第25話 小さな幸せ

 出勤前の朝は、いつだって慌ただしい。

 テレビは、朝のニュースを流している。


 瀬奈が見るのはニュースそのものではなく、画面の端についた正確な時間だった。

 ごはんに洗濯、ゴミ出し。

 時間を確認しながらこなしていく。


 出発の五十分前には、机の上に折りたたみの鏡を置く。

 まず、コテで毛先を丸めて髪をセットした。


 それから一番肝心なメイクをする。


 営業会社の出勤日は、まつげやまぶたに糊をつける工作のようなメイクをしなくて済むから、少しだけ余裕があった。

 普段のメイクは工作よりも、塗り絵をしている感覚に近かった。

 今日も鼻の下のホクロには、たっぷりとコンシーラーを塗った。 


 ベットの上で毛布がもぞもぞ動き始めた。

 瀬奈のメイク道具をカチャカチャ鳴らす音で、亮太が目を覚ましたようだった。

 瀬奈は鞄から茶封筒を取り出した。

 中には三万円が入っている。

 枕元にしゃがんだ。

「おはよ。これ返済用ね。机の上置いておくね」


「んんん、ありがとうございます」

 亮太は重そうな身体を起こし、寝癖だらけの頭を下げた。


「お遊びに使っちゃだめでちゅからねー」

 赤ん坊に言い聞かせるように茶化すと、亮太はふてくされて、枕に顔を埋めた。


「今日はバイトなの?」

 彼は小さく頷いた。

「寒いから風邪引かないでね」

 亮太のつぶれた後ろ髪は色んな方向に広がって、ライオンのたてがみみたいだった。

「目覚ましかけてるなら、ギリギリまで寝てなよ」

 瀬奈は鞄を持ち電気を消して、部屋を出た。

                  

 玄関でショートブーツのチャックを上げていると、二度寝するはずの亮太がのこのこ歩いてきた。

 まだ目がちゃんと開いていない。

「なに?」

「あのね、ありがと、ほんとたつかる、」

 寝ぼけまなこで舌が回らない亮太は、子供のように愛らしかった。


 こんな無防備な彼を味わえるのは、私しかいない。


 瀬奈はにっこり笑って、彼の柔らかい頬にキスをした。

 つるつるの肌に少しだけ髭が生え始めていた。

 こんな何でもない気付きすらも、亮太に関することなら幸せに思えた。

 その姿をまぶたの裏に刻むと、瀬奈はドアを開けた。


 あんたの為ならいくらでも頑張れる。

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