第8話 捨て身

「はぁ、はぁ、はぁ」


 俺は今、蜘蛛のモンスターから必死に逃げている。

 間一髪でどうにか奴の攻撃を回避し、逃げる事はできたものの、未だに奴は俺を追いかけている。


「ほんとしつこすぎるだろ」


 かれこれ10分以上逃げたり隠れたりを繰り返していたのだが、一向に撒くことができない。

 どうするか、そんな事を考えていると、


「あ、あれは」


 工事中だと思われる低いビルが見えてきた。


「もうここしかないか」


 俺はモンスターがまだ遠い場所にいる事を確認し、そのビルの中に逃げ込んだ。


 ビルの中はもう殆ど骨組みしか残っていない状態で、いつ倒壊してもおかしくない程ボロボロに見えた。


 俺はそのビルの4階まで登り、柱の影に隠れる。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、来たはいいものの、どうする」


 武器など無い。あるのは拳。こんなものでモンスターに太刀打ちなんてできない。


「ん? これは」


 空間の隅に空のビール瓶が2、3本落ちている事に気がつく。

 俺はそのビール瓶を拾ってくる。


「無いよりはマシか。こんなもので、あの分厚い皮膚に傷をつけられるかどうか……?」


 俺は自分の脚に違和感を覚える。

 震えている、奴に恐怖しているのか?


「クソ、モンスターを殺すとか抜かしていた奴がこのザマかよ。口だけだったな」


 俺は震えている脚目掛けて拳を振るう。


「けど、逃げる訳にはいかないんだよなぁ」


 さっきの俺はあのモンスターから逃げているつもりだった。

 けど違かった。本当に逃げようと思っていたら、もっと上手く立ち回れた筈だ。

 何故しなかったのか。もし俺が逃げる事が出来たら、恐らくあのモンスターは水音を探し出すからだ。

 それだけは防ぎたい、その思いが心のどこかにあって、無意識に行動に出ていたんだ。


「……水音を、守るんだ。何が何でも、守ってやるんだ」


 そう思うと、俺の脚の震えは収まっていく。


「来いよ。いつでも準備OKだ、どこからでも来い……?」


 その時、俺の耳が反応した。

 それと同時に全身に鳥肌が立つ。


 今、後ろで音がした様な……


 殆どが骨組みなので、窓が無い。


 まさか⁉︎


「ッ!」


 勢いよく後ろを振り向く。


 しかし俺の予想は外れ、振り向いた先には何もなかった。


「ふぅ、ビックリさせんなよ」


 何もいなくて一安心……そんな事はない。


 俺は安心して天上を見る。

 そこには……


「え?」


 奴がいた。

 天井に張り付いて、口を開けていた奴がいた。


「キシャァァァ!」


「イッ⁉︎」


 俺の頭を噛み砕こうと天上から落ちてくる奴を俺は回避する。


「マジかよ」


 窓からか。

 不意打ちは奴にやられたが、俺は何もせずに待っていた訳じゃない。

 俺は瓶を握りしめる。少なくとも拳よりはマシだろう。


「キシャァァァ!」


 奴が俺に向かってくる。


 今度は何だ? 噛みつきか? 突き刺しか? ガスか?

 まあどちらにせよ、攻撃する部位は1箇所、頭だ。


 奴は俺の予想していた中の1つ、その尖った脚で俺を突き刺そうとしてきた。

 俺はそれを避け、奴の頭に瓶を振り下ろす。

 瓶は奴の頭に接触した瞬間割れる。

 普通ならかなりのダメージな筈だ。しかし、


「チッ、やっぱりダメか」


 頭はほぼ無傷。この硬さなら当然の事だとは思うが、一応やっておいたが無意味だった様だ。


「クッ」


 続いて叩いた頭から噛みつきがくる。

 俺はそれをギリギリで下に潜り避ける。


 今ならこいつの顎を殴れる。

 手の痛みなんてお構い無しだ。


「オラァ!」


 俺は拳を上に突き上げ奴の顔を下から殴りつけた。


「ギィィィィ⁉︎」


 すると奴は痛がる素振りを見せながら後ずさる。


「い、痛くない? それに効いてる」


 まさか、こいつ下は硬くないのか? もしそうだとしたら……捨て身の賭けだが、いけるか?


 この賭けは、下手したら死ぬ。運良くて体の一部が飛ぶ。

 基本的にはさっきの下を潜っての回避と一緒だが、今回は攻撃もしなければいけない為、さっきよりも助走がつけられない。

 つまり勢いが無い為さっきの様な瞬発力は出せなくなる。


 けどやるしかない。


「行くぞ、蜘蛛野郎」


 俺は2本目の瓶を片手に駆け出す。


 さっき殴ってからここまで約5秒、まだ殴られた衝撃で頭はあまり働かない筈だ。

 だから今しかない。


「ギィ!」


 奴は今度は口をガバッと開け、俺を噛み砕こうとする。


 ダメだ、速度が遅くて、避けるのが間に合わない。


 そして、


「グァッ⁉︎」


 回避行動が間に合わず、左腕が噛まれる。


 尖った歯なので鋭い痛みが全身を駆け巡る。

 さらにとんでもない顎の力で更に深く歯が食い込む。


「ウッ、クッ、離れろ! この野郎!」


 俺はもう片方の手に持った瓶で頭を叩き、割れた瓶で更に奴の目に差し込む。


「ギィィィィ!」


 口が腕から離れる。


 今だ!


 俺は最後の瓶を取り出し、再び奴の顔を攻撃。

 当然瓶は割れる。

 だが俺が求めていたのはこの割れて尖った瓶の断面である。


 俺は奴の懐に入り込み、腹の裏にその瓶を刺しこんだ。


「ギィィィィ!」


 刺した所から奴の血液が流れ出る。


「まだ、だ!」


 俺は更にそれを腹から抜き、


「あ゛あ゛!」


 再び刺す。


 だが何度も刺しこんだとしても、奴は再生する。

 だから、


「核を、えぐり出す!」


 俺は刺しこんだ割れた瓶をまるでフォークの様に使い、肉を引きちぎる。

 血が顔に掛かるが、そんなのはどうでもいい。


 こいつをここで仕留めれば。


 しかし、


「グァッ⁉︎」


 奴はそこまで単純ではなかった。

 後ろの脚で懐にいた俺の腹を突き刺した。


「あ、あぁ」


 そして俺を刺した脚を横に振り払い、脚は抜けたものの、壁に激突した。


「グッ!」


 そのまま床にドサっと倒れる。


 痛い。

 熱い。


 大量の血が流れる。


「クッ……ここ、までか」


 これだけ時間があれば、水音は安全だろう。

 モンスターを殺しまくるって言ってたけど、無理そうだな。


 奴が俺に近づいてくる。


 ああ、このまま喰われるのか?

 まあ、悔いはあるけど、モンスター、いや人を守れたんだ。それだけで、結構嬉しいかな。


 そう、俺は覚悟を決めた時だった。


「ギィィ? ッ⁉︎」


 奴の体が真っ二つに切れた。

 そして自己再生する事なく、絶命した。


 一体、何が起こった?


「……?」


 俺は人の気配がする方を見る。


 そこには……奈々がいた。


 血塗れの刀を手に持ち、モンスターの血を全身に浴びた、奈々がいた。


「奈、々?」


 その後、俺の意識は遠のいていった。

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