7.「張り裂ける別れ」
「グスッ……うっ……グス……ッ」
並ぶ超高層ビル、車が走る音。日の光で眩しいアスファルトの上で、少年は泣いていた。
「ママ……パパ……ねぇね……どこ……?」
不安が、少年の心を揺さぶっていた。
この広い東京の大都会の中、家族とはぐれてしまったのだ。
「あ、あれ! 泣き虫峰森じゃねぇか!?」
甲高く刺々しい声が、この騒がしい都会の中で鮮明に聞こえた。
「ほんとだ! お前こんなとこで何やってんだよ!?」
5〜6人を引き連れ、ねろの周りを取り囲む。
見れば、一つ上の学年のいじめっ子たちだ。泣き虫で対抗してこないねろを、何かにつけてはいじめてくるのだ。
「え…と、ママたちと、はぐれちゃって……」
「ぎゃははははは! ママとはぐれちゃって……だってよ! マザコンかよ!」
「きもちわりぃ〜〜!」
「おい峰森! こっちこいや! いつもみたいに遊ぼうぜ!」
少年は、孤独だった。友達と呼べる友達はおらず、いじめられ、家族だけが自分の味方だった。
その家族も、今はいない。たった1人、その孤独と絶望は小さな体には大きすぎる傷を負わせる。
「こらー! なにやってんだ‼︎!」
少年を取り囲んでいた暗闇から、一筋の光がさした。
「ねぇね……」
幼き日の峰森ねるが、1人の少年の頭を蹴り上げた。
「やべぇ! ゴリラが来たぞ!逃げろ!」
「誰がゴリラよ!」
少年たちが一目散に逃げていった。鬼のような形相で息を荒げながら少年たちが逃げた方向を睨みつけている。
ふ、と息を落ち着かせ、ねろを見る。
「ねろ。大丈夫だった? 心配したんだよ?」
先程の鬼の形相は消え、いつもの愛らしい、可愛い姉がそこにいた。その安堵に心が打たれ、涙が自然と溢れ出してくる。
「あらら……そうだね、怖かったね」
そっと弟を胸に抱き寄せ、頭を撫でる。それだけで、ねろの心から不安も絶望も消え、安心が心を満たす。
「ねろ、行こう。お母さんたちが待ってるよ」
少年は、涙を拭いて力強く見上げる。
「ねぇね……お姉ちゃん。僕……強くなる!お姉ちゃんを守れるくらいに!」
「……!ふふっ、楽しみにしてる。あ、そうだ、ねろ。これ、あげる」
「これって……」
それは、お守りだった。「守護」という字は、まだ7歳のねろにとっては難しい漢字だ。
「何で書いてるの……?」
「しゅご。あなたを守ってくれる、特別なもの。」
「特別な、もの……」
「あなたは1人じゃない。1人だと感じた時、思い出して。私は必ずあなたのそばにいる」
それが、幼き姉弟の、初めての約束だった。
***********************
血飛沫が、叫びが、轟く。
峰森まりが放った無意識の刃が、弧を描き、ねろの腕を切り落とす。
「何が起こったんだ……?」
間一髪まりの斬撃を交わした灰咲は、その驚くべき光景に目を見開き、当然の疑問を口にする。
「ねぇ……ちゃん……!」
目が覚めない姉は、ねろの体をさらに刻む。腹を、脚を、腕を、そして心を。
「生徒会長が、弟を……?」
暴走しているのか。無意識の暴力は、その有り余る力と刀の技術を持った姉を、殺戮人形へと変貌させていた。
「や……やめろ!」
真紘が叫ぶ。姉が、弟を殺すなんてあってはならない。たとえ敵でも。共存派として。それだけではない。姉は……弟を、守らなければならないんだ。
ふと、まりの手が止まる。そして、震えるその手は刀を持つ力を失い、何も掴めない両手で口を塞ぐ。
「うそ……そんな……そんなことって……。」
目が覚めた姉の目には、もう戦意の光はなかった。
「ねぇ……ちゃん……」
「嘘よ! そんな、私がねろを」
「ねぇちゃん……聞いてくれ……」
「ねろ! 喋らないで! 今、止血を」
「覚えてるか? 昔、俺が迷子になった時のこと……」
「覚えている! 覚えているわ! だから、もうしゃべらないで」
震える手で、カバンから応急道具を取り出す。
「俺さ……ずっとねぇちゃんに守ってもらってた……兄貴が母さんと親父を殺した時も、俺がいじめっ子たちを半殺しにしちまったときも、どんな時でも守ってくれたよな……」
「ねろ……」
「だから、きっと仕方ねぇんだよ……ねぇちゃん、俺の左の内ポケット、中のやつ出してくれねぇか」
「……! これって」
それは、ボロボロになって汚れが滲み切ったお守りだった。もう読めないほどに汚れた「守護」の文字が書かれている。
「ねぇちゃん。俺は……死ぬけどさ、ねぇちゃんの弟でよかったって、ほんとに思うよ……今まで、ありがとう」
「いや! あなたは幸せになるの! 幸せになって、今度は、私を守ってくれるんでしょう⁉︎ 約束したじゃない!」
「約束、守れなくてごめん。そのお守りは、ねえちゃんが持っててくれ……。俺の、宝物だから。きっと、おれはねえちゃんのそばにいるから……」
「ねろぉ……おねがい、死なないでぇ……」
涙にボロボロに濡れた顔で、ねろを抱きしめる。もう感覚のなくなってしまったその体は、温もりを感じるには血を流しすぎてしまった。
「……代谷。お前の……お前の能力、俺は認めない。それは……それは、お前が持つべきものじゃないんだ……」
「……」
能力など、使った覚えはない。だが、この弟は何かを感じ取ったのだろう。何も答えず、耳を傾ける。命を絞り出し、弟は続ける。
「命の価値を、冒涜するな……骸を、生に足掻く者を、馬鹿にするな……お前に伝えたいのは、それだけだ……」
何を言っているのかわからない。命を冒涜……?
「まり、出てこれるか……!」
「なんだ」
「ねぇちゃんを、頼んだ……」
「ふん……早く逝け」
少し顔つきが悪くなった姉は、ふと顔を背ける。
そして、元の顔つきに戻る。
「ねぇちゃん……」
「ねろ……いやぁ……だめぇ……」
泣き崩れ自分にもたれかかる姉の頬を無事な右手でスッと撫で、これまでにないほどの穏やかな顔で別れを告げる。
「ねぇちゃん……ねぇね……愛してる……」
そういうと、バタンと腕を落とし、力尽きる。
命の灯火が、今、消えた。
「ねろ……ねろ、私も、愛してる……愛しているわ」
姉は、もう中身のなくなった弟を抱き寄せて、呟いた。
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