風邪の時はお静かに




 身体が熱い。


 あれから……アリスが「悪役令嬢」だと呼ばれ続けていたことを知った日から5日が経っていた。

 お茶会の日まで、あと3日。なのに、私はあろうことか、高熱を出してしまったの。もう4日も熱でヒーヒー唸って、ベッドに張り付いている。


「お嬢様、白湯をお持ちしました」

「…………?」


 身体が動かないのはもちろん、最悪なことに声まで出なくなってしまったわ。油断すると、視界までもがボヤけてね。

 今だって、声で誰が来たのか判断してるの。姿は、ぼんやりと黒いかな、白いかなってわかる程度。これは、アインスね。


「あっ……ぅ、ぁ」

「無理にお声を出そうとしないでください」

「……っ」

「大丈夫ですよ。そもそも、1年もの間寝たきりだった人間がすぐお話したり、身体を動かしたりできる方が異常だったのです」

「……」


 アインスは、泣きそうになってる私の気持ちを良くわかってくれる。……いえ、いつの間にか泣いてたわ。目にフワッとしたものを当てられてるってことは、タオルか何かで涙を拭いてくれてるってことでしょう?

 その気遣いだけで、涙腺が崩壊したかのように涙が止まらない。


「まずは、熱を下げましょう。見たところ、肺がやられてしまっています。これ以上無茶をすると、後遺症になりますから」

「……」

「前より、だいぶ良くなっていますよ。上出来です」


 良く見えないけど、アインスはこんな私でも大切にしてくれる。今だって、頭をゆっくりと撫でながら「良い子良い子」と言ってくれるのよ。


 え、イリヤはどこって?

 さっきまで、ここで私の身体を拭いてくれていたわ。拭き終わったら、「イリヤは魔法使いに転職します」って言いながらどこか行ってしまったけど。

 熱の移し方が書いてある文献を探すとかなんとか言ってたから、図書室かしら? 

 そんな黒魔術的なものが、あるわけないのにね。……声が出ないから、止めることもできなかった。


「ストローで白湯を飲んでください。熱くはないですから」

「っ……、あぃが」

「お嬢様、感謝の言葉は治ってからおっしゃってください」

「……」


 首を動かすのも、正直辛い。でも、少しでも動かさないとずっとこのままだってアインスが脅かすの。

 今の私の身体には、筋肉がほとんどないんだって。だからまずは、無理のない範囲で身体を動かすことから始めることにしたの。起きて数日動けたことが、夢だったのかな? って思うほど動けなくて情けないわ。


