第八章 家族四人で

第40話 性癖は絵師の最強武器!

 紫さん――もとい戦友えびぽてとさんを送ってから、いつもよりだいぶ遅めの時間に帰宅した俺。

 リビングには誰の姿もなく、まひるさんが眠っていたりすることもない。とりあえず心配を掛けてしまったみんなへのお詫びに買ってきたケーキを冷蔵庫にしまった。あの喫茶店のマスターさんが店で使わせてもらってるオススメ店のケーキということで、美味いことは間違いなかろう。


「んー、みんな追い込み中かな……」

 

 夕食をとった形跡もないので、おそらく締め切りに向けてそれぞれの部屋で作業を行っているのだろう。なんたって今夜が締め切りだからな。

 もちろん俺は、あれから同人活動は一切やっていない。当然間に合うことはない。

 でもきっと、『美空家』の三人はそれぞれに全力を尽くしてすごい作品を作っているだろう。もしかしたら『美空家』サークルでの参加は見送るのかもしれないが……だとしたら申し訳ない。そもそも代表は俺だしなぁ。責任はこっちにある。

 俺がなぜ同人をやめることにしたのか、ちゃんと話をしておきたかったが、まぁそれは今夜の峠を越えてからでいいことだ。


「……よし、せめて影ながらサポートだな!」


 俺は自分の部屋に制服や鞄を置いてからシャツ姿のまま再び下に降りる。そして誰もいないリビングでエプロンを手に取ると、コーヒーとココアの準備を始めた。最近は三人の創作サポートもあまり出来ていなかったし、せめて締め切り日の追い込みに何か甘い物でも差し入れしよう!


 というわけでさっさか準備を済ませた俺は、メッセージアプリの『美空家』グループに連絡を入れる。


「『朝陽帰宅しました。お土産のケーキあります。息抜きがてらコーヒーとココアもよかったらどうぞ』……っと」


 送信から少し様子を見る。だが、しばらく経っても一つの既読もつくことはなかった。もちろん誰かがリビングにやってくることもない。

 

「集中してんのかな……。まひるさんも夕姉も夜雨も、一度そっちに意識が行くとスマホの連絡なんてなかなか気付かないからなぁ」


 食事や睡眠すら忘れて創作に熱中することもある人たちだ。今夜はまだメシも食ってないだろうし、ひょっとすると体調を崩しているかも。

 なんだか心配になった俺は、エプロン姿のまま三人の様子を見に行くことにした。


 ****


「まひるさーん……?」


 ノックをしても反応がなかったことから、俺は静かにまひるさんの部屋のドアを開けた。

 机で灯されたライト、デュアルモニター、液晶ペンタブレットの光がじんわりと一家の母を照らしている。まひるさんは眠っているわけでもなく、黙々と集中して作業をしていた。入室した俺にはもちろん、そばで通知ライトの点滅するスマホにもまったく気付いていない。


 ――やっぱ作業中か。邪魔したら悪いな……。


 そう思った俺は、そのままゆっくり扉を閉めようとした。


 そのときに、俺は見た。


「……え?」


 まひるさんの机のモニター。


 そこに映っているのは――『ルルゥ』だった。


「…………なんで……」


 出て行こうとしていたはずの俺は、いつの間にかまひるさんの部屋に入っていた。

 ゆっくりと近づく。

 間違いなかった。

 モニターに映るイラストソフトの中に、美しく彩色されたルルゥの姿がある。


「まひるさん……どう……して……」


 さらにそちらへ近づいていく俺。


 そのとき――まひるさんの手からペンがカランと転がり落ちた。


 次の瞬間、まひるさんはふらりとなって頭からゴンッとペンタブにぶつかった。


「――はふんっ!? わ、わわわぁっ!?」


 さらに勢いよく頭を上げてしまったものだから、今度はバランスを崩して椅子から横に倒れ落ちてしまう。またゴンッと床に頭をぶつけてしまった。


「うわっ! ま、まひるさん! 大丈夫ですか!?」


 慌てて駆け寄る俺。まひるさんは額を擦りながら上半身を起こし、にへら~と笑った。


「うう~? あ、朝陽ちゃんだ~おかえりなさい~♪ 遅いから心配したんですよ~~~~?」

「すんません。ただいまです。それより頭打ちませんでした? 平気っすか?」

「えへへ。大丈夫だよ~。ちょっぴりふらっとしちゃいました~」

「ちょっぴりって……まひるさん、ちょっと働き過ぎなんじゃないですか? 最近は家事までこなしてましたし、ちゃんと休みましょう。俺、ケーキ買ってきたんで!」

「わぁ~ケーキ~? ありがとう朝陽ちゃん~♪ でもねぇ、今とっても良いところだから、もう少しだけやっていたいんです~。ほらほら見て~!」

「え? えっと……」


 まひるさんは液晶ペンタブと同期させている大型のモニターを指さし、アップさせたイラストの細部を見せてくれる。


「ふふふっ。ここの腋のところね、すごくお気に入りなんです~♪ おっぱいもね、谷間が良い形になったと思うんだ~♪ ルルゥちゃんの、清楚だけどちょっぴり大胆なところがね、上手く描けたんじゃないかなぁって~。だからね、おっぱいのところをね、もうちょっと綺麗に、えっちに、美味しそうに描きたいんです~!」

