第46話 鬼の顔

 しばらく何もしなかった。

 空が暗くなっても窓の外から入る電柱のわずかな光を見つめ、飽きれば何か食べた。   

 本当にする事がなくなると、眠り、ぼんやりして、また眠る。

 それを何日か繰り返すと、何もしない事に飽きてきた。


 瀬奈は絵が描きたいと思った。

 絵なんて美術の授業以来書いた事がなかった。

 書く必要がなかった。

 自分の絵が上手いと思った事はない。

 だけど、心の毒素を何かしらの形で吐き出したかった。


 もう得意な事をする必要なんてない。


 メモ帳を出し、最初に描いたのはうんこだった。

 そのうち花丸を並べただけの花畑を何枚も描いた。


 瀬奈はスーパーで、子供用の画用紙と色鉛筆を買い、カラフルな色で白紙を塗りつぶした。

 塗っているだけで、楽しかった。

 色鉛筆からする微かな木の匂いや、しゃっしゃっと紙に擦れる音、十二色の色味、全てが新鮮だった。


 思いのままに塗っていると、だんだんと何か形になり、それから瀬奈は鬼を書くようになった。

 実にたくさんの鬼を描いた。

 それに夢中になると、殺気立った目玉やしわに、心を込めないと筆が進まなくなった。

 瀬奈は鬼と同じように口を歪め、目を血ばらせた。


「あんた何やってんの?!」

 ゆりは食料と酒を持って、時々生存確認をしに来てくれた。

 そして気味悪そうに鬼を見てくれた。

 来る度に「鬼のレベルが上がってる!」そう言って噴き出した。


「怖いですよね、自分でもゾッとする時あるんです。

 絵のクオリティーじゃなくて、描いてると簡単に怒ったり憎んだりそういう気持ちを引き出せちゃうことが」


 亮太への思いは、あまりにも強くて簡単に忘れられなかった。

 鬼の顔を描くたびに実感した。

 あの怖い感情を引き出してしまわないか、テストのように毎日チェックした。


 描き終えると、その鬼を反面教師に生きようと心に誓う。

 それでも、翌日になるとまた同じように描けてしまった。


 瀬奈は家から出なかった。

 時間はとてもゆっくりと流れた。

 時々テレビを見たけれど、スーパーのお惣菜を買って食べる事くらいしか、金を使わずに済んだ。

 楽しい事を見つけるのは、難しかった。

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