが先ほどよりも一層深いものになっていく。

 それに、彼の全身を纏う雰囲気も殺伐としている。これが殺気なのだろう。肌がピリピリとして、空気が張り詰めているんだ。


「そうなのですね。使用人は、どこへ行ったのでしょう」

「……それも含め、周辺の捜索をします」

「ありがとうございます。それと、騎士団の中で信頼できる団員を1名補佐としてお借りすることは可能でしょうか?」

「ええ、大丈夫です。……おい、シエラ。俺は捜索に合流するから、アインスの補佐をしろ」

「はいは〜い。いつぞやはこいつの治療をありがとうございます、シエラです。名前が複数あるようですけど、なんとお呼びすれば?」


 信頼できる団員を、なんて口走ったかもしれない。

 5年前の悪夢が頭をよぎり、思わずそんなことを言ってしまった。しかし、ロベール卿は特に気にした様子もなくすぐ、一緒に入って来ていた第二騎士団のシエラ卿を紹介してくる。……いや、副隊長だ。肩の紋章がそう言っている。

 以前フォンテーヌ家に来た時はじっくり見ていなかったので気づかなかった。


 シエラと名乗った男性は、片手を差し出して私の名前を聞いてきた。


「今の私に、爵位はございません。アインス、とお呼びください」

「わかりました。アインス、よろしく」

「よろしくお願いいたします、シエラ卿」


 握手をすると、手の温かさがこちらに伝わってくる。この体温は、信頼できるものだ。長年、医療者をしているとそういう微妙なものがわかってくる。


 シエラ卿は、早速私の隣に来て指示待ちの体勢をとってくれた。

 その姿を見たロベール卿は、私に向かって一礼をすると、


「ここにいる団員は入り口に2名残し、全員撤退し私についてこい。あまりひしめき合っても、遺体の保存状況が良くないだろう。王宮の記録係も、別室で待機しろ」


 と、私が言いにくかったことをはっきりとした口調で言ってくれた。


 こんな狭い部屋の中、人が多いと室温が変わってしまうんだ。

 そうなると、死亡推定時刻の割り出しが難しくなる。


 ロベール卿の鋭い言葉で、騎士団のメンバーとお役所の人間がドアに向かって素早く行動を開始した。すると、1分以内に部屋の中が人の居ない静けさになる。


「さてと。では、補佐をよろしくお願いいたします」

「お願いしますー。僕は、何をすれば?」

「解剖はここでしません。貴殿には、監視をお願いいたします」

「あー、誰かが見ていないといけない決まりでしたね。慣れてるのですか?」

「……数年前まで、宮殿の侍医をしていましたので」

「それは失礼しました。今はフォンテーヌ家ですよね」

「はい。今はしがない医療者です」


 これ以上会話していると、罪人だとバレてしまう。


 死亡時刻の割り出しは、死後硬直の状態や到着した時の室温で目安はついている。あとは、死因と損傷状況、それに、他殺だった場合の証拠になりそうな物を確認しなくては。検死方法なんて数年前の記憶なのに、遺体を前にすると鮮明に思い出せるのだから不思議だ。

 シエラ卿に検死の手順を説明した後、私はゆっくりと服に手をかけた。


 ここまで来たら、最後まで付き合ってやろう。



***



「ロベール卿」

「……クリステル様」


 早馬の知らせでグロスター伯爵が見つかったと聞いた私は、陛下の許可をいただき現場に来た。

 昼間だと言うのに、どこか闇の中に佇むよう聳え立つ屋敷が不気味に映る。そして、そこから出てきたロベール卿の表情も、こう言ってはアレだが殺人鬼と思うほど殺気だっていた。


