19.「空の色は移りゆく」

この世界には「骸」と呼ばれる生物が存在し、主人公・代谷真紘を含める人の形をした骸「混骸」は、「骸根絶派」「人類根絶派」「共存派」の三つの派閥に分かれ、睨み合っていた。


 *******************


 いつも通り騒がしい朝。三澤がご飯を作り、勝人が騒ぎ回り、元義さんは朝から酔っ払っている。

 ここは、共存派が守るために作られた施設。約30人の入居者が、5人ほどのグループに分かれて生活している。


「…お姉ちゃん」


 そっと三澤の袖の引っ張るのは、寝起きで髪の毛が跳ねた、無表情の女の子。名前は、辰巳葵ちゃん。


「どうしたの?葵ちゃん」


「…あーん、して」


 感情の起伏はないが、とにかく甘えたなのだ。拗ねた時は唇がへの字になり、怒っているときは拳をぐーにする。今は、癖っ毛がぴょんぴょんと跳ねている。ご機嫌な証だ。


「尻尾を振る犬みたいだな…」


「何か、言った?」


 あ。拳の形がぐーになった。

 なぜか、葵は真紘に懐いてはくれないのだった。


 今日の朝ごはんは目玉焼きとベーコン。味噌汁に、白ごはん。


「はい、あーん」


「あ〜〜ぅ」


 三澤がお箸を口に近づけると、大きな口を開けて満足そうに頬張る。目に感情はないが、体全体で「おいしい」を表現しているようだった。


「葵ちゃん、今日はいつもよりご機嫌なんだな。」


「…別に、おまえには、関係ない。」


「こーら!お前なんて言わないの!葵ちゃん、今日は参観日なの。私が行く約束したら、とっても喜んでくれて。」


 三澤がニコッと笑う。なるほど。だからいつもより髪の毛の動きが激しいのか。その愛らしさを、なぜ俺には向けてくれないのだろう…


「頑張ってね!葵ちゃん、ちゃんと見てるからね!」


「…頑張る。」


 葵は呟くと、立ち上がって「ふんっ」と鼻息を立てた。


 しばらくすると、外から「あおいちゃーん!」とあおいを呼ぶ声がした。


「今行くー」


 どこか気の抜けた声で返事をして、ランドセルを背負い、急いで靴を履く。


「いってきます」


「いってらっしゃい。頑張ってね。」


「うむ。」


 変な返事をすると葵は外に飛び出した。無表情なことを除けば、体現されているのは紛れもない小学2年生の姿だ。


「…葵ちゃんね、お母さんとトラブルがあってここに来たって話、したよね。」


「ん…?あぁ、確か虐待を受けてって聞いたけど。」


「きっと、会ったばかりの人に心を開くには、時間がかかるの。だから、葵ちゃんのこと嫌わずに察してあげてほしい。」


「うん。わかってる。葵ちゃんのこと、あれは大切な家族だと思いたいから。」


 そう言うと、三澤の顔が少し影を帯びる。何か、大切なことを言わんとするか迷っている表情だ。


「何か、言いたいことがあるのか?」


「…私からいうことじゃないのかもしれない。でも、葵ちゃんと家族になりたいって言ってくれてる真紘くんには、ちゃんと伝えなきゃいけないことがあるの。」


 三澤は少し切ない表情で、真紘にそう告げた。


 ここは、初めて入る女子の…三澤の部屋。

 隣り合って座る2人には、どこかぎこちない沈黙が生まれていた。


「…あのね。葵ちゃんのことなんだけど…」


「へぁっ!あ、あぁ…続けてくれ…」


 突然に破られた沈黙に驚き、思わず変な声が漏れる。そうだ、雑念は捨てろ。今は、葵ちゃんの大切な話をしているのだ。


「葵ちゃんのお母さん、葵ちゃんが生まれてからずっと葵ちゃんのこと溺愛してたの。ずっと、葵ちゃんが大きくなるまで。」


「それじゃ、なんで虐待なんか」


「5歳になったある日、突然葵ちゃんの部屋の壁が破壊されたの。床は抜けて、部屋の中にあった家具や机は粉々になってた。その中心には、うずくまる葵ちゃん。」


「それって…」


「葵ちゃんの、能力発現。能力は、重力操作。」


 思わず驚愕に声が漏れる。混骸がエネルギーを制御し、能力を発現させるのは平均して10歳。それも、最初はごく小さな力だ。5歳にして能力を発現、それも部屋を崩壊させる程の力なんて、制御ができるはずがない。


「しかもお母さんは、ただの人間。混骸同士が親だったら、たとえ力の制御できない子供が生まれたとしても理解がある。でも、その時の葵ちゃんは…ショックからか、お母さんさえも…能力で手にかけようとした。」


 ゴクッという音がするほど唾を飲み、戦慄する。


「なんとか一命を取り留めて、お母さんは生き残ったわ。右腕を失って、顔の半分に大きな怪我を負って。」


「だから、恐怖と怒りからお母さんは葵ちゃんを虐待して…?」


「それだけが理由じゃないの。後々お母さんの家族を調べたら…」


 そこで言葉を区切り、葛藤する。言うべきことなのかどうかわからず、それでも決意を目に宿す。

 真っ直ぐ真紘と目を合わせ、ゆっくりと話しだす。


「葵ちゃんのお母さん以外…葵ちゃんのおじいちゃんとおばあちゃん、叔父さん、叔母さん、全員が混骸だったの。」


「そ、それってつまり、葵ちゃんのお母さんは混骸を知っていたし、理解があったっていうことか…!?」


「そう。だから、抵抗しない葵ちゃんをボロボロになるまで殴って、蹴って、最後には…流臓を、潰そうとした。」


 以前の混骸の授業で知った、「流臓」。混骸がエネルギーを溜め込むための器官だ。

 それがなくなれば混骸は…作り出したエネルギーを溜め込む場所を失い、能力が体内で暴発して死ぬ。


「葵ちゃんのお母さんは、葵ちゃんを殺そうとまだしたのか…」


「その時に葵ちゃんを助けたのが、葵ちゃんがゴミ捨て場で倒れていたのを見つけた私。葵ちゃんにお話を聞いて、この施設に引き取ることにしたの。だから、葵ちゃんは私を頼ってくれてるんだと思う。」


 拳を震わせ、悔しそうに呟く。その怒りの混じった声は、やるせなさを隠しきれていない。

 確かに、お母さんが葵ちゃんを殺そうとする理由もわかる。だが、葵ちゃんは当時何もわからない5歳の女の子だったのだ。


「…そろそろ行くね。葵ちゃんが待ってる。」


「あぁ。しっかり見てきてあげて。」


 扉を開け、外に出る。バタンと扉が閉まり、1人廊下で立ち尽くす。

 これが、この世界の残酷さか。漆の時といい、葵ちゃんの事といい…「混骸」という事実は、幼い子供に対しても、残酷に牙を穿つ。

 せめて、今、これからの時間は幸せに生きてほしい。

 ざわつく胸を押さえて、自室へと足を運んだ。

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