第44話 浄化

「ねえ、私のこと好き?」

「うん」

 亮太の返事は虚ろだった。


 分かりやすい奴め。

 瀬奈は、憎らしかった。

 そんな事を聞かなくたって、答えは知っていた。

 力で抑えつけるほど、遠ざかっていくのも分かっていた。


 ただ彼に知って欲しかった。

 自分がどれだけ愛して、どれだけ憎んで、どんなに苦しんでいるのかを。

 肌で感じて欲しかった。

 そして死にたくなるほどの罪悪感に駆られて、悔やんで欲しかった。


 一方的にぶつけるだけのセックスは、意味がなかった。

 じわじわと切なさが瀬奈を蝕んだ。

 隣にいるのは、亮太の亡骸のように感じた。

 やましさはあったけれど、謝りたくなんてなかった。


 亮太は起き上がり、台所に向かった。

 水道水の流れる音がした。

 このまま気まずさも流れていって、時間と共に薄まるのを彼は待っている。

 そんな気がした。

 彼は、ここに住む為に我慢している。

 金が無いだけ。

 望んでここにいるわけではない。


 亮太は、私を愛していない。


「我慢、はよくないよね」

 浮かない顔で戻ってきた亮太に、瀬奈は乾いた口を開いた。

「え?」

「ここに居る事自体が、我慢、なんて言ってるうちはアマチュアなのよ」

「なんのこと?」

 亮太は険しい顔をした。

 ゆりの言葉を思い返し、瀬奈は小さく笑った。

 自分にまとわりついた黒い感情を浄化するように、涙が頬を伝ってきた。


 我慢しているのは亮太ではなく、自分だった。

 ベティーで働く事も、亮太と居る事すらも。

 自分が欠陥商品だと思って生きてきたこれまでの全て、ずっと我慢だった。

 悔しい思いをしないように、戦い続けるのが正しいと思っていた。


 自分の居場所は自分でつくるしかなかった。

 もう手放してあげよう、自分の為に。

 行きたい所へ行こう。

 別の何か、やりたい事を見つけよう。


「支度して」

 瀬奈はそう言って、亮太の荷物の入ったゴミ袋を一つずつ玄関の外に放りだしていった。

 亮太の荷物は、十一袋とギターケース。

 一つ一つの袋は、はち切れんばかりに詰まってとても重かった。


 亮太にしか愛されないと思い込んでいた自分の皮を、一枚ずつ剝いでいこう。


 瀬奈は黙々と運び続けた。

 パンツすら履いていない亮太は、初めはポカンと口を開けて突っ立っていたが、順調に運ばれていくのを見ると、やがて着る物を集めだした。

 コートを羽織ると、亮太はしぶしぶ出ていった。

 彼が玄関から出た瞬間に、瀬奈はドアの鍵を閉めた。


 夜中にも関わらず、亮太の髪の毛一本残さないように掃除機をかけ、指紋や手脂を拭うように机や台所もピカピカに磨いた。

 お風呂場やトイレまで綺麗にした。

 作業に没頭し、瀬奈の頭は真っ白だった。


 気がつくと、鳥のさえずりがして、空がうっすらと橙色に染まり初めていた。

 朝がゆっくり満ちていく。

 瀬奈はそれをぼんやりと眺めた。

 一人だった。


 亮太の荷物がなくなった部屋は悲しくなるほど、すっきりと整頓された。

 最後に残った彼の匂いを消すように、瀬奈は窓を開けた。

 冷たい空気が部屋に侵食してきたので、コートとマフラーを身につけた。

 スマホを手に取ったが、誰からも着信がなかった。

 瀬奈は、ゆりに連絡をした。

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