第27話 気になる彼
ゆりは、頭の中で置き換えをする事を勧めた。
「ミルクが言う『我慢』は潰していった方がいいんだよね。
だから、出来るだけ自分に勘違いさせて。
客を好きな人だって。ほら、例えば彼氏とかさ」
「うーん、亮太をここで出すと逆に心が…」
「じゃあ、彼氏じゃなくても、やってみたい人は?好きなアイドルとか」
瀬奈の頭にぼんやりと浮かんだのは、矢崎の顔だった。
このところ、彼はとても親しげだった。
退勤時、ボーイは店から大通りに出るまでの道を送る。
それがベティーの決まりだ。
他店のキャッチやスカウトから守る為だった。
先日は、矢崎が担当してくれた。
瀬奈は隣に歩く矢崎と、たまたま手が触れてしまった。
すると矢崎はそのまま握ってくれた。
「ねぇ?瀬奈」
思わず瀬奈は、彼の顔を見上げた。
あまりにも突然の事だった。
「本名なんて、よく覚えてますね」
「あたりまえでしょ?ミルクじゃなくて、瀬奈は瀬奈でしょ?」
瀬奈は、なんてことのない顔をして見せた。
だけど、胸はじんわり熱くなっていた。
「せーな」
それを見透かしたかのように、矢崎はさらに甘くささやいた。
こうしていると、まるで恋人のように思えた。
「矢崎さんは、何て名前なんですか?」
「俺はね、ヨシゾウ」
瀬奈は思わず噴き出した。
冗談だと思った。
矢崎のチャラけた見た目に、古風な名前はあまりにも不似合いだった。
「この名前コンプレックスなんだよね。母親が歳でさ……」
矢崎は子供のように、いじけた顔をして見せた。
「そうだったの?ごめんなさい」
瀬奈は慌てて謝った。
「でも私、ヨシゾウって名前、可愛いくて好きだけどなー」
「瀬奈は優しいな」
矢崎は、瀬奈の頭をぽんぽんっと撫でた。
瀬奈は身体が火照るのを感じた。
「俺の下の名前、恥ずかしいからさ。他の女の子には秘密ね」
歌舞伎町さくら通り前の信号は青だった。
そこで二人は別れた。
矢崎の振る舞いは、どこまでが接待でどこまでが本心なのか、いつも分からない。
そこが面白くて、ファンとして夢中になれた。
だけど今、彼は「秘密」をくれた。
矢崎の心が自分の方に、ほんの少し転がってきた気がした。
その喜びが、胸の中を鮮やかに広がっていく。
家に着くまで浮ついていた。
瀬奈は、客を矢崎と思い込む事にした。
お手頃の相手だった。
ゆりには、その事は秘密にした。
置き換えは、まずまずの効果だった。
あまりにも体臭が強かったり、髭が濃くてチクチクと当たる人には難しかった。
集中力を高めて、上手くハマればプレイが楽しくなった。
キスだけでなく膣の中に指を入れられる時、一瞬でも客の前で本当に興奮出来たのは成長だった。
「ミルクちゃん、最近慣れてきたんじゃない?いいね」
店長にも褒められるようになり、驚いた。
接客後、矢崎と鉢合わせた時には、瀬奈は一人で赤面してしまった。
さっきまで、どんな事を想像していたのか。
申し訳なさと、恥ずかしさに塗れた。
しかし、瀬奈だけの卑猥な秘密は、プレイには欠かせない精神安定剤になっていった。
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