第38話 「格好つけたらダメだって、言ったじゃないですか」


 親父さんはしばらくじっと俺の目を見つめて――小さく嘲笑した。


「少年。名前は?」

「美空朝陽」

「美空? ……俺が誰だか知っているか?」

「知りません。どっかの金持ちってことくらいしか」

「だろうな。――紫」


 その場で呼びかけられて、えびぽてとさんが「は、はいっ」と怯えるように返事をした。


「お前、もう次の本は書いているのか」

「え……? ……あ、は、はいっ!」

「そうか。ならばそれを書ききることは許す。お前もクリエイターだと言うのなら、中途半端にせず全力でやれ。脱稿したら見せてみろ。俺が納得する出来だったなら、今後も活動することを許してやる」

「……え?」

「くだらんものを出したらその時点で終わりだ。どうする。やるのか?」


 親父さんの言葉に――えびぽてとさんはしばらく呆然としていたが。


 すぐにキッと眉尻を上げ、「はい!」と答えた。


 その反応に親父さんはフンと小さく息を吐き、そのままきびすを返してレジに向かい、手早くカードで会計を済ませる。


「邪魔をしたな、一樹いつき

「いえ。またのお越しをお待ちしております」


 壮年のマスターさんがお辞儀をして見送る。

 ドアを開けた親父さんは、最後にこちらを見る。


「紫」

「は、はいっ!」


 そして、俺の方を指さした。


「お前が好き勝手に未熟な作品モノを書き散らすことは許さんが、朝陽少年との交際は許す」

「……え?」


 ドアが閉まり、カランコロンとベルが鳴った。


「……ハァ? 交際は許す? なにいってんだあのおっさん」


 俺はえびぽてとさんの方へと戻る。

 えびぽてとさんは信じられないものを見るようなびっくりしきった顔で俺を見た。


「…………あさ、さん……」

「すいません、えびぽてとさん。実の親父さん相手に。けど、俺の方がどうしても許せなくて。本当は謝ってもらいたかったんだけど」


 無残な姿になったえびぽてとさんの初めての作品。俺ですらこれだけ悔しかったのだから、えびぽてとさんは相当なもんだろう。


 ふるふると、えびぽてとさんは首を横に振る。


「……私、もう、二度と好きな同人は書けないって、思いました……。でも…………また、書いても、いいって……」

「ん、とりあえず一回チャンスゲットですね。次の作品で目にもの見せてやりましょう。えびぽてとさんなら絶対出来ます。あの分からず屋のおっさん――って失礼っすね、親父さん、見返してやりましょう!」


 えびぽてとさんは、破かれた同人誌を胸の前で抱えたままこくんこくんと二回うなずく。


「ありがとう……ございます…………私の、大切なものを、守って、くれて……」


 そしてその瞳から、先ほどとはきっと違う意味での涙が落ちた。

 だとしても女の子が泣いてるのを見るのは気まずい。俺はマスターや他のお客さんに迷惑をかけてしまったと思い周囲に軽く頭を下げておいた。


 彼女がようやく落ち着いて座ったのを見て、俺も対面に腰掛ける。しっかし見事に破かれちまったな。これえびぽてとさんの本だけど俺の本でもあるんだぞ。弁償してくれよおっさん。つーかホント偉そうだったな何者なんだよあのおっさんは。すげぇ迫力でビビったわ。


「あの……あささん。私の父のこと、ご存じ……ない、ですよね……?」

「え? ああ、そういやさっき親父さんにも言われたけど、もちろん初対面だし知らないですよ。……ひょっとして、なんかどっかのお偉いさんだったりします……!?」


 政治家にも顔の利く大企業の重役とかだったりしたらどうしよう。もしくは政治家そのものとか?

 なんてちょっとビビって訊いた俺に、えびぽてとさんがおかしそうにくすっと笑いを漏らして言う。


「海老園美咲みさき。父はボーイズラブBL系の作家なんです」

「……へ?」

「一般文芸や女性向け漫画の原作もやっていて……聞いたことありませんか? 『アルトハープの花園』とか」

「…………あ」


 そこでハッキリと思い出した俺。


 知っている。

 海老園美咲。

 その界隈ではめちゃくちゃ有名な大御所で、BL小説業界のトップでありつつも一般文芸や漫画の原作まで手掛けるやり手の作家だ。『アルトハープの花園』はBLではないがBLを匂わせる男性バディの探偵モノ作品として人気で、そのアニメは俺も見たことがある。男でも純粋に楽しめる爽快なエンターテインメント作品だった。

 今思い出した。海老園なんて珍しい苗字だと思ったことがある。けど美咲なんて名前だから勝手に女性だと思っていた。ま、まさかあの『海老園美咲』があんな偏屈なおっさんだったとは!


「……え? は? ええっ!? マ、マジっすか!? だ、だって同人誌になんてなんの関心もなさそうないかにもな頑固親父って感じで……!」

「父はBL命なので、私にも書くならBL作品をってずっと強要していたんです。でも私はノーマルや百合の方が好きなので……それで父とは折り合いが悪くって。もう、どうして女の子同士の良さがわからないんでしょう……!」

「えええええっ!? そんな理由だったんすかぁ!?」

「はい。父は担当さんや同業の方にも恐れられているところがあるので、まさかあの父にあんな風に詰め寄る人がいるなんて……すごくびっくりしちゃいました」


 マジかよ……や、やべぇ! 大御所に生意気なこと言っちまった!

 現実を理解し、途端に青ざめてくる俺。名前も知られちまったし、なんかまひるさんたちに迷惑掛けることになったりしないかこれ! つーか俺の今後の創作活動に影響すんじゃないの!?


「……え、えびぽてとさん。俺、とんでもない人にとんでもないこと言いました……!?」


 えびぽてとさんは、人差し指で目元を拭ってからこちらを向く。


「格好つけたらダメだって、言ったじゃないですか」

 

 そう言う彼女は、とても綺麗な顔で笑った。

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