第26話 お隣さんへご挨拶

 それからなんとか準備を済ませた俺たち。

 まひるさんは若い頃に(ていうか今も若いが)こういった即売会イベントに何度か参加しているらしく、夕姉もコスプレイヤーや売り子としての経験が豊富にあるので、二人のおかげで初参加の俺と夜雨もスムーズに準備を済ませることが出来た。思った以上に大変なんだな、同人イベントってのは……。


「みんな~。いよいよ始まりますよ~♪」


 まひるさんの声に続いて、会場内にイベント開始の案内放送が流れる。

 午前十一時。サークル参加者みんなで拍手をして、いよいよイベントスタートである。小さなイベントではあるが、やばい。すげぇドキドキしてきた。


「それじゃあ朝陽ちゃん、夕ちゃん、当番は任せるね~♪」

「お、おねがい、します」

「あ、ああ。まひるさんと夜雨は休んでてくださ……って、イベント楽しむ気まんまんそうっすね!」

「そりゃ二人ともこういうの好きだし。ほらほら弟くんっ、二人でしっかりやるよー!」

「お、おお!」


 まひるさんと夜雨が俺たちに手を振ってスペースを離れ、他のサークルさんの作品を覗きに行く。

 このサークルスペースは狭い。二人並んで座るのがせいぜいだ。だから美空家みんなで店番をすることは出来ず、売り子の夕姉は確定として、もう一人俺が店番を担当。まひるさんと夜雨は休憩という振り分けになったわけだ。ひとまず一時間程度で交代する予定になっている。


 なんだかそわそわ落ち着かない俺の肩を夕姉が叩いた。


「うわー弟くんガッチガチじゃん。もっと肩の力抜きなって。ほーら、お姉ちゃんが抜いたげる♪ ふぅ~」

「うおわっ!? ちょ! 緊張してるとこでいきなり耳に息吹きかけるなっての!」

「あははは! ま、初めてだしわかるけどねー。あ、そーだ弟くん。お隣さんに挨拶した? いちおサークル主は弟くんだし、しといた方がいいよ」

「え? あ、ああそうか。そういうのも必要だよな。わかった」


 まったくそんなところへ意識を回す余裕もなかった俺。夕姉が一緒でよかったわ。

 チラリと見れば、やはり同じ島のお隣さんもオリジナルの同人小説を出しているようで、見たところ個人参加している女の子のようだ。黒髪をおさげに結った真面目そうな感じで、背筋はピンと伸び、視線は真っ直ぐ前を向いていて、俺のことにはまったく気付いていない様子である。ああこれは……。


「あのー……」

「ひゃ!? どどどうぞご自由にお読み――あっ、え? な、ななななにか!?」


 声を掛けただけでわかりやすくテンパるお隣さん。おお、やっぱりめっちゃ緊張しておる。

 俺はなるべく刺激しないよう丁寧に話しかけた。


「あ、急にすんません。隣の『美空家』ってサークルの~……ええと、『あさ』って者です。挨拶が遅れてすみません。初めての参加なんで、何か迷惑掛けちゃうかもしれませんが、よろしくお願いします」


 自己紹介をどうすべきか悩みつつ慣れないペンネームを告げてそう話すと、お隣さんの黒髪おさげさんは目をパチパチさせて正気を取り戻す。


「あわ……ご、ごごごめんなさいこちらこそ挨拶遅れてしまって申し訳なくあのそのっ! わ、わわ私『ぽてと牧場』というサークルの『えびぽてと』です! よろしくおねがしままます!」

「ど、どもっす」


 礼儀正しく立ち上がってお辞儀をしてくれたおさげさん改めえびぽてとさん。美味そうな名前だ。ていうかぽてと牧場ってなんなんだ。ぽてとを飼育しているのか。そしてよく見れば小さなエビフライの髪留めをしている。どこに売ってるんだ。


「あ、ああああの! こ、こちらよろしければいいいい一冊どうぞ!」

「え? あ、すんません。それじゃあうちも」


 えびぽてとさんがわざわざ自分のところの同人誌を一冊差し出してくれたので、俺も同じように一冊渡しておく。お互い頑張りましょうと最後に伝え、とりあえずこれで挨拶も無事に終了した。

 ――ふぅ。そして貰ったえびぽてとさんの同人誌は、女の子二人が主役のオリジナル百合小説のようだ。しかも近未来SFっぽい。後で読んでみるか!


 夕姉が親指を立ててウィンクする。


「弟くん、バッチグー♪ 同人イベントはみんなで楽しむものだからね。自分のとこだけに集中して周りにメーワク掛けないように注意することっ!」

「ああ、肝に銘じておく。やっぱ夕姉もその辺は慣れてるんだな」

「まぁね~♪ っていっても、あたしも始めたばっかりの頃にコスに集中しすぎていろんな人にメーワク掛けちゃったワケよ。売り子は目立ってなんぼだけど、そゆとこ大事だからさ」

「なるほどなぁ」


 そんな話をしているうちにも、会場内には徐々に人の姿が増えてくる。

 その人たちがまず向かうのは、壁の方にブースのある人気のサークルさんのところがほとんどだ。俺たちはいわゆる島サークルであり、初参加でしかも本はオリジナルの小説本のプレビュー版。そもそも名も無きサークルがいきなりオリジナル本を出したところで、下手すりゃ一冊も売れない可能性だってある。小説の同人誌ってのは漫画やイラスト集と違ってパッと見での魅力がわかりづらいだろうしな。

 ま、そんなすぐに人が来てくれるわけではないとわかっちゃいるが――


「あのー、少し手にとってもよろしいですか?」

「――へ?」

「どぞどぞ~♪ うちの初めての本ですが、気合い入れて作ったので是非読んでってくださいなー♪」


 予想だにしなかった、初めてのお客さんの訪問である。うおお早すぎてびびったわ! つかいきなりで声が出なかったし! 夕姉が即対応してくれて助かった!


「だからビビりすぎだってばっ。男の子でしょ、どしっと構えときなさい! 童貞だってバレるぞ!」


 夕姉がひそひそと耳打ちをしてくる。んなこと言われても無理だろ童貞で悪かったなそして赤くなるなら言うな!

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