第37話 たった一つの許せないこと


 驚く俺と同じように、えびぽてとさんが大きく目を開いて愕然となる。


 親父さんは破り捨てた同人誌をテーブルの上に放る。


「信じられん。あのゆかりが勝手にこんなものを作って遊んでいたばかりか、放課後に制服姿で男と逢い引きとはな。いつからそんな不埒な娘になった。二度と勝手な真似をするな。くだらん同人誌モノを書く暇があるのなら代わりに反省文を書け。出来たら俺の元へ持ってこい。いいな」

「あ…………ぁ…………」

「紫」

「わたしの……はじめての……」

「紫!」


 親父さんの怒声に、えびぽてとさんがびくっとすくみ上がる。


「……わかったな。紫」

「…………はい」


 えびぽてとさんは、うつむいたまま消え入りそうな声で答えた。

 親父さんはそれで納得したのか、一度深い息をつくと俺たちのテーブルの会計伝票をサッと取り上げ、そのままレジの方へ向かっていく。


「………………守れなくて……ごめんね…………」


 えびぽてとさんは立ち尽くしたままそうつぶやき、テーブルの上の同人誌に――びりびりに破かれた自分の本にそっと触れ、持ち上げて、声を押し殺しながらわずかな嗚咽を漏らした。うつむく瞳からぽたぽたと雫がこぼれ落ちる。


 悔しかった。


 彼女の作品たましいを貶されたことが。

 それは俺の同人作品も――まひるさんの、夕姉の、夜雨の努力まで馬鹿にされたことと同じだった。


 あの“つぶやき”を見たとき以上の怒りが沸き上がる。


 俺のことだけならどうでもいい。

 けど、俺の尊敬する人たちの魂を汚すなら話は別だ。

  

 俺は立ち上がり、拳を握りしめて口を開く。


「――おい。待てよおっさん」


 その声に、彼女の親父さんがこちらを振り返る。


「……少年。今なにか言ったかね?」

「待てって言ったんです。彼女に謝ってもらえませんか?」


 えびぽてとさんが「えっ……」と涙に濡れた顔を上げ、その横を通り抜けて、俺は親父さんの方へ歩み寄る。


 俺よりもずっと上背のある男が、強い威圧感と共にこちらを見下ろす。


「謝る? 俺がなぜ娘に謝らなくてはならない」

「娘とか関係ないでしょう。あんた、人の大切なものを破り捨てたんですよ。謝るのは当然のことでしょう」

「なにを言っている。紫のモノは俺のモノだ。娘の不出来な作品を破り捨てようが君には関係ないことだろう」

「関係あるんだよなぁこれが。俺たち同人仲間せんゆうなんでね。つーかなんだそれ、アニメのガキ大将のセリフじゃん」

「なに?」


 親父さんがえびぽてとさんの方を見やる。でもその不機嫌そうな視線に怯えることなく、えびぽてとさんはただ呆然と俺を見ている。


 俺はさらに詰め寄った。


「それに不出来って言いましたけど、実際に読みましたか? 娘さんの、えびぽてとさんの同人誌にちゃんと目を通した上で言ってるんですか? だとしたら無能ですし、読まずに判断してるなら馬鹿だ。どちらにせよ親失格だ」  

「なんだと?」

「俺もまだ全部は読めてないけど、彼女の作品は面白いです。序盤からキャラクターの立たせ方や描写もしっかりしてるし個性がある。世界観もわかりやすい。なにより自分が書きたいモノを真剣に書いてる熱量がある。それを多くの人に楽しんでもらいたいって思いがこもってる。そりゃ初めての同人誌だし拙いところもいっぱいあるだろうけど、それでも俺は、あの人の本が好きだ!」


 相手の反応は待たない。たたみかけるように言う。


「俺の家族も全員クリエイターなんですよ。特に今の家族はみんなそれぞれに同人活動やってて、すげぇ楽しそうで、生き生きしててさ。他のことはからきしだけど、いつも全力なんだ。好きなことを一生懸命にやってる人って、めちゃくちゃイイじゃないですか!」


 脳裏に蘇る、家族の顔。


 まひるさんの。

 夕姉の。

 夜雨の。

 

 俺が誰よりも尊敬する人たち。


「あの人たちの作る作品モノにはすごい力がある。魅力がある。最高なんだ。俺はあの人たちを、いつも全力で創作してるクリエイターをみんな尊敬してる。彼女だって立派なクリエイターだ。自分が貶される分にはいいよ。そんなのは創作者なら誰だって覚悟してる。けどさ――!」


 こちらを見下ろす親父さんが、その目を大きく見開く。



「俺の尊敬する人たちを侮辱することだけは許せねぇ!! 彼女に謝ってくれ! 謝れよおっさんッ!!」



 自らを奮い立たせるようにわざと強めな言葉を使って相手に詰め寄る。こうでもしなければ親父さんの強面と威圧感だけで怯んでしまいそうだったからだ。見つめ合っているだけでも逃げ出したくなるくらいに怖ぇ。けど逃げるわけにはいかない。


 創作一家で育ってきた俺が、ここで引くことだけは絶対に出来ねぇ!

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