「グロスター伯爵は……」

「死亡が確認されました。今、アインス……信頼できる医療者が代理で検死をしてくれています」

「そうですか……」


 まだ検死担当の侍医は来ていないらしい。アインスと言えば、彼を治療してくれた医療者ではないか。なぜ、こんなところに居るのだろう。

 いや、それよりも今はグロスター伯爵だ。亡くなったと聞いても、実感がわかない。


 私は、ロベール卿にお辞儀をし早足で屋敷内に入っていく。

 報告によると、夫人も使用人も消えてしまっているらしい。5年前は居た者が、今居ないなんてことはないはず。何か事件性のある臭いしかしない。


「ランベール伯爵に敬礼!」

「良い。そう言うところではない」

「失礼しました!」


 私が屋敷に入ると同時に、入り口を守っていた騎士団が一斉に挨拶をしてくる。しかし、今はその相手をしている余裕はなかった。

 それよりも、屋敷の変わりように驚愕してしまう。


 以前はもっと、成金思考の悪趣味としか言えないような雰囲気の屋敷だった。しかし、今は殺風景に近い。

 盗人でも入ったのか? そう思ってしまうほど、物という物がない。5年で、こんな殺風景に満足できるような人間になれるわけないじゃないの。


「……何があったの」


 昔の屋敷を知っているからこそ、この違和感を不気味に感じざるを得ない。この違和感、ロベール卿は気づかなかったのかしら?

 ……まあ、それどころじゃない雰囲気だったか。彼の心情をわかってしまうため、そこは責められない。


 私は、違和感を覚えた箇所を持ってきたノートに書いていく。

 殺風景すぎる屋敷内、消えた夫人と使用人。それに、屋敷の門をくぐった時から感じている「見られている」という寒気。


 見られている……?


「……ロベール卿を。誰か、ロベール卿を連れて来て!」

「はっ!」


 私の直感は、外れたことがない。


 あることに気づいた私は、近くにいた団員に叫ぶよう伝言を口にしながら、この奥にある中庭へと早歩きで向かった。

 すると、すぐにロベール卿と数人の団員が走ってやってくる。


「何か、見つかりましたか?」

「……いえ、私の勘違いならそれで良いのですが」


 この寒気を感じるのは2度目だった。


 1度目は、5年前。

 ロベール卿が泥だらけで宮殿に転がり込み「アリスお嬢様が!」とパニックになりながら状況を話した時。正確には、みんなが寝静まった時間にグロスター伯爵の屋敷に忍びこみ、中庭からお嬢様のご遺体を掘り出した、あの時。


 あの時は、どこにお嬢様が埋まっているか聞く前から「ここだ」とわかった。


「……中庭」

「ロベール卿、少々お待ちください」

「ああ」


 中庭は、以前と変わっていなかった。

 多少、植物たちが枯れているものの、配置的には同じだ。ベンチや置物も、そのまま。


 私は、入り口にロベール卿たちを残して1人、中庭の土をゆっくりと踏み奥に向かう。

 すぐにわかった。


「……いました」


 入り口から真っ直ぐ5歩、南に3歩。

 その周辺だけ、土が柔らかい。


 私が立ち止まって声を出すと、すぐにロベール卿が飛んでくる。そして、白手袋を素早く外し素手で土を掘り出した。


「ハンナ……」


 3回土を掻いただけで、探していた人物が見つかる。

 彼女の顔は、私も知っていた。彼女は、メイド長のハンナだ。どんなに顔が歪もうとも、一緒に働いていた仕事仲間を忘れるわけはない。


 ロベール卿の手が止まる。

 驚愕の表情を浮かべ、かつての仕事仲間であり、憎き相手である彼女の死に顔を見つめていた。


「ロベール卿。この周辺、まだ土が柔らかいです」

「……応援を呼ぼう」


 私の直感は、良く当たる。

 それも、悪い方に。



***



「ねえ、イリヤ」

「なんでしょうか、お嬢様」

「なんか、急に寒くなって。窓、開けた?」

「いいえ。全てしまっておりますが」

「……そうよね」


 日課になっているお仕事を片付けていると、急に寒気を感じたの。

 イリヤを信頼していないわけじゃないけど、私もぐるりと首を動かして周囲を見た。でも、やっぱり窓は閉まっている。なのに、とても寒い。


 外側から、というよりは内側から寒さを感じているの。

 風邪でも引くのかしら?


「イリヤ、ちょっと横になっても良い?」

「ご体調がすぐれないのですか?」

「ちょっとね。大丈夫よ、寝れば治る」

「……お待ちください。準備します」


 アインスは、昼前に屋敷を出てミミリップ地方へと行ってしまった。

 だから、今体調を崩しても私を診てくれる人はいない。


 私は、横になるため終わった書類をまとめて机の端にまとめる。万年筆のインクも取り出して、乾かないようにしないと。それに……。


「お嬢様!?」

「え?」

「お嬢様、お嬢さ」


 それは、突然来た。

 ベッドを整えてたイリヤがこちらに向かって走ってくるな、と思った瞬間、目の前がブラックアウトする。


 

 

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