 でも、前よりは今の方が動ける。

 だって、熱を出した初日なんて、目玉を動かすだけで精一杯だったもの。今は、首は動くし腕もゆっくりなら動かせる。成長したわ、私。


「お茶会のことは、一旦忘れましょう。まずは、お身体を第一に」

「……っ、」

「ええ。お嬢様の意思は尊重しますから、ご安心を。出来る限りのことをしましょう」

「……」


 ストローから口を離して頷くと、また頭を撫でてくれる。


 ちなみに、お父様とお母様もここに来たがったんだって。でも、溜まりに溜まったお仕事を消化中だとか。メイド長のフォーリーとアランに監視されながら、頑張ってるみたい。

 たまにここまで「ベルー! パパはここだよ!」なんて声が聞こえてくるんだけど、きっと幻聴ね。


「お待たせいたしやしたあ、お嬢様!」

「……?」


 と、そこに元気よくイリヤが入ってくる。

 なんだか、今までの余韻が一気に消えた気がするわ。


「イリヤ、どうしたんだい? 恋愛小説なんか持って。読み聞かせには、もっと別の本の方が……」

「読み聞かせじゃあ、ありません。イリヤは、お嬢様の風邪を移す方法を見つけたのです! イリヤは、魔法使いになったのです!!」


 私は、とても嫌な感じがした。


 恋愛小説に、「風邪を移す」。

 昔、そんな組み合わせのお話を聞いたことがあったから。


「魔法なんて、ファンタジーの世界なんじゃ……」

「いいえ! イリヤは物理魔法を使います」

「……物理?」

「はい! 口移しで風邪を頂戴しに参上しました!!!」


 ああ、思った通り。


 イリヤ、それはちょっと違うのよ。……いえ、だいぶ違うの。しかも、物理って魔法じゃないわ。


「……イリヤ」

「はい、アインス」

「それは、使用人として許可できません」


 今の衝撃で、ちょっとだけ視界がひらけたんだけど。


 そこには、本を片手にポカーンとした顔のイリヤと、複雑な顔したアインスが見つめ合って立っていた。

 恋愛小説風に言っても、恋は芽生えそうにない距離感でね。


 まあ、こんな賑やかな風邪もたまには良いわ。痛みが紛れるもの。



***



 そういえば、アリスの時も1度だけかなり酷い風邪を引いたことがあってね。


『お嬢様、お願いですからお休みになられてください』

『あと少しなの』

『お熱があります。顔を真っ赤にしてやることではございません』

『あと少し』

『……お嬢様』


 あの時は、シャロンだったわ。

 そう、シャロンが眉間の皺を隠そうともせず私を睨んでいたの。あれは、怖かった。


 けど、やらないと終わらないのだもの。仕方ないじゃないの。

 シャロンが「私がやります」って言ってくれてるんだけど。伯爵としてのお仕事だもの。私がやらないとダメでしょう。グロスターが領主を勤める、ミミリップ地方のサンガンを少しでも早く住みやすい領地にしなくては。


 お父様もお母様も、お仕事に関心がないのよ。だから、私がやるしかないの。爵位を剥奪でもされた日には、きっと悲しまれると思うわ。だから、私がやるの。


 今思えば、爵位を剥奪されれば金遣いの荒さがおさまっただろうし、可哀想な領民たちが新しい領主を迎えて生活が改善されたかも。なぜ、あの時の私は気づかなかったのだろう?


『計算ミスでもしたら、大変です』

『大丈夫よ、いつもしてるから慣れてるもの』

『慣れていらっしゃるから、ミスがあるのです。体調が万全でないのも作用します』

『じゃあ、これが終わったら少し休むわ』

『たくさん休んでください!!!』


 あー、怖い! この睨み!

 そうそう、結構ズケズケと言う人だったわ。だんだん思い出してきた。

 ……怖かったけど、シャロンが怒る度嬉しかったんだよね。私のために怒ってくれてるなんて、他の人じゃしないもの。せいぜい、お母様に八つ当たりのビンタを喰らうくらいだわ。


 私は、シャロンに言われた通り、終わったらすぐに身体を拭いてベッドへ横になった。1分もかからずに寝ちゃった記憶があるわ。


『お嬢様……。アリスお嬢様、ごめんなさい』


 だから、私にはその謝罪の言葉が聞こえなかったの。……ええ、聞こえなかったのよ。



 それから3日熱にうなされ、気づいたらシャロンがいなくなっていた。

 他の使用人に聞いても、無視。お父様お母様には、「それより仕事は終わったの?」と。外出なんて滅多にできなかったから、結局わからずじまいだったわ。


 シャロン、あなたはどこに行ってしまったの?

 私のこと、そんなに嫌だったなら申し訳ないな。いつか再開した時に謝罪を……ああ、そうか。もう私はアリスじゃないんだ。


 シャロン、ごめんね。




***




「以上です」


 定期的な報告会は、どんな国にも付き物。統治させるためには、全ての領地に関する内容を把握しなければいけない。

 うちの皇帝陛下は、飾り物じゃないからその点は楽ね。こうやって顔を出して侯爵たちの話を聞いてくれるのだもの。隣国では、こんなところに顔出さないって言ってたし。


 ええ。たとえ、報告書にうさぎの落書きをしてようが、机の下で足をバタバタさせようが文句は言わないわ。文句はね。


「あでっ!?」

「……何か、不備でもありました?」

「ぬ、い、いや。なんでもない」

「では、ホウライ地方は終わりになります」

「うむ。ご苦労じゃった」


 私の名前は、クリステル・フォン=ランベール。

 ランベール侯爵の長女で、伯爵の爵位をいただき皇帝陛下の付き人をしている。……今、机から出ていた足を蹴り飛ばしてやった陛下のね。


 私が攻撃すると、陛下……マルティネス陛下は、つま先部分を床にトントンと叩いて痛みを分散させながら、ホウライ地方の報告をしてくれたボネ侯爵に労いの言葉をかけている。

 これで、うさぎを増やさなければ良い陛下なのだけど。


「次、ミミリップ地方の……」

「はい。ロベールが報告します」


 ミミリップ地方。

 それは、私にとって特別な地方。多分、陛下にとっても。


「今回、議題にあげたいものが3つほど……」


 私は、真剣な顔して聞く陛下の姿に安心しながら、ロベール侯爵の話に耳を傾ける。

 今日のうさぎは……6匹か。少ない方だわ。

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