第23話 器の違い

 ゆりは、煙草に火をつけた。


 瀬奈は迷ったが、全ての経緯を吐き出すように語った。


 その間、瀬奈は大量のティッシュを消費し、ちり紙の山を作った。

 それを見かねた隣の席のおじいさんは、自分の席のティッシュを箱ごと渡してくれた。

 店のお姉さんは、何も言わずにお水を注いでくれた。

 ゆりは、つたない瀬奈の話を辛抱強く聞いた。


「馬鹿じゃないの?そんな男、さっさと捨てちゃいなさいよ!!」


 ゆりは二杯目の黒霧島をあおるように飲み干すと、空になったグラスを力強く机に置いた。

 カツンと音が鳴り、グラスの中で氷が揺れた。


 瀬奈にとっては想定内のリアクションだった。

 その怒りに少しばかり、自分への愛情があるのも感じられた。


「無理です!」

「男なんて五万といるんだから」

「人類全体としてみれば、そうかもしれないですけど、私に構う男は一人だけです」

「それは思い違いだから」

「だから違うんです。私とゆりさんは決定的に!」


 瀬奈は情けない気持ちに塗れて、その悔しさをぶつけるように言った。


「彼しかいないんです。私には本当に。

 職場でもこの店でも、モテないんで。

 奇跡なんですよ。

 私に魅力があるって勘違いして一緒にいて、居心地がいいって思ってくれる人。

 だから、結婚して子供産んで幸せになるって夢を叶えられるのは、絶対彼だけなんです。

 私ブスのうえに、もう三十ですよ。

 いまさら新しく探し直せる余裕も、器量もないんです。

 だから、その為にお金だけでも支えてあげないと……」


「可哀想。視野が狭くて」

 ゆりの冷たい声に、瀬奈は崖から突き落とされたような気持ちになった。


 騒がしい飲み屋の喧騒や笑い声に包まれながら、二人は黙りこくった。

 ゆりはお代わりを注文し淡々と飲み続けた。

 瀬奈は一口も手をつけられなかった。


「どうしても捨てない気?」

 ゆりは、イカの塩辛を箸でつついた。

「はい」

「絶対に他の男ができるって保証があったとしても?」

 瀬奈は首を横に振った。

「なんで?」


「愛情ですかね」

 ゆりは噴き出すのを堪えるように、唇を歪めた。


「ミルクは彼氏に依存してるだけ、執着だよ。

 そうやって『この人しかいない』って早く結論出して、早く安心したいだけ」


ゆりの言葉に、瀬奈の胸はえぐられた。


「楽しくないと生きてる意味ないじゃない。

 なに自分で自分の首絞めて、悲劇のヒロイン気取ってんの?」

 ゆりは、煙草の煙を天井に向かってふかした。

 瀬奈はおそるおそる聞いた。


「ゆりさんは、家庭作りたいとか、ないんですか?なにか理想って」


「私はね。結婚とか、どうでもいい。

 全人類とヤリたいとまでは思ってないけど。全人類からこの女、めちゃくちゃエロいって思われたい」


「あぁ、そうなんですか、、」


 またも瀬奈を苦しめる発言だった。

 瀬奈とは、欲しいものが全く違う。


 ゆりは、天性的に風俗に向いているのかもしれない。

 自由な心で客に愛情を注ぎ込める。

 心に彼氏という人質もいないから、罪悪感もない。おまけに美人だ。


 教えを乞うには、あまりにも器の大きさではなく、形が違い過ぎた。

 瀬奈は頭を抱えた。


「私、ゆりさんの事、すごいと思います。

 それでもやっぱり……ゆりさんが仰るように依存だとしても、彼がいいです。

 彼といるのが幸せだと思っちゃいます。

 一緒にいる事で、傷つけられたり、落ち込んだり、私って馬鹿みたいだなって、自分でも思う時あります。

 でもそういう事がたとえ全部無駄になったとしても、心を震わせる事が出来るなら、素敵じゃないですか?

 だってその分、彼がくれる喜びも安らぎも全身で感じられるんです。

 それが、今の私の救いです。

 だから彼が、ダメ男でもヒモ男でも、私にとっては、なんだっていいんです」


「なんか、あんたが羨ましくなった。なんでだろ」

 ゆりは煙草の火を消した。


「へ?!」

 瀬奈は、まだ少しゆりが怖かった。


「まあなんていうか。

 私も自分が枯れてんのかなって思う事あるよ。

 特にOLやってた頃なんかは、上手に生きようとすればするほど、心の幅が狭くなってく気がした。

 強い感情が自分の中で渦まいて、体がかぁぁぁっと熱くなって、今生きてるって思えるあの感じ。

 あれを、どっかに忘れてきちゃったみたい。

 もうあんたみたいに、あんまり熱くなれないの。

 だけど他人の鼓動を肌で感じると、この人も生身の人間なんだって、そんなあたりまえの事を思い出せる。

 だから裸で触れ合ってる時が、一番生きている心地がするのかもしれない。

 私は、たくさんの人と出会って、与え合って、その繰り返しの中で、自分の枠を広げていきたい。

 そう、さっき言いたかったのはね、ただ『エロい』っていうと、体つきとか視覚的に興奮する事だと思われがちだけど。

 それよりも相手を求める強さだったり、受け入れられる喜びだったり。

 つまりエロいって、究極に密着したコミュニケーション能力の高さなんだと思うの。

 人によって、少しずつ求めるものが違うから、繊細で雑に扱えない言葉……。 

 なんか、大袈裟に聞こえちゃってたらごめん。

 もちろん私だって、まだまだ修行中なんだよ?

 苦手な人はいるし、嫌な臭いも、思い出したくないプレイだってある」


 瀬奈は、話の全てを理解出来ているのか謎だった。

 ただ、ゆりは自分の所まで階段を降りてきてくれたように感じた。


 ゆりは挑戦的な目つきになって、微笑んだ。

「そういや、あんた、あたしに弟子入りするって言ったよね」

「はい」


「真似をしなさい」

「ゆりさんのですか?」


「私の心じゃなくて、行動を。

 プレイの時にどんな事するのか。

 あんたは心に振り回されすぎる。だから行動から入りな」

「はぁ」


「もう、今すぐ彼氏と別れろとは言わないから。

 とにかく、あたしの指示に従ってプレイしなさい。

 そうすれば、少なくとも最下位から上がるしかなくなるから」

「は、はい!!!」


 瀬奈は師匠が出来た事が、嬉しかった。

 生ビール二杯を追加で注文して、二人は乾杯をした。


 

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