「美味しそうに!? まひるさん相変わらず性癖だだ漏れてますね!」

「性癖は絵師の最強武器~! あとあと、ほっぺたの塗りも調整して、太股はもうちょっと艶やかにしたいな~! うふふっ、可愛い子を生んでくれてありがとう~朝陽ちゃん♪ 締め切りまでもう少しあるからぁ、もっともぉ~っと可愛くなるようにがんばりますよ~♪」


 ニコニコと笑って両手をぐっと握りしめ、ガッツポーズをとるまひるさん。けれどその綺麗な顔にはクマが出来ていて、明らかな疲れがにじみ出ている。一体、どれだけここで作業をしていたんだろう。


 俺はまひるさんの前で膝をつき、正座をするような姿勢で尋ねた。


「……まひるさん。なんで、ルルゥを描いてるんです?」

「ふぇ?」

「これ、完全版の表紙ですよね? それにこっちのイラストは新しい挿絵で……クライマックスのところまで描いてあるじゃないですか。他のキャラの紹介ページまで……。まひるさん、普段からいろんな仕事で忙しいはずですよね? それに家事までやって……俺はもう描くのはやめたんですから、まひるさんも描く必要なんてないんですよ。締め切りなんてどうだっていいんだ。こんなことしてる暇があったらちゃんと休んでください!」

「朝陽ちゃん……」

「ああ、なんか怒ったみたいになってすいません。そうじゃなくって、もういいんです。あの同人誌はもういいんですよ。だからまひるさん、無理しないでください。お願いだから、もうやめてください……」


 辛くなり、見ていられなくなり、うつむいてそう懇願する俺。

 俺は馬鹿だ。

 まひるさんは立派に仕事と生活を両立させていたんじゃない。無理をして両立させていたんだ。ふらふらになりながら、それでも仕事をし、家事をし、同人誌を描き続けていた。まひるさんの仕事量でそんな無茶な生活が続けられるはずがない。いつも一緒にいて、俺はそんなこともわかってなかったのか。


 すると――俺の頬にまひるさんの手が当てられた。


 顔を上げる。

 座り込んで俺と視線を合わせてくれるまひるさんは、俺の顔をじっと優しく見つめながら、その手で優しく俺の頬を撫でた。


「ママのことを心配してくれて、ありがとう。朝陽ちゃんはやっぱり優しいね~♪」

「まひるさん……」

「でもね……好きなことだから、やめられないんです~。朝陽ちゃんと、夕ちゃんと、夜雨ちゃんと。大好きな人たちと一緒に作り上げた、初めての作品だから。自分が納得出来る、読んでくれる人がみんな楽しんでくれる、そんな素敵な作品にするために、出来る限りのことがしたいんです~♪」


 まひるさんの考えは、わかる。

 まひるさんは、きっと家族で創作することをずっと楽しみにしていたんだ。俺もまひるさんと一緒に出来ることは楽しかった。いろんなことを教えてもらった。一人であれこれ考えるだけじゃない。誰かと一緒にモノを作ることの楽しさを知った。


 でも、それはもう終わったんだ。

 俺は書くのをやめた。だからもう、『星導のルルゥ』が完成することはない。


「俺は……やめたんですよ。なのに、なんで……」


 今にも泣き出してしまいそうな、弱々しい声が自分の口から漏れた。

 するとまひるさんは言った。


「朝陽ちゃんがまた書きたいと思ったときに、用意しておきたかったから~♪」

「……え?」


 呆然とする俺に、まひるさんは穏やかな表情で語る。


「体調を崩したり、落ち込んじゃったり、スランプになったり……。創作をする人ならきっと誰でも、急に作品を作ることが出来なくなっちゃうことがありますよね~。特に……誰かの強い言葉を受けてしまったときは、ショックも大きいものです~」

「……まひるさん? ひょっとして……」

「エゴサは創作者の義務みたいなものですからね~♪ 夜雨ちゃんはすごく落ち込んでいましたし~、夕ちゃんはすっごく怒っていましたね~。見る目がないぞーって。それでもみんな、気持ちは一緒でした~」

「……一緒?」


 まひるさんはうなずく。


「次こそは、もっと作品を良くして見返してやるぞーって思いです~!」


 その言葉に、俺はハッとした